第四十二話 空から降ってきた天才と、禁断の四角い箱(カップ焼きそば)
夏の夜。
ログハウスの壁に張った巨大スクリーンへ、ゾンビ映画を映し出し、異世界人たちに現代ホラーエンタメの洗礼をたっぷり浴びせた翌朝。
俺は、エアコンがきっちり快適な室温を維持しているログハウスのリビングで、冷たいアイスコーヒーを飲みながら、タブレット端末の画面をぼんやり眺めていた。
画面に映っているのは、村の上空を自動巡回しているドローン二号機からの映像である。
先日のマッドブル戦で初代ドローン一号は名誉の戦没を遂げた。
その反省を踏まえて導入した二号機は、現在、俺の引きこもり生活を守る空飛ぶ目として、朝から律儀に森の上空を回っている。
偉い。
俺より働いている。
麓の領主アラリック子爵の騎士団を、レーザーライトと重低音スピーカーによる“光と音のハッタリ魔法”で森の彼方まで叩き返して以来、この周辺には妙な緊張感が漂っていた。
今のところ、向こうは完全にビビっているらしい。
トムじいの話では、街ではすでに、俺が“森の奥に住む神罰を操る大賢者”みたいな扱いになっているとかいないとか。
困る。
非常に困る。
俺はただ、快適な場所で冷たい飲み物を飲みながら、誰にも邪魔されずだらだらしたいだけの引きこもりである。
神罰も大賢者も荷が重すぎる。
とはいえ、噂が勝手に広まる分には、抑止力として悪くない。
問題は、誰かが「あれ、実はただの幻惑では?」と気づいた場合だ。
本物の討伐隊。
優秀な魔法使い。
王都の調査団。
そういう連中が、冷静に準備して押しかけてきたら、話は一気に面倒になる。
防犯カメラやスプリンクラーは便利だ。
ドローンも、インカムも、センサーライトも便利だ。
だが、便利と無敵は違う。
ファンタジー世界のガチ魔法に対して、現代日本のホームセンター装備だけでどこまで抗えるかと言われると、正直ちょっと自信がない。
「……やっぱり、村全体をすっぽり隠すような本物の結界が欲しいところだな」
俺はアイスコーヒーの氷をからんと鳴らしながら、ぼそっと呟いた。
ここ数日、夜になると森の奥で一瞬だけ瞬いていた青白い光。
あれの正体も、まだ分かっていない。
熱の揺らぎにも見えるし、魔法的な何かにも見える。
こういう、正体が分からないけど何となく嫌な予感だけはする現象って、一番ストレスなんだよな。
引きこもりにとって、未知は敵である。
たとえそれがキラキラしていても敵だ。
その時だった。
『ピーッ! ピーッ! ピーッ!』
突然、タブレットから鋭い警告音が鳴り響いた。
「ん!? なんだ!?」
俺は反射的に身を乗り出し、画面を拡大する。
ドローンの広角カメラが捉えていた映像の片隅。
村から北へ五百メートルほど離れた森の境界線付近で、明らかな異常が発生していた。
カメラにノイズが走っているわけではない。
森の空間そのものが、まるで真夏の陽炎みたいにぐにゃりと歪み、そこを中心に周囲の光が不自然に屈折しているのだ。
しかも、サーモグラフィーモードへ切り替えると、その歪みの中心から尋常ではないレベルの高熱源――いや、熱というより、何か強大なエネルギーの渦みたいなものが放出されているのが見えた。
「うわ、なんだこれ。バグったのか? いや違う、現実がバグってる……!」
俺は思わず立ち上がり、ログハウスのドアを開けて外へ叫んだ。
「おい、お前ら! 起きろ! 北の森で何か変なことが起きてるぞ!」
タープの下でだらけていた村の空気が、一瞬で戦闘モードへ切り替わった。
「敵襲かい!?」
プレハブ小屋から、昨日の映画のせいで若干寝不足気味のガランが、それでもしっかり大斧を担いで飛び出してくる。
目の下にちょっとクマがあるのに、初動だけは異様に速い。
戦士としての性能が本当に高い。
「……魔力だ。それも、尋常ではない密度の」
ロエンが空調服のスイッチを切り、低い姿勢で森の北側を睨みつけた。
「自然発生する魔物や精霊の気配ではない。濃すぎる。あれは、意図を持って編まれた力だ」
「つまりヤバいやつか」
「ヤバいやつだ」
説明が短い。
そして怖い。
ハンモックから飛び降りたシルフィも、すでに弓へ矢をつがえていた。
「この気配……転移か、召喚か、それに近い何かだな」
「さらっと物騒な単語が並んだな」
「安心しろ」
「何が!?」
「まだ爆発はしていない」
「安心材料が弱い!」
「ドローンで接近して確認する。お前らはここで待機だ」
俺はタブレットを操作し、ドローンを空間の歪みへと急行させた。
上空から確認できるなら、まだ安全圏だ。
こういう時、現地へ自分の足で行かなくて済む文明の利器は本当に偉大である。
カメラのズーム倍率を上げる。
空間の歪みは、まるでガラスにヒビが入るみたいに、ピキピキと不吉な筋を広げていき――次の瞬間。
パァァァンッ!!
鼓膜を劈くような破裂音と共に、空中へぽっかりと黒い穴――いや、亀裂のようなものが開いた。
「うわっ、裂けた!? 空って裂けるの!?」
誰へともなく叫んだ、その直後。
その黒い穴の中から。
「ひゃうっ!?」
ひどく情けない悲鳴と共に、一つの人影が、まるでゴミ箱から中身をぶちまけたみたいな乱雑さで宙を舞い、そのまま森の茂みへ頭から突っ込んでいった。
どさっ、と嫌な音がして、枝が盛大に揺れる。
そして黒い穴は、やることだけやって満足したのか、シュンッと縮んで何事もなかったように消滅してしまった。
「……人が、落ちてきた?」
俺は目を瞬かせながら、タブレットの画面を見つめる。
「なんか今、とんでもない雑さで異世界転移みたいなものを見たぞ」
「しかも着地がひどいねぇ」
ガランが半笑いで言う。
「ちょっと可哀想になってくるレベルだよ」
「笑ってるじゃねえか」
ドローンのカメラは、茂みの中でぴくぴく痙攣している、小柄な人物の姿をしっかり捉えていた。
ダボダボの黒いローブ。
尖った魔女帽子。
どう見ても、魔法関係者です、と全身で主張している格好だ。
「魔物じゃなくて人間みたいだ。ただの遭難者か……?」
「空から降ってくる遭難者がいてたまるか」
シルフィが冷静に切り捨てる。
「それもそうだな」
「とにかく確認しよう。生きているなら保護。敵なら拘束。爆発しそうなら即撤退だ」
「最後の条件が嫌すぎるねぇ」
「俺だって嫌だよ!」
*
ロエンを先頭に、慎重に森の中を進むこと十分。
俺たちは、ドローンが示した座標の茂みの前へ到着した。
葉っぱは派手に散らばり、枝は何本か折れている。
着地というより墜落の痕跡が生々しい。
普通の人間なら、大怪我でもおかしくない落ち方だ。
「……おい、生きてるか?」
俺が少し離れた場所から声をかけると、茂みの中から「うぅぅ……」という呻き声が聞こえ、がさがさと葉が揺れた。
「い、痛たたたた……。空間座標の偏角計算、小数点第三位を間違えました……。まさか転移先の高度が地上十メートルになるとは……」
「うん、元気だな」
「元気というか、まず言うことが意味不明だな」
ガランが眉をひそめる。
「しかも反省の方向が完全に研究者だ」
「嫌な予感しかしない」
やがて茂みから這い出してきたのは、見た目十代半ばくらいの人間の少女だった。
だが、その身なりはかなり異様である。
体をすっぽり覆う漆黒のローブは、ところどころ焦げて穴が開いている。
頭には、つばの広い魔女っぽい帽子。
顔の半分近くを覆う、度の強そうな丸眼鏡。
そして細い腕には、自分の顔より分厚いんじゃないかってくらいのボロボロの魔導書を、しっかり抱えていた。
いろいろ足りていないくせに、本だけは絶対に離さないタイプだ。
「……動くな」
シルフィが冷ややかな声と共に、少女の眉間へ矢を向ける。
「その身を焦がすほどの魔力残滓、そして高位の空間転移術式。ただの遭難者ではないな。何者だ」
「ひいっ!? あ、暗殺者!? それとも禁忌の研究を嗅ぎつけた王都の異端審問官!?」
少女は丸眼鏡をずらしながら、おびえたカエルみたいに後ずさった。
「ま、待ってください! あの塔の爆発は不可抗力なんです! 私はただ、時空間干渉の術式にちょっとだけ魔力を込めすぎただけで……! 世界を滅ぼす気なんて、ほんの少ししかありませんでしたから!」
「自白が物騒すぎるだろ!!」
俺のツッコミが森に響く。
「しかも“ほんの少し”って何だよ! ゼロにしろ!」
「いえ、理論上の話でして!」
「理論上でも怖いわ!」
シルフィが訝しげに目を細める。
「……その黒いローブに、銀糸の紋章。お前、王立魔法アカデミーの者か」
「げっ」
少女が露骨に顔をしかめた。
「だとすれば、この異常な魔力量にも説明がつく。……確か、“魔導の申し子”と呼ばれる異端児が、一年前に追放されたという噂があったが」
「追放じゃありません! 自主退学です!」
少女はむきになって叫び、その勢いで立ち上がってローブの土を払った。
「あそこの図書室には、私の知的好奇心を満たす本がもう残っていなかったんです! 教授たちの教える凡庸な魔法理論なんて退屈すぎて、自分で新しい術式を組んでいたら、ちょっと実験棟が吹き飛んだだけで……!」
「ちょっとで済む規模の事故じゃない気がするねぇ」
ガランが呆れ顔で言う。
「いや、私から見れば本当にちょっとなんですが!」
「基準が怖い」
「分かる」
ロエンが短く頷く。
「畑に近づけたくないタイプだ」
「農家視点が厳しいな」
どうやら、絵に描いたようなマッドサイエンティスト系の天才魔導士らしい。
しかも、たぶん悪人ではない。
悪人ではないが、油断すると村を吹き飛ばしかねない種類の善意バカだ。
一番扱いが難しいやつじゃねえか。
俺は深く息を吐き、警戒を少し解くようにシルフィへ合図した。
「まあ、敵意はないみたいだし、とりあえず村で話を――」
そう言って振り返り、ログハウスの方を指差した、その時だった。
「……え?」
少女の動きが、ぴたりと止まった。
丸眼鏡の奥の瞳が限界まで見開かれ、その視線は俺の村の光景――太陽光を反射するソーラーパネル、継ぎ目のない白いプレハブ小屋、そして俺の頭上で静かにホバリングしているドローン――に釘付けになっていた。
「な……な、な、な……っ!?」
ばさっ、と少女の手から分厚い魔導書が滑り落ちる。
「なんですか、この構造物は!!」
次の瞬間、少女は凄まじい勢いで俺に詰め寄り、胸倉を掴まんばかりの距離で叫んだ。
「魔力を一切感じないのに、この幾何学的な美しさと完璧な気密性! そして屋根に載っているあの黒い板! 太陽光を効率的に吸収し、未知のエネルギーへ変換しているというのですか!? さらにあの空飛ぶゴーレム! 魔力機関を持たずに自律飛行しているなんて、神話時代に失われた超古代魔法文明の遺物としか思えません!!」
「ちょ、近い近い! 鼻息が荒い!」
「教えてください! あなたは何者ですか!? この神の如きアーティファクトの数々を、どこで発掘したのですか!? お願いします、あの黒い板の設計思想と、空飛ぶゴーレムの駆動原理と、できればその白い箱の継ぎ目のない外壁を内側から解体解析させてください!!」
「させないよ!?」
「せめて一部だけでも!」
「どこを譲歩したつもりなんだ!」
完全に、オタク特有の超早口だった。
未知の技術――つまり現代家電と住宅設備――に触れたことで、こいつの魔導士としての知的好奇心が完全に臨界点を突破してしまったらしい。
「だっははは! トムじいと似た反応だねぇ!」
ガランが腹を抱えて笑う。
「でもこっちは商人じゃなくて研究者だから、めんどくささの方向が鋭いよ!」
「鋭いって言うな、すごく嫌だ」
「解体なんてさせないよ。これはただの文明の利器だ。それより、お前――」
俺が何か言いかけた、その瞬間。
きゅるるるるるるるぅぅぅぅぅ……。
少女の腹の底から、マッドブルの唸り声にも負けないような、盛大で切実で非常に情けない音が鳴り響いた。
「……あ」
少女は顔を真っ赤にし、お腹を押さえてその場へへたり込んだ。
「そ、そういえば……研究に没頭して、術式の構築に夢中になるあまり……ここ三日ほど、水しか飲んでいませんでした……」
「研究者あるあるみたいに言うな」
「いや、あるんです!」
「あってたまるか!」
俺は深くため息をついた。
天才なのかアホなのか分からないが、餓死寸前の子供を森へ放り出しておけるほど、俺も冷たくはない。
というか、このままだとこいつ、知識欲より先にカロリー不足で死ぬ。
「とりあえず、何か食わせてやるからこっちに来い」
「……あ、ありがとうございます……」
少女は消え入りそうな声で答え、ぺこりと頭を下げた。
「私はエルマと申します……」
「俺はコウタだ。で、こっちは――」
「説明はあとだ。歩けるかい?」
ガランが気楽に聞く。
「た、たぶん……今は食欲だけで立っています……」
「分かりやすくてよろしい」
「良くはない」
エルマはふらふらしながら、俺たちの後をついてきた。
数歩ごとに足元が危うい。
マッドサイエンティスト感はあるのに、栄養状態が完全に終わっている。
*
ログハウス前のタープの下。
キャンプチェアへ座らせたエルマは、今にも倒れそうなほど憔悴していた。
さっきまで建物へ食いついていたテンションが、空腹で急激にしぼんでいる。
知性は高そうだが、燃費は悪いらしい。
「コウタ、どうするんだい? 何か消化に良いスープでも作ってやるかい?」
ガランが心配そうに覗き込む。
「いや、こういう極限まで空腹の研究オタクには、変に優しいものより、ガツンと脳に響くジャンクを食わせた方が回復が早いんだ」
俺は断言した。
「経験則だ」
「経験則なのが嫌に信頼できるな」
シルフィがじとっと見る。
「お前、自分を基準にしてないか?」
「してる」
「だろうな」
俺は空中に《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを開き、迷わずある商品を選択した。
これぞ現代日本が誇る、安価で、暴力的で、強烈な中毒性を持つ食べ物。
『カップ焼きそば 大盛りサイズ からしマヨネーズ付き』
「よし、購入」
テーブルの上へ、四角いパッケージのカップ焼きそばが現れる。
「……なんですか、これは」
エルマが眼鏡を曇らせながら、恐る恐るそれを覗き込んだ。
「薄い神秘の皮に包まれた、四角い呪具ですか? それとも携帯型の保存食用魔導器でしょうか」
「どっちでもない。ただのカップ焼きそばだ」
「かっぷ、やきそば……」
エルマが、震える声で未知の単語を復唱する。
「名称からして、矛盾しています。焼くのですか? 容器に入っているのですか? 蕎麦なのですか? 魔導理論より難解です」
「そこまで深く考える食い物じゃない」
彼女はパッケージの裏面をじっと見つめた。
「『ねぎエキス』『香辛料抽出物』『増粘多糖類』……見たこともない神聖文字で、恐ろしい錬金術のレシピが刻まれています……!」
「原材料名をそこまで壮大に解釈するなよ」
「いいから見てろ」
俺は包装を剥がし、蓋を半分だけ開けて、中からソースやマヨネーズの小袋を取り出した。
そしてログハウスのキッチンで沸かした熱湯を、カップの内側の線までたっぷり注ぎ込む。
「ここから三分待つ」
「さ、三分……!?」
エルマの目が見開かれた。
「たったそれだけの時間で、この乾いた塊が食事に変わると言うのですか!?」
「そうだ」
「速すぎませんか!?」
「現代社会は忙しいんだよ」
「食の時間まで圧縮するんですか!?」
「その代わり、こういう背徳的な進化もする」
「文明、恐ろしい……!」
三分後。
俺は湯切り口のシールを剥がし、流し台へ向かった。
ペコッ、ペコッ。
容器が熱でわずかに歪みながら、ジャバァァァッと白い湯気を立ててお湯が吐き出されていく。
この湯切りの音と匂いだけで、現代人の胃袋はだいたい条件反射を起こす。
「よし、ここからが魔法の真骨頂だ」
俺は湯切りした熱々の麺の上へ、漆黒の特製液体ソースを絞り出した。
ジュワァァァァッ……!
熱い麺へソースが触れた瞬間。
スパイス。
フルーツの甘み。
野菜の旨味。
焦げた醤油みたいな香ばしさ。
それらが一斉に空気中へ解き放たれる。
むせ返るようで、それでいて本能を真正面から殴りつけてくるような、圧倒的にジャンクな匂いがタープの下を制圧した。
「な……っ!!」
エルマが椅子から立ち上がりかける。
「な、なんですかこの凶悪な匂いは……! 嗅いだだけで魔力回路が逆流しそうなほど、強烈で刺激的な……!」
「分かる」
ガランが真顔で頷く。
「コウタの飯の匂いは、だいたい反則だ」
「コウタ! わたしもたべる! おやつにする!」
匂いに釣られて、ミリィまで尻尾をぶんぶん振りながら寄ってきた。
「ガウッ! ガウガウ!」
ポテトも足元で跳ね始める。
「お前らは後でな!」
俺は慌てて制しつつ、手早くソースを麺へ絡めていく。
全体が均一な茶色に染まったところで、トドメのからしマヨネーズを細いビームみたいに絞り出し、美しい網目模様を描く。
さらに、青のりと紅生姜のふりかけをぱらぱらと散らして、完成だ。
完璧である。
見た目の時点で、だいぶ人をダメにする気配がある。
「さあ、食ってみろ。これが地球のジャンク文化の結晶、カップ焼きそばだ」
俺が差し出すと、エルマは震える手でフォークを受け取った。
そして、茶色く染まり、マヨネーズの白が絡んだ麺を、恐る恐る口へ運ぶ。
ズズッ。
麺をすする音が響く。
瞬間。
「……っ!!???」
エルマの丸眼鏡の奥の瞳が、これ以上ないほど見開かれた。
彼女は咀嚼を止め、完全にフリーズする。
あ、これ当たりだな。
知ってた。
「ど、どうだ?」
俺が様子を窺うと、エルマの目から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「な、なんという……なんという暴力的な旨味……!!」
エルマはフォークを握りしめたまま絶叫した。
「複雑に計算され尽くした香辛料の術式が舌を焼き、その直後にこの白いソースの圧倒的なコクとまろやかさが、すべての刺激を優しく包み込んでいく……! しかも、この細い麺がソースの旨味を一滴残らず吸い上げている……! なんですかこれは、味覚の暴走実験ですか!? 成功例しか存在しない禁断の錬金料理ですか!?」
「褒め方がいちいち大げさだな」
「だが気持ちは分かる」
シルフィが真顔で頷く。
「その食べ物は、たしかに理性を鈍らせる」
「お前もだいぶやられてるな」
エルマはもう止まらなかった。
三日間の絶食を忘れたみたいに、ズルズルッ、ズズズッ、と猛烈な勢いで大盛りの麺を吸い込み始める。
「あんなに勉強したのに……! アカデミーの食堂で出されていた最高級スープが、ただの泥水に思えてきました……!」
「ひどい言い草だねぇ」
ガランが笑う。
「私は……私はこの味を知るために、空間を飛び越えてきたのかもしれません……!!」
「いや、それはさすがに目的を見失ってるだろ」
最後の方は何を言っているのか分からなかったが、エルマはわずか数分で大盛りのカップ焼きそばを完食した。
しかも容器の底へ残った青のりまで、フォークで大事そうに掬って舐め取る念の入れようである。
研究者の執念が変な方向で発揮されていた。
「ふうぅぅぅ……」
エルマは完全に満足しきった顔で、背もたれへ深くもたれかかった。
その表情は、魔法の深淵を覗く天才魔導士のものではない。
ただの、深夜にカップ麺をキメてしまった罪悪感と幸福感に包まれるオタクそのものだった。
「……また一人、乙女の人生がコウタの飯によって狂わされたな」
シルフィが呆れたようにため息をつく。
「言い方」
「だが否定できるか?」
「できない」
「できないのかい」
ガランが笑った。
*
食後。
完全にカップ焼きそばの奴隷と化したエルマは、ふらふらと立ち上がると、俺の目の前へどすっと両膝をついた。
嫌な予感がした。
こういう姿勢は、だいたい重いお願いの前兆である。
「……コウタ様」
「様はやめろ」
「お願いです、どうか私を、この村に置かせてください!!」
次の瞬間、エルマは完璧なフォームで土下座を決め、地面へ額をこすりつけながら必死の懇願を始めた。
「この家とゴーレムと未知の技術の謎を解明するまで、いえ、一生! 私は帰りたくありません! アカデミーの書庫よりも、ここには果てしない知識と……あのカップ焼きそばがあります!!」
「最後の一言でだいぶ俗っぽくなったな」
「大事です!!」
「知ってるけど!」
「いや、俺は別に弟子とか取ってないし、これ以上住人が増えると……」
断ろうとした、その時。
エルマはばっと顔を上げ、眼鏡の奥の目をギラリと光らせた。
「タダでとは言いません! 私をここへ置いていただければ、お礼にこの村全体を覆う絶対不可視の多重防衛結界を構築いたします!」
「……結界?」
俺の耳が、ぴくりと反応した。
「はい!」
エルマは一気にまくし立てた。
「物理的干渉の遮断、認識阻害、魔力探知の無効化、敵性存在への迷走誘導! 私の持つ最高位の結界魔法を展開すれば、あの暴走牛が何百頭来ようが、先日現れたという貴族の軍隊が来ようが、村の中へ一歩も入ることはできません! 外からは森の一部にしか見えず、敵意ある者は永遠に道を見失い、味方だけが自由に出入りできます!」
「……味方だけが自由に出入り」
「はい!」
「外からは見えない」
「はい!」
「敵は勝手に迷う」
「はい!」
「維持管理は?」
「私がやります!」
「……最高じゃないか」
その単語の一つ一つが、甘い毒みたいに脳へ染み込んだ。
外から見えない。
敵が入ってこない。
味方だけ出入りできる。
維持管理は専門家任せ。
それは引きこもりにとって、もはや一種の祝福である。
防犯カメラも自動スプリンクラーも、ドローンもセンサーライトも便利だ。
だが、本物の魔法の結界があるなら、俺の引きこもり拠点はついに難攻不落の要塞へ進化する。
アラリック子爵を追い返して以来、ずっと心の隅にあった不安が、これで一気に消えるかもしれない。
「……本気だな?」
「はい! 結界の維持管理も私がすべて行います! どうか、どうかお願いします!」
「研究環境とカップ焼きそばのために?」
「はい!!」
「潔いな」
俺は少しだけ考えた。
危険人物ではある。
かなり危険だ。
だが、危険と有能がセットになっている時、人はだいたい誘惑に負ける。
しかもこっちは、俺がずっと欲しかった結界要員である。
俺はにやりと笑った。
「いいだろう。お前の滞在を許可する」
「ほ、本当ですか!! ありがとうございます、コウタ様!!」
「だから様はやめろ。あと条件がある」
「なんでしょう!? 実験は週何回までですか!? 爆発許容量ですか!?」
「そこを自分から確認してくるな」
「お前が住むのは俺の家――ログハウスの中じゃない。ロエンやガランと同じように、お前専用の離れを用意してやる。そこで寝起きしろ」
「はっ……つまり、専用研究室を……!?」
「研究室って言うと不穏だな」
「工房!」
「もっと不穏だな」
「じゃ、じゃあ、知的探究用個室!」
「言い換えても怪しい!」
俺は立ち上がり、空き地の端――ガランのプレハブ小屋から少し離れた場所を指差した。
そして空中へ再び《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを呼び出す。
潤沢なMPを使って購入したのは、ガランのものと同じ組み立て式プレハブ小屋キット。
六畳間。
エアコン完備。
電源接続対応。
作業机付き。
研究者を入れるには危険な仕様だが、今さらそこは見なかったことにする。
「さあ、見とけよ。これが俺の魔法だ」
俺は購入ボタンを押した。
ズズンッ!!
青白い光と共に、空き地の端へ巨大な白い箱が、最初から組み上がった状態でどーんと出現した。
継ぎ目のない白壁。
きっちり四角いフォルム。
文明の暴力である。
「な……なななっ!?」
エルマが腰を抜かして、ひっくり返った。
「たった今……何の前触れもなく、一瞬にして建造物が創造された!? しかもこの滑らかな外壁、寸分の狂いもない歪みのない構造……! ありえません! これほどの神の御業を、無詠唱で!? しかも無駄な魔力の揺らぎすらない!?」
「ここがお前の新しい研究室――じゃなかった、住居だ」
「今、研究室って言いかけましたよね!?」
「言いかけただけだ」
「心が読めるのかい、あんたたち」
ガランが笑う。
「冷暖房完備、電気も通ってる。好きに使え。ただし爆発は禁止」
「冷暖房……!?」
エルマの声が震える。
「夏涼しく、冬暖かい、ですか……?」
「そうだ」
「神殿では?」
「ただのプレハブだよ」
「神殿では!?」
「違うって」
「では、神殿級プレハブ……」
「勝手に格上げするな」
「あああ……! 素晴らしい……! ありがとうございます、コウタ大賢者様!!」
エルマはプレハブの壁へ頬ずりしながら、歓喜の涙を流し始めた。
もう完全に、住む前から愛着が湧いている。
安上がりというか、順応が早いというか。
俺がそんな彼女の様子を呆れながら見ていると、視界の端のステータス画面へ、ひっそりと新しいシステムメッセージが浮かび上がった。
【交流通販:結界・防衛系カテゴリの適性者加入を確認しました】
【交流進化ポイントが蓄積されました】
【拠点防衛カテゴリとの連携候補が追加されました】
「……なるほど」
思わず小さく呟く。
ロエンの農業。
ガランの戦闘と狩猟。
シルフィの森の知識と索敵。
ミリィの感覚と見張り。
ポテトの火。
そして、エルマの魔導と結界。
どうやら俺のスキルは、仲間の得意分野を触媒にして、拠点づくりのためのカテゴリをどんどん拡張していくらしい。
つまり、俺が快適に引きこもるためには、意外と人材確保が重要ということだ。
引きこもりなのに人脈がいるの、なんか理不尽だな。
「よし、エルマ!」
俺は新入りの天才魔導士へ向かって声を張った。
「さっそく今日から、この村に最強の結界を張る準備をしてくれ! 俺の安眠のために!」
「はいっ!」
エルマはびしっと姿勢を正した。
「コウタ様のため! そしてカップ焼きそばのため! 粉骨砕身、働かせていただきます!」
「理由が二本柱なの、だいぶ不安だねぇ」
ガランが笑う。
「だが、働く気は本物らしい」
ロエンが腕を組む。
「畑に被害さえ出なければ良い」
「まずそこなんだな」
「当然だ」
シルフィは、まだ少し警戒した目でエルマを見ていた。
「……コウタ。こいつは有能だが危険だぞ」
「分かってる」
「本当に分かっているのか」
「多分」
「その返事が一番不安だ」
エルマはというと、もうプレハブの外壁とソーラーパネルとドローンと俺の通販ウィンドウを、忙しなくきょろきょろ見比べている。
完全に、未知の玩具を与えられた研究者の目だった。
危ない。
とても危ない。
だが同時に、こいつがいれば、俺の村は今までとは比べものにならないほど安全になるかもしれない。
こうして、俺の引きこもり村に新たに、天才引きこもり魔導士という、頼もしいような騒がしいような、でもたぶんかなり有能な住人が加わった。
絶対不可視の多重防衛結界。
拡張されていく通販スキル。
新しいプレハブ小屋。
そして、禁断の四角い箱――カップ焼きそばに魂を掴まれた新入り。
俺が最初に夢見ていた、誰にも邪魔されない孤独なスローライフは、仲間が増えるごとに少しずつ形を変えつつある。
けれど。
まあ、こういう騒がしくて安全な日々も、悪くない。
少なくとも今の俺は、心の底からそう思っていた。




