第四十一話 猛暑の衣替えと、異世界の野外幻燈(シアター)
貴族の武装騎士団を、光と音の魔法――もとい、PAスピーカーとレーザーライトによる全力のハッタリで撃退し。
麓の街の商人トムじいとの物流ルートを、置き土産の金貨によってさらに盤石なものにし。
ついでに拠点通販Lv.3によって、自動水やりシステムとスマート防衛線まで手に入れた。
俺の村――ログハウス周辺は、目下かなり順風満帆だった。
順風満帆。
そう、順風満帆のはずだった。
だが、夏の森は容赦という言葉を知らない。
むしろ、ここからが本番です、と言わんばかりに、迷いの森は暴力的な猛暑へと突入していた。
引きこもり生活百日目。
記念すべき節目の日である。
百日。
元の世界なら、たぶん学校の出席日数とか、定期テストとか、進路希望調査とか、聞くだけで胃が重くなる単語に追われていた頃だろう。
だがここでは違う。
ログハウスがある。
畑がある。
住人がいる。
露天風呂がある。
貸本屋兼銭湯という謎の文化施設もある。
トムじい経由の物流ルートまである。
そして俺の肉体年齢と元の世界の時間は止まっている。
つまり、これは終わらないモラトリアムの百日記念日である。
祝ってもいい。
むしろ、盛大にだらけても許される。
そう思っていたのだが――。
「……暑い」
雲一つない青空から照りつける太陽は、もう“暑い”ではなく“殺意がある”と表現した方が正確なレベルだった。
森の木々ですら、葉を少し丸めている。
セミに似た異世界の虫たちも、この灼熱には勝てないのか、鳴き声を潜めて枝の裏に引きこもっていた。
虫まで引きこもる暑さ。
いよいよどうかしている。
「……死ぬ。これは、鎧なんて着てたら干からびて死ぬねぇ」
タープの下のキャンプチェアで、大斧使いの女戦士ガランが完全に溶けていた。
彼女はすでに金属防具をすべて外し、薄手の麻布のシャツ姿になっている。
だが、それでも褐色の肌には玉の汗が浮かび、いつもは豪快な笑い声を響かせる口から、今は「あつい」「むり」「水」といった、だいぶ弱った単語しか出てこない。
魔物へ正面から突っ込んでいく元Aランク冒険者が、太陽相手には完全に敗北していた。
「ガラン、お前、その格好でも限界なのか」
「当たり前だよ! 今この森で一番恐ろしいのは魔物じゃなくて太陽だからねぇ!」
「言われてみればそうだな……」
「坊やもそのうち分かるよ。筋肉は暑さに弱いんだ」
「なんか理不尽な真理みたいに言うな」
「土も干上がる熱気だ……。コウタの自動水やり装置がなければ、畑は全滅していたかもしれん」
ロエンも、ガーデンハウスの影で、犬みたいに息を荒くしていた。
ふさふさの毛皮は汗で重くなり、麦わら帽子の下からも汗が滴っている。
普段は寡黙で精悍な狼獣人が、今は完全に“夏の犬”である。
それでも彼の視線は、畑に這わせた散水チューブと、そこから霧のように噴き出す水へ向けられていた。
暑さで消耗しながらも、農夫としての責任感だけは一ミリも溶けていない。
「ロエン、お前もだいぶ限界だろ」
「……否定はしない」
珍しく素直だった。
「だが、畑は守らねばならん」
「真面目すぎるんだよ」
「野菜は待ってくれん」
「それはそうだけどさ」
ミリィとポテトに至っては、ログハウスのエアコンの冷気が漏れてくるドアの隙間にぴったり陣取り、床へへばりついてぴくりとも動かない。
ミリィは「うにゃぁ……」と魂が半分抜けた声を出している。
ポテトは仔竜のくせに腹を出し、完全降伏の姿勢だった。
仔竜、火竜の子供なのに暑さに弱いのか、と一瞬思ったが、ポテトは火を扱う竜であって、蒸し暑い日本の夏みたいな環境に適応した生物ではないのだろう。
火と湿気は別問題である。
もはや二人とも、生き物というより、暑さでダメになったクッションに近い。
「……森の精霊たちも、この熱波には悲鳴を上げているな」
シルフィだけは木陰のハンモックに揺られながら比較的涼しい顔をしていた。
だが、それでも普段より読書のペースが明らかに落ちている。
漫画のページをめくる手が鈍い。
エルフの涼やかさにも、さすがに限界はあるらしい。
「お前ですらしんどいのか」
「しんどくないとは言っていない」
シルフィがぱたんと漫画を閉じた。
「私は比較的マシなだけだ。快適ではない」
「エルフにも猛暑は平等か」
「平等に最悪だ」
「よし」
俺はキンキンに冷えた麦茶の入ったジャグをテーブルに置き、空中に《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを呼び出した。
「お前ら、さすがにその格好のままじゃ夏は越せないぞ」
生活通販Lv.2になってから、商品のラインナップはさらに充実している。
異世界の住人たちは、防具や普段着として革や厚手の麻布をよく着ている。
だが、現代日本には猛暑を乗り切るための、汗と湿気と熱気に対する執念の結晶がある。
「今日は、村を挙げての衣替えだ」
俺がセット購入のボタンをぽちっと押すと、青白い魔法陣から、いくつもの段ボール箱が現れた。
箱には、見慣れた頼もしい文字が並んでいる。
『接触冷感』
『吸汗速乾』
『通気性抜群』
『炎天下の作業に』
今この場では、神々しさすら感じる文言だった。
「なんだいそれは? 新しい布かい?」
ガランが気怠げに片目を開ける。
「ただの布じゃない。文明だ」
「また始まったねぇ」
「今回はかなり実用的だぞ」
俺がまずガランとシルフィへ渡したのは、接触冷感インナー、ドライメッシュ素材の速乾スポーツTシャツ、そして動きやすいハーフパンツだった。
見た目はかなり現代的で、この森の景色にはちょっと浮きそうだ。
だが、快適性の前に景観なんて些細な問題である。
「……薄くて、奇妙にツルツルとした布だな。こんなもので本当に涼が取れるのか?」
シルフィが眉をひそめる。
「信じろ。日本の夏対策は執念の産物だ」
「たまにお前の世界、暑さにだけ妙な本気を見せるな」
「たまにじゃない。毎年だ」
ガランとシルフィは、半信半疑ながらもプレハブ小屋へ着替えに向かった。
その後ろ姿を見送りながら、俺はロエン用の装備も箱から取り出す。
こっちはもっと分かりやすい切り札だ。
五分後。
「だっはははは! なんだいこれ! すっごく軽いし、風が吹くと肌が冷たく感じるよ!」
勢いよく飛び出してきたガランの姿に、俺は思わず目を丸くした。
黒のスポーツTシャツとハーフパンツ。
それは、鍛え上げられたガランの体格に異常なほど似合っていた。
ファンタジーの豪快女戦士が、一瞬で現代ジムの人気インストラクターみたいになっている。
笑顔までやたら爽やかだ。
ずるい。
「お、おお……似合うな」
「だろう? いや、アタシも驚いたよ!」
ガランはその場で軽く屈伸し、腕をぶんぶん回してみせる。
「動きやすいし、汗をかいても気持ち悪くない! なんだいこの服、もう鎧より強いじゃないか!」
「防御力は低いぞ」
「快適性が高い!」
「そこは認める」
「……驚いた」
続いて現れたシルフィも、白のドライTシャツとハーフパンツ姿だった。
普段の革鎧姿も似合っているが、現代的でラフなTシャツを着たエルフというギャップは、妙に完成度が高い。
銀色の長い髪が白いシャツに映え、全体的に、高原リゾートにいそうな美人みたいな雰囲気になっている。
「汗をかいてもすぐに吸い取られ、しかも布が肌に張り付かない。まるで風の精霊を直接肌に纏っているようだ」
シルフィは自分の袖口をつまみながら、珍しく素直に感心していた。
「それに軽い。信じられんほど軽い。これなら森の中を走っても体力の消耗が少ないな」
「だろ?」
「……認めよう。お前の世界の布技術は、ときどき頭がおかしい」
「褒め言葉として受け取る」
「半分は褒めている」
「残り半分は?」
「警戒だ」
「ひどいな」
「ミリィには、これだ」
俺は床で伸びているミリィの背中を軽くつつき、子ども用の冷感Tシャツとハーフパンツを渡した。
それから、ミリィとポテトが陣取っている床へ、極冷感ジェルマットをそっと敷いてやる。
ミリィは着替えた直後、マットの上にぺたんと寝転がった。
そして次の瞬間、ぱちっと目を見開く。
「ひゃあ! つめたい! きもちいい!」
ミリィはたちまち目を輝かせ、マットの上でごろごろと転がり始めた。
「コウタ、これすごい! じめんがこおってる!」
「凍ってはないけどな」
「でも、ひゃーってなる!」
「語彙が完全に幸せ側だな」
「ガウッ! ガウゥ〜♪」
ポテトもマットの端に腹這いになった瞬間、露骨に機嫌が良くなった。
小さな翼をぱたぱたさせながら、ほっぺをぺたっと冷たい面に押しつけている。
火竜の仔犬、完全にダメになる。
「お前ら、もうそこから動かなくなりそうだな」
「うごかない!」
ミリィがきっぱり言った。
「だろうな……」
「そしてロエン」
俺は最後の箱を開け、畑へ戻ろうとしていた狼獣人を呼び止めた。
「お前には、農家の最強装備を授けよう」
「……最強装備?」
俺がロエンへ手渡したのは、背中の左右に二つの小型扇風機が取り付けられた、作業用の空調服だった。
色は地味なネイビー。
いかにも現場仕事用という感じで、妙に信頼感がある。
「……服に、奇妙な丸い魔道具がついているが」
「まあ着てみて、このスイッチを入れてみろ」
「爆発はしないだろうな」
「その警戒、最近の俺への信頼が低くない?」
「経験則だ」
「反論しづらいな……」
ロエンが空調服を羽織り、腰のバッテリーのスイッチを押した瞬間。
ブイィィィィン!
というモーター音と共に、外の空気が服の中へ強制的に送り込まれ、空調服が風船みたいにパンパンに膨らんだ。
「な……っ!?」
狼獣人のロエンが、目を見開いて硬直した。
首元と袖口から風が抜け、その毛皮の奥にこもっていた熱を根こそぎさらっていく。
目に見えて表情が楽になるのが分かった。
「服の中で、暴風が吹き荒れている……! 首元から抜ける風が、毛皮の熱を奪っていく……! なんだこれは、氷の魔法陣でも仕込んであるのか!?」
「ただの扇風機付きの服だよ」
「扇風機が服になるのか……?」
「日本ではなる」
「意味が分からん」
「俺も最初はそう思った」
「これなら、炎天下の畑仕事でも熱中症になりにくいだろ」
「……コウタ」
ロエンの声が、やけに真剣になった。
「お前はやはり、土の神の使いだ」
「またそれか」
「俺はこの風の鎧を着て、永遠に畑を耕し続けることができる」
「そこで労働時間を無限にしようとするな!」
「無限ではない。日没までだ」
「十分長いわ!」
ロエンはひどく感動した様子で、パンパンに膨らんだ空調服姿のまま鍬を持ち、勇ましく畑へ向かっていった。
その背中は頼もしい。
頼もしいのだが、見た目だけで言えば、完全にファンタジー世界へ迷い込んだ日本の現場作業員である。
異世界感がどんどん壊れていく。
「似合いすぎだろ、ロエン……」
「なあ坊や、あれ本当に風の鎧じゃないのかい?」
「商品名的には作業服だな」
「夢がないねぇ」
「現代文明はだいたい夢がない代わりに便利なんだよ」
住人たちの服装が急速に現代化し、村の景観はだいぶおかしなことになった。
森の中のログハウスの前に、ドライTシャツ姿のエルフ。
スポーツウェアの女戦士。
空調服の狼獣人。
冷感マットで溶ける獣人幼女とベビードラゴン。
絵面だけ切り取れば、ジャンルが完全に迷子である。
だが、彼らが快適ならそれでいい。
俺もドライTシャツに着替え、冷たい麦茶を飲みながら、最高に怠惰で快適な夏の午後を満喫するのだった。
*
そして、夜。
日が沈むと、森には心地よい夜風が吹き始めた。
昼間の酷暑が嘘みたいに過ごしやすい。
虫の声が戻り、木々の葉がさわさわと揺れる音が涼しげに響く。
こういう時間だけ切り取れば、本当に理想のスローライフなんだよな、としみじみ思う。
夕食は冷やし中華にした。
胡麻ダレである。
細く締めた麺。
きゅうり。
ハム。
錦糸卵。
トマト。
そして、濃厚な胡麻ダレ。
火を使わず、冷たく、するすると食える。
夏の夕食としては、かなり正解に近い。
「この冷たい麺、いいねぇ。暑さで死にかけた胃袋が生き返るよ」
ガランが感心しながら、豪快に麺をすすった。
「つめたい! つるつる!」
「ミリィ、勢いよく吸いすぎるとむせるぞ」
「けほっ」
「言ったそばから」
「……胡麻の香りがいい。野菜も合う」
ロエンは当然のように野菜の評価から入る。
「これは畑の夏野菜でも作れるな」
「お前、食べながら次の栽培計画を立てるな」
「重要だ」
「まあ、重要だけど」
シルフィは冷やし中華を一口食べてから、しばらく黙っていた。
「どうした?」
「……涼しい味だ」
「分かるような分からないような感想だな」
「酸味と胡麻の香りが、暑さで鈍った舌を起こす。悪くない」
「はいはい、お気に召したようで」
腹も満ち、夜風も涼しい。
タープの下に集まった俺たちは、それぞれの椅子でだらだらと涼を取っていた。
空には満天の星。
遠くでは、フクロウに似た鳥の鳴き声が森へ細く溶けていく。
「……風が気持ちいいねぇ。でも、こうして腹が膨れて涼しいと、少し暇を持て余すね」
ガランがキャンプチェアに深くもたれかかりながら呟いた。
昼間のスポーツウェア姿のまま、完全に夜のくつろぎモードである。
コーラの氷をからんと鳴らしながら、露骨に「何か面白いことないかい?」という顔をしていた。
「コウタ、またあのボードゲームとかいう遊びはやらないのか?」
シルフィが、以前ボロ負けした大富豪すごろくのリベンジを狙うような目で俺を見てくる。
「あの時の借りはまだ返していない」
「借りっていうか、ルーレット運の敗北だろ」
「黙れ。今の私はあの時の私ではない」
「その台詞、負けフラグっぽいな」
「うるさい」
「いや、今日は別のやつだ」
俺はにやりと笑った。
「引きこもり生活百日目だからな」
「引きこもりを記念日のように言われても困るが」
「まあいいだろ。記念すべき日にふさわしい、もっと夏らしい特別な娯楽を用意してある」
俺は再び《快適生活お取り寄せ》を開いた。
拠点通販Lv.3に上がったことで、スマートホーム機能だけではなく、娯楽設備のラインナップも地味に強化されている。
引きこもりライフとは、快適さと娯楽の両輪で成り立つものなのだ。
俺が購入したのは、屋外用の百インチ大型プロジェクタースクリーン。
高画質モバイルプロジェクター。
バッテリー内蔵スピーカー。
そして映画館の雰囲気を完全再現するための、ポップコーンメーカーと大容量コーラだ。
「また妙な箱を出したねぇ」
「今度は何をするのだ」
「夜の楽しみだよ」
「雑な説明だな」
「説明するより見た方が早い」
ログハウスの壁面に、白い巨大スクリーンを設置する。
テーブルの上にプロジェクターを置き、角度を調整。
スピーカーを左右に配置。
さらに、ポップコーンメーカーへ乾燥トウモロコシ、バター、塩を投入してスイッチを入れた。
ポンッ!
ポポポポンッ!
軽快な破裂音と共に、香ばしいバターの匂いが漂い、白いポップコーンが次々と溢れ出してくる。
その匂いだけで、タープの下の空気が一瞬で祭りになった。
「なんだいこの匂いは! トウモロコシが爆発して白い花になったよ!」
ガランが目を輝かせる。
「あまい! しょっぱい! いいにおい!」
ミリィはすでに椅子から半分立ち上がっていた。
「ガウッ! ガウッ!」
ポテトも鼻をひくひくさせながら、明らかに期待の目をしている。
「つまみ食いはいいけど、熱いから気をつけろよ」
「だいじょうぶ!」
ミリィが一粒つまんで口へ放り込む。
「……ふわっ! さくってした!」
「ガウッ!?」
ポテトも一粒くわえ、かりっと噛んでから、不思議そうに首を傾げた。
「お前、それ気に入ったんだな」
「ガウゥ!」
「よし、全員、紙コップにポップコーンとコーラを持ったな? 好きな席に座れ。これから野外幻燈――シアターを上映する」
「幻燈……? 光と影の紙芝居のようなものか?」
シルフィが不思議そうに首を傾げる。
「まあ、そんなもんだ」
俺は頷く。
「ただし、少し刺激的だから覚悟しろよ。夏の夜といえば、やっぱりホラーだからな」
「ほらー?」
ミリィがきょとんとする。
「怖いやつ」
「こわいの!?」
「そうだ」
「でもみる!」
「勇敢だな」
「コウタがいるから!」
俺はタブレットを操作し、プロジェクターへ映像を投影した。
選んだ作品は、地球のゾンビ映画の王道。
閉鎖された巨大なショッピングモールを舞台に、無数の生ける屍たちが襲い来る、パニック・ホラー映画だ。
ピーッ、という起動音。
次の瞬間、巨大な白いスクリーンへ、まるで現実の窓をそのまま切り取ったみたいな高画質映像が映し出された。
同時に、スピーカーから不気味なBGMと人々の悲鳴が森の夜へ流れ込む。
それだけで、空気が少しだけ冷えた気がした。
「な……っ!?」
映像が映った瞬間、異世界人たちの動きがぴたりと止まった。
「人が……板の中に、人間が閉じ込められている!?」
ガランがポップコーンを落としそうになりながら、スクリーンを指差す。
「違う違う。これは映像だ」
俺は慌てて説明する。
「遠い世界の出来事を、光で記録して再生してるんだよ。劇みたいなもんだと思って見ろ」
「光で記録……?」
シルフィが目を細める。
「お前の世界、いつもそこから説明が必要なのか」
「だいたいそうだな」
「面倒だな」
「便利だけどな」
彼らは恐る恐る、しかし完全に画面へ釘付けになった。
映画の序盤。
平和な街へ突如パニックが起こり、死んだはずの人間が起き上がり、生者を襲い始める。
血しぶきが舞い、リアルな特殊メイクのゾンビが画面いっぱいに迫ってくる。
「ひぃぃぃっ!?」
ミリィが悲鳴を上げ、俺の背中に隠れて震え出した。
ポップコーンのカップをぎゅっと抱えているのがかわいい。
「ガウゥゥ……ッ!」
ポテトも尻尾を丸め、低く唸りながら後ずさっている。
ベビードラゴン、見た目は強そうなのにホラー耐性は低いらしい。
「……死霊術か!」
シルフィが額に汗を浮かべながら、真剣そのものの声で分析を始めた。
「しかもこれほどの大群を同時に使役するとは、どれほどの魔力を持った死霊術士が裏で糸を引いているのだ!? いや、待て。動きに知性が薄い……統率は粗いが、数で押し潰す戦法か……!」
「解説が本気すぎるだろ」
「黙れ、今重要な局面だ」
「重要なんだな……」
「だっははは! なんだいこいつら、動きがトロいじゃないか!」
ガランは強がるみたいに笑った。
「アタシなら大斧でまとめて首を刎ね飛ばしてやるよ!」
「まあ、正面戦闘ならお前は強いだろうな」
「だろう?」
得意げに笑った、次の瞬間。
画面の端からゾンビがぬっと飛び出した。
「ぶあっ!?」
ガランが変な声を上げて、椅子から十センチほど飛び上がる。
「今のは卑怯だろ! 今のは反則だって!」
「だっはははって言ってたのはお前だろ」
「うるさい! 不意打ちは別だよ!」
「認めるんだな」
「……あのショッピングモールという巨大な城、食料が多いのは素晴らしいが、防衛拠点としては窓ガラスが多すぎる。俺ならまず入り口を土塁で塞ぐ」
ロエンは無表情のままポップコーンを咀嚼しつつ、なぜか農家兼防衛担当の視点から映画へダメ出ししていた。
「いや、まずそこ気にするのかよ」
「拠点防衛の基本だ」
「映画を見ながら要塞化を考えるな」
「考えるだろう」
「ロエン、お前はこの手の話になると妙に怖いな」
「生き残るためには当然だ」
「頼もしいけど、娯楽への姿勢が硬すぎる」
スピーカーから流れる不気味な音響。
森の夜の静寂。
そして巨大なスクリーンで繰り広げられる惨劇。
異世界人たちは、初めて体験する現代の映像エンターテインメントの圧倒的な没入感に、完全に魂を奪われていた。
「うあぁぁ……うしろ! うしろにいるよ!」
ミリィが指の隙間から画面を見て叫ぶ。
「見えてるなら全部は塞げてないぞ」
「でも、こわいの!」
「まあ、分かる」
「馬鹿者、なぜそこで見回りに行く!」
シルフィが映画の登場人物に向かって本気で怒り始める。
「一人で暗闇に向かうなど、生存戦略として下の下だぞ! そこで仲間と分断されるだろうが!」
「登場人物に説教し始めたぞ」
「しかも的確だねぇ」
ガランがコーラを握りしめたまま笑う。
「だっははは……こりゃあ、下手な魔物と戦うより心臓に悪いねぇ……」
「さっき飛び上がってたしな」
「言うな!」
俺はそんな彼らのリアクションを後ろから眺めながら、ポップコーンを口に放り込んだ。
映画そのものももちろん面白い。
だが、映画を見て本気で一喜一憂し、全力で世界観へ入り込んでいる異世界人たちを観察する方が、正直何倍も面白かった。
クーラーの効いた部屋で一人映画を見るのも最高だ。
だが、こうして誰かと一緒に、ポップコーンを散らかしながらワーキャー騒いで見るのも、インドア娯楽の素晴らしい楽しみ方の一つだ。
*
二時間後。
映画が終わり、スクリーンにエンドロールが流れ始めた。
生き残った主人公たちが、ヘリコプター――シルフィたちは“鉄の飛竜”と呼んでいた――に乗って脱出するラストシーンを見届け、住人たちは一様に深いため息を吐いた。
「……終わったか。なんという、精神をすり減らす二時間だ」
シルフィが疲れ切った顔で椅子の背もたれへ寄りかかった。
普段ならどこか余裕ぶっているエルフが、今はかなり本気で消耗している。
それでも、その目には確かな満足感が宿っていた。
「だが……面白かった。あの絶望的な状況からの脱出劇、手に汗握る展開だった」
シルフィがぽつりと続ける。
「それに、このポップコーンという食べ物。塩気とバターの風味が、映画という娯楽に恐ろしいほど合っている」
「そこ気に入ったのか」
「重要だろう」
「まあ、重要だな」
「次も用意しろ」
「もう次を要求してるのかよ」
「だっははは! アタシも途中で何度か斧を投げたくなったけど、最後はスッキリしたよ!」
ガランもすっかり映画の虜になったらしい。
カップの底に残ったポップコーンを指でつまみながら、かなりご機嫌である。
「次はもっと、肉弾戦で派手に殴り合うような幻燈が見たいねぇ! こう、拳で岩が砕けるやつとか!」
「だいぶ作品の方向性が変わるな」
「いいじゃないか! さっきのは心臓に悪すぎる!」
「ホラーを見た後にそれ言うの、完全にハマった人の反応だぞ」
「そうなのかい?」
「そうだよ」
「こわかった……。でも、コウタがいっしょだったから、だいじょうぶだった」
ミリィが俺の服の裾をぎゅっと握りしめながら、少しだけ涙目で笑った。
怖かったくせに最後までちゃんと見ていたあたり、意外と根性がある。
ポテトもその横で「ガウ……」と小さく鳴きながら、まだ少しだけ尻尾を丸めていた。
「お前ら、すっかり映画ファンだな」
俺は苦笑しながら立ち上がる。
「プロジェクターがあるから、これからは上映会もできるぞ。次はアクション映画か、コメディ映画にするか」
「恋愛ものはないのか?」
シルフィが即座に聞いてきた。
「あるけど」
「では、それも候補に入れておけ」
「食いつきが早いな」
「研究だ」
「何の研究だよ」
俺がプロジェクターの電源を落とし、スクリーンを片付けようとした、その時だった。
ふと。
森の北側の奥深くで。
ほんの一瞬だけ、空気が陽炎のようにぐにゃりと歪み、青白い光が瞬いたように見えた。
「……ん?」
俺は目を細めて、暗闇の森を見つめた。
だが光はすぐに消え、虫の音が戻るだけだった。
見間違いかと思うほど一瞬だったが、妙に引っかかる。
「どうした、コウタ。まだ何かホラーの続きがあるのか?」
シルフィが怪訝な顔で俺の視線の先を追う。
「いや……気のせいか」
俺は首を振った。
「夏の夜の錯覚だろう」
「本当にかい?」
ガランも少しだけ真面目な声を出す。
「森でああいうのは、たいてい面倒事の前触れじゃないのかい?」
「やめろ、急に正論を言うな。怖いだろ」
「さっきの映画のせいで、余計に怖く聞こえるな」
シルフィがぼそりと呟く。
「それはちょっとある」
だが、その時の俺たちは、まだ知らなかった。
俺の《快適生活お取り寄せ》が生み出した、この平和で怠惰で、どこか妙に現代化してしまった村へ。
新たな、そしておそらく最も厄介で、同時に最も頼もしい天才が、空から降ってくることを。
その始まりが、この青い光の瞬きから、ほんの数日後だったことを。
今はまだ、映画の余韻と夜風と冷たいコーラを楽しみながら、この騒がしくも楽しい夜を満喫していよう。
面倒事は、だいたい楽しい時間の直後にやって来る。
それがこの森で学んだ、あまり嬉しくない法則だった。




