61:王弟は茨の道を決意する
ディアナがコーデリアの元へ向かった後、執務室には重苦しい沈黙だけが残った。
それをもたらしたのは、新たにエルドレッド公爵となったクライドの一言だった。
「我がエルドレッド家は王太子殿下を廃嫡し、王弟殿下に次期王位を継いでほしいと考えております」
その言葉を受けて、言われた当人であるアランだけではない、今ではその義父となったウェズリーまでもが、眉間に皺を寄せて唇を噛みしめていた。
王弟という立場ではあるが、既に断絶したペニントン公爵家の血を引くアランは、オスニエルの政敵にすら成り得なかった。
兄王の命を狙った犯罪者の子として疎まれ、王家の一員でありながら、慎ましやかに生きてきた。
クライドの求めを聞いてからというもの、アランは無言のまま。
これに是と答えれば反逆の意思を示すことになり、非と答えたなら、義妹であるコーデリアを助けたクライドの提案を退けることになる。
あまりに唐突で、あまりに重大な提案だった。
一つ答えを誤れば、ディアナもウェズリーも、そして国そのものも巻き込むことになる。
何か言おうにも、舌が重く張り付いて動かない。
沈黙を破ったのは、当のクライドだった。
「すぐにお返事をいただく必要はありません。が──」
一度唇を引き結び、再び言葉を続ける。
「お二方にも、既にお分かりでしょう。王太子殿下が王位に就かれたなら、我等に未来はありません」
病床にあるとはいえ、今はまだ現王オスニエルが実権を握っている。
ローレンスは王太子として王の代役を務めているに過ぎない。
彼が玉座に就いたその時から、全ては彼の思うが儘になるのだ。
「エルドレッド家の者がそのようなことを言うとは思わなかったな」
小さく呟いたのは、ウェズリーだ。
エルドレッド公爵家とガザード公爵家は、今となってはラトリッジ王国の柱。
現存する数少ない公爵家の当主が、この場に揃ったことになる。
「……彼の圧力に苦しめられてきたのは、ガザード家だけではありません」
一方のクライドは、拳を握りしめて答えた。
ヘーゼル色の瞳が、じっとウェズリーを見つめる。
その真摯な様子に、手練れのウェズリーが僅かに目を瞬かせた。
「少し……考えさせてくれ」
アランの唇から、ようやく声が落ちた。
ひりついた喉から零れた声は、酷く掠れていた。
「今はそのお答えをいただけただけで、満足です」
クライドが、深々と頭を下げる。
「どうか、良き選択をされることを願っております──我等の、未来の為に」
そう言い残し、クライドは執務室を後にした。
客人を見送る為に、ウェズリーも一度席を立つ。
一人部屋に残ったアランは、天井を見上げて大きく息を吐いた。
王弟に生まれながら、王位を夢見たことは一度もない。
自分は、罪人の子供だ。
王弟として生き長らえていることさえ、感謝しなければならない──そう思っていた。
アランには、権力への執着など微塵もない。
しかしクライドが仄めかした通り、このままローレンスが実権を握れば、ガザード家の行く末には暗雲が立ち込めている。
(俺は……どうしたらいいんだ)
愛する妻を守りたい。
それを思えば、答えは最初から分かりきっていたことなのかもしれない。
たとえ、それが困難を伴う茨の道であったとしても。
「はぁ……」
自然と、アランの唇から重苦しい息が零れた。
「らしくもないな」
そこへ、クライドを見送ったウェズリーが戻ってきた。
苦悩する友の様子に、苦笑を浮かべている。
「憂鬱にもなるさ」
「まぁ、な。突然“お前が王になれ”と言われて、即飛びつくような男なら、最初から友人にはしていない」
身も蓋も無いウェズリーの物言いに、今度はアランが小さく笑う。
「選ぶ余地などないことは、最初から分かっているんだ。ただ──」
零れたのは、剛勇を謳われるアランとは思えないほどに弱々しい声音だった。
「俺は、王の器ではない」
友の弱音に、ウェズリーが軽く肩を竦める。
彼からしてみれば、今の王太子よりアランの方がずっと王たる器を持っている。
だが、それを言ったところで、当人は納得がいかないのだろう。
長年、アランは王族の暗部という扱いを受け続けてきた。
その記憶は、一朝一夕で拭えるようなものではない。
「いざとなれば、子供に王位を譲って、さっさと隠居すればいいのさ」
「……そうか、そうだな」
ウェズリーのぶっきらぼうな物言いが、アランには有難かった。
お前ならやれると、無責任に背中を押すでなし。
慰めの言葉をかけるでなし。
ただ、肩に伸し掛かる重みだけを取り除いてくれる。
アランが権力を嫌い、面倒な政治の世界から意図的に遠ざかっていたことを一番良く知っているのは、他ならぬウェズリーだった。
「……それはつまり、お前の孫ということになるのだが」
「むっ」
予想していなかったアランの指摘に、ウェズリーが眉を顰めた。
「少々、気が早すぎたようだな」
誤魔化すように、小さく咳払いをする。
ウェズリーにとって、ディアナは可愛い我が子だ。
そんなディアナが母となるなど、話の流れといえど、想像すら出来ない。したくもない。
並の貴族ならば、我が孫を王位に就けようと、アランを後押ししたことだろう。
だが、ウェズリーは違う。
孫と聞いた瞬間に眉間に皺を寄せ、いずれ訪れるであろう未来に複雑な想いを巡らせている。
そんなウェズリーだからこそ、長年友として共に歩むことが出来たのだ。
「政治には疎い俺でも、このままでは危険だと……理解している」
低く呟くアランの声は、落ち着きを取り戻していた。
愛する妻を守る為に。
彼女との未来を歩む為に。
平穏を脅かす者が居るならば──排除しなければならない。
自分一人であれば、どれだけ蔑まれようが、我慢してきた。
しかし、愛する者が一緒ならば、そうはいかない。
前を見据えるアランの瞳には、もはや迷いだけではない、強い光が宿っていた。









