9、記憶の共有
時間停止の魔法を獲得してもらう前に元に戻れる時期が延びることを教えてもらっていたとしても何も変わらなかったとは思うのだが、やるせなさを感じてしまう。
2年か。
もしかするともっと早く髪が伸びるかもしれないし、…もっと時間がかかるのかもしれない。
私が床に届くまで髪を伸ばすとしたらどのくらいの時間で達成できるだろうか。
1ヶ月で1センチ伸びるとして…。
私はL字にした手で12㎝幅の目星を作り、毛先から床までを測る。
12回とちょっとで床に着いた。
ということは12年、か。
もっと長く伸ばす必要があると言っていたからその何倍もの年数が必要になるわけだよね。
私がそこまで髪を伸ばそうとしていたら70代に突入してしまう可能性もあるってこと?
老化を止めてもらっているとはいえ、精神的には年金を貰える年齢になるわけか…。
2年…うん。
私は自分の髪を手櫛で梳いて、毛先をそのままぎゅうと握り締める。
この世界で暫くの間生きていく覚悟を決める。
…少しでも早くワルサーの髪が伸びるようにしてもらうようにするにはどうしたらいいのだろう。
「…だったら欲が増すように私の方の体には一切触れないように気を付けてもらおうかな。髪の毛1本たりともダメ。っていうか、よく考えてみたら魔力を溜めるとかそういうの関係なく無断で人の体に触れるのはダメだよね…?」
『イサナは半身のみで生活する自信があるんですか?』
「…え?」
『吾がイサナの体に触れずとも、イサナが吾の体に触れるのであれば吾の欲情は満たされるんですからその制限は無意味ですよ』
「…そっか…。確かに無意味かも…。まぁ、肉体の老化を止めてもらえたんだし、お風呂の必要はないから…裸を見られる心配はないんだし…やむを得ず触り触られるっていうのは仕方がないのかな…」
『老化は停止しましたが、新陳代謝までは止めていませんよ。髪を伸ばす必要があるので生命活動は必須です。それに伴い老廃物は生成されます』
「そういうものなの?」
『そういうものでしょう』
「え、じゃあお風呂に入るつもり…!?」
『イサナは入らないつもりですか?』
完全にやり込められている。
ワルサーの口ぶりには余裕を感じる。
口論で勝てる気がしない。
知識の差が大きすぎる。
『イサナにとって吾たちの世界のことは不可解なことばかりでしょうね。吾の知識と記憶を共有しますか?』
「そんなことしていいの?」
『吾は性根が清く無いのでイサナを懐柔するべくこの世界に無垢なイサナを欺いてしまう事もあるかと思います。けれどそんな事でイサナに嫌われたくは無いので吾の頭の中の全てをイサナに開放する事にします。自由に吾の記憶を探って真偽を確かめて下さい。それに…吾は既にイサナの記憶を少し探り済みですから』
「えっ?それはやっちゃダメなやつじゃ…?」
恥ずかしい記憶とかあるよね?
知られたくないことってたくさんあるよ。
プライバシーって感覚ないのかな?
さすがに引くんだけど。
『一般常識を調べさせてもらったんです。COVID-19のことも知ったので昨夜は外出したりしませんでしたよ。ね、許してくれるでしょう?』
「あぁ、そういうことなのか。そうだね、ごめんね。コロナのことは私が説明するべきだったよね。気を付けてくれてありがとう。でもそのうち買い出しはしないとお腹空くよね。備蓄、どのくらいあったかな」
『食事の心配をしてくれるんですね。大丈夫、吾は魔法を使えますから。それにそちらの体でイサナが口にした食物の半分は吾の体にも共有されます』
「ん?あぁ、そっか。…先走って怒ってしまったのもひどかったね。ごめんなさい」
『ふふ、控えめな怒り方でしたね。あぁ、向き合って話をしたいです。イサナが怒っている表情を見れなくて残念だな。生で蔑まれていたら今よりずっと好きになれたのに』
「好きが軽いなぁ。なんか熟れすぎじゃない?」
『まさか。初恋ですよ』
それってどうなの。
自分の顔が初恋って。
口説いてるつもりのようだけれど、口説かれている気分にはさっぱりならない。
そうは思うけれど、私は恋愛経験がないものだから意見のしようがない。
自己愛とはいえ、何かを深く好きになっている時点でワルサーの方が人生経験の先輩と言えるだろう。
「おはよう。お邪魔してもいい?」
気持ちが落ち着いたところでウーターニャが部屋を訪れてくれた。
私のことを心配して昨夜はこの城に泊まってくれていたのだそうだ。
昨夜よりもさらに短くなったワルサーの髪を見て目を丸くしていたけれど、ワルサーが魔法を得るために使ったと察してくれたのかウーターニャは何も言わなかった。
彼女は得も言われぬキュートなモーションで魔法陣を展開すると私に清浄魔法とやらを掛けてくれた。
私はてっきり清浄魔法で左右ちぐはぐなままの私の衣服を洗濯したての状態にしてくれたのだと理解していたのだが、これは実際には衣服だけではなく身体も清める効果もある魔法である。
この時の私は気付いていないのだが清浄魔法は勿論ワルサーも所持している魔法である。
つまり先程のお風呂云々のやり取りの際、私はワルサーにからかわれていたのだ。
食堂とやらに移動するというのでウーターニャの後ろを付いていく。
歩きづらいのでワルサーのブーツは履かずに両足裸足で生活をすることにした。
てるてる坊主も漂いながら一緒に付いてきている。
なんか、かわいい。
しかし──、改めてなんだこの建物は。
これは廊下なの?
2列に並んだ豪奢なシャンデリアがずっと先まで吊り下がっているけれど、部屋ではないの?
豪華すぎない?
しかもこのシャンデリア、蝋燭を用いる古いものだ。
ここって本当にお城なのかもしれない。
マイホームを私の城って表現しているわけではなく、本当にお城なんだね。
落ち着きなくあちこちを見回しながら歩みを進めているとぴたりとウーターニャが立ち止まってこちらを振り向いた。
私の目線と同じ位置で結ばれたポニーテールが彼女の頭の動きを追いかけて揺れる。
「あの、ね。イサナが昨日急に倒れたときに受け身をとらせるためにワルサーが体を入れ替えてここに戻って来てくれたの。それでその時にワルサーから話を聞いたんだけど…イサナは魔法の存在しない世界からこの世界へ渡って来たのですってね。初めて魔法に触れたのだったらもっとイサナの体調に気を配るべきだったわ。…それなのに私はワルサーの髪のことばかり心配したりして…。ドクター失格ね。ごめんなさい」
「え、あ、そうか。ウーターニャちゃんってドクターって言ってたね。私と同じ歳くらいかなって思ってたけどお医者様の資格を持ってるってことは実は大人ってこと…デスカ?」
「もうイサナ…!大人だなんて。私は15歳になったばかりよ。ワルサーは今は14歳だけど、もうすぐ15歳になるわ。イサナも15歳?まだ14歳かしら?爪を見せてもらえる?」
ん?15歳!?
やっぱりウーターニャもワルサーと同じ歳だったんだ。
もしかしたらそうかなとは思っていたとはいえ、妹と同じ歳の子に頼りきりになっている自分が情けない。
しかもその歳で医師をしているとは…。
動揺を隠せずに狼狽えているとウーターニャが小さめの女の子らしい手を差し出してきた。
白くて柔らかそうな手を伏せて、彼女の人差し指の爪を見るように促される。
その他の爪には上品でさりげない花模様のネイルが施されているのだが人差し指だけデザインが違う。
あ、わかる。
きっとワルサーが記憶を共有してくれているからだ。
なんだろうと疑問を感じた瞬間にウーターニャがしようとしていることの意図がわかる。
この世界の人達はこうやって年齢を確認するのだ。
「見て、1時の方向だけが虹色に光っているでしょう?これは10代を表すの。中央に5って数字が浮かんでいるから、これで私が15歳ってことがわかるのよ」
何も知らないはずの私に丁寧に説明をしてくれたあとウーターニャは私の右手を取った。
そして私の人差し指の爪を確認したあとに彼女は沈黙する。
「あー…わかるよ。歳上の人に年齢のことで何てコメントをしたらいいのかって咄嗟にはわからないものだよね。思いがけず私がお姉さまだったりしてごめんよ」
私の言葉にウーターニャは思わず吹き出す。
「ウーターニャちゃんの負担にならない範囲でこれからも色々教えてもらいたいし、いっそのこと世話が焼ける子供と思って年下扱いしてもらえると助かるな。私は昨日とかバナナを食べながら寝ちゃってたしね」
「あははっ。昨日のイサナは意識を失ってしまっていたわけだけど、でも思い返すとそうだったわね。ご飯を食べながら寝ちゃう子供みたいだったわ」
ウーターニャが同意して笑う。
その弾けるような笑い方は確かに15歳の子のものだ。
自分の発育を基準にウーターニャの年齢を推定してしまってごめんね。




