1、私のバナナはどこいった?
バナナを食べようとしていたはずだった。
心もとない収入の中、半額シールが貼られる瞬間に偶然出会えて手にいれた1房40円の傷みかけた超完熟バナナ。
侘しい夕食ではあるけれど、コロナ禍でバイトのシフトを増やせないのだから仕方がない。
<明日は晴れるみたいでよかったね。明日の楽しみがなかったらこんなコロナが流行している世界なんか捨てて来世に逃げてたかも。生きる希望を与えてくれた凪ちゃんに心から感謝>
えいと送信ボタンを押し、暫し待機したのだが既読は直ぐに付いたと言うのに1時間が経過しても返信は一向に届かない。
「長文過ぎたかなぁ」
落ち込む私はカーテンレールに吊るしてあるティッシュで作ったてるてる坊主に向かってぽそりと独り言ち、最後のバナナにも手を伸ばす。
空腹と虚無感を満たすために3本を食べ、もったりとした甘さに飽きを感じていたのだが、皮を剥くにも手間取る程にこうも完熟だと明日に残すわけにはいかない。
私にはこのバナナを御迎えした責任がある。
捨ててしまえば只の塵、しかし口にしたならば私の糧となるギリギリラインの超完熟ソフトバナナ。
フルーツとして来日した本懐を果たしてやるべく最後の1本の皮を剥いている最中に私のバナナが消えてしまった。
あと一筋剥けば食べられたのに。
食傷気味であったというのに予期せずして失ったとなると惜しくなってくるのだから不思議だ。
…いや、違う。
左手には持っている。
その感触がある。
けれども右腕をどれだけ伸ばせども、私の右手はバナナを掴めなくなったのだ。
代わりにとんでもなく巨大な真珠が目の前に見える。
いや、中に燻り蠢く人型の何かが幽かに見えるから大きなシャボン玉なのかもしれない。
シャボン玉なのだとするならば爆ぜずにこの大きさを維持しているのは随分と珍しい。
上品な光彩を発生させる乳白色の玉からはきらきら煌めく光の粒子が噴き出しており、その光の粒は弾けては可憐な花々へと変わり床に降り積もっている。
シャボン玉も、中の煤も、徐々に小さく縮んでいるようだった。
…一体これはどういうことなのだろう。
前に観た映画か何かのワンシーンがフラッシュバックしているのだろうか。
しかし不思議だ。
何者かが閉じ込められたシャボン玉が見えるのは右の視界にだけであり、左の視界にはいつもの私の安アパートのワンルーム。
税別2980円で購入した白い折り畳みのローテーブルも見えるし、そのローテーブルの上には先ほどまでに食べ終えた3本分のバナナの皮がティッシュペーパーの上に積まれているのも見える。
只し半分だけ。
バナナの皮の山の右脇に置いていたはずのスマホは見えず、再生していた音楽が左耳にだけ届き続けている。
ふと左の視界でならば左手に持つバナナを認識できることに気付き、試しに口元へバナナを持っていってみた。
「わぶ!」
するとどうだろう。
明らかに嫌悪感にまみれた若い男の子の声がするではないか。
それも私の口元から。
「なんでこの状況でバナナを食べ続けようと思えるんだ、お前」
自分の口に窘められる日が来るなんて思ってもみなかったから驚きだ。
私は目だけではなく、口までおかしくなっているようだ。
「わぶ!口でバナナの皮を剥こうとするのはやめてくれないか。吾の口にもバナナの皮が触れて渋い!」
バナナの皮が渋くて不快なのは同感だ、同感だけれども。
「これはもしかして私の体と誰かの体が半分ずつ入れ替わってくっついてたり…する?」
「おそらくその通りだな。姿見などはないのか?」
私の疑問に私の口元から別の声で答えが返ってくる。
一言喋ってみてわかったが、私の体の右側と左側は離れた所にあるようで声が異なる空間の反響を含んで耳がざわつく。
なんとも気持ちが悪い。
それに若い男の子の声がする際には私の唇も彼の口の動きにつられて引っ張られてしまうのでひきつる。
声を出すことに不快感を抱いてしまったので、私は無言でバナナを握ったままの左手を動かしてカーテンを引き忘れたままにした暗い窓を指差した。
夜の闇と明るい室内を区切る黒いガラスには私の全身が映っている。
最初に確認できたのは左半身だけだった。
バナナを手にショートパンツとセットアップのパジャマを着用している私の姿。
部屋の中をうろつきながらバナナを食べようとしていた様子が見てとれる。
ゆっくりと体を捻り、右半身も映し出す。
突然のホラー映像に微かに体が跳ねた。
予感通りではあるのだが、明らかに右半身が私のものではなくなっていたのだ。
右の頭部からは美しく輝く白髪がきらきらと足元にまで流れ落ちている。
柔らかそうな皮のブーツに細身のパンツ。
上半身は素肌の上にトライバル模様のような紋様が施されたローブを羽織っている。
曝け出されたその上半身は間違いなく若い男性のものだ。
長い髪の毛を直に確認するとその白い髪はほんのりと青みを帯びており、毛先に至ると淡くピンクに輝いていることがわかる。
右半身は私のものではない。
間違いなく私ではないのだけれど、私と同じ顔が存在していた。
どうやったって可愛くなれない男顔。
全ての光を吸収するほどに黒く生気を感じない瞳が収まる愛想のないつり目に、赤みを帯びた不健全そうな目尻。
下向きに生えた睫毛は目の縁に影を落すだけでその存在感はなく、辛うじて生えて見えるのは目尻の下睫毛のみ。
下がった眉が陰鬱で。
なのに男の子の体の上にこの顔があるというだけのことで、これはなんとも…。
「私の右半身が、アンニュイ美少年に…なっている…?」
納得いかない気持ちで私が呟くと同時に右半身も語り出した。
「…貴女は女性…か?吾と同じ顔…信じ…られない」
驚くよね。
同じ顔だもん。
気持ち悪いね。
アンニュイ美少年から見れば自身が女装した姿が半身にくっついている状態だ。
何れ程迄のイケメンがメイクをしようとも骨格の違いから本物の美少女には遠く及ばないのと同じように、私の様相に違和感を感じずにはいられないのだろう。
ガタリと体はバランスを崩し倒れこんだ。
無理に持ち主が左右バラバラのこの体を動かそうとしたからだ。
それでもアンニュイ美少年は右半身をさらに動かして、床を這いながら反射する黒い窓の元へと進んでいく。
自身の顔がよく見える地点まで辿り着くとじっくりとこの姿を確認した。
ガラスに這わせた彼の指先は震えている。
震えるよね、この状況は。
そして彼は声まで震えそうになるのを堪えながらこう呟いた。
「これが…一目惚れをするという感覚か。あぁ…貴女は吾のお姫様だ」
私の左半身にくっついたアンニュイ美少年がなんともトンチキな事を言い出した。
同時に存在を忘れかけていた右側の視界にあるシャボン玉が収縮する速度を上げ、しゃんという音を立てたかと思うと目が眩むほどの光を放った。
思わず瞳を固く閉じるが強い光は瞼を越えて眼球を痛め付ける。
こんなに眩しいと感じるということはこれは夢ではない証なのだろう。
するとお腹に響く年老いた男性の声が上下左右360度全体から私に降りかかってくる。
「マオウヲタオシモノヨ、ソナタニショウケイヲユルス」
おおお、音が響いてお腹の中がちょっと痒い。
なんだろこれ。
どうしてこんなことになったのだろうか。
超完熟バナナに幻覚作用でもあったとでもいうのだろうか。
初めまして。
数多ある作品の中から本作をご閲覧下さりありがとうございます。
個人的な欲求不満を全てぶちこみました。
■コロナ禍もう疲れた
■友達に会いたい
■思い切り遊びたい
■家事したくない
■褒められたい
■魔法を使ってみたい
■可愛い女の子を愛でたい
■性別を自由に変えたい
同じ思いの方に楽しんで頂ける物語にしたいです。