少年期の終わりに。
メルツェデスとフランツィスカの仲が、半歩程度、あるいはもっとわずかにだけ、縮まった。
そのことは、察しのいい人間にはすぐに知れ渡ることになった。
「ついに、ということかしら!」
「長年のメルフラメルエレ論争にもついに決着が……?」
「いえいえ、今度はメルフラかフラメルかが……」
一部女子、『メルツェデス様を見守る会』という非公認ファンクラブに所属する令嬢達は、そんな噂話に花を咲かせ。
「お二人がそういう関係に……?」
「となると、婚約関係だとか勢力関係はどうなるんだ……?」
一般的な令息達は、困惑と狼狽しきりであった。
二人が手の届かぬところにいこうとしているから、ではない。元々手が届くなどと思ってはいない。
何しろ二人とも、能力はトップクラスで王国内における家の地位も万全。
この二人を迎え入れることが出来た家が繁栄することは間違いなく、勢力図が変わる可能性も生じてくる。
令息達にとっては二人の婚約情報を掴むことは家から課された至上命題。
だというのにこうなってしまえば、混乱もしようというものだ。
「すっかり時の人ねぇ」
「まさか、こうも注目されるだなんて……」
サロンに集まってのお茶会で、エレーナが呆れた顔をしながら言えばメルツェデスは困り果てた顔になってしまう。
メルツェデスからすれば当然とも言える反応だが、取り巻く友人達はそうもいかない。
「何を今更。注目されてることにメルが気づいてなかっただけ」
「それは……流石に私も、頭ではわかったのだけれど」
同じく呆れたような顔のヘルミーナの物言いに、メルツェデスは肩を縮こまらせるのだが……同時に、やや納得もいかない。
傍若無人を絵に描いたような、興味のあること以外はまるで気に欠けないヘルミーナまで、こんな反応。
まるで、そんなヘルミーナでも気づいてしまうような注目のされっぷりだったかのようではないか。
事実その通りなのだが、当の本人であるメルツェデスだけが受け入れられない。
「私も、色々周囲の人から聞かれてしまって……エレーナ様に教わった通り、『ご想像にお任せします』とだけ言ってスルーしてますけど」
「偉いわね、クララ。放っておけばそのうち別の手段を探すようになるし、そうでない人は大した相手じゃないから気にしなくていいわ」
エレーナに褒められて、えへへと擬音が尽きそうな程のはにかんだ笑みを見せるクララ。
その光景を見て、メルツェデスは複雑な気持ちにもなってしまう。
フランツィスカの記憶を覗き見ることになった、ということは、エレーナとの密約も知ってしまった、ということ。
つまり、エレーナもメルツェデスに思いを寄せていたことも、知ってしまったわけで。
もちろんそれはそれで猛烈に謝罪して、もちろんエレーナも大慌てに慌てたものだ。
ちなみに、エレーナがメルツェデスに避けられていることに気づいていなかったのは、彼女が二人きりになろうとしなかったからである。
ともあれ、こうしてメルツェデスはようやく自分がどんな立場か気づかされた。
「……もしかしてわたくし、他にもこういうことが……?」
ぽつりと呟けば、一瞬で場がしんと静まり。
それから、メルツェデス以外の全員から一斉にため息が吐かれた。
「やっと気づいたのね……国王派で同年代な令嬢の半数はあなたが初恋よ、メル」
「貴族派にもそれなりの数いるわねぇ」
「メルツェデス様に助けられた人やその活躍を見ていた人の中にも……」
「そ、そんなに、なの……?」
自分の初恋泥棒ぶりに、冷や汗を垂らすメルツェデス。
これまで、全くもって彼女にその自覚はなかった。
なにしろゲームの設定が意識に強くあり、そもそも自分に恋愛感情を向けられるわけがない、と思い込んでいたのだから。
だが、『魔王』や『終焉の魔女』を倒してゲームのシナリオから解放されたせいか、それともフランツィスカから渾身の魔力を浴びたせいか。
ともかく、メルツェデスはその鎖のような思い込みから解放された。
結果、自分に向けられる感情を前よりは正確に読み取れるようになったせいで、今こうして悩みの種になっているのだが。
まさか全員に謝罪行脚をするわけにもいかないから、更にどうしようもない。
なお、ハンナから向けられる感情は忠誠心やら何やらを混ぜて煮詰めた何かになってしまっているため、わかってはいるけれどもそれはそれでどうしようもない状態になっている。
そして、どうしようもない案件が、もう一つ。
「……そろそろ時間だわ」
話を打ち切るように、メルツェデスが立ち上がる。
その顔は、今まで以上に複雑なもの。
それを見た他の面々からは、一斉に同情の視線が向けられた。
「まあその。……がんばって?」
「骨は拾ってあげる」
「ミーナ、もうちょっと言い方っていうものが……」
親友三人がそれぞれに声をかけてくるが、メルツェデスの顔は晴れない。晴れるわけがない。
かといって、約束を無視するわけにもいかない。
一応、『勝手振る舞い』を行使すれば逃げることは出来る。
だがしかし、それを使わねば逃げられない相手でもある。
つまり、使えば大事になるということでもあって。
「そうね、死ぬようなことはないと思うけども、頑張ってくるわ」
メルツェデスは、苦笑を浮かべながら立ち上がり、指定された場所へと向かった。
学院内にある、王族専用サロンへと。
「やあ、よく来てくれたね、メルツェデス嬢」
テーブルについてメルツェデスを待っていたのは、ジークフリートだった。
それだけでわかる。本気だ、と。
通常、この国のマナーでは招きに応じた貴族が先に入室し、王族が後から入ってくることになっている。
だがそれにも例外があり、例えば王家の失態から謝罪する場合には、王族が先に入室して待っていることがある。
それはつまり、招いた相手を心から尊重するということであり。
特に謝罪されることもないメルツェデス相手にこれ、ということは。
そういった思考を欠片も顔に出さず、メルツェデスは恭しく淑女の礼を取る。
「いえ、とんでもございません、ジークフリート殿下。此度はお招きいただき、誠にありがとうございます」
「こちらこそ、応じてくれたことに礼を言う。……あれから、身体の調子は……いや、聞くまでもなかったね」
「左様でございますね、お恥ずかしながら」
「あの時の一撃だけど……」
激戦から生還した人間へとかける定番の台詞、その途中ですぐに気づきジークフリートが苦笑すれば、メルツェデスも微笑みながら応じた。
何しろ、ほんの数日前にギュンターを叩き伏せたその場に、ジークフリートもいた。
メルツェデスがとっくに復調していることなど火を見るより明らかなわけで。
ただ、そこで詰まらず、軽い剣術談義に持ち込めたのは、彼もまた成長していることではあるのだろう。
そうして歓談すること、しばし。
「さて、メルツェデス嬢。今日来てもらった理由なのだけれど」
ある程度場が暖まったところで、ジークフリートが本題を切り出してきた。
これを受けて、メルツェデスも姿勢を正して傾聴の姿勢を取る。
「……あなたにとっては唐突な話だろうが、どうか許して欲しい。
私は、あなたのことを一人の女性として好ましく思っている。
あなたさえよければ、プレヴァルゴ家に婚約の申し入れをしたいと思っているのだが、どうだろうか」
真剣な眼差しで、一語一語はっきりと聞こえるように告げてくるジークフリート。
こんなところからも彼の真面目な人柄が感じられて、好ましくは思える。
ただ、一人の人間として、ではあるが。
あの時。
刺客から彼を庇って傷を負った後、国王から『君が望むことを、出来る限り叶えよう』と言われた時のような衝動は……ない。
改めて思う。
哀れな『メルツェデス』の魂は本当に救われ、いまやメルツェデスと一つになったのだ、と。
だから、シナリオに囚われた存在はここにはいないし、行動も縛られない。
「わたくしごときに過分なお言葉、心よりお礼申し上げます」
その礼が何に対してかは、言うつもりはないが。恐らく、言ったとしても通じないだろうし。
ただ、一つ通じたものがある。
「……その声音、その顔。どうやら私は、振られてしまったようだ」
恐らく、覚悟はしていたのだろう。
ジークフリートが見せたのは、苦笑だった。……やはり、落胆が滲んではいたが。
「……ジークフリート殿下のことは、心から尊敬申し上げております」
『お慕い』ではなく、『尊敬』。
それは、ジークフリートの欲しかった言葉ではなかった。
しばし、沈黙が流れ。
「王命にての婚約も可能だったでしょうに、こうして一人の人間として向き合ってくださったこと。
わたくしの意思を尊重してくださったこと。
いずれも尊敬に値すると、僭越ながら申し上げます」
それは、間違いなく心から思う。
今のジークフリートであれば、様々な手段を使ってメルツェデスの外堀を埋めていくことが出来ただろう。
そして、今の彼だからこそ、その手段は取らなかった。
だからメルツェデスは彼を尊敬すると告げた。彼が望む言葉ではないとわかっていて。
「それでもあなたの心は動かせなかった。……私の至らなさ、だな」
ふぅ、とジークフリートはため息を吐くのだが、それに対してメルツェデスは首を横に振って見せた。
「いいえ、殿下は本当に素晴らしい成長をされておられると愚考いたします。
人格、能力、人望、いずれも将来エドゥアルド殿下を支え、この国を背負って立つにふさわしいお方かと」
『魔王』討伐から帰還してすぐに、ジークフリートは父であり国王であるクラレンスと兄であるエドゥアルドの前で膝を突き、『炎の剣』を捧げた。
伝説の『炎の剣』を手にし、『魔王』討伐を果たした王子。
そんな彼を担ぎ上げようとする勢力は、きっと出ることだろう。
そのことを見越してジークフリートは、国王と兄に臣下としての忠誠を誓ったのだ。
学院を卒業後は臣籍降下して公爵位を与えられる予定だという。
そんな判断が出来るジークフリートは、きっと同年代の中でも突出した人物なのだろう。
「この国は、そして殿下のお立場は、きっと安泰」
そこまで言われて、ジークフリートは理解した。
「そんな殿下の隣に寄り添い立つのは……申し訳ございませんが、わたくしには退屈なのです」
もしも隣に立つなら。立ってもらうなら。
そう考えて一人の顔が脳裏に浮かんだのを、メルツェデスは淑女の仮面で隠す。
「そう、か……」
予想通りの言葉に、小さく呟くしか出来ない。
メルツェデスにふさわしい男になろうと、彼は自分を磨き続けた。鍛えてきた。
ただそれは、彼女の隣が似合う男に至る道ではなかった。
かといって、この道を選ばないことが出来たかと言われれば、首を縦には振れない。
つまりは、そういうことなのだろう。
「……真摯に答えてくれてありがとう、メルツェデス嬢。時間を取らせて悪かったね」
「いえ、とんでもございません」
心の折り合いをなんとかつけたジークフリートは、王子の笑みでメルツェデスに退出を促す。
それを受けたメルツェデスは、頭を下げると退出するために立ち上がった。
そして、サロンから退出すべく扉へと向かいかけ。
急に、くるりと振り返った。
「最後に、僭越ながら申し上げます。……ジークフリート殿下、見事な男ぶりでございました」
そう言いながらメルツェデスは艶やかな笑みを残して、サロンを去った。
その後姿を見送って、数分後。
「だから、そういうところが、さぁ……」
大きくため息を吐きながらジークフリートは両手で顔を覆い、テーブルに突っ伏す。
こうして、第二王子ジークフリートの初恋は終わったのだった。
※コミカライズ第一巻、無事発売されました!
各書店さんでもお取り扱いのポストが流れてきておりまして。
……やっぱりコミカライズの扱いって、小説よりも多くなるんだなぁ、と実感しております。
購入のご報告もいただいております、ご購入くださった皆様、本当にありがとうございます!




