エピローグ
「お誕生日おめでとう、真帆!」
母の言葉通り、真帆の16回目の誕生会は週末に開かれた。
会場は笹熊邸のささやかな庭。夏らしくBBQでのガーデンパーティーとあいなった。
友人たちの賑やかなおしゃべりに混じって、肉や野菜の焼ける香ばしい音が響く。匂いに誘われたのか、ご近所さんたちも差し入れを手に顔を出す。
得がたくも平凡な幸福の素描であった。
ある一点に目をつぶるならば、だが。
「はーい、ソーセージが焼けましたよ~。みぃちゃんさん、お皿お皿」
「うー。おいしそうだけど、あたしダイエット中なんだよね」
「それじゃ、こっちのランプ肉どうぞ~。高タンパク低脂肪ですよ」
「やばーい、オオカミちゃん使える~」
「ヒナちゃん、どこ住み~? LINE交換しようよ~」
「あのっ、そういうのは、父に止められてるので!」
「大丈夫大丈夫。オレめっちゃ紳士よー。ほら見て、この骨。オレの心みたいにまっ白ー」
オオカミ男とクラスメイトとガイコツ男とが和気藹々(わきあいあい)と談笑している風景に、真帆はなにを思えばいいか分からない。なんて言えばいいか分からない。
虚ろな目を向けていた真帆の視線の先で、唐突に、オオカミ男とガイコツ男の体が中空に浮いた。
「ぐぼっ!」
「がっ!」
左右の手で一体ずつ、見事なネックハンギングツリーをきめたのは、義父だ。
その顔は「大事な娘の大事な学友にまとわりつく悪い虫を追っ払う父」の責任感に満ちている。ちなみにオオカミ男は完全なとばっちりである。
「まっ、魔王さ――」
慌てて縁側から腰を浮かせかけた真帆を押しとどめたのは、走り寄ってきたクラスメイト2人だった。
「ね、ね、ね、あれが真帆っちのパパ? めっちゃかっこいいー!」
「俳優さんみたい……」
かっこ、いい――?
いや、確かにかっこいいかも分からんが、その前に気にすることがあるだろう。
ネックハンギングツリー以外にも、ほら、角とか、羽とか、マントとか。
そう言うと、友人たちはそろってきょとんと首をかしげた。
「まあちょっと派手だけど……似合ってるし?」
「外国の方ですし、民族衣装のようなものでは?」
すごい適応力&好意的解釈!
「い、いやいや、おかしいって。無理しなくていいって。だってあんな――」
「まあまあ、あんま言ってやるなよ」
どすんと真帆の隣に腰かけたのは、四河屋の若旦那こと次郎だ。
限りない兄貴分の優しさをもって、次郎は真帆の肩に手を置いた。
「文化の違いってやつはどうしようもねえよな。だけどな、オレ、思うんだ。どんな奴とでも、腹を割って話せば絶対分かりあえるって」
「いやいやいや、次郎ちゃん次郎ちゃん次郎ちゃん。そんないい話風のアレじゃなくて」
「親父さんに反発する気持ちは分かるけど、真帆――」
予想できなかったのは、わたしの甘さだった。
瞬間的にそんなことを思いながら、真帆は真正面から次郎の大吐血を受け止めた。
「次郎ちゃあああああん!」
ああ、次郎の大吐血も気になるが、それを至近距離で見ていた友人たちの反応も怖い。
真っ赤に染まる視界を、おそるおそる彼女らに向けてみたものの、2人はスプラッタな惨劇など目に入っていないようだった。なんだかふわふわした表情で、真帆の斜め上あたりを見上げている。
油を差していないからくり人形のぎこちなさで首を回し、彼女らの視線を追う。
「――マホチャン」
いた。やっぱりいた。魔王が。頬を染めて。倒れ込んだ次郎を踏みしめて。
残酷劇場の支配人こと魔王は、恋初めし少女の如き頼りなさで、真帆に赤い円筒形の物体を差し出した。学校やご家庭の防災訓練で、見慣れた品だ。
「そなた、消火器が欲しいと申しておったな? さあ、取るが良い」
「あっ、えっ?」
「遠慮はいらぬぞ」
「アっ、ハイ、ドウモ……」
消火器だ。どこからどう見ても、よくある黒いレバーを引くタイプの消火器だ。
気になるところと言えば、次郎の血しぶきが点々と散っていることくらいか。
真帆が受け取ると、魔王はあからさまにソワソワし出した。
「どっ、どうだろうか。そなたの望みにかなおうや?」
「えっ。そ、そうですね。か、火事の時とか、助かりますよね、たぶん」
「そうか!」
魔王の秀麗な顔が、喜色に輝く。
「うむ、うむ。その器の中には、北狄の地を一夜にして凍りつかせた氷の魔神を封じておいた。ひとたびそなたが魔神を解き放たば、この星に存在するあらゆる熱を奪い去ることも可能」
「ヒィっ」
「マホチャンの防災意識が高くて、お、お父さんは嬉しいぞ!」
そうだ、練習しておくと良いぞ。使い方は簡単だ。躊躇うことはない。さあさあ、遠慮はいらぬ。ブシャーっとやるのだ。
嬉しげに、楽しげに、世界を氷河期に叩き落とせと誘う魔王。
それを唯一、止められるであろう母は、微笑ましげに義理の父娘のやりとりを見守っている。近くで見てもやっぱり真帆っちパパかっこいいね、とクスクス笑う友人たちに罪はない。もちろん、先ほどからピクリとも動かないオオカミ男にもガイコツ男にも。ましてや、魔王に踏まれ続けている次郎には。
魔王は子どものようにキラキラした目で真帆を見つめ続けている。
氷河期か、義父の期待か。
真帆のコレと言って特徴のない目が、ぐるぐる回る。
もうやだちょっと勘弁して誰か助けて――。
真帆は、心から願った。
魔王の娘の望みを聞き届けるのが、善き神ではないことは確かだ。
しかし、どのような種類であろうとも、願いは叶えられた。
ピンポーンと、福音は玄関先からもたらされた。
あ、お客さんだお客さんだ、誰だろ、ハセっちかな、長良川くんかな、もーいっつも遅れるんだから、あー消火器試したかったのに残念ほんと残念はいはい今行きまーす――一本調子な言葉を残して、真帆はダッシュで玄関に向かった。
そして、すぐさま後悔した。
待ち受けていたからだ。
「そなたの生誕の祝いだと聞き及んだからな、わざわざ出向いてやったのだ」
紅の髪。突き出た羊の角。沈丁花の肌。
「ふん。なんと粗末な館だ。こ、この人形なりと飾るが良い」
大鴉の漆黒の爪が、やたらファンシーなお人形を掴んで、ホバリングしている。
「なんだその間抜け面は。脅える必要はないのだぞ? 我はそなたの――」
艶やかな唇から、聞き取れぬほどの声が漏れる。
「――おねえしゃまなのだから」
終