第23話(二)「太平寺」
――同じ日の、日暮れである。
報せは、あらかた入っていた。
木沢は討たれ、その弟も討たれた。首の数は、まだ増えている。増えているあいだは、正しい数にはならぬ。
こちらは、床几に腰を下ろしたままであった。
――ここまでは、算用の内である。
書付に書いてあったとおりに、人が死んだ。
弥生十七日、河内太平寺、木沢討死。はじめの年に一点で買うた書付の、いちばん終いの行である。
冬に、もう一つ算えたものがあった。
木沢の兵糧、九十日。如月の末に、あの片目がそう申した。三つの城へ入る荷を数えて割り出した数で、そばにいた明智の若いのが、九十日と申されますと皐月にござりまするなと言った。
二十日で、済んだ。
――兵糧の尽きるまで、兵はおらぬ。
あの片目は、そうも言っていた。兵は蔵を覗いており申す、蔵が半分になったところで幾人かが帰り、帰った者を見てまた帰る、と。
その帰り方が、この日、野に旗の数で出た。
膳が来ていた。
握り飯が二つ、菜の香の物が添えてある。手が、伸びかけた。
「――塩川は」
使番が、膝をついた。
「討ち洩らしましてござります。手負いにて、北へ」
手が、止まった。
伸ばしかけたまま、膳へ戻さずにいる。
「供は」
「二十か三十かと」
――生きておるか。
紙には、書いていない。二枚とも、木沢のことは書いて、あの男のことは書いていない。
「陣借りの者どもは」
「四百、揃うてござります」
「よそは」
「……国もとへ、帰り支度をいたしておりまする」
うなずいた。
勝った翌日に兵を持っている者は、この野にはおらぬ。国人は国へ帰り、寺の衆は寺へ帰る。帰るのは怠けではない。田があり、家があり、守る者があるからであった。
「うちの四百には、帰る田が無い」
使番が、顔を上げた。
「……では、今夜も」
「動ける」
*
首実検は、野のはずれで行われた。
筵を敷き、その上に板を並べ、板の上に首を置いてある。洗い、髪を整え、名札を添えて並べる。手柄の証となるものであるから、その仕度だけは念が入っていた。
灯が、落ち着かなかった。
風があるわけではない。それなのに炎が細く伸びては縮み、そのたびに板の上の影が動いた。油が悪いのであろう。
血と、灯の油の匂いがした。
こちらは、帳を膝に置いていた。
殿――三好長慶様の名代である。検めた首の数と名を書き取り、判をもらって持ち帰る。筆を持つ役は、こういうときに回ってくる。
高屋の衆が、床几を据えた。
その床几から、老人が下りて来た。
背の高い、痩せた御方である。板の前まで来て、腰を折り、しばらく動かなかった。
――ご自身で、下りて来られたか。
河内の家宰、遊佐長教である。
この一年、高屋へ出した文の宛名は、いつも当主の名で書いてきた。読んでいたのが、この御方であった。名は幾度も紙の上で見ている。顔を見るのは、これが初めてである。
老人は、一つの首の前で止まった。
「……これに、相違ない」
声は低く、柔らかかった。
名を呼ばなかった。罵りもしなかった。
言い終えてから、間が一つあった。
こちらは、筆を下ろした。
木沢長政。
白髪まじりの、痩せた首であった。
左の頬に、古い傷がある。眉のあいだに深い皺が二本、寄ったまま残っていた。
――こういう顔か。
一昨年の葉月、あの童が言った。河内は太平寺の野にてお果てなされまする、と。
あのとき、扇子が止まった。
――あの木沢が。二年で、果てるか。
そう言ったおぼえがある。
二年には、なっていない。
天文九年の葉月に買いはじめて、まだ一年と七月であった。二年と読んだのは、こちらである。
読みより、早く来た。
筆が、次の行へ移った。
――いくらになる。
算えていた。
首帳に一行書けば、それが恩賞の高になる。畿内に十年重く構えた男の首である。加増の石にして、いかほどか。所領にして、いかほどか。
筆が、止まった。
穂の先が紙に触れたまま、墨が少しずつ広がっていく。
――算えられぬものに出会うと、この手は、算えられるほうへ動く。
筆を持ち直した。
持ち直して、書いた。
書き終えたところで、老人が振り返った。
「松永殿」
名を、知られていた。
「若いお方は急がれる」
こちらは、頭を下げた。
「……急がねばならぬ理由が、おありか」
訊きようが、柔らかい。詰めてもおらず、探ってもいない。老人の目は、こちらの顔ではなく、膝の帳のほうを見ていた。
――まことを、一つだけ渡す。
「銭で雇うた兵にござれば」
「ほう」
「日が経てば、銭がかかりまする」
老人は、うなずいた。
うなずいて、それきりであった。
訊きもせず、笑いもせず、板のほうへ戻っていく。背が高いぶん、腰の折り方が深く見えた。
――訊かぬか。
三好の紙なら、この一年で幾度も出した。この件については、一言も申し上げていない。申し上げぬまま、ひと冬かけて、この御方の足もとを揺らした。
その御方が、いま、何も訊かなかった。
*
殿の陣所は、灯が一つであった。
「――塩川に、急ぎの御下知を」
殿は、灯芯を見たまま動かれない。
「木沢に与した者にござれば、いま討てば咎人を討ったことになりまする」
「うむ」
「日が経てば、城に籠りまする」
「うむ」
「いま追えば、退き足のまま討てまする。一庫は、明日の朝には他家の手が伸びましょう」
――咎人であること。時機のこと。他家のこと。
三つは、申し上げた。
四つ目は、申し上げなかった。あの城の隣に、山がある。
殿は、しばらく黙っておられた。
「……急ぐな、とは言わぬ」
「はっ」
「河内は、遊佐に任せる。こちらは摂津の分だけ取る」
それだけで、済んだ。
済んだところで、殿がふと言われた。
「遊佐とは、師走から使いを往かせておった」
指が、止まった。
「……師走に」
「うむ。三度か四度じゃ。木沢を討つなら、どちらが先に手を出すかを決めておかねばならぬ」
隠しておられたのではない。言うほどのことでもない、という顔であった。
こちらは、頭を下げた。
下げながら、算えていた。
この冬、銭を十五貫遣うて三人を河内へ入れた。門徒の口へは、公方様の紙が大坂へ出たという話を流させた。嘘は一つも混ぜていない。郷が揺れれば、あの御方はそれを見る。見て、木沢に付いたままでは危ういと思うかもしれぬ。思わぬかもしれぬ。
同じ師走に、殿は使いを出しておられた。
――押したのは、誰であったか。
己か、主か。それとも、如月に一点で買うた書付か。
確かめられるのは、ここから先だけである。
*
篝火のそばで、陣借りの者どもが数えられていた。
四百である。銭で雇うた者は、数えれば揃う。揃わぬときは、死んでいるか、はじめから居なかったかのどちらかであった。
この四百は、東へやる。
弟の長頼が、具足の紐を締めていた。
いつもは小者にやらせる。今日は、己で締めている。
「塩川を討て。夜のうちに発って、一庫を取れ」
「承って候」
「連れてゆくは、家の者だけじゃ」
長頼は、訊かなかった。
「城は焼くな。蔵も焼くな。……あとは、そなたが決めよ」
「……はっ」
「あの山は、いまは古い山にしか見えぬであろう」
長頼は、答えなかった。
答えずに、紐の端を歯で押さえて締め直した。
「今度は、借りを作らずにゆく」
言うと、長頼は一度だけこちらを見た。
去年の秋、一庫の囲みを解いた。あのとき獲らずにおいたおかげで、木沢は摂津に縁を残し、その縁で京へ訴えに出た。獲らずにおいた城を、こんどは誰の手も借りずに獲る。
長頼が、兜の緒に手をかけた。
「……戦のあいだに刻限を申してまいったは、あの片目にござるか」
「さようじゃ」
それきり、その話はしなかった。
緒を結び終えて、それから訊いた。
「……討ったのち、城はいかに」
「うむ」
「女子供も、ですか」
火が、はぜた。
「二度は、申さぬ」
長頼が発ったあと、勘助と光秀を篝火の外へ呼んだ。
篝火の向こうで、四百がまだ数えられている。
「あれを、そなたらに預ける」
勘助が、顔を上げた。
「大和と、飯盛の口を見よ。飯盛は攻めるな。目だけ、届かせておけ」
「委細、承知」
「木沢の蔵に、箱がある」
「あの家は、河内と大和で十年、人から物を取ってきた。取ったものは、蔵に積む」
――積んだうちのいくつかは、名を持っている。
「焼ける前に、取れ。前にも申した」
光秀が、紙の束を抱え直した。
勘助は、杖を突いたまま何も言わない。
「野に、拾い手のない旗があったそうな」
「……ござりました」
「どこの」
「添上の衆と聞き申した。主が野に伏し、旗だけが残っており申す」
――主を失うた家は、浮く。
浮いたものは、いずれ誰かが拾う。拾われる前に、どういう家であったかだけは知っておきたかった。
「見ておけ」
「はっ」
二人が退がってから、東を見た。
低い山なみの向こうが、大和である。
殿は明日、越水へ引き上げられる。ひと冬、一兵も出さなかった城である。帰り着くころには、弟はもう一庫の門を叩いているはずであった。
こちらは、帰らぬ。
木沢は討った。討てば、跡が残る。逃げた者を追うのは功になり、野に散った者を狩るのは、ならぬ。ならぬほうは、援軍が引き受ける。首実検の座で言われたときには、もう決まっていた。
兵は三百、預かる。呉れる、とは言われなかった。
*
その夜、灯を寄せて帳面を繰った。
墨を下ろす。
太平寺 木沢殿 討死
一、月々の入り 一点
一、借入 二点 ――二年にて返す
残り 四点
書いて、筆を止めた。
冬のあいだ、この頁には遣うたものばかりを書いた。銭十五貫と、点が一つ。どちらも、まだ起きておらぬことに払った銭であり、点であった。
起きた。
起きて、遣うたものは何も戻らぬ。戻らぬかわりに、頭を下げる先が一つ減った。
灯を消した。
塩川の名は、まだ帳面に無い。
■用語解説
・首実検…討ち取った敵将の首を、生前を知る者に検めさせて本人かどうかを確かめる儀。手柄の証となるため、洗い、髪を整え、名札を添えて並べた。書き役が首帳に名と数を記し、大将の判をもらう。
・陣借り《じんがり》…主家を持たぬ者が、戦のあいだだけ他家の陣に加わって働くこと。またその者。恩や所領ではなく銭で結ばれているため、戦が終われば去るが、銭が続くかぎり国へは帰らない。
・名代…主に代わって、その場に出る者。判を押す権までは持たぬことが多く、見たものを持ち帰って復命するのが役目であった。




