仙台 1
石ころと笑い猫が、夢中になって窓の外を見ている。同じ車両の子供たちも同様だ。仙台に着いたらしい。地方都市の高すぎないビル群の中を、新幹線はスピードを落としながら進む。商業ビルが立ち並ぶ、清潔で明るい都市だ。やがて明るい屋外から薄暗い駅ビルの中へ、滑らかに入っていった。
新幹線やまびこは、はやぶさよりも停車駅が多いらしく、そのたびに人が乗ってきた。大きな荷物を持った人、不自然なほど荷物が少ない人、恋人らしい二人連れ、家族連れ、子供連れ、小さな赤ん坊を抱いた人もいる。ビジネス客は一番少なく、こんな状況では仕事をする人は少ないのだろう。菫たちのいる自由席はいっぱいになり、デッキ席に人が密になって立っていた。
「早めに荷物下ろして降りよう。この混みようじゃ新幹線に取り残されるよ」
菫が言うと、石ころも笑い猫も素直にうなずきその通りにした。上の棚から小さなスーツケースやリュックを下ろし、降車口に向かう。そこも人で埋まっていて、菫は大きな声で「三人降ります! 空けてください」と言いながら人をずらして進んだ。最後についてくる石ころのことも確認し、舌打ちを受けては睨み返し、降車口が開くと軽快なリズムで降りていった。いつもの電車生活とそう変わりない。車両が豪華だという点を除けば、混んだ電車から降りるのには何の問題もない。夏の暑さが充満するホームに着いた瞬間、少しホッとしたけれど。
無事三人がホームで揃っているのを確認し、階段を降りる。切符を通して改札口を抜けると、ようやくそこは自由の効く駅の構内になった。
「桔梗さん、強いね」
笑い猫が言うと、菫は首を傾げた。
「おっきな声を出して、どんどん進んでいく姿、すっごくかっこよかった!」
にこにこ笑いながら言う笑い猫を見て、呆気に取られる。それくらいで?
「憧れるんだよね、強くてかっこいい人に」
笑い猫は続ける。そこに石ころが加わってきて、こう続ける。
「笑い猫さんは強い女の人好きだもんね。昔からレッドリップ好きだったって言ってたし」
韓国のアイドルのグループ名らしく、菫は説明を受けた。あまり知らなかった。洋楽は聴くほうなのだが。
「音楽よく聴くの?」
菫が聞くと、二人は笑いながら自分の好きなミュージシャンの話をした。笑い猫は韓国のアイドルが好きらしい。とりわけ好きなのはレッドリップで、新しいグループが出てもずっと一筋に応援しているらしい。いかにレッドリップが格好がよくて、強い口調で歌うかを語る笑い猫は、普通の女の子だ。この奇妙な旅の一番の謎だとは思えないくらい。石ころはアメリカやイギリスの八十年台から九十年台までのバンドが好きらしく、それならよくわかった。叔父の幸太と同じ趣味だからだ。
「桔梗さんは?」
笑い猫にそう聞かれた菫は、一瞬悩んだ。四日間だけ一緒に過ごすこの二人に、自分のプライベートについてどれくらい話すべきかと思ったのだ。それでも、こう言った。
「私は北欧とか東欧とか、もちろん韓国もだけど、色んな音楽を聴くよ。自分で歌ってもいる」
「えっ」
「ホントに?」
笑い猫と石ころが同時に驚くので、少し面白くなってこう続けた。
「プロになるとかじゃないんだけど、叔父のバンドでたまに歌ってるんだ」
「えー!かっこいいー」
「さすがは東京だ……」
話すのはここまでだ。これ以上は言わない。ライブハウスでの出来事だとか、出会いのことは言わない。夏哉のことなんて、絶対に言わない。これ以上知られることに、プラスの意味が感じられない。
「とりあえず何かご飯食べない? 仙台駅の中は何かあるかな」
菫は話を変えて、二人に水を向けた。笑い猫も石ころも未だキラキラした目で菫を見つめていたが、すぐに菫がスマートフォンを取り出し、画面を触り始めた。
「インスタで色々調べたんだけど、この辺りは牛たん屋さんが有名みたい! でもお肉ってちょっと高いでしょ? だからこの辺とかどうかなー」
笑い猫は仙台駅の中や近くにある店を色々と見せ始めた。ブッフェ形式の店、有名なパン屋、洒落たカフェ、ずんだ餅の店、甘酒の店。
「外暑いしさ、とりあえずは駅の中のお店で食べない? 暑さが限界でさ……」
菫が言うと、笑い猫がうなずく。
「じゃあ、駅の中でも一番お腹に溜まりそうなこのイタリアンのご飯屋さんにしようよ。それから甘酒のお店も寄りたい! 栄養補給で」
「いいよ。石ころさんもそれでいい?」
「大丈夫です」
三人で駅中から店に並び、案内されてから席に着いた。この店は駅の外に面した店で、明るい光が中に差し込んでいる。かなり賑わっていて、旅の道中といった様子の人が多い。ふと、思うことがある。
「ここってスープスパゲティーがおいしいみたいだね。頼もう」
笑い猫が言い、石ころも真剣に大きなメニュー表からパスタを選んでいる。結局、笑い猫は通常メニューのスープスパゲティー、石ころはトマトスープスパゲティー、菫は牡蠣のスパゲティーを頼んだ。空腹を感じる。緊張が少し解けたようだ。目の前に置かれたお冷を手に取り、ごくりと飲む。生き返る気がする。
三人で待っている間、二人は色々と話すが、菫は憂鬱に考えているだけだった。
「ねー、桔梗さん疲れちゃった? 元気ないね」
笑い猫が聞くので、笑って首を振る。
「何か不満があったら言ってください。私たち、桔梗さんに頼りきりだし、不満は全部なくしたほうがいいと思うし……」
こう言う石ころも謎の存在だ。どうして笑い猫に旅のことで同調したの? 家はどうなってるの?
「……あのさ、旅行の途中って人が多すぎない?」
二人はきょとんとする。考えてもいなかったらしい。
「多いんだよ。そこのカップルも、そこの親子も、一人でいる女性も、皆大きな荷物を持ってたり、この辺の人じゃなさそうな格好してる。皆旅の途中なんじゃないのかな」
「確かに」
石ころが周りを見渡す。笑い猫はじっと菫を見つめている。
「みんな、現実逃避で旅行してるんだろうなって。仕事とか、社会での自分の役割とかほっぽって」
菫がそう言うと、笑い猫はこう言った。
「それって悪いことなの?」
「え」
「こんなときに、社会での役割を果たせる人ばかりじゃないよ。逃げ出して最後だけでもいい思いをしたいって人も多いんじゃないかな。それってそんなに悪い?」
菫は眉をひそめてしまった。それでも、笑い猫のこの意見を言い負かしてねじ伏せていいとは思えなかった。理性的に振る舞えない人というのが、たくさんいるのはわかっている。理性的に振る舞うことがいつも正しいわけではないことも。巨大隕石が近づいてきて、来年にはこの世界はなくなる。ほとんどの人にとってそんな世界観なのだ。
そもそも、この二人はそういうつもりでこの旅行をしているのだ。ねじ伏せていいわけがない。
「ごめんね。私はどうにかなる可能性はあると思ってて、それで何となくみんなが無責任に思えてさ。でも普通はそうだよね。私だって……」
私だって夏哉から逃げてきたんだし。そう言いそうになって、すぐにとどまった。
「どうにかなる可能性があるの?」
笑い猫が不安げな顔をした。驚いた菫は何度も瞬きをして、こう答えた。
「だってさ、まだ時間はあるわけじゃん? そんな中であの放送はあったんだから、色んな企業や研究機関や大学が、どうにかする可能性に賭けてると思ったんだよね。……見当違いかな」
「ううん。ありうると思う」
笑い猫は暗い顔のまま、首を振った。どうしたのだろう。世界が滅びなかったら、何か困ることがあると? 質問をしようとしたら、笑い猫のスープスパゲティーが運ばれてきた。彼女はパッと明るい顔になり、「おいしそう!」と笑った。気にするべきことではなかったのだろうか。菫は先に食べ始めた笑い猫の幸せそうな顔を、見つめ続けた。