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夜半の月 ~目覚めたら平安時代の姫でした~  作者: 赤川エイア/監修:白木蘭
前篇:夢の通ひ路
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第三十二話

 寝息も立てず眠る宮の頬を、そっと撫でた。睫毛がぴくりと震えるが、起きる気配はない。

 あの後、どこにも逃がさないと言っているかのように私を抱きしめたまま宮は眠りについた。その名残が、今も腰に巻きついた腕だ。それを静かに外して、袿だけを肩にかけ、私は御帳台を出た。


 一度眠りについたものの、やはりすぐに目覚めたのは三の君の夢を見たからだ。

 今日のものは、記憶の断片というようなものではなく、彼女が空を飛び、どこかの邸に下り立つという、何とも言えないファンタジックなものだった。余りにも趣向が違いすぎて、起きた時に戸惑った私がいたくらいだ。これまで見せられてきたものとかけ離れている。いずれにしろ、迷惑には違いないのだが。


 外へ出れば、夜風が頬を撫で、髪を揺らしていく。見上げた空は月も星も雲に隠れ、灰がかった群青が広がるばかりだ。

 鳥の羽音が聞こえて、ああ、彼がいるのだと知った。いるというより、来てくれたと言った方がいいのか。間違いなく、私は彼に会いたいと思っていた。聞きたいことが山ほどあるのだ。


『聞きたいこととは何じゃ』


 太い幹に止まった鳶――天狗は、それだけ言った。

 頭に直接響く声にも、もう驚かない。彼はこうして思念を飛ばし、こちらの心を読み取る。声にせずとも伝わるのだろうが、それには慣れずどうにも調子が狂うので、私はいつも通り声に出して彼に問いかけた。

 こんな夜中に、どうせ誰が聞くこともないだろう。


「三の君は、どこにいるの?」

『それを知ってどうする』

「本人に確かめたいの。このところ、彼女は私に夢という形で彼女の記憶を見せているわ。それが何故なのか、何を訴えているのかを直接彼女に聞きたい」

『ほう。夢、とな』


 ここ最近は、もうずっと眠れていない。寝不足からくる頭痛も疲れも消えずに残るから、身体だって辛い。この毎日がいつまで続くのかと思うと、気が狂いそうなほど嫌になる時だってある。

 それ以上に、彼女がどうしたいのかも知りたかった。意味があって私に夢を見せているようにしか思えないからだ。


『姫君はそなたの夢に干渉することはできぬ。そなたが見ているのは、そなたの夢よ』

「……私の夢?」

『そうじゃ。そなたの記憶がそなたの夢に映っただけのこと』


 意味が分からない。三の君の記憶が、私のものであるはずはない。


『本来であれば、同じ時に同じ魂は存在できぬ。その(ひず)みが生じておるのであろう』

「ひずみ……?」

『共鳴したことで過去の記憶が呼び起こされたのだろうの』


 同じ魂? 共鳴?

 なに……なんなの?


 嫌な冷や汗が、つ、と流れた。天狗の言葉を一つ一つ、噛み砕くように考えてみる。共鳴も歪みも、なんのことか理解はできないが、一つだけ心当たりのある言葉があった。「同じ魂」だ。

 天狗の話し方から考えても、私と「同じ」という意味だろう。それは、ただ一人と結びつく。このおかしな状況に鑑みても、他の人は思い浮かばない。


 ――三の君。


 私の頭に、天狗が否定する声は届かない。この仮説は間違いないということなのか。


 三の君と私が、同じ魂?

 天狗は、「過去の記憶」とも言った。

 私の、魂の過去――……? それが、あの夢だというの。


 ぐら、と夜空が揺れたような気がした。震えた膝が砕けて、私はそのまま崩れ落ちた。鼓膜を叩くように早まった心音が聞こえる。知らず息が浅くなっていた。

 天狗は嘘をつかない。つく理由がない。私を騙したところで彼には何のメリットもないのだから。

 しかし、彼の言葉が真実だとしても、すぐには受け止められない。受け止められるはずがなかった。


「私は……三の君の生まれ変わり……?」


 ずっと、三の君が過去の記憶を見せているのだと思っていた。

 でも、そうじゃないなら? 私は……私は、自分の前世を夢で見ていたの……?


『そなたは、何故自分がここにいるか分かるか』


 問いかけられて、はっとした。

 何故ここに、この世界にいるのか? そんなこと、分かるはずもなければ、私が知りたいくらいだ。


『魂が時を超えるためにはいくつか条件がある。その一つが、同じ魂が強く共鳴することだ。そなたは姫君に呼ばれ、そなたも姫君を呼んだ』

「呼んだ?……そんなことは」


 したつもりなどない。

 この世界へ来る直前といったら、京都で月を見上げたことくらいだ。いや、その後、横断歩道を渡って……ああ、そこから覚えてない。

 十分な睡眠も取れず鈍いままの頭で必死に考えてみるものの、何も思い出せない。


『同じ魂は同じ時に存在することはできぬ。このままでは、そなたも姫君の魂もいずれ歪みに呑まれ消え去るだろう』

「消える?」

『そうじゃ。魂自体が消える。魂が消えた器も当然滅びる』


 滅びる? 私が?

 元の世界へ戻るのではなく、「私」自体が消える? 


 ――「死」


 ふいに、その一文字が浮かんだ。だって、魂も器も滅びるってそういうことだ。それ以外にどんな説明ができるというのか。

 吐き気がこみ上げて、思わず口元を押さえた。気持ち悪い。頭の中で警報機のような音がずっと、もうさっきからずっと、鳴り響いている。


 現代の自分が死んでいるかもしれないと思った時だって、ここまでショックは受けなかった。どこかで否定して、私は大丈夫なのだと思いこもうとすることで、気を強く持ち続けて今日まで過ごしてきた。

 それなのに、「死」がすぐ傍まで迫ってきていると彼は言うのだ。消えるって何? 私の意識が消滅するということなの。


 うそ……嘘だ、信じたくない。


「冗談じゃない、私は帰りたいっ……だから三の君に会いたい、会わせて。彼女がこの身体に戻ってさえくれれば、私は戻れるのでしょう?」

『そうじゃの』

「三の君に会わせて」

『私に姫君の魂を呼ぶことはできぬ。その時になれば姫君は自ずから姿を現すじゃろう』

「どうにかならないのっ……!? 歪みとやらが生じているんでしょう、そんな悠長なこと言ってられないじゃない!」

『なぜここへ呼ばれたのか、考えよ。答えは夢の中にある』

「そんな、そんなことわかるわけ……」

『そなたの魂には、(ごう)がある』

「え……?」

『誰か来たようじゃ、私はもう行こう』


 ――待って!

 お願いだから待って、行かないで!

 嫌だ、こんな状態で何も説明しないで、消えないで。


 願いは空しく、鳶は一瞬で暗闇に溶け、見えなくなっていた。つい先ほどまで彼がいた幹の上は風が通り木の葉が揺れるばかりだ。

 私はそのまま、床にへたり込んでいた。


 なに? なんなの? どういうことなの。

 何も分からない――これから、私はどうしていけばいい? まず何をすればいい?

 頭の中はぐちゃぐちゃで、なのに、「死」のイメージが離れない。



「――姫、こちらにいるのですか?」


 振り返れば、宮が驚いたように目を見開いた。私の目の前にしゃがみこむと、「姫?」ともう一度私を呼んだ。月明かりが、彼が心配そうにこちらを窺う様子を照らしている。

 

「どうなさったのです、随分と顔色が悪いようですが」

「……み、宮さ、ぅっ……」

「姫!?」


 胃液がぐうっと食道を上ってくる感覚が分かる。吐いてしまった方がきっと楽だ。けれどそれができず、喉が焼け付くように熱い。肩で大きく呼吸をしながら、収まるのをひたすらに耐えて待った。身体はとても冷えていて寒さを感じるくらいなのに、脂汗がふつふつと額に浮かぶ。肌に張り付く衣の感触がやけに気持ち悪かった。何度も息を吸うのに、ずっと酸欠状態のような、そんな感覚だ。

 宮が心配してしまう、何もないと言わなければ。そう思うのだけれど、眩暈がして立てない。上半身が倒れ込まないように両手をついて身体を支えることが、今の私にはやっとだ。


「今すぐに薬師を呼びます」


 人を呼ぼうと立ち上がった宮の衣を、咄嗟にぎゅっと引いた。私の手はかすかに震えていたが、宮がそれに気付いているかは分からない。未だ喉が押し広げられそうな感覚と戦いながら、なんとか首を振る。


「大丈夫、大丈夫ですから」

「何を言っているのですか、そのような状態で! 病であれば薬師を呼ばなくては」

「いいえ、このような夜半に、大事にしたくはありません、少し…気分が、悪くなっただけ、です」

「しかし!」

「このところ、夢見が悪く、あまり眠れていなかったものですから……そのせいですわ。宮様、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」


 少し落ち着いてはきたものの、まだ胸はむかむかとしている。混乱と衝撃に乱れた私の精神状態が、この身体をおかしくさせているのは明白だった。普段ならこうも顕著に表れなかったのかもしれないが、続く不眠に身体が弱っていることと、とても疲れていたことがよくなかったのだろう。

 とにかく、人を呼ぶなどしてほしくはない。宮が私を心配してくれているのは勿論分かっている。分かっているが、左大臣家の者達はみな寝静まっているだろうし、誰もが私達の結婚を祝福し喜んでいる中で、水を差すようなことは嫌だった。父や母の悲しむ顔を、もう見たくはないのだ。あんなに嬉しそうにしてくれていたのに。


「お願いいたします、宮様、どうか」

「黙って」


 突然、ふわ、と身体が浮いた。

 私の身体を支えているのは、彼の二本の腕だった。衣の上からは着やせしているように見えるのに、宮の腕も胸も、随分と逞しく感じられた。私の目線のすぐ上に彼のきれいな横顔がある。

 これは、もしや、お姫様抱っこ、というやつでは……


「みっ、宮様?」

「静かに」


 御帳台へ戻り、そっと私の身体を下ろすと、宮はどこか憮然とした表情で言った。


(ひさし)よりはこちらの方がいいでしょう。しかし、これ以上悪くなるようでしたら、次こそは人を呼びますよ」

「宮様……ありがとうございます。もう、大丈夫です。こうして臥せていれば随分楽ですから」

「本当に?」

「はい」


 吐き気は収まっていた。気分はまだ悪いものの、私は宮に微笑んでみた。私のお願いを聞いてくれた彼に、感謝の意味も込めてそうしたのだが、「このような時に、可愛らしいお顔などしないで下さい」とだけ返ってきた。その後に、「怒れなくなってしまったではありませんか」と困ったような声。

 額に浮かんだ汗を、宮が何か布のようなものでそっと拭ってくれる。


 ただ私を気遣うだけの視線に安堵した。宮は先ほど、「誰かと話していたのか」とは問わなかった。あの天狗との会話はきっと聞かれていない。


「息が止まるかと思いました。隣で休んでいたはずの貴女の姿はなく、廂でうずくまっているのですから。何事かと」

「ご心配を、おかけしました……夜風に当たれば、よくなるかと思ったのです」

「私を起こしてくれれば良かったのに」

「そのようなこと、できませんわ。……結局、こうしてご迷惑をおかけしてしまいましたが」

「ねえ、姫」


 横になったままの私の頭を、宮の大きな手が撫でる。彼は柔らかい笑みを浮かべて、首を振った。


「私達は夫婦でしょう? そのように遠慮などしないで。私は貴女にならいくらでも頼って欲しいし、それを迷惑と思うはずもありません。可愛い妻の頼みごとをきける喜びが増えるだけです」

「宮様……」

「それに、朝の約束をすっかり忘れていますね?」

「約束?……あ」

「思い出しました?」

「……はい」


 他人行儀な話し方はしない。


 今朝、二人で約束したばかりなのに、つい癖で、うっかりいつも通りに話していた。宮はずっと気になっていたに違いない。彼は距離を縮めようとしてくれているのに、肝心の私がこうなのだから。


「申し訳……す、すみません」

「徐々にでいいとは言いましたが、忘れてはだめですよ」

「はい……」

「喉は乾いていませんか? 気分が優れぬなら、女房の一人に、白湯か何かを持ってきてもらいましょうか」

「いいえ。でも、一つだけ……その、お願いしてもよろし……いえ、よいでしょうか」

「姫の頼みなら、なんなりと」


 にっこりと、宮がきれいに笑った。この言葉に、彼に甘えてもいいだろうか。

 宮の顔を見つめながら、私は彼の手に指をかけた。冷たく冷えた私の指に、温もりがじんわりと伝わってくる。宮の手はとても温かい。


「……手を、こうして、握っていてくれませんか。宮様が傍にいると、安心できるのです」

「姫……ええ、分かりました。このようなことでいいのならば、いくらでも。毎晩、姫の手をこうして握り、臥せますよ」


 毎晩、か……それはちょっと恥ずかしいかも。

 というか、今だってとても恥ずかしくはある。でも、宮と触れ合っていれば、先ほどの天狗の話も、三の君の夢のことも、何も考えずに宮だけを感じていられる気がした。彼の文を読んでいる時からそうだった。宮は、私の不安を消してくれるかけがえのない存在だ。

 指に少しだけ力を込めると、宮も握り返してくれる。それがとても嬉しくて、私は彼の指に自分のものを絡めた。


「宮様、先ほど私が人を呼ばぬようお願いしたのは、邸の者に心配をかけたくないと思ったことは勿論ですが、もう一つ理由があるのです」

「はい」

「私が病に臥せたとなれば、この結婚自体が無くなってしまうかもしれないと……私は、それが怖かったのです」


 通い婚は三日目を迎えて初めて正式に成り立つ。今はまだ二日目で、あと一日が残っている。途中で中断してしまえば、私は宮の妻にはなれない。また日を改めて、ということもできるのだろうが、一刻も早く彼と一緒になりたかった。


 『このままでは歪みに呑まれる』――そう言った天狗の話から思うに、多分、私に残された時間はそう多くはないのだろう。三の君をこの身体に戻しても、戻せなくても、私はこの世界から消えてしまう運命なのだと、彼は言った。

 宮についた嘘が、こうして現実になるだなんて思いもしなかった。怖くないはずがない。どちらに進んでも、宮との別れは避けられない。

 それならば、一分一秒でも長く、この人の傍に、この人の妻としていたい。


「明日を迎え、三日夜餅をいただいた後は、貴女は私の妻です」

「……はい」

「明日など待たず、そうできればよかったのですが」


 宮も同じことを思ってくれていると思うと、どうしようもなく嬉しかった。


 こんな夜に一人じゃなくて良かった。恐怖と不安に押しつぶされず、今私がこうしていられるのは、きっと、宮がこの手を繋いでいてくれるからだ。

 そうじゃなければ、この先のことを思い、泣いて途方に暮れていたかもしれない。


「ここにいますから、大丈夫。次はきっといい夢が見られます。さあ、目を閉じて」


 言われるがまま、私は瞼を下ろした。

 私の冷たい手は、いつの間にか彼のものと同じ温かさになっていた。

お待たせしました。

更新ですm(_ _)m


執筆当初はラブ甘が書きたかったのですが、どうしてもどうしても切な路線が避けられませんでした...

こちらは前篇となりますが、甘々は後半まで持ち越しになりそうです(^^;)

一先ず前篇完結を目指して頑張ります。内容的には、しばらく切なめが続きます。

シリアス苦手な方はごめんなさい、引き続きお付き合いいただけますと嬉しいです。


本日もありがとうございました。

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