少年の最後の日常
騒ぎを聞いて駆けつけてくれた義母さんとピグマおじさんに事情を説明し、今日はもう眠る事にした。傷は義母さんが完璧に治してくれけど……足取りは覚束ない。
自分が強くないという現実を、心と体にあれ程叩き込まれたら……流石に精神的に来てしまう物がある。あの男を殺す為には、今程度の強さでは駄目だ。義母さんに吐いた嘘、修行に行くって言うのもあながち間違いじゃないかもしれないな……
「お義兄ちゃん、大丈夫ですか……?」
「ああ、何とかね……」
部屋の前でレーヴェが不安そうに俺を待っていた。安心させるように頭をポンポンと叩き、部屋の扉を開く。寝巻に着替えて寝ようと思っていたんだけど……俺達を出迎えたのは、荒れた部屋だった。飛び散った窓ガラス、中身がはみ出た枕に俺が叩き付けられて割れた壁、床の絨毯が抉れた跡。
そういえば、俺の部屋で戦ってたんだからこうなってるよね……絨毯やベッドは従者に言えば直ぐに取り換えてくれるだろうけど、窓を今日中にどうにかするのは難しいだろうな……
「これじゃ、俺の部屋で寝るのは無理だ……適当な客室で眠れば良いか」
「えっ、だったら近いですしワタシの部屋で寝ましょうよ?」
「お前がそれで良いなら、俺も別に良いけど……」
ギルドとかで俺達と似たような年齢の兄妹を見かけるが、大抵はとても仲が悪そうだった。仲の良さそうな兄妹もいたけど、頭を撫でたり抱き着いたりしていなかったし……やっぱり、俺達が変わっているんだろうね。獣人はスキンシップに抵抗が少ないとはいえ……義母さんの言う通り、レーヴェは俺に甘え過ぎなんだろうか……?
「ちょっとだけ、お部屋を片付けてきます! 部屋の前で待っててくださいね?」
「ああ、分かったよ」
最後にレーヴェと一緒に寝たのはいつだろうか? ギルドで依頼を受け始める前だから、1年程前だよね……親父を殺そうと決意した日から、自分への怒りで満足に眠れた事は無かった。寝ては起きてを繰り返す……そんな姿を見られたくなくて、レーヴェと寝ないようにしてきたんだ。
でも、今日だけは一緒に寝よう。多分だけど、俺は暫く義母さんとレーヴェに会えない。そんな気がするんだ……だから今日だけは、レーヴェと一緒に寝ようと思う。
「お待たせしました、お義兄ちゃん!」
レーヴェに案内され、部屋の中に通される。内装は俺の部屋より少し家具が多いくらいで、後は俺の部屋と変わりない。
本当は寝巻に着替えたいけど……今更、服を取りに行く元気もない。レーヴェには申しわけ無いけど、このままの服装で寝かせてもらおうかな。
「はい、お義兄ちゃん。着替え、用意しておきましたよ」
「ん、ああ、ありがと……うん?」
レーヴェから俺の寝巻を手渡され、着替えようと見た所で違和感に気付く。この寝巻、確か数週間程前に無くした筈……それがレーヴェから手渡された。ここから考えられる事は……
「レーヴェ、また俺の洋服を盗んでいたのか……」
「……ううっ、ごめんなさい」
しょんぼりとした表情で、獣耳を垂れさせて落ち込むレーヴェ。別に寝巻の1つや2つ盗まれた所で怒りはしないんだが……義母さんは怒るけど、俺はあんまり気にしない。鎧や特殊な魔法を付与された衣服ならともかく、生きる為の衣服に拘るのは面倒だ。
「どうせ他にも隠してるんだろ? 義母さんにバレないようにしろよ」
「……! はいっ!」
と言っても、数日後には清掃担当の従者に見つかって、義母さんに怒られるのが日常なんだけど。でも……その日常の中に、俺はもう居なくなってしまう……いや、居なくなった方が良いんだ。義母さんとレーヴェが望む者を殺そうとしてる俺なんて……
くだらない自己嫌悪を鼻で笑い、俯くレーヴェの頭を宥めるように一定のリズムでポンポンと叩いてやる。ベッドから立ち上がって指を鳴らすと、影が伸びて俺の体の周囲を包んだ。そのままレーヴェが渡してくれた寝巻に着替えていく。
「あっ、脱いだ瞬間に良い匂いが……!」
脱いだ服は魔力で異空間への収納を作り出して仕舞っておく。流石にこの服をレーヴェに渡す事は出来ないからね。動きやすく普通の服に見えるようで、魔法も物理攻撃も軽減してくれる優れものだ。
義母さんとピグマおじさんがギルドへ入ったお祝いにくれた大切な服……これだけは、何があっても手放せない。
「それじゃあ、寝ようか」
「はい……!」
レーヴェのベッドに横たわり、腕を伸ばしておく。レーヴェがベッドに入ってきて、俺の腕を枕にして向き合いながら横たわった。お互いに微笑みながら見つめ合っていると、レーヴェの手が背中に回される。
やっぱり、レーヴェが横に居ると……凄い落ち着く。中々眠れない姿を見せるんじゃないかって不安になってたけど、いざ一緒に寝てみると安心出来る。今日は久しぶりにゆっくりと眠れそうだ……
「…………すぴー」
レーヴェの事を見つめていると瞼が段々と閉じていき、可愛い寝息を立て始めた。安心したように顔を綻ばせ、抱きしめる力が少しだけ強くなっている。
多分、俺が離れないよう無意識的に力を込めているんだろうね。俺と一緒に寝ると、レーヴェはいつも先に寝るんだ……こんな日でも、コイツは全く変わらない。
「ん……んぅ……」
「くぁ……」
こんな風に隣で気持ち良く眠られると、さっきの戦いの疲れもあって瞼が重たくなってきた。流石にもうこの微睡に従ってしまっても良いだろう。
明日からの事に、勿論沢山の不安が残っている……今は眠れたとしても、やっぱり寝付けなくなって起きてしまうかもしれない。でも、胸の中に暖かい気持ちが満ちている今くらい……考える事を止めて、ただ眠りたい。
「おやすみ、レーヴェ……」
「おや、すみ……な、さ……い」
寝言なのか分からない返事に、再び口元が緩んでいく。空いている手でレーヴェの頭を優しく撫で、その手をレーヴェの背中に回す。そのまま体の力を抜き、瞼の重さに従って目を閉じる。
…………日常は、これで終わりだ。明日からの俺の生活にいつも通りが消えて行く。だから、この最後の日常だけは……思い出として胸に刻み込んでおこう。大切な大切な……思い出として。