◇一方そのころ、共謀者は
「……どうした……?我が愛しい息子よ……」
地響きのような、声というより音に近い言葉が鼓膜を揺らす。
湿気の多い空気が人の不快を煽る。人の世では見られない奇妙な植物や鉱物がそこかしこに張り付く洞穴のような場所。
ぽっかりと口を開く闇の奥。闇に慣れない瞳では、ただそこに紫の瞳が二つ、愉しげに細められるのが辛うじてわかるのみ。
あまり、良くない。
ここに来ると、力が異様に膨らむ感覚がある。単に魔力と区切ってしまっても良いものか疑問に思う程の、禍々しい力だ。これをそのままにしていては、そのうち人間としての理性や思考が呑み込まれるだろう。
魔力が上がることは肯定的に受け止められるが、それによって意思が奪われることは何をもっても避けたいことだった。
しかし、そんな不都合をおしてでもここに来たのは、これから自分が望む力がここでしか得られないからだった。
「……どうした……望みを告げよ……ハールダラ」
「……私の名は、ハルド・ロードラーザです」
紫の瞳がさらにおかしげに歪められる。眩むような反響音が、次第に収束し、低い一つの声になっていく。
「くく……残念なものよの、我が子に拒絶されるということは。誰に教わることもなく、己が力のみで私を探し当てた時は、あまりの喜びに共に人間界を支配してやろうとまで思ったというのに」
「そういったことは、貴方がただけでどうぞ。私は関知致しませんので」
「くはははは!」
しまいには声を上げて笑い出した父と名乗るものは、少し目の慣れ始めた灰色の世界の中でぱちり、と指を弾いた。
次々に明かりが灯る。ランプの他に、壁際に控える魔物までも燃やされていく。途端に上がる断末魔。
悪趣味さに眉をひそめ、それらには大量の砂をかけて消火した。助かったものもいたようだが、かなりの魔物が炭になっている。
周りの様子が視認できるようになった後、再び前に視線を戻す。
漆黒の玉座にゆったりと腰掛け、強大な魔力を垂れ流す美貌の魔族……典型的な魔王がそこにいた。
異形ではなく美しい男であるのは乙女ゲームの世界だからか、それとも関係はないのか。この世界とゲームの関係が未だ分かっていないため定かではない。
長い黒髪に紫の瞳、青白い頬に余裕そうに微笑む表情まで、魔王と聞いて思いつくままの姿である。しかし、たとえ容貌が想像の範囲内であったとしても、実際に相対すればその威圧感は計り知れない。
「なんだ、お前は心の優しい子だな。巻き込まれてしまったものまで救ってやるとは」
いかにも偶然を装ってはいるが、間違いなくわざと燃やしたのだろう。恐らくそこに、悪意も敵意もない。つくづく悪趣味な生き物だ。
「……肉の焦げる匂いが不快でしたので」
魔王は徐に足を組み替える。
その瞳に促され、ようやく本題を口に出す。
「私に、心に干渉できる魔法を教えてください」
魔王は口の端を上げた。
「……既に使えるのではなかったか?」
「私が望むものが、その程度のものではないとご存知でしょう」
心に干渉できる魔法。シルカの使うような魅了などがその類のものだ。しかし、その効果は魔法が解けてしまっては戻る類のものである。
自分が欲しているものは、例えば一度消して仕舞えば二度と同じ心が芽生えることのない類のものである。
「そこまでするほどのことなのか?」
低く笑う魔王には、誰にどう使うかは分かっているのだろう。
「ええ。魔法を悪用する者も、命を軽視する者も消えていただきたいもので」
「勝手なことを。そう言うお前が、今から悪用して命を危険に晒そうというのに。それは許すのか」
「当たり前でしょう?自分を許さないなんて不毛で面倒なことはしない主義です」
開き直ると、また笑い声が上がった。この魔王、実に良く笑う。
「では、次代の魔王になれ」
「嫌です」
「くくっ、対価なしに願いを叶えよと私に言えるのはお前くらいのものだな」
「……それでは、お互いに条件が合わなかったということで、私は別の手段を探します」
「ふ、良い。叶えてやろう、他でもないお前の願いだ。代わりにひとつだけ質問に答えよ」
何を聞かれるかは知らないが、魔王になれと言われるよりはずっといい。踵を返しかけた足を再び魔王に向けた。
「心に干渉したいというのには、『記憶』は含まれるか?」
「……」
脳裏に、弱々しく笑う彼女の顔が浮かんだ。
出来ることなら。きっと、以前の記憶は消してしまった方が良いのかもしれない。幸せを飽食し、平和を貪ったあの記憶は、今の彼女が思い返すには苦痛なのかもしれない。
けれど、ただ気づいていないだけだとも思う。
過去は無理でも、現在は変えられることに。
ゲームではないこの世界に、未来があることに。
いつか、もう戻れない幸せなあの生活を、笑って思い返せる日が来るかもしれない。
少なくとも、自分の勝手な価値観では、『無い』より『有る』方がずっといい気がした。
「……いいえ」
その返事を聞いて頷いた魔王の瞳が赤く光り、
あとは、ずっと、闇だけが広がった。
―――
「……我が王。少し、御子息を甘やかしすぎでは?従うわけでもない者に、あまり力を持たせるのも考えものかと」
「くっ、良いではないか。自分の欲に忠実なあの姿、私の炎を瞬きのうちに消し去るあの魔力、豪胆さ……人にしておくには勿体無いとは思わんか?そのうち、父を倒しに来るやもしれんな……くく、実に楽しみだ」
心底楽しげに笑う王に、「親馬鹿」という単語が浮かんだが、優秀な臣下は賢明にも口に出さずにおいたのだった。
―――
彼の姉が『ハルド・ロードラーザ』びいきで良かった、とつくづく思う。
偶然にしては出来過ぎる程ゲームと酷似していたこの世界。案の定、出生の秘密までゲーム通りだった。
そもそも拾われ子で両親に似ず強大な魔力持ち、事情が無いわけがない。方々を旅し魔力を試しがてら情報を集め、遂に魔王の棲む次元に乗り込むことに成功したのだった。
本来、シルカと仲を深め魔力の暴走が起こってから初めてわかる事実だったのだが、魔力の暴走を起こすのは不本意なので事前に確かめてみたのだ。いや、というよりも、彼の姉が言っていたゲームとこの世界の共通性を確かめる、という意味の方が強かったかもしれない。
その姉はとても虚栄心が強く、自己をよく見せるために努力を怠らないタイプ……有り体に言えば、「見栄っ張り」だった。そのため彼女は自分の二次元趣味を友人にも話すことはなく、その反動が全て弟の俺に降りかかってきた。
やれ○○を攻略しただの、△△のイベントに行くから付き合えだの、友人紹介特典のためにアプリを入れさせられたり、なまじ手先が器用だったためにキャラクターを描かされたりもした。猫の剥げた姉は横暴で自由だったのだ。
この乙女ゲームは俺の知る限り最後に姉がハマったゲームで、耳にタコができてもおかしくないほどしつこくそのエピソードを聞かされてうんざりさせられたものだった。他のRPGや漫画にハマった時はまだましだったが、欠片の興味もない乙女ゲームの話を聞かされるこちらの身にもなって欲しい……。
そこまで考えて、はっと我に返った。
まずい。あの魔王の住処の瘴気のようなものに中てられたのか、意識が混濁している。あれは彼の記憶だ。自分の記憶ではない。
呑まれては、いけない。軽く呼吸を繰り返し、目を閉じる。
学園を離れて暫く経つ。もうすぐ大会も始まるだろう。
目を開けて、私は学園に戻るべく、転移魔法を練り上げた。




