幼馴染み登場
「ふわぁ~~~……。やっぱりまだ眠い……」
一夜明けた昼休み。
斎司郎は四階にある一年生の教室から一階の購買部へ向かって階段をとぼとぼと下りているところだった。いつもは朝食の残りでお弁当を作ってくるのだが、今朝は九十九神が炊いたご飯をすべて食べ尽くしてしまったので作れなかったのだ。
「そろそろ購買も空いてくるころかな?」
斎司郎の通う高校はしがない公立校だったので学食などという贅沢な施設は当然のごとく設置されてはいなかった。徒歩で二十分以上は離れた駅前まで戻ればコンビニなどもあったのだが学校の近くには食べものを売っているお店もなかったので、必然的にお昼休みの購買でのパンの争奪戦は熾烈を極めていた。
小柄な身体つきで力負けもするしそれほど食べることには執着も少なかった斎司郎ははなから人気のあるパンの争奪戦への参戦は放棄して、空いてきた頃合を見計らって売れ残りのパンを買うつもりだった。
「やりぃ~♪ これで今月は今んとこ負け知らずだねっ!?」
「あっ……!?」
「おっと!?」
階段の踊り場を曲がろうとして下から鼻歌交じりのご機嫌で駆け上がってきた誰かとばったり鉢合わせしそうになった。霊能者ながら、斎司郎は気配に勘づくのが苦手というかその手の能力にはまったく欠けていたからだ。
「なぁ~んだ、しろじゃないの。昼休みだってのにどこいくの?」
階段を駆け上がってきたのは斎司郎の幼馴染み、千厩照陽だった。
「あぁ、まーやか。それがさ、今日ちょっとお弁当作れなくてさ……」
「ふ~ん、それでこれから購買ってわけ?」
たぶん中身はパンなのだろう、ぱんぱんに膨らんだレジ袋を片手に持ったまま腕組みした照陽は斎司郎を見下ろしていた。九十九神ほどではないがかなり背の高い照陽はおそらく身長が180センチを軽く超えている。そのため踊り場に立っている斎司郎より階段の二、三段下に立っていても小柄な斎司郎を若干見下ろすような格好になっていた。
色黒というほどではないが健康的に日焼けした小麦色の肌に、黒目がちな大きな瞳と気の強そうなやや太めの眉。
髪形がちょっと変わっていて艶やかな長い黒髪をトリプルテールとでもいうのか、ツーサイドアップとポニーテールを組み合わせたようなスタイルに結っている。そのポニーテールを高校生にしては子供っぽく見えるよく小学生がしているようなプラスチックの玉飾りがついた黒いゴムで結っていた。
「今からいっても、もうろくなパン残ってないわよ?」
「ぼくは別に人気のあるパン狙ってないからさ。口に入ればそれでいいよ」
「口に入ればってねぇ……。しろ、時代劇で飢饉にあったお百姓さんじゃないんだからさぁ……」
呆れたようにため息を吐くと照陽は手にしていたレジ袋に手を突っこんでがさごそやっていたかと思うと、中からパンをつかみ出してそれを斎司郎のほうへ放り投げてきた。
「それ、あげるわよ」
「えっ? いいの……?」
「今日は調子に乗ってちょっと買い過ぎちゃったからさ。まぁ、気にしないでよ」
「えっと……。ありがとう……」
「じゃあね!」
照陽はレジ袋を持っていないほうの手をひらひらと振りながら階段を三段飛ばしでもの凄い勢いで駆け上がっていってしまった。
「あれっ、このパンは……!?」
照陽が投げ渡してくれたパンをよく見てみるとそれはカツサンドだった。確か毎日限定で十食しか入荷せず先着でお一人様一個限りの極めて入手困難なパンのはずだった。
「カツサンドってまーやの大好物だったと思ったけど……? 今日は体調でも悪くて食欲がなかったのかな?」
体調が悪くて食欲がない人間がレジ袋がぱんぱんになるくらいパンを買うわけがないのに斎司郎はまったくそのことには気づいてはいなかった。
「それにしても、せっかく貰ったんだけどカツなんか食べたらぼく胸焼け起こしそうだな……」
そして、購買部での熾烈な争奪戦を勝ち抜いてまで手に入れた一番の好物を譲ってくれた照陽の気持ちにも、へたれが服を着て歩いているような斎司郎はさっぱり気づいていなかった。
「九十九神さまのあの食欲だとやっぱり食材を買って帰ったほうがよさそうだね……?」
放課後。
ホームルームの後、掃除当番を終えて昇降口へ向かいながら斎司郎は帰りがけにスーパーへ寄ろうかどうか考えこんでいた。
「あっ、しろ。今、帰りなの?」
「うん。まーやはこれから部活なの?」
廊下でばったり出くわした照陽は半袖体操服姿だった。ブルマからすらりと長く伸びたかもしかのように引き締まった脚が眩しい。部活のときは後ろ髪を一本の太い三つ編みに編んでそれをぐるっと後頭部に円形に巻いてバレッタで留めた髪形に変えていた。
中学のときからその辺のしがない公立ながら私立の強豪校を散々苦しめてきた照陽は一年生ながらすでに女子バレー部のレギュラーの座を占めていた。
「しろも一度しかない高校生活なんだからふらふら帰宅部なんかやってないでなにか部活くらい入ったほうがいいんじゃないの? うちのマネージャーなら席、空いてるわよ?」
「う~ん……。ぼくは神社の手伝いがあるから部活をやる余裕はちょっと……」
「まぁ、しろんとこの神社は人手がないからしろが全部雑用やらなくちゃならないのはわかるんだけどねぇ……」
やれやれとでもいいた気に照陽はため息意を吐いた。
「あっ、そうそう。お昼はパンをありがとう。助かったよ」
「ああ、いいっていいって。それより、たまにはあたしにもお弁当作ってきてよ?」
「一人分作るのも二人分作るのも手間はたいして変わらないからかまわないけど、まーやってぼくの作るものあんまり好みじゃないでしょ? いつも『年寄りくさい!』とか『肉が入ってなぁ~いっ!!』って怒られてばかりだし……」
「あ~、そ、それは……。ほら、あたしって身体動かすからお腹減って食べ過ぎ気味でしょ? だから、しろの作る爺くさい料理もたまにはダイエットにいいかなぁと思って……」
「ダイエット?」
斎司郎はまじまじと目の前の照陽の身体を上から下まで眺め回してしまった。体操服とブルマからすらりと伸びた軽く小麦色に日焼けした手脚は筋肉でがちがちというほどではなかったが引き締まっていて、むだな脂肪はどこにも見当たらなかった。
「―――ちょっ……。し、しろ、人の身体じろじろと見ないでよっ!?」
「あ、ごめん……」
無遠慮な視線に照陽は顔を薄っすらと赤らめ胸を隠すように両腕をクロスしてもじもじしてしまっていた。
(ん―――? なにがそんなに恥ずかしいんだろう……? 子供のころはいっしょにお風呂に入ったりビニールプールで水遊びした仲なのに……)
逆に斎司郎のほうは自分に見られたくらいでどうして照陽がそんなに恥ずかしそうにするのかまったく理解できていなかった。
それに背は高いし性格は男勝りでさばさばしているしなにより着ているものが体操服のTシャツ一枚だというのに波一つたたない穏やかな水面のようになだらかで膨らみがまったくわからない胸といい、初心で女性が苦手だった斎司郎にとって照陽はあまり女の娘だということを意識せずにつき合える数少ない異性だった。
「もう、いいっ! 部活に遅れるから、あたしいくね?」
なんで怒っているのかが今一理解できずにきょとんとした顔をしている斎司郎に痺れを切らし、照陽は肩を怒らせ大股にずんずんと体育館へ続く廊下の方へ歩き去ってしまった。
「最近、なんかまーやって怒りっぽいよね……? カルシウム不足なのかな? 今度、小魚の佃煮でも作って持っていってあげようかな……?」
そんな理由で佃煮なんて持っていったら余計に怒らせるだけだということを斎司郎はまったくわかってはいなかった。