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鋼鐵の女豹  作者: 月野原行弥
第一章
10/28

70年の空白

「ただいま~」

 拝殿の前の賽銭箱の前でご祭神に拍手を打ってから境内の外れの自宅へ戻った。

 ひぃ~ふぅ~と喘ぎながら両手に提げたぱんぱんに膨らんだスーパーのレジ袋を上がり框に下ろす。

 スーパーへいったついでに米屋でお米と酒屋でビールと日本酒、それに九十九神が好きかもと思ってワインの配達も頼んでおいた。ワインの銘柄なんかてんでわからなかった斎司郎は安くてお勧めだというのを適当に選んだだけだったのだが。それに、その辺りの商店街の酒屋にそんなに高級なワインなんて置いてあるはずもなかったことだし。

Willkommen(おかえ) wieder(りな) dahaeim(さい)!」

 斎司郎が家の中に声をかけると板張りの廊下にみしみしと踏み抜きそうな足音を立てながら九十九神が姿を顕した。

「あれっ? 九十九神さま、その格好は……?」

「はい。暇でしたので境内の掃除でもしようとしたところ神社で働くならこの服を着るのが決まりだということでしたので」

 九十九神がその身を包んでいたのは白い小袖と緋袴という巫女さんの格好だった。

「へぇ~。意外に金髪でも巫女服って似合うもんなんですね?」

 相手が普通の女性だったら服が似合うとかそういった褒め言葉は間違っても斎司郎の口からは聞けない台詞だった。しかし、相手が人外の九十九神ということもあってそんなことは気にもしないだろうと油断していた斎司郎はなんの気もなしに思った通りのことを口にしてしまっていた。

「―――なっ……!? ……に、荷物をお運びいたします!」

 斎司郎の言葉を聞いて最初は目を円くしていた九十九神はやがて金魚のように口をぱくぱくし始めた。そして助けを求めるかのようにきょろきょろと辺りを見回すと目についたスーパーのレジ袋を斎司郎から引ったくるように奪い取って廊下の奥へ急ぎ足で立ち去ろうとした。

「あっ……。九十九神さま、それ重いですよ!?」

「問題ありません。わたしは700馬力あるのです。力持ちなのです」

 だが、勢いこんで踏みつけた九十九神の足はいともあっさりと板敷きの廊下を踏み破っていた。

「―――――ぷぎゃっ……!?」

「―――だ、だいじょうですかっ!?」

 斎司郎は履いていた靴を慌てて脱ぎ捨てると、足を取られてつんのめり思いっきり鼻面を廊下に打ちつけていた九十九神を助け起こした。

「―――面目ありません……」

「気にしないでください。この家、古いからあちこち痛んでるんですよ……」

 どうやら体重を気にしているふしがある九十九神のことをおもんばかって斎司郎は廊下が抜けたのは家が古いせいにした。

「それより、今日の晩ご飯は多目に作りますからたくさん食べてくださいね?」

「申し訳ありません……。わたしのMybacha(マイバッハ)のV十二気筒エンジンは馬力はあるのですが、大飯喰らいで燃費が悪いのが欠点なのです……」

 結局、スーパーのレジ袋はこれ以上廊下を踏み抜かないようゆっくりそぉ~っと歩く九十九神と二人で台所まで手分けして運んだ。

 その中身を冷蔵庫へ移しながらなに気なく夕食の話をすると、九十九神はみるみるしょぼんと項垂れてしまった。なにか戦車だったときにトラウマでもあるのか大喰いであることに触れられると九十九神は見ているのが気の毒なくらい元気をなくしてしまう。

「それはそうと、九十九神さまはぼくの作ったものなんてお口に合いますか? ぼくの幼馴染みにいわせると、爺くさいだのもっと肉喰わせろだのいつもこき下ろされちゃうんですけどね……」

「いえ。どれもガソリン以外には初めて口にするものばかりでしたがとても美味しかったです。少尉殿たちもあんなに美味しいものを食べていたのかなと……」

(ドイツ軍の兵隊さんならご飯とみそ汁じゃなくてパンとかハム食べてたんだろうけど……)

 洋食や肉を使った料理はあまり得意ではなかったのだが九十九神のためにレシピ本かネットのレシピサイトでちょっとそういった料理も勉強してみようかなと思ったりもした。

「ところで祖父さまの姿が見えないんですが、どこにいるのか九十九神さまはご存知ですか?」

「宮司殿なら、お部屋でお休みではないかと……」

 斎之進のどこにいるのかを訊かれた九十九神がついっと目を逸らしたことに冷蔵庫に首を突っこんでいた斎司郎は気がつかなかった。

「それじゃぼくはちょっと祖父さまの部屋へいってきますから、九十九神さまは夕食の用事ができるまで部屋で休んでいてください」

「―――そ、そうですか……。わかりました……」

 妙にそそくさとした足取りで九十九神が台所から出ていってしまったので斎司郎は小首を傾げていたが、やがて「まぁ、いいか」と気を取りなおして斎之進の部屋へと向かった。

「祖父さま、中に居るんですか? 入りますよ?」

 廊下から声をかけてから襖に手をかけた。

「祖父さま? ―――――っ……!?」

 襖を開けた斎司郎の目に入ってきたのは、嵐が過ぎ去った後のような無残な部屋の光景だった。茶箪笥も文机も床の間の掛け軸と壺も、なにもかもが原形を止めずばらばらに砕け散ってしまっている。その部屋の真ん中で瓦礫の山に埋もれている斎之進。

 一瞬、今度こそいくらしぶとい斎之進でも息はないかと思ったのだが、「―――む、無念じゃ……」と小声でうめいているのが聞こえたのでどうやらまだ三途の川は渡ってはいなかったようだ。

「祖父さま、いったい九十九神さまになにをしでかそうとしたんだよ……?」

 斎司郎のこめかみにいやな汗がたらりと滴った。



 茶の間のちゃぶ台に斎司郎の作った夕食のお皿が並んでいた。

 まぐろのアラと大根の煮物、揚げ出汁豆腐。基本的にあっさりしたものしか作らない斎司郎にしてはこれでも目いっぱいがっつりした献立のつもりだった。

「これから桜えびとほたてのかき揚げを揚げますから九十九神さまはどうぞ先に召し上がっていてください」

 天ぷらは斎司郎が作る料理の中では一番脂っこいメニューだ。

 九十九神に山盛りの丼飯と斎之進にお茶碗によそったご飯を給仕してから、栓を抜いたビールをまとめて四、五本茶の間に運ぶ。

「それでは、お言葉に甘えて」

 斎司郎が忙しく夕食の支度をしている間おとなしくちゃぶ台の前に座っていた九十九神だったが、その間にもお腹がぐぅ~ぐぅ~と盛大に音を立てていた。斎司郎に先に食べ始めるよう勧められると我慢できなくなったのかさっそく箸をつけ始めた。

 斎司郎が揚げたてのかき揚げを大皿に溢れんばかりに盛りつけて茶の間へ運んできたときには、もうすでに九十九神の丼は空っぽになってしまっていた。

「九十九神さま、ご飯のお代わりはいかがですか?」

「ありがとうございます。それでは、いただきます……」

 小袖と袴の上に着けていたエプロンを脱ぎながら自分もちゃぶ台の前に座りお代わりがいらないか訊いてみると、おすおずと丼を差し出してきた。お腹は空いているようでまだまだ食べられそうだが、どうも遠慮しているようで自分からはお代わりの催促を躊躇(ためら)っているように見受けられる。

「どうぞ、九十九神さま」

 斎司郎が丼にご飯をよそっている間に、九十九神はビール瓶をつかんでラッパ呑みで瞬く間に一本呑み乾してしまった。

「ガソリンと違って食べものは一度作ってしまうとそんなに日持ちがしませんから。だから、残さず食べちゃってくださいね?」

 丼を差しだしながら斎司郎がにっこり笑いかけると、九十九神は箸を口にくわえながら上目遣いになった。

「―――ほ、ほんとうに全部食べてしまってもよいのでしょうか……?」

「はい、そのために作ったんですから」

「嬉しいです。いつも補給が滞っていて、わたしは満タンにしてもらったことがほとんどなかったのです」

 捨て猫がゴミ箱で辺りを警戒するような表情をしていたのが、斎司郎の言葉を聞いて嬉しそうに笑うと丼飯を握り箸でまた猛烈な勢いで掻きこみ始めた。

「そのかき揚げは、天つゆでも岩塩でもお好きなほうをつけて召し上がってくださいね?」

 結局、ご飯のお代わりとビールの追加で斎司郎は夕食を食べる暇がないくらいだった。

「あ~……。満タンになるのがこんなに幸せなことだったとは知らなかったのです」

 相撲部屋が開けるのではと思えるくらいのご飯とおかずをほとんど一人で平らげてしまった九十九神が満足気にお腹を擦っていた。不思議なことに、あれだけ食べたのにお腹はちっとも膨らんでおらず見事なプロポーションは微塵も崩れてはいなかった。

「それじゃ祖父さま、そろそろ九十九神さまにお話しの続きを」

「わかっておるが、その前に酒くらい用意せんかい?」

「そうだね」

 大戦中から九十九神が再び顕現するまでの間に七十年以上の月日が経ってしまっている。ご本社さまから九十九神のことを任されているので、その間に起こった歴史を話さないわけにはいかなかった。だが、それにはドイツ軍の戦車だった九十九神に聞かせるにはかなり酷な内容も含まれている。それは、いくら神経の図太い斎之進でも酒の助けでも借りないとやはり話にくいだろう。

「冷酒でいいかな?」

「それでかまわんぞ」

 斎司郎は台所から一升瓶とコップを持ってくるとそれに日本酒を注いで斎之進の前のちゃぶ台に置いた。酒の肴は夕食のときにいっしょに作っておいたいわしのなめろうだ。

「九十九神さまはワインでもいかがですか?」

「えっ!? ワインがあるのですか?」

 ワインと聞いた九十九神は目を輝かせた。

 斎司郎は冷蔵庫で冷やしておいた白ワインも取りだし栓を開ける。その辺りの酒屋に置いてあるような安ワインだからコルクではなくスクリュー栓でワインなんか開けたことのない斎司郎でも簡単に開けることができた。

「どうぞ」

 九十九神の前のちゃぶ台に置いたコップに白ワインを注ぐ。ワイングラスなんて洒落たものが一百野家にあるはずもなく、ビール会社のロゴ入りの安っぽいコップだった。

「師団長閣下がわたしたちの連隊を視察なされたとき、それまでの戦功がお目に留まって少尉殿はご褒美に閣下秘蔵のワインをちょうだいいたしました。少尉殿はその貴重なワインをわたしの車体にも一杯かけてくださいました」

 コップに注がれたワインを見てなにやら遠い目になった九十九神が感慨深げに呟いている。

「斎司郎、お前も呑まんかい。長い話になりそうじゃしのぅ」

 有無をいわせず、斎司郎の前のちゃぶ台に置いたコップに斎之進が日本酒を注いだ。

「しょうがないなぁ……」

 酒なしではいられないほどの酒好きでもないが、逆に酒が嫌いなわけでもなかった斎司郎は苦笑いしつつ注がれた日本酒を一口啜った。

「さて、それでは九十九神さまが眠っとった間の歴史の流れでも説明しておこうかのぅ」

 日本酒で一口口を湿らしてから斎之進が口を開いた。

「まず、九十九神さまの祖国のドイツじゃが千九百四十五年四月三十日にアドルフ・ヒトラー総統は自殺。ヒトラーの遺言で大統領に就任したカール・デーニッツ海軍元帥の許で連合国との間と降伏交渉が始まり、同年五月七日国防軍最高司令部作戦部長アルフレート・ヨードル上級大将は連合軍最高司令官アイゼンハワー元帥の司令部で降伏文書に署名、翌五月八日国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル元帥が降伏文書を批准、ここにドイツは連合国に無条件降伏することになってしもうた」

「―――ど、ドイツが無条件降伏……?」

「それだけならまだよかったんじゃが、むしろこの後のほうが悲惨でしてのぅ……」

「…………?」

「ソ連が進駐した東欧諸国にはソ連が親ソの共産政権を樹立させたんじゃが、米英仏ソ四カ国によって分割統治されたドイツは米英仏とソ連の対立から千九百四十九年にドイツ連邦共和国、いわゆる西ドイツと、ドイツ民主共和国、いわゆる東ドイツの二つに分割されてしもうた……」

「ロスケめ、なんということを……!!」

「じゃが、安心してくだされ。九十九神さまの憎むソ連なんぞという薄汚い国はもう世界地図のどこにも載ってはおりはせんですからのぅ」

「どういうことです……?」

「千九百八十五年にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフの改革、いわゆるペレストロイカでソ連は西側諸国との関係改善に乗りだしよった。これを受けて東欧諸国では共産党政権が次々と倒れ、ついに千九百八十九年十一月九日、東西対立の象徴ともいえるベルリンの壁が崩壊したんじゃな。翌千九百九十年十月三日、西ドイツが東ドイツを併合しドイツの再統一がなされたんじゃ」

「それを聞いてほっとしましたが、ソ連がなくなったとうのはどういうことなんでしょうか?」

「うむ。ゴルバチョフは大統領ポストを新設し自らそれに就任して改革を推し進めようとしたのじゃが、それに反対する共産党守旧派幹部がゴルバチョフを監禁しクーデターを企ておった。じゃが、党内の改革派や西側主要諸国がこれを支持しなかったのでクーデターは失敗に終わったんじゃな。この失策によってゴルバチョフの権威も失墜し、ゴルバチョフは長きに渉って一党独裁政権を布いてきたソ連共産党の活動を停止せざるを得んようになってしもうた。その後、ゴルバチョフのソ連大統領辞任をもってソビエト連邦は崩壊したんじゃよ」

「わたしたちがふがいなかったばかりに東部戦線でソ連軍を撃滅できず、五十年もの間ドイツが苦しめられていたなんて……」

 九十九神は口惜しそうにちゃぶ台を握った拳で叩いた。

「まぁ、そう気に病まんことじゃ。共産主義じゃの社会主義じゃのと聞こえはいいが、実態は共産党の一部の高官だけが甘い汁を吸っておった腐り切った恐怖政治じゃて。あんな政権が一世紀近く続いっておったことのほうがむしろ驚きじゃよ。今でも共産党が独裁で牛耳っておるどうしようもない国がいくつか残ってはおるが、それも早晩崩壊するのは歴史の必然じゃろうて」

 斎之進は自分のコップの日本酒をくいっと呑み乾し、いつの間にか空になっていた九十九神のコップにワインを注ぎ足した。

「九十九神さまは、これからどうされるおつもりですか?」

 斎之進のコップに日本酒を注ぎながら斎司郎が訊ねた。

「それは、わたしのほうがお聞きしたいくらいです。わたしは、これからいったいどうすればいいのでしょうか?」

「戦争はとうの昔に終わってしもうたし、九十九神さまが敵を討ちたいソ連ももう滅んでしもうた。確かに九十九神さまが戦車じゃったころの存在意義はもうどこにもありはしませんのぅ。じゃったら、これからやりたいことが見つかるまでここで暮らせばよいのではないかのぅ?」

「えっ!? わたしのような役立たずがここにいてもよいのでしょうか……?」

「誰かが誰かやなにかの役にたったかどうかなぞ、死ぬそのときまでわかりはしませんのじゃ。今ここで、自分が役立たずなどと決めつけることはないと思いますがのぅ?」

(う~ん、祖父さま、普段はどうしようもないエロ爺だけどいざとなるといいこというなぁ)

「うっしっしっし! それに、かような別嬪の女子と一つ屋根の下で暮らしておれば、いつなんどき間違えが起こらんとも限らんしのぅ」

(祖父さま、本音が漏れてるよ……。感心して損した……)

 がっくりした斎司郎は両手を畳の上に突いて項垂れてしまった。

 というか、もうすでに自分が学校へいっている間に九十九神さまになにかやらかして半殺しの目に遭ったというのに、それでもめげていない祖父さまの女好きには呆れてものもいえない。

「ありがとうございます。それではお言葉に甘えてわたしをここに置いてください」

 だが、どうやら斎之進の漏らした「間違い」という言葉の意味には気がつかなかったようで九十九神は居住まいを正して頭を下げている。

「つきましては、一つお願いがあるのですが……」

「なんですかな、頼みとは? まぁ、金以外のことなら聞き届けるのもやぶさかではありませんがのぅ?」

「いえ、難しいことではありません。ただ、わたしのことはPanther、パ・ン・テ・ルと呼んではいただけないでしょうか?」

「なんじゃ、そんなことならお安いご用ですわい」

「パンテルさまとお呼びすればいいんですね?」

「できれば、さまづけもやめていただきたいのですが……」

「ですが、九十九神さまを呼び捨てにするのは、ちょっと……」

 呼び捨てにしてほしいというお願いに難色を示した斎司郎を、九十九神、いやパンテルは上目遣いに見上げた。

「わたしはまだ一歳にもなっていないのです。さまづけで呼ばれるとこそばゆいというかむずむずするというか、とにかく落ち着かないのです……」

「えっ、まだ一歳にもなっていないって……!?」

「わたしは千九百四十三年九月にダイムラー・ベンツ社の工場で生産され、千九百四十四年五月の『第二次トゥルグ・フルモス攻防戦』遂行中に撃破されました。つまり八箇月くらいにしかなっていないのです」

「…………!?」

「…………!!」

 斎司郎と斎之進は顔を見合わせた。

「―――わ、わかりました……。それでは、パンテルちゃんという呼びかたではどうでしょうか?」

「はい、そう呼んでもらえると嬉しいのです!」

 年端のいかない子供だったとはいえ、それでも曲がりなりにも神である九十九神を呼び捨てにはしたくなかった斎司郎の妥協案を耳にしてパンテルちゃんは顔を綻ばせた。

「祖父さま、九十九神さま、―――じゃなくてパンテルちゃんになにかしでかしたら色んな意味で犯罪だからね……?」

「う~む……。(ばばあ)の若作りにも困ったもんじゃが幼女が豊満な身体つきというのはもっと始末に負えんもんじゃな……」

 さすがのエロ爺の斎之進もこれでは迂闊に手をだせばあらゆる意味でまずいことになると気づいたようだった。

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