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鋼鐵の女豹  作者: 月野原行弥
第五章
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ドイツの光学機器は世界一!

「今なのです、おにいちゃん!」

「はい!」

 吹き抜けの回廊に身を潜めながら階下を見下ろしていたキューベルちゃんから鋭く指示が飛んだ。それまで物の怪に追われて逃げ回るばかりだった斎司郎はいつでも使えるように指に挟んだままだった護符を風を切って飛ばした。斎司郎の手を離れた護符は物の怪の足許の床に突き刺さると目映いばかりの閃光を放ち始めた。例外もあるとはいえ物の怪の類いは得てして光に弱い。その物の怪も閃光を浴びせられると奇怪な叫び声を上げながら光を避けようとして斎司郎が回りこんだのとは反対側の廊下の角へ逃げこんだ。

「パンテルちゃん、そっちへいきましたよ!」

「了解しました」

(相手は物の怪、なにを躊躇うことがあるのです……?)

 斎司郎の合図に勤めて平静な声で返事をした。しかし、胸が自分の耳に聞こえるかと思えるくらいばくばくしている。まるで泥濘(ぬかるみ)履帯(りたい)を取られ全開でエンジンを吹かしていたときのようだ。このままではオーバーヒートしてしまうかもしれない。

「主砲装填、目標前方の物の怪」

 ごくりと唾を呑みこみ無理にでも気を落ち着けるとこちらへ迫ってくる物の怪に目を凝らした。すると、陽炎のようにゆらゆらした輪郭がぼんやりと姿を顕わしてゆく。物の怪に向けてすっと伸ばした腕と同じ方向にぼんやりしていた輪郭が半透明に透き通っているがはっきりした像を結んだ。7.5cm KwK 42の砲口がぴたりと物の怪を捉えている。

「パンテルおねえちゃん、早く撃つのです!」

 物の怪がぐんぐんと距離を縮めてくるのに、パンテルちゃんは砲口を向けたままぴくりとも動かない。額からだらだらと汗が流れていても、目はかっと見開かれたままだった。回廊から下を見下ろしていたキューベルちゃんが切羽詰まったような声を上げた。

「やっぱり撃てないみたいなのです……」

 キューベルちゃんが急かしてもパンテルちゃんはじっと固まったままだった。

「真正面から向かってこられたら無我夢中で撃てるかと思いまちたが……。しかたありません、九七式おねえちゃん、お願いするのです!」

「―――あ、あの……。―――も、申し訳ありません……。―――せ、背中が、が、がら空きです……」

 こうなることを予想していたのだろう。キューベルちゃんは小さくため息を吐くと次の手に移った。合図を耳にして廊下の途中の扉から九七式ちゃんが姿を顕わした。物の怪はその扉を通り過ぎた後だったので背後から獲物を狙える位置だった。

「―――む、無にお還りください……」

 すでに発射準備を整えていたのだろう。九七式ちゃんの周りには戦車の輪郭がくっきり像を結んでいた。新砲塔チハの一式四十七粍戦車砲は物の怪の背中に狙いを定めた。


 ドゴンっっっっっ!!


 低くくぐもった音を響かせて九七式ちゃんの主砲が物の怪目がけて撃ちだされた。正面のパンテルちゃんに気を取られていた物の怪が背後からの発射音に気づいたときにはもう遅かった。断末魔の叫び声を上げながら物の怪の姿はフェードアウトするかのごとく灯りのない闇の中へ消えていった。

「ふぅ……。冷や冷やしたのです」

「パンテルちゃん、だいじょうぶですか!?」

 物の怪の姿が掻き消えてゆくのを確認してからちょこまかとキューベルちゃんが階下へ降りてきた。それを待たずに斎司郎はパンテルちゃんの許へ駆け寄った。

「申し訳ありません……。主砲の発射準備に手間取ってしまいました……」

「どこか具合が悪いんじゃないですか?」

「そんなことはありません。それに、故障していようとも燃料が乏しかろうとも弾薬が不足していようともわたしは前に進まなくてはならないのです」

 心配そうに伸ばされてきた斎司郎の手から逃れるようにパンテルちゃんは立ち上がった。

「なぜなら、わたしは栄光ある、こ、こ、……」

 そこまで口にしてパンテルちゃんは苦しそうに顔を歪ませた。心配した斎司郎が近寄ろうとするとくるっと背中を向けて顔を隠す。

「国防軍の戦車なのですから!」

「パンテルちゃん……」

 その声に呻吟するような響きを感じて斎司郎はまたパンテルちゃんに近づこうとした。しかし、袖をつかまれ前に進むことができなかった。

「キューベルちゃん……」

「…………」

 振り返るといつもなにか企んでいるようににやにやした顔のキューベルちゃんが真顔で黙ったまま首を横に振っていた。

「でも、どこか体調でも優れないんじゃないかと心配なんですよ。―――あっ、もしかして戦車だったときに受けた損傷が古傷になってるとか……」

「それはないと思うのです」

 腰を屈めてキューベルちゃんの耳許へ口を寄せ小声でふと思いついたことを話してみた。しかし、キューベルちゃんはそれはないとあっさり否定した。

「わたちはイギリス軍の25ポンド砲をもろに喰らってばらばらに吹き飛ばされちゃいましたけど今は身体に傷一つなくぴんぴんしているのです。その目で確かめてみますか?」

「―――め、めくらなくていいですから!」

 キューベルちゃんはだぶだぶのワイシャツの裾をぺろんと捲り上げた。あざといオレンジと白の縞パンどころかぽよんと膨らんだお腹の真ん中の円いおへそまでまる見えになる。斎司郎は慌ててキューベルちゃんの腕をつかんで下に下ろさせた。

「この通りわたちがなんともないんですからパンテルおねえちゃんがどれだけ損傷を負ったかはわかりませんけど、それが古傷になっているとは考えられないのです」

 いつもの腹に一物あるような表情に戻ったキューベルちゃんはにひひ~と笑った顔を斎司郎に向けた。またいいようにからかわれていたようだ。

「それじゃ、いったいなにが原因なんでしょうか……?」

「まあ、女心は複雑ですからねぇ……。おにいちゃんにはちんぷんかんぷんだと思いますけど」

「それは、あながち否定できないところですけど……」

「…………」

 斎司郎は自分がへたれだとあっさり認めてしまった。そうじゃないと否定したらからかってやろうと手ぐすね引いていたキューベルちゃんが呆れ果てたような半眼をじろっと向けてきた。

「―――あ、あの、わ、若さま、お、お疲れさまでした……」

「いえ、ぼくは逃げ回るふりをしていただけですから。九七式ちゃんこそお疲れさまでした」

 おずおずと近づいてきた九七式ちゃんに斎司郎はねぎらいの言葉をかけた。

「それにしても外したら物の怪の向こうにいるパンテルちゃんに当たってしまうかもしれないのによく躊躇わずに撃てましたよね? よっぽど照準に自信があるみたいですね」

「―――い、いえ……。―――わ、わたしの、い、い、一式照準眼鏡の、せ、性能は、あ、あ、あまりよくありません……。―――ど、ど、ドイツの誇る、か、カール・ツァイス製照準器を、と、搭載した、ど、ど、ドイツ戦車とは、め、命中率は、う、雲泥の差です……」

「そうなのです、ドイツの光学機器の性能は世界一なのです! ドイツのベテラン戦車兵が距離1,000メートルまでなら命中率90%以上を誇っていたのも、この照準器の性能によるところが大きいのです!」

 褒められたはずの九七式ちゃんが、もういたたまれないとでもいうように目を逸らした。そんなことにはお構いもなく、キューベルちゃんはまるで自分の手柄でもあるかのようにこれっぽっちも膨らんでいない胸を反らせた。

「ちょ、ちょっと待ってください……。照準器の性能がよくないってことは、パンテルちゃんに当たってしまう危険性も高かったってことじゃないんですか……?」

「―――わ、若さまの、お、お、おっしゃる通りです……」

 九七式ちゃんのいったことの意味が理解できて斎司郎は蒼くなった。その顔を見て九七式ちゃんは身の置きどころがなさそうにますます身体を縮こまらせた。

「狙いが外れたところで問題などないのです、おにいちゃん」

「それ、どういう意味ですか、キューベルちゃん?」

 キューベルちゃんはなにも心配することなどないと涼しい顔で人差し指を左右に振って見せた。パンテルちゃんを危険な目に遭わせるつもりだったのかと斎司郎はキューベルちゃんに詰め寄った。

「そう、頭に血を上らせないでほしいのです、おにいちゃん」

 しかし、キューベルちゃんはなにもわかっていないといいたげに肩のところで両手を広げた。

「パンテルおねえちゃんの前面装甲は傾斜角55°の80mmもあるのですよ? 九七式おねえちゃんのしょぼい主砲で抜けるわけがないじゃないですか」

「―――き、キューベルさまの、お、おっしゃる通りです……。―――わ、わたしの一式四十七粍戦車砲では、め、目の前で、し、試製徹甲弾を撃っても、す、垂直の80mm装甲を、ぬ、抜くのがやっとです……。―――と、とてもでは、あ、ありませんが、け、け、傾斜装甲を、ぬ、抜くのは、で、できません……」

 そこまでいって、なぜか九七式ちゃんが頬を赤くして息を荒くした。

「―――そ、それに、ね、狙いを、は、外したら、わ、若さまがお怒りになって、わ、わたしに、き、き、きつい、せ、折檻をしてくださるかもと、き、キューベルさまが……」

「どうせ血を上らせるなら頭じゃなくておにいちゃんの主砲のほうがいいんじゃないですか?」

 はぁはぁと息を荒くして潤んだ目を向けてくる九七式ちゃん。キューベルちゃんはにやにやいやらしい顔で斎司郎の股間をじろじろ眺めている。

(性癖倒錯の大和撫子と下ねた大好きな褐色幼女……。物の怪よりよっぽどぼくの手には負えないよ……)

 いつのまにか話が逸れて、パンテルちゃんの調子がよくないのかもということはすっかり斎司郎の頭から抜け落ちてしまっていた。

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