19話 「アウロラの願い」
母さんとの仲直り。それは僕自身がいずれこの国の王として務めを果たさなければならないということを一層意識させるものだった。僕はこれからちゃんとした教育を受け、王になるために準備をし、また、母さんから学べることをどんどん吸収していって、王子として恥じない振る舞いをしていかなければならない。やることはてんこ盛りだ。それだけではない。今までメイドに任せっきりだった部分、特に部屋の掃除や身の回りの整理整頓など、時にはメイド達を手伝ったりと僕は今までよりも大変忙しくなった。
「ヴィト様。ここは私たちがやりますのでどうかお気になさらず。」
「これくらい平気だよ。それにみんなの役に立ちたいんだ。」
「ヴィト様……。」
しかし、そんなやり取りを陰で心配する者がいた。僕はそのことに一切気づかずに多少の無理もいとわないで自分の務めを果たした。
ある日、僕は朝から頭がボーっとしていた。しっかりと睡眠はとっているはずだが、疲れが取れないような体が重い感覚。少し体が熱かったが、動き回って代謝が活発なだけだろうと思っていた。いつものように食堂で朝食をとろうとしたが、思いのほか食欲がわかない。あまりに食べるスピードが遅いせいか、隣で座っているアウロラが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫か?あまり進んでいないようだが。」
「うん、ちょっと疲れているのかな?少し休めば大丈夫だよ」
そうは言ったものの、やはり進まない。それどころか時間が経つにつれて徐々に意識が遠のいていくような気がした。もう少し寝ていた方がいいのかもしれない。寝れば多分元気になっているはずだ。
「ごめん、部屋で休んでくる。残った分はアウロラが食べていいよ。」
「あ、ああ……。」
アウロラは薄々気づいていたに違いない。しかし僕はあまり心配かけまいと無理に振る舞ってしまった。そのツケは早くに返ってきた。
食堂を出て部屋に戻ろうとしたとき、突然頭が重くなり、息苦しくなった。手も痺れてついには卵を握るような形をしてそのまま動かなくなった。まずいことになった。しかしもう、気づいた時には僕は廊下に倒れていた。
何かを察したか、アウロラが勢いよく食堂から出てきた。そして必死に僕の方へ駆けつけた。
「大丈夫か、おい!!」
「う…うう……。」
あまりに辛くて声が出なかった。すぐさまアウロラは僕を抱えて部屋まで運んだ。その様子を見たメイド達は驚き、どうしたのかこぞって訪ねてきた。
「すぐに医者を呼んでくれ!!ヴィトが……!!」
「お、落ち着いてください。とりあえず私はお医者様を。後はどなたかメイド長を呼んできてください。」
「承知しました!」
メイドたちはそれぞれ散り、残った者はアウロラの後に付いてきた。この時僕の意識はほとんど無かった。
気が付いた時には、僕は自分の部屋のベッドの上にいた。周りにはアウロラやメイド長含むメイド達。さらには母さんもいた。
「ヴィト、大丈夫ですか?」
最初に声をかけたのは母さんだった。
「あれ、みんな……。」
「ここは貴方の部屋です。先ほどお医者様が貴方を診てくださいました。」
「それで、その……。」
「ひどい熱だったから驚いたぞ。医者は疲労からくるものだと言っていたが、まさかな。」
アウロラの読みは合っていた。今まで無理をしてきたから身体が悲鳴をあげたのだ。
「あはは、無理しすぎちゃったみたい。慣れないことはするもんじゃないね。」
「笑い事じゃないぞ。皆心配したのだからな。」
「……うん、ごめん。」
アウロラは少し怒っていた。この中で一番心配していたのは間違いなく彼女だろう。
「まあそんなに怒らないでください、アウロラ。ヴィトも悪気があった訳ではないのですから。」
「アリシア様がそう仰るのなら……。」
アウロラが落ち着いたのを見て、メイド長が話しかける。
「とにかく、ヴィト様が無事で何よりです。私どもも一時はどうなることかと思いましたが。」
メイド長は立て続けに僕に話した。
「良いですか、メイド達を手伝うのは大変ありがたいことです。ですが無理をしてまでしてほしいなどという気は毛頭ありません。私たちの一番の仕事は、アリシア様、ヴィト様が健康でいられるようサポートすることです。貴方が無理をされては我々の面目が立ちません。」
「はい、すみません……。」
皆に怒られるのも無理はない。張り切り過ぎて、十分に休養をとっていなかったからだ。慣れていないことは少しづつ慣らしていった方がいいと誰かが言っていたような気がするが、それを身をもって体感した。
「ふふっ、ですがこうして大事に至らなくて幸いでした。ヴィト、貴方は十分頑張ってくれています。どうかしばらく休んでください。私は務めがあるので申し訳ありませんが、貴方のそばにずっとはいられません。ですが時々様子を伺いに行きますので心配しないでください。」
「うん。ありがとう母さん。それと……。」
僕はアウロラの方を向いた。
「アウロラ。しばらく僕の傍にいてくれないかな?一人でいるのは心細いから。」
アウロラはにっこり笑って僕の手を掴んだ。
「ああ。お前がいいなら私はお前の傍についてやるぞ。」
「では私たちも職務に戻ります。アウロラ様、何かありましたら遠慮なく申してください。」
「分かった。任せてくれ。」
メイド達と一緒に母さんも部屋を出た。今ここに居るのは、僕とアウロラの2人だけだった。
「何か飲むか?随分と汗をかいているが。」
「そうだね。早速で悪いけど飲み物が欲しいな。」
「分かった。すぐ取ってくる。」
そう言ってアウロラが部屋を出ると、1分程ですぐ飲み物を用意してきてくれた。
「ふつうの水だが、これで良いか?」
「うん、冷たい物なら何でもいいよ。」
僕はアウロラからコップを受け取り、ごくごく飲みほした。
「おかわりしたかったらまた汲んでくるぞ。」
「ありがとう。今は大丈夫。」
それからしばらく長い沈黙が続いた。
少し落ち着いたところで、医者から出された薬のおかげもあってか、熱が少しずつ引いてきている感じがした。もちろん、今日はもうこの部屋から出るつもりは無かった。明日治っているかは分からなかったが、当分は安静にしていなければならないだろう。
「ねぇ、アウロラ。」
「ん、何だ?」
「その、もし明日まだ治らなかったら、明日も傍にいてくれる?」
「ああ、もちろんだ。お前が嫌と言っても私はお前の傍から離れないぞ。」
「じゃあもしエリスが来てもういなくてもいいよって言ったら?」
「その時はあいつ縛り付けて吊るしておくだけだ。私とアリシア様、メイド達以外の奴と2人きりは許さん。」
「ふふっ、相変わらずきつい冗談だね。」
「そうだな。あの痴女のおかげで冗談が言えるようになったのかな?」
そんな笑い話をしている中、汗で僕の身体が濡れているのに気づいた。シャツも濡れていて心地が悪かった。
「汗がひどいから着替えたいな。」
「ああ、替えのシャツを持ってくる。」
そう言うと彼女は部屋のクローゼットからシャツを一枚とってきた。
「下は着替えなくていいのか?」
「とてもじゃないけど恥ずかしいよ。」
「ふふっ、いずれ見せつけるんだろう?」
「と、とりあえず上だけでいいよ!」
「分かった。」
アウロラはゆっくり僕からシャツを脱がせ、一度僕の身体を濡れたタオルで優しく拭いた。くすぐったくて恥ずかしかった。まるで手足が不自由になったみたいだ。
「ありがとう。シャツは自分で着るよ。」
「無理するな。お前は何もしなくていい。」
そう言って新しいシャツを取り、丁寧に着させた。しかも手慣れたような手つきで。
「シャツの向きは反対になっていないか?」
「うん、大丈夫。それにしても慣れていたようだったけど……。」
「ああ、それはだな……。」
アウロラは恥ずかしそうにうつむいた。
「よくお前が寝ている間にこっそり部屋に入って、汗をかいていたら新しいのに着替えさせていたんだ。もちろん、様子を見るのが主だが。」
「えっ、そんなことをしていたの?」
「そんなこととは何だ。お前のことが心配だからだぞ。別にやましいことは何もしていない。」
「ホントに~?」
「お前、あのメス猿みたいになってるぞ。やはり影響されてしまったか。」
「話を逸らして、やっぱり可愛いなアウロラは。」
「分かった。もう私は出ていく。後はお前だけでどうにかしろ。」
「ごめん、ごめん!行かないで!ゲホッゲホッ!!」
ついはしゃいでしまった。
「おいおい、無理するなと言ったろ。さっきも言ったが私はお前の傍から絶対に離れないぞ。」
「分かってるよ。約束だよ。」
「ああ、約束だ。」
アウロラは僕の頭を撫でた。優しいぬくもりが彼女の手から感じた。そしてそのぬくもりに浸っていたせいか、いつの間にか僕はぐっすり眠りについていた。
起きたのは日が沈んだ直後だった。アウロラも椅子に座りながら眠っていた。体の具合もだいぶ落ち着き、ある程度は動いても大丈夫そうだった。しかし、今はあまりそういう気分ではなく、この居眠りしているアウロラを眺めていたかった。そうは言ってもつい胸のふくらみに目が行ってしまう。今触っても起きないだろうかと思いつつも、気が付いたら手が彼女の胸の方に伸びていた。あと少しで触れるといったところで、彼女は目を覚ました。
「ん?のどが渇いたのか?」
「あ、うん。今さっき起きたから。」
彼女は気づいていないみたいだ。
「そうか。空だから汲んでくる。」
アウロラはコップをもって、水を汲みに行った。そしてすぐまた戻ってきた。
「ありがとう。」
彼女からコップを受け取り、ごくごく飲みほした。この動作にデジャヴを感じたが、気にしないことにした。
「体の方は大丈夫か?」
「うん、寝たらだいぶ楽になったよ。明日には治っているかな?」
「安心するのはまだ早いぞ。恐らく明日もベッドの上だ。」
「まぁ、そうだろうね。」
すると、アウロラがこちらをじっと見ている。何か言いたいことでもあるのだろうか?
「どうしたの?」
「あ、ああ、考え事をしていた。」
「何を考えていたの?」
「それは……。」
アウロラは一旦口を閉ざした。
「なぁ、ヴィト。」
彼女は問いかける。
「もし私が他の男と関係を持っていたとしたら、それでもお前は私を愛してくれるか?」
「どうしたの急に。」
僕は突然不安になった。しかし彼女の目は真剣だった。僕は素直に答えた。
「うん。前にも言ったけど、アウロラは僕の“お嫁さん”だからね。ただ……。」
一瞬言おうかどうか迷った。
「もしアウロラがその人のことの方が好きって言うなら、僕はその人との恋を応援するけどね。」
「そうか……。」
彼女はうつむいたまましばらくじっとしていた。まさかと思い、僕の不安が一層高まった。
「実はお前が寝る前に、色々と考えていたんだ。今まで恋愛とは無関係に生きてきた私が、ある日突然恋愛について意識するようになってしまった。」
僕はアウロラの目を見て相槌をうった。
「初めてお前にあった時、不思議な気持ちだった。私が今まで見てきた者の目とは明らかに違う目をしていた。言葉で表現するのは難しいが、こう、穢れていない、純粋な人間だと思ったんだ。それだけだったのに、いつの間にかお前と一緒にいるのが楽しくて、自分の居場所はここだって思ったんだ。そして私はようやく理解した。“この少年に恋をしている”と……。」
アウロラは話すのが苦手だ。しかし自分の気持ちを真剣に伝えようとしている。僕は彼女の言葉よりも、その態度や目線、彼女の行動でその気持ちを理解した。
「もちろん、歳の差とか、身分の差はある。だが、お前を見ると私はお前に甘えたくなる。親も兄弟もいなかった私が、お前とつながりたいと本気で思っている。私は……。」
アウロラは椅子から立ち上がり、ゆっくりと僕の上に跨った。更に顔を近づけて息切れしたように呼吸していた。僕は彼女の吐息に理性を失ってしまった。
「ヴィト。私の初めてを、もらってほしい。」
彼女は僕の手を掴み、抵抗できないように押さえつけていた。そして少しづつ顔を近づけていく。
「うん。僕も、アウロラが欲しい。大好きだから……。」
アウロラの吐息からかすかに漏れる喘いだような声を聞きながら、僕は抵抗することなく彼女を待った。彼女の鼓動がはっきりと聞こえる。月明かりに照らされた姿はさながら天使のようだった。僕はアウロラという天使の美しさに虜になってしまった。もう後戻りはできない。僕もアウロラもお互いのことしか考えられず、そして一瞬時が止まったような錯覚の後、彼女の唇は僕の唇に触れた。柔らかくて甘いアウロラの唇。この日僕は生まれて初めてキスをした……。




