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9・桃姫の手習い

 


 今日も龍青様の屋敷に遊びに来た。


 でも龍青様は仕事があるからというので、私はまちぼうけだ。

文をしたためる彼の背後で、暇なあまりに巻物の束を右へ左へころころと転がし、

ちょっと楽しかったので、上に飛び乗って遊んだりしていたら、

なにか言いたげな顔の龍青様に見られていた。



「……キュ」


「姫……良い子だから、仕事が終わるまであっちで女房達と遊んでなさい」



 そう言われて、抱っこされたかと思えば、

すたすたと部屋の隅まで歩き、御簾みすをめくって部屋から追い出されてしまった。


「キュ……キュー!」 


 振り返った私が抱っこをせがんで、

しっぽをぶんぶんしてキュイキュイ鳴いても、

龍青様にはだめって言われた。おかしい、いつもならこれで聞いてくれるのに。

お膝の上に乗ってのぞくのも、今日はいけないらしい。



「キュイイ……」


「も、桃姫が傍に居ると気になってしまうからね。

 終わったら遊んであげるよ。桃姫」 


 なだめるように頭をなでられて、私はぷくっと頬をふくらませた。

なんでも天上の神様に出す。大事な文があるらしいよ。

神様っていろいろ居るんだね。知らなかった。



「すぐの話ではないが、俺の嫁御になる娘が見つかったからね。

 きちんと知り合いの神々には、姫のことを報告しないといけないから」


「キュ?」


 龍青様は少し恥ずかしそうに笑っていた。


「だから、あっちで待っていてくれるかい?」


 つまり、出す文とは私のことらしい。


「キュイ」


 そういうことなら、しかたないのかな。


 龍青様、私のこと……忘れないでね?

そういって龍青様を見上げると、龍青様の顔はもっと赤くなっていた。



「そんな仕草を一体どこで覚えたんだおまえは……っ!

 い、いや、他意はないんだよな、姫は……うん、まだ子どもだしな」


「キュ?」


 なにが?



「なんでもない、忘れたりしないから良い子でな?

 終わったら、後でおやつを一緒に食べようか」


「キュ」



 御簾みすごしに姿の見える所で遊んでいれば、私も寂しくないかな……。

でも一度だけ抱っこしてと両手を伸ばしたら、龍青様がやれやれと言いながら、

私のことを抱き上げて頭をなでてくれたので、私はしっぽを振る。


 よし、これならあと少し頑張れるぞ。

ついでに顔を埋めて鼻をすんすんとして龍青様の匂いを嗅いでおいた。

さらについでに、額をぐりぐりと動かして龍青様に甘える。

しばしの別れだ。


「姫はまだ甘えたい盛りだからな、仕方ないか」


「キュ」



 ご機嫌を直して手まりを持ち、龍青様の部屋を出る。

勝手知ったる龍青様のお屋敷だ。私もちょっとは詳しくなってきたよ。

女房のお姉さん達がいる二つ隣の部屋まで行き、

一緒に遊んでもらうことにした。


 人間は私達の天敵だから苦手だけど、このお屋敷で働いている人達は、

湖に住む何かの化身ってもう分かっているから、今はへいきだ。

みんなよそ者の私を可愛がってくれるから、私もそれなりに懐いている。



「……キュ?」


 すべすべした廊下を転ばないように、気を付けてとたとたと歩いていると、

前の方から歩いてくる人達がいたので、一度ぴたりと立ち止まって、

相手の出方をうかがう。


 鼻をすんすんっと嗅げば、このお屋敷の者ではないと分かった。


……でも、その先頭に立っているお姉さんは、前にどこかで見た人だなと思った。

それが前に龍青様の寝床に乱入して、龍青様をいじめようとした奴だと気づく。


 つまり、悪い奴であり天敵、私の嫌いなお姉さんだ。



「……キュ!」



 よし、やっつけよう。 龍青様をいじめちゃだめ!


 あのお兄さんが気づく前に、早くお屋敷の外まで追い出さなきゃ。

今、龍青様はこの私と遊べない位に忙しいんだ。邪魔なんてさせないぞ。


「キュ」



 目の前の悪いお姉さんはお供を引き連れて、我が物顔で廊下を歩いていたので、

私は手まりをその場に置いて、通せんぼをして立ちはだかった。


「キュ~!!」


 ここは龍青様のお屋敷だ。私の許しもなく通らせたりしないからね!


 とと様が獲物を狩る時みたいに目をきらんと光らせて、

両手をばっと上に広げて体を大きく見せる。

前に熊が私達の郷に入って来た時、とと様の前でやっていたあの姿だ。

ここでなぜ、私が自分のとと様ではなく、害獣の熊の真似をするかというと、

なんとなくこっちの方が強そうに見えたからだ。


……とと様にはナイショだよ。



「……え? ひいいっ!!」


「キュー!」


「あ、あの時のつがいのちびっこ!?」


 するとあのお姉さんは持っていた緋色の扇を私の方に向けて、

私を追い払おうと、ぶんぶんと扇を振ってくるではないか……。

なんだあっちも私とやる気らしいな。そんなに龍青様をいじめたいのか。



「キュ!」


 龍青様、いじめちゃだめって言っているでしょ!

キュイキュイと抗議していたら、お姉さんの従者らしき男達が、

怖い顔をして私の目の前に立ちはだかった。


「こ、これ! そこのわらわ、姫様に失礼だろう!!」


「道を開けなさい! この方は泉の姫でおまえのような下賤な育ちの……」


「……キュ!」


 かぷっ! かぷっ!


 しっしっと追い払われたので、お付きの男達の手に飛びついて噛みつく。


「「うぎゃあああっ!? 噛まれたああああっ!!」」


 そう言えば最近は歯が生え変わり始めているから、やたらうずくんだよね。

ちょうどいいから、噛む練習台になってもらおう。

 

「キュイ!」



 それにしても、このお姉さんもこりないな。 

私にやっつけられたのに諦めないなんて。

噛みついていた手を振り払われて、お尻からぽすんとそのまま床に落ちた私は、

起き上がると直ぐに次の攻撃を始める。


 そのまま、しっぽを床にたんたんと打ち付ける私。

私は怒っていた。あのお兄さんをいじめる奴は誰であろうと許さないからな。


「キュ!」


 おじさん達が持っているその箱の中身はなんだ。嫌がらせの道具か?

龍青様が泣いちゃったらどうするんだ。絶対に邪魔してやるぞ!

私はくらえ! と、手まりを投げつけて、箱を落としてやった。


「うわああっ!? 水神様への貢物が!!」


 がしゃんと音を立てて箱は床に落ち、私は妨害に成功した。

やっぱり龍青様に何かするつもりだったのか、箱の中で何かが割れた音がする。

慌てて箱を拾い上げようとしたおじさんより早く、箱の上に飛び乗った私は、

ぴょこぴょこと飛び跳ねては、キュイキュイと抗議の声をあげていた。



「ひいいっ!?」


「こ、こらどけ!」


「キュ!」


 やだ!


 このお姉さん達はよそ者で、どこかの泉に暮らしていると聞いた。

なら、追い出しても何も問題ないよね? よそ者なんだし。


「キュ!」


 ここは龍青様の大事な住処なんだから、私が守ってあげないと。

私は箱から飛び降りると両手を前に突き出して、

キューキュー鳴きながらいじめっこのお姉さんに向かい、

あっちにいってと両手をばたばたさせながら、ずんずんと近づくと、

顔色を悪くした悪いお姉さんは、連れの男達とさっと顔を見合わせ……。



「おまえたち!! ここから逃げるわよ!!」


「「ははっ!!」」



 そのまま一斉に背を向けて逃げ出したので、

その後ろからすたたーっと追いかける。


 縄張りの外にちゃんと出ていくまで、外敵はしつこく追いかけろ。

とと様に教えてもらったことだ。



「キュイ―! キュイキュイ!」


 叫びながら廊下を走る。両手を前に突き出したまま。



「きゃああああっ! ついてこないでえええええ!?」


 今度は追いかけっこか。いいよ、私も追いかけっこは得意だ。

すれ違いざまに知り合いの女房さんに会ったので、手を振ってすり抜ける。



「ま、まあ今のは姫様では?」


「ですわね。姫様は今日もお元気そうですこと」


「ええ、泉の姫様が来ている時は特に……前にもこんな事がありましたわね。

 後で被害報告をまとめないと」


「で、でも公方くぼう様は今お仕事でお忙しいし、

 他にかまっていただける遊び相手が見つかって、とても楽しそうで……え?」


「キュイイ!」


「きゃああああっ!? こないでええええっ!?」


 私が叫ぶと、悪いお姉さんは私に手当たり次第に物をぶつけてくるが、

体の小さい私はそんなのを避けるのには慣れっこだ。

何より鈴が私を守ってくれる。つまり、今の私は無敵だった。

だけどそれを見て、さらに物を投げつけてくる悪いお姉さんの姿。

この様子を見ていた屋敷の女房のお姉さん達は、その後、一斉に顔を青ざめた。



「泉の姫様! それは、それだけはあああっ!!」


「そ! その掛け軸は先代様の!!」


「それは公方様が就任した時にいただいた貴重な壺! 姫様、姫様!?」



 気づけば一緒に追いかけっこしていた。

そうか、やっぱりご主人様の為に戦おうとしてくれているのか、

私はキュイっとますますやる気を見せて走り回る。


 龍青様の巣を荒らす悪者と戦うため、私は全力で追いかけっこをした。

どたばた、どたばたと追いかける足音がそこかしこで聞こえ、

数名の悲鳴、布が引き裂かれる音、倒壊する音、物が割れる音が響く。


 そうしているうちに、廊下をぐるっと一回りしていた事に気づき、

龍青様の部屋の前を通りかかったので、龍青様へ走りながら手を振ると、


「も、桃姫……せ、せめてもう少し静かに」


 龍青様が机に突っ伏して、震えながら筆を握り締めていた。


 ごめんね龍青様、今はそれ所じゃないんだ。

気づけば遠くで私の名を呼んでいる、他の女房さんも私を追いかけていた。



「ひ、姫様も、走ったりしたら危ないですよ!?」


「その辺でどうかお止めに!! どうか、どうかあああ!」


「また転んで怪我でもしたら、泣いてしまいますよおおお?」


「キュ!」


 

 今、私はとってもいそがしいんだよ。みんな。

龍青様にも、このお屋敷のみんなにもとってもお世話になっているから、

がんばって恩返ししないといけないのだ。


 でもみんなとの追いかけっこは楽しくてはしゃぎすぎたせいで、

途中から、「なんで追いかけているんだっけ?」と目的を忘れつつも、

目の前で逃げていた悪いお姉さんの着物に飛びついた私は、

爪を立ててよじ登ると、お姉さんの髪をつかんでぶら下がった。


「キュイキュイ!」


「ひいいいいっ!? たす、助けてえええ!」



 お姉さんと一緒に来た男達が、あわてて私を引きはがそうとすれば、

着物は破け、髪に付けていたじゃらじゃらな装飾は引きちぎられた。

邪魔されたことで、むっとした私はせめてお返しにと、

かぷっと腕に噛みつくと、今日もやっぱり美味しいお魚の味がした。


 うっとり……。



「きゃああっ!?」


 そんな狩りの練習みたいに、興奮しきった私をなだめたのは……。



「――姫~? 美味しい桃をあげるからこっちへおいで~?」


「キュ?」


 遠くから私のことを呼ぶ、龍青様の声だった。


 桃! おやつ!


「キュイ!!」


 こうしちゃいられない、桃が、いや龍青様が私を呼んでいる!

お姉さんへの興味が早々に無くなった私は、着物をつかんでいた手をぱっと離し、

床に着地するとくるっと向きを変えて、両手を前に伸ばしたまま、

目を輝かせて龍青様の待っているお部屋に向かう。


 そのまま両手を広げて、部屋で待っていてくれた彼に勢いよく抱き付いた。



「よーしよしよし……よく来た。良い子だな、どうどう」


「キュイ! キュイキュイ!!」



 龍青様が私を抱き上げながら、盛大な溜息を吐く。

私はしっぽをぶんぶんと振って、桃、桃とはしゃいでいた。


 その後、念願のお膝の上に乗せてもらい大好きな桃をもらった。

桃となればしかたない。今日はこれで許してあげたよ。



※ ※ ※ ※



「はあ……姫が居ると本当に退屈しないな」


 さっきのやり取りで、龍青様は笑いすぎて酸欠状態? というのになり、

腹がひどい事になったと、片手で腹を抑えてうめいていた。

笑い死ぬとか言っていたけど、笑いすぎると死んでしまうのだろうか?

その話を聞いた私は慌てて龍青様にしがみ付き、

死んじゃだめとキュイキュイ鳴いた。


「じょ、冗談だよ姫」


「キュ?」


 本当に?


「大丈夫だから、な?」


 でもその際に、文字が乱れて文が台無しになってしまったらしく、

龍青様は私が桃を食べ終わると、書き直しの為に再び筆を取ることになった。


 終わるまで、人間が使っている物珍しいものが沢山あるから、

それで遊んでいいよと言われたので、私はこくりとうなずく。


「キュイ」


 

 でも龍青様がかまってくれないと、そんなに面白くないんだよね。

女房のお姉さんのお膝に乗せてもらって、お道具箱とか見せてもらったけど、

あんまり興味が行かなくて、しょっちゅう龍青様の所に手まりを持って戻ると、

あらあらと女房のお姉さんたちには笑われてしまった。


「姫……もうちょっとだから」


「キュ……」


 龍青様の着物の裾をつかんで、ちょこんと座りこむと、

頭をなでてもらってご機嫌を取り戻す。そのまま彼のお膝に頭だけを乗せてみて、

まだかなーと待っていたら、女房さんがこれはどうかと絵巻物を持って来てくれた。


 いつも龍青様が身に付ける着物は、とても不思議なつくりをしている。

草木などの色を使って染めた布に、色とりどりの糸で刺繍というのをされたものは、

私の目から見ても、とても綺麗なものだと思っていた。


 よく傍で仕立てたばかりの着物を見つめていたからだろう、

私はこういうのに興味があると思われたようだ。



「こういうのは、どうでしょうかね?」


「これは女性の間でも、人気の物語が記された書物になりますわ」


「描かれている着物がとても綺麗ですわよ」



 でも見せてもらったそれは、人間の世界の話だった。


「キュ」


 私の、大嫌いな、人間……の!


 確かにいろんな着物はいっぱい描かれてあるけど、

その分、私が苦手な本物の人間がたくさん描かれてもいたので、

震えながら思わず爪でびりびりどころか、ざっくざっくと突き刺したあと、

龍青様の膝にすがり付いて、嫌なことされた……とキュイキュイ泣く私。


「ひ、姫?」


「キュイ、キュイイ……」



 すると今度は別の女房のお姉さん達が話しかけて来た。



「そ、そんなにお嫌でしたら、違うものにしましょうね? 姫様」


「キュイ……」


 慌てた様子で、違うものを勧めてくれた。

ということで、次にやることにしたのが機織り。

前に少しだけやらせてもらった事があるので、馴染み深かった。

龍青様のお部屋と離れてしまったけれど、この道具はいつ触っても面白い。



「姫様は何か動かすのがいいのかもしれませんね」



 かたこん、かたこん、機織りの音が鳴ると感触が楽しい。


 小さな手をかけ、腰掛の椅子の上に沢山積み上げられた箱の山の上に立つ、

私が使っているのは小型の物だったけれど、それでも私には少し大きかった。

落っこちないように女房さん達に体を支えてもらって、手元も手伝ってもらって、

えっちらおっちら手を動かしていたら、何とか形になっていった。



「うふふ、お上手ですわ姫様」


「その調子です」


「キュ、キュ、キュ」


 かったん。こっとん……きいきい、かったん。



 私も使い方は少しわかっている。

だからせっせと夢中になって動かして布を織っていた。


 どうやら、私を人の暮らしに慣れさせようとしているようだ。

それはきっと、いざという時に人間の振りをして切り抜ける術を持つためだろう。

人間はまだ怖いけれど、こういう面白い物や美味しい物を作ったりもするので、

その辺はいいなって思うし、すごいなって思うようになった。



 それは私に起きた小さな変化だった。




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