白蛇編・3
龍青様のお誘いで、人間の居るお社に遊びに行くと、
私のとと様とかか様に話した。
そうしたら、とと様とかか様にすごく心配されたけれど、
お勉強のためだと言ってなんとかお許しをもらえて、
お出かけすることが決まった次の日。
他の水神様達に会うため、龍青様はお支度を始めるというので、
私はとてとてと歩いて、龍青様について行くことにした。
着替えの前にめざすのは、お屋敷にある湯殿だと私は知っている。
私と龍青様が水遊びならぬお湯遊び……じゃなかった。
仲良くあったまる場だ。
行くのなら当然、この私も入れてもらうぞ。
「――おい、そこのちびすけ、おまえはこれ以上ついて来るなよ
これより先は、やんごとなき主様の大事な儀式だからな」
すると、いつものように龍青様のとなりに並び、
龍青様の着物の裾につかまりながら、ごきげんに歩いていた私は、
後ろで布や替えの着物を持ったヤツ……ハクのお兄さんに呼び止められた。
……どうやら今日も、この私のことを仲間外れにしたいらしいな。
だから私はぶんぶんと首を振って、キュイキュイと抗議する。
「キュ! キュイキュイ、キュ!」
やだ! 龍青様が入るのなら私も一緒に入る! どっぼんするの!
「やだって……お、おまえな? 主様のお浄めの儀式なんだぞ!!
若い娘が、雄の沐浴を率先してのぞきに来てどうするんだよ。
それにおまえは嫁入り前なんだぞ!?」
「キュイキュイ、キュー!」
言っていることよくわからないけれど、
龍青様が嫁にもらってくれるから、いいんだもん!
「よくないわ! 娘としての恥じらいを持て!」
私はハクのお兄さんが、真っ白な顔をなぜか真っ赤にして、
さっきからぎゃあぎゃあ言っていて。静かな屋敷の中がずっとうるさい。
こんなにうるさいから、きっと遊んでくれる友達も居ないんだろうな。
私は知っているぞ。誰かにかまって欲しいヤツほど、
やたらとこの私に付きまとってくるんだ。
これは私と龍青様と過ごす大切な時間なのだ。邪魔なんてさせない!
私は龍青様の腰元に飛びつき、がしりとしがみ付く。
そしてそのまま、私はぷらーんと着物にぶら下がった。
「ひ、姫?」
「あああっ! おい!?」
「キュ~」
龍青様~私ね? あの白いお兄さん嫌い。
私と龍青様を引き離そうとするの、いじわるする悪いヤツなんだよ。
頬をぷくっとふくらませて、私は龍青様にうったえた。
龍青様も言っていたよね?
私と龍青様の……えっと「おうせ」を邪魔したら、
“しんばつ”が下るとかなんとか。でも、しんばつって何だろう?
「よしよし、そうだねえ……。
ハク、姫はまだ幼いからな、そういうものごとは分からないんだ。
今は姫の好きにさせてやってくれ、まだ仲間や親が恋しい年ごろだから」
そう言いながら龍青様は、
ぶら下がっている私を、抱きあげて歩いてくれた。
抱っこ抱っこ、私のこと分かってくれる龍青様すきと、
私はしっぽを振って龍青様に思いっきり頬ずりをして甘えると、
龍青様も「そ、そうだよな」と言いながら、自分のしっぽを振っていた。
「は、ですが……」
「いざとなれば俺が責任もって、全力で姫を嫁にもらうんだし、
姫も責任を取ってくれると約束してくれているからな。
こんなことで姫に愛想をつかされるよりはいいんだ。
俺がこの羞恥に耐えればな、は、ははは」
「キュ?」
龍青様のお許しがもらえて、ハクのお兄さんはおとなしくなった。
その日も私は、仲良く龍青様と体を清めるために湯殿を使えることに。
ハクのお兄さんも「かいじょを」と無理やり入ってこようとしたけど、
手まりにお願いして、べしっと顔に当てた後、
目の前で、ぴしゃと引き戸のとびらを閉めた私は、
ヤツが入ってこられないように、近くにあった長い棒をつかみ、
よたよたしながら、戸の横にはめこんでおいた。
私は知っている、中からこうすると入って来られないことを。
「キュ」
よし、これでいい。邪魔されないぞ。
私はくるっと振り返り、ごきげんで龍青様の足に抱き付いてしっぽを振った。
龍青様、抱っこ~お膝のせて~?
すると引き戸の向こうでは、「開けろおおおっ!」と叫んで、
バンバンと叩いているようだけれど、私は知らんぷりをしてやったぞ。
「やれやれ……確かにハクまでこっちに来られると厄介だね。
桃姫がこれ以上、ご機嫌を悪くしたら屋敷に来なくなってしまうし」
そう言うと龍青様は、手のひらから水の蛇を出して引き戸に張り付かせた。
「これでいいかい? 軽めの結界だ。さあおいで姫」
「キュイ」
ハクのお兄さんに邪魔された分、思いっきり甘えることにした私は、
龍青様のお膝の上で、寝転がりながら体を洗ってもらって、
抱っこでお湯に浸かると、いつもみたいに体がふわっとした。
「うう……主様があんな小娘にいいいいっ!」
湯殿の部屋の外では、いまだに立ち去らない気配がして、
まだハクのお兄さんのすすり泣く声が聞こえていた。
……よっぽど私達と一緒に入りたかったのだろうか?
でも入れてあげないけどね。
私はキュイキュイと甘えた声を出して、龍青様に頬ずりした。
「……すまないね。姫、嫌な思いをさせて。
昔、ハクはね、まだ今より小さかった頃に実の親に捨てられたんだ。
それを通りがかった俺が拾って、俺に恩を感じるようになってね。
俺のことを親のように慕ってくるようになったんだ。
あれにとっては、育ての父親すら取られたような気分なんだろう」
「キュ」
捨てられた? 自分のとと様とかか様に?
昨日、ハクのお兄さんが自分のことを話したときに、
なんだか元気をなくしたように見えたのは、そのせいなのか……。
私は自分の体を見下ろした。龍の中でも珍しいと言われる桃色。
他のみんなとはちがう色でも。私はみんなに可愛がってもらえた。
でも、もしも親が自分を守ってくれず、子どもの時に捨てられたら、
生き延びるのはとても大変なことだと、私にはわかる。
私はそんなことはされなかったけれど、親と引き離されたあの時、
とても心細くて、龍青様が助けてくれなかったら死んでいただろうし。
私が龍青様に救われたように、あのハクのお兄さんも、
龍青様に助けてもらったのか……なら、あんなに懐く気持ちもよくわかる。
私だってそうだもんね。
「姫もこれから弟か妹が出来たら、同じ気持ちが分かるかもしれないが。
ハクは俺とは境遇が似ている気がするんだ……」
「キュ?」
きょうぐう?
「俺と似ている所があるということだ。
親とあまり関われなかった。昔の俺と重なって見えてな」
「キュ」
そうなのか……。
私はあのお兄さんのいじわるしてくる気持ちが少し分かった。
でも、それとこれとは別だ。
私は龍青様との時間を、むだにはしないんだからね。
遠吠えのようにまだ外で泣いている声を気にせず、私は龍青様に甘えた。
竹で作ってくれた船のおもちゃを、
湯の上にぷかぷかと浮かべて遊んだり、龍青様と覚えたお歌を歌った後、
私はすっかりごきげんになって喉をゴロゴロ鳴らしながら、
仲良く湯殿から出てくると、目の前に静かに丸まっているヤツが居た。
「キュ」
あの白いお兄さんが、部屋の隅で膝を抱えて座っている。
――……まだ居たのか、本当にしつこいな。
「ほ、本当に主様と入りやがった……。
しかも、恐れ多くも膝の上で洗ってもらっているし」
「キュ?」
私達が仲良く湯浴みをしていた間、
ずーっとこの部屋の隅で震えながら待っていたらしい。
それを侍従のお兄さんたちが、彼を見ないようにして立っている。
まるで見てはいけないものが居るかのような扱いだ。
入り口で待ってくれていた手まりを拾い、私は首をかしげる。
なんだかすごく落ち込んでいるな。
「子どものくせに、なんて恐れ多いことを……」とか言っている。
龍青様こわくないもん、やさしいもん。
「姫、隣の部屋で女房達が待っているから、
支度を手伝ってもらいなさい」
龍青様に私用の布で軽く体を拭いてもらうと、
私はキュイっと鳴いてうなずき、手まりと一緒に連れて、
近くで待っていてくれる女房のお姉さんたちに会いに行く。
几帳で囲んだその中に、いつも遊んでくれる女房のお姉さん達が3人、
身支度の準備をして待っていてくれた。
「お待ちしておりました姫様」
「ふふ、お帰りなさい」
「さあさあ、では姫様もお支度を整えましょうね?
初めて公方様の婚約者としての、お披露目みたいなものですもの」
「キュ!」
まだ私の体はうろこが薄いので、怪我をしやすい。
だから、私の体に椿の種で作ったという油を薄く塗ってもらうと、
うろこがつやつやして、触り心地がよくなった。
「これは私どもの化粧を落としたり、髪をまとめるのにも使います。
姫様もいつか、お年頃になって人型を取れるようになったら、
御髪を整えてみたりしましょうね?」
「キュイ」
椿って、あの赤い花だよね?
龍青様が前に私に贈ってくれた花だから、よく覚えている。
ふんわりと良い匂いがして、
食べると甘い蜜の匂いがするあの花の種で作れるんだ。
ぺろっと油の付いた女房のお姉さんの手を舐めてみたけど、
甘く感じなかった。ざんねん。
「ま、まあまあ、姫さまったら」
「キュ?」
笑われてしまった。
お手入れをしてもらうと、うろこが一枚落ちた。
そろそろ私も生え変わりの時期なので、そのせいだろう。
初めて取れた龍のうろこは“えんぎ”が良いと言われていて、
私にはよく分からないけれど、お守りにするといいと教えてもらった。
薄く桃色に色づき、光に照らすと透明になっていてきらきらしている。
「キュ」
きれいだな……せっかくだから、あとで龍青様にあげようかな。
私はいそいそと自分の風呂敷の中にうろこをしまいこんだ。
「さあ、どうぞこちらを」
「キュイ」
次に用意されたのは、龍青様にもらった萌黄色の着物。
これからの季節に良いと言うので、女房のお姉さんに選んでもらい、
私はわくわくしながら新しい着物に袖を通した。
龍青様のかか様が、子どもの頃の龍青様のために作った大事な着物。
本当なら龍青様が子どもの頃に着るはずの物だったけれど、
着られなかったという事で、私にゆずってくれたものだ。
「キュ」
龍青様の着物だ!
私はぶんぶんとしっぽを振って興奮した。
あれから着物は私用に少し手を加えてもらったんだ。
胸元の横と裾の部分には、
私の大好きな手まりと撫子という白い花の刺繍がしてあって、
袖の所に龍青様の匂い袋を入れておいたから、
顔を近づけると香のとってもいい匂がする。
袖に鼻を近づけ、すんすんと嗅いではしっぽを振った。
「ふふ、子どもの頃のお着物を姫様が……公方様も喜ばれますね」
「さっそく見せに行かれてはいかがです?」
「キュ!」
言われるまま、着替え終わると私はさっそく新しい着物を見せに行く。
隣の部屋で軽く身支度を整えていた龍青様と、
それを手伝っているハクのお兄さんが居て、
キュイっと声をかけて龍青様達に近づくと、
私の姿を見て、龍青様は嬉しそうに笑いかけてくれた。
「おかえり、姫、それを着せてもらったのかい?
大事にとっておいた甲斐があったよ。大きさはちょうど良いようだね。
愛らしくて、とてもよく似合っているよ。姫」
「キュイ」
身をかがめた龍青様が頭をなでてくれて、ほめてもらった。
うれしいな。着せてもらってよかった。
「ぬ、主様の着物の下賜……お下がりだとっ!?」
しかし、それを聞いたハクのお兄さんが怖いお顔をしてくる。
きいっ! と布を口にくわえてにらんでいたけれど、
龍青様は私が思い出の着物を着てくれた事がとてもうれしかったのか、
私の両脇に手を添え、「本当に可愛らしいね」と、高い高いをしてくれて、
私もしっぽを振って龍青様にお礼を言った。
※ ※ ※ ※
これから龍青様は水神の正装姿にお着替えしなければいけないからと、
軽く身支度をした後、龍青様の部屋の近くにある衣裳部屋に向かった。
だから私も、いつものように着替えをしている部屋まで、
一緒に付いて行くことにした。
ハクのお兄さんがまた何か言っているけど知らない。
龍青様が着ていた羽織の着物の一つを、頭からかぶらせてもらうと、
私はお尻をぺたっと床にくっ付けて、座り込んで待つことにする。
「キュ」
大好きなお兄さんが着替えをする姿を、
足下からじいいっと見つめるのは楽しい。
ときどき龍青様と目が合って笑いかけてくれるし、
きれいな刺繍がたくさんされた着物を、いっぱい持っている龍青様。
草木で染めたいろんな色の着物が並んで、刺繍もいろいろとちがう、
見ていると私の知らない、ちがう世界を見ている気持ちになれたんだ。
神様としての衣装として、用意されている物は沢山あって、
今日は季節に合わせて薄浅葱という色の着物らしく、
いつも身に着けている浅葱色よりも、
薄い色の生地なんだって。ふんふんと私はうなずいて見つめた。
「爽やかな季節に合わせて着る色だよ。
姫もこういう色や組み合わせを覚えておいた方がいいからね」
「キュ」
着物は青い龍が刺繍されていた。
明るい水の色の着物としか、今の私には分からないんだけれど、
色の名前もこの世には沢山あるんだって、
龍青様は着替えながら、私にいろいろと教えてくれた。
「姫はこういう色は好きかい?」
「キュ」
好きだよ。龍青様の色だものとしっぽを振りながら応える。
龍青様が身に付けるだけで、それは私にとって特別なものになる。
それを教えてくれたのは、このお兄さんだ。
「そ、そうか、姫は俺の色が好きか、そ、そうかそうか」
龍青様はごきげんになった。
顔をほんのりと赤らめて、鼻歌まで歌っている。
「公方様、微笑ましいので見守って差し上げたい所なのですが、
このままだと床がぶち抜けそうなので、
そろそろ尾を静めていただけませんか?」
女房のお姉さんたちがそんな龍青様に困り顔。
びったんびったんと、興奮気味な龍青様のしっぽが床に叩きつけられ、
私達はそのせいで、体が上下にぴょこぴょこと揺れていた。
ちょっと面白かったので、私はもっとやって欲しいなと思っていたけれど、
屋敷が壊れてしまうのなら止めた方がいいよね。
私はキュイっと鳴いて、龍青様のしっぽに飛びつくと、
龍青様の動きはそれでぴたっと止まった。
その後、ハクのお兄さんが行李の中から、
銀色の飾り物を静かに取り出した。
瑠璃という青い石と銀で作られた耳飾り、
腕輪、冠を付けた所で、他の飾りを付けるのを龍青様は止めた。
「首飾りは止めておこう。今回は姫を一緒に連れていくからな、
彼女を抱き上げるから、間違って姫が口に入れたり、
肌に触れて傷が付いたら大変だ」
「……っ、かしこまりました」
着替えを手伝っていたハクのお兄さんがそれを聞いて、
また悔しそうな顔をして頭を下げる。
「キュ?」
「姫のうろこはまだ柔らかいからね。
銀細工の先に触れて、怪我をさせたら大変だろう?」
そうなんだ。私のためなんだねってキュイって鳴く。
仕上げに龍青様の着物の裾を整える女房のお姉さん達を見て、
なんだか面白そうだったので、私も私もと近づき、
女房のお姉さんに交じって、着物の裾をぽんぽんと整えてあげた。
ぽんぽん、なでなで、ぽんぽん。
「キュ」
楽しいね。
「ま、まあ、姫様……」
「もしかして私どもを手伝って下さるんですか?」
「キュイ」
こっくりとうなずいて、そうだよとキュイっと鳴く。
水神様の嫁になるのなら、お手伝いも覚えていかなくちゃって、
かか様にも言われているからね。
「まあまあ、姫様が成長されていますね」
「番になる将来の夫のために、身支度の練習をされるなんて」
女房のお姉さん達がうれしそうに笑い、
私も顔を上げて、龍青様と女房のお姉さん達に笑顔を向けた。
この位なら今の私でもお手伝い出来るから、うれしい。
キュイキュイと鳴きながら、私は龍青様の着物をなでて仕上げた。
「そうか、ふふっ、ありがとう、姫」
「キュイ」
すると、それを見たハクのお兄さんがまたまた割り込んできた。
「おい」
「キュ?」
「いい加減その被っているものを返せ。主様のお召し物だぞ」
それと言われて私は自分の体を見下ろす。
萌黄色の上に着たのは、ぐるぐるに巻き付けた龍青様の着物、
待っている間に、その辺でころころした結果、こんな状態になった。
私がせっかく貸してもらった。龍青様の着物を返せだと?
「キュ!」
やだよ。これは龍青様から借りたんだからね!
私はことわった。なんでこのお兄さんに渡さなければいけないのだ。
「いいから返せ!」
私は無理やり取り上げようとするハクのお兄さんの手を、
ぺしっ! と小さな私のしっぽで払いのけて、
これはもう私のなんだよと怒る。
「……っ!」
「キュ!」
そうか、わかったぞ!
ハクのお兄さんも私のように嗅ぎたいんだね!?
龍青様の着物を頭からかぶって、顔を押し当てて、
ふんふん、すんすんとしたいんだ!
私は両手をぶんぶんと振って、そんなこと許さないんだからねって叫ぶ。
龍青様の匂いの染みついているものは、みーんな私の物なんだから!
もちろん、龍青様のこともだぞ。
そう言うと、ハクのお兄さんは顔を真っ赤にさせて叫んでいた。
「ちっ、違う! ぼくは変態じゃない!」
……すごく、あせっているような……あやしい。




