ミズチの恋・10
俺様とかな、屋敷の者達だけで静かに祝言を挙げると、
彼女を連れて、かなの故郷……陸にある村の中に夫婦で足を踏み入れた。
黒髪に黒目の人間とは違って、水色の髪に金色の瞳という、
異形の俺様の姿は、人前には姿を現しにくいのもあって、
手拭いでその辺の農夫を装ってみたのだったが……。
「ミ、ミズチ様、それだと余計に目立ってしまう気が……ふふっ」
「そ、そうか? うまく化けたと思ったんだけどよ」
しばらく変装はしていなかったから余計に目立つようだ。
おかしいな、以前はもっと上手くできたような気がするんだが。
ならば、もう少し顔に泥でも塗りたくって、
いかにもその辺で働いていますという感じを出すか。
一応は野良歩き用の着物を着てきたのだが、あまり効果はないようだし。
こういう見目をごまかす幻術みたいなのは、
友神の龍青が得意とするところだ。
俺様のような、大ざっぱな奴にはとてもまね出来そうもない。
いっそのこと、いつもみたいに姿を完全に消した方がいいだろうか。
「かなはさ……もうちっと整った器量の男の顔が好みか?」
そうだったのなら、龍青に志願でもして、
あんな風な顔に変化できるように、頑張ろうとは思う。
いや別に、ふりとはいえ、
龍青の嫁になろうとしていたことを気にしてはいない。
いないが……そういえば俺様はこの娘の好みをまだよく知らない。
人間の娘の好みの顔なんて……よく分からないんだ。
そういや、なずなにも聞いたことはなかったな。
「い、いえ、この辺の男達は皆、背が低いのです。
ミズチ様は背もとても高くて体格も大きいですから、
そんなに大きな農夫は居ないと思いま……ふふふ」
かなは笑いのつぼに入ったのか、
さっきからしきりに笑っていた。
泣いてばかりだった時に比べて、
ころころと表情も変わるようになったので、緊張が解けたのだろう。
見ていて飽きないと思う、実は感情豊かな娘だったようだ。
こうしてまた故郷に戻って来られたことが、
とても嬉しかったのだろうな。
「……また、帰って来られるとは思いませんでした」
笑いが落ち着くと周りを見回して、懐かし気に目元を緩めている。
(俺様もここに来たのは、
桃色の嬢ちゃんに雪割草の花をもらって以来だな……)
なずなの墓参りには定期的には来ていたが、
村の方までは目を向けていなかった。
変わっていく景色に、嫁が居なくなった時間を思い知らされるようで、
辛かったというのが一番の理由だ。
(しかしまさか……その娘がまたここに生まれ変わってくるとはな)
完全な盲点だ。
久しぶりに訪れた嫁の故郷に目を向けると、
あの頃とは建っている家も違ってきている。
あれから確実に時間が経っているのだと、しみじみ思うそこで、
かなが生まれ育ったんだと思うと、愛着がわいてくる。
(せっかく来たんだ……なずなの墓にも手を合わせておこう)
なずなの墓はここの村のはずれに用意していたものが今も残っている。
もう魂はこうして新しく生まれ変わっているのだが、
これからも変わらず定期的に手を合わせに行くつもりだった。
先にかなの両親と弟に、結婚の報告と供え物をささげ、
手を合わせると、かなは手を震わせながら、
目を閉じてずっと何かを語りかけているようだった。
(残されたもんは、前に進むしかないよな)
かなの先祖が代々眠る墓の一角に、
なずなの墓もあったので、かなの家族に挨拶が終わると、
今度はなずなの墓を探して、目の前で二人でしゃがみ込む。
(ようやく、約束を果たせることが出来たぞ。なずな)
以前来た花を取り換えて、新しい花を供えた。
今はもう雪割草は咲いていないので、白いヤマユリを供える。
「私、ずっと、先祖の一人だということだけしか思ってませんでした」
前世の自分が眠っているという墓を見て、
かなは不思議な顔をしていた。
俺様が摘んできた花を供えて手を合わせていると、
かなも俺様の方を見てから、隣で手を合わせる。
「昔の自分というのが不思議な気分ですが、
その縁で私はミズチ様と会うことが出来たのでしょうか……」
「そうだな、こうして、俺様とおまえさんがまた会えたんだ。
これを縁だと言わないんだったら、運命というのかもな」
「運命……ですか?」
「ああ、俺様達はいずれ巡り合う運命だったってことだ。
おまえさんの家族も何らかの縁でまた生まれ変わってくるかもしれねえな」
「……っ、そ、そうですね……私が前の妹の子孫として生まれたのなら、
私の弟も、いつか私の子孫として生まれてきてくれるでしょうか」
かなが俺様の屋敷で療養している間に、
ここの村人達を襲った呪術師を探してはみたが、
やはり時間が経ってしまったこともあり、逃げられてしまったようだ。
少しでも痕跡が残っていれば、
すぐにでも追って始末してやりたいところだったが、
そこまで上手くはいかず……ここに奴が居たという記憶は、
かな以外に残っておらず、村人達はもちろん、
あの件に関わっていた娘達の記憶からも消されていた……というのが、
今の時点で分かっている。
それを知ったかなはとても落胆していたが、
ここから立ち去ってくれたことは唯一の救いだっただろう。
悪事を暴いたことで、またここを狙うということは考えにくいが、
まだ油断ならないと思い、早急に管轄している水神と交渉して、
ここの水源を譲ってもらえないかと話を進めているところだった。
そうすれば、俺様が大々的に手を加えることも出来るからな。
(そうしたら、ここに住む民も俺様の氏子になる)
あの桃色の嬢ちゃんと同じように、神として守ってやれるのだ。
「……あれ? かな姉ちゃん?」
小さな娘の声に振り返ると、そこにはこの村の子どもらしき者が立っていた。
粗末な着物を何度も直した痕があり、両手にはたくさんの野の花を抱えている。
姿を見られてもいいようにと変装したものの、役に立っていないと知った俺様は、
冷や汗をかきながら、さっとかなの背後に隠れ……られねえじゃねえかよ、おい。
どうするんだこれ。見つかったときの言い訳をまだ考えていなかったぞ。
「……っ」
どうするか、いっそ記憶をちょっといじ……ったら、かなは嫌がるだろうか。
そんな俺様の気持ちをよそに、かなは何度か目をぱちぱちとさせると、
しゃがみ込んで近づいてきた娘に微笑みかけていた、
「あら、お隣の……あなたもお墓参りに来たの?」
誰だと内緒話でかなに聞いたら、近所で暮らしていた者で、
かなの弟とも仲良く遊んでくれていたそうだ。
「この子の父親もここに……私の家族の傍で眠っていて」
「そうか……」
「ふみちゃん、元気そうでよかったわ」
ふみと呼ばれたその少女は、
かなの姿を見て、嬉しそうにこちらへと駆け寄ってくる。
とっさのことで姿を隠せなかった俺様は、せめてもとさっと背を向けて、
娘にあまり見られないようにと、必死で祈った。
勘のいい子どもは、俺様の姿に怯えることがあるからな。
その辺の子どもも、桃色の嬢ちゃんのようだったら良かったのに……。
(あ、俺様は最初、怯えられていたじゃねえかよ。だめじゃねえか)
ということは、相手に慣れてもらうしかないのではないか、いやしかし、
ここを加護したら、俺様は氏神になるんだぞ?
氏子に恐れられる神って一体どうなんだよ。
「かなお姉ちゃん今までどうしていたの?
姿が見えなくなって、畑も荒れていたから、私てっきり……って」
誰? と言わんばかりに、小さな娘の視線が俺の方に集中する。
よそ者に警戒しやすい年ごろということもあるが、俺様は元々強面なんだよな。
桃色の嬢ちゃんにも怖がられた俺様の顔を間近で見られたんだから、
これは泣き叫ばれるかもしれないと思うと、俺様は頭を抱えた。
子どもは好きな方だと思うが、怯えられるのには困る。
すると、すっと俺様の間に割り込むようにかなが立つと、
ふみと呼ぶ娘に視線を合わせて笑いかけていた。
「……私ね。実は遠い所にお嫁に行くことになったの。
といっても、もう婚儀も済ませちゃったんだけど。
この人は私の旦那様なの」
「お嫁に? 遠い? すごく遠いの?」
「ええ、すごく遠くて……きっと、もう会えなくなるわ。
今日は旦那様が里帰りを許してくれてね。こうして一緒に来たの。
私の両親と樹に……結婚の報告をしに来たのよ」
「そうなんだ。じゃあ、お姉ちゃんもどっかに行っちゃうんだね……」
「うん、ごめんね。ふみちゃん。どうか元気でね」
「うん……かなお姉ちゃんもね……」
ぎゅっと抱き着いてきた娘に、かなは頭をなでてお別れを言う。
かなが望めば何度でも連れて来てやりたいところだが、
時間の流れがこれから大きく変わっていくかなには、
村の者とは同じように老いることができないことを話しておいた。
いつか、かなが村人に奇異の目で見られることになるだろう。
だから、どこかで別れを告げなければいけない時は来る。
遠くに嫁に行くということで、居なくなったかなは、
少しずつ村人に忘れられていくだろう。
「まだ……時間はあるんだぞ」
「いえ、いつかはお別れをしておかないといけませんし。
もうここで、言葉を交わせるような親しい人はいないですから」
かなは無数の墓を振り返り、「ありがとう、さよなら」と小さくつぶやく。
家族も親しかった人間も今はみんな土の中で眠っている。
これで心置きなく去れると笑ったかなを抱き寄せると、
すんと鼻を鳴らして、「ありがとうございました」と、かなは話した。
「ようやく、私も前に進めそうです」
「ああ……」
その後、周りが暗くなるまで近くの川で体を休めて、
蛍の光を見たりしながら、かなの暮らしていた村の中を歩いた。
夜の闇に覆われているのなら、俺様の姿もそう目立つことはないだろう。
暗がりの中、村長にそろって挨拶しに行って、
かなが他所に嫁ぐという話をすると、
それを聞いた村長は、若い娘が居なくなることにとても残念がってくれたが、
居場所が出来たのなら良かったと、快く送り出してくれた。
「ミズチ様、あの、家の方にも立ち寄ってよろしいですか?」
「ああ、必要なものがあるなら時間を取るぞ。
どうせなら今夜はそこに泊まるか? 片付けがあるんだろう?」
「はい、ありがとうございます」
時間がたてばここにある物は朽ちてしまうし、
かなが住んでいた家も誰かが移り住むようになるだろう。
形見の品や思い出の物を風呂敷にまとめ、その他の物は家の前で処分し、
頃合いを見計らって俺様が雑炊を作って差し出した。
「お疲れさん。飯がちょうどできたぞ」
「あ、ありがとうございま……ミズチ様が作られたのですか?」
「おう、これでもな、家事全般は出来るんだぞ」
嫁を口説くために、いっぱい修行したんだ。
壊したものは数知れず、女房達にもさんざん迷惑をかけた。
それで今、努力が報われる時が来たんだぞと。
「だからいつだっておまえさんと、駆け落ち出来るからな」
そう言ったら、かなはまた笑いだして、
「水域の主様なのに、家臣の皆様が卒倒してしまいますよ」
と言っていた。
……前に同じことを、すでにやらかしているということは黙っておこう。
そして夜も更けてきて、そろそろ寝るかという頃、
かなは粗末な寝具で申し訳ないと、
上掛けの着物代わりの藁の束を俺様に手渡した。
「あ、あのですね。私達のような身分の者は、
そういくつも着物を持っていたりしませんので、
畳の上で眠ったりせず、藁の中に潜って眠るんです……」
声がどんどん小さくなって、かなはうつむいてしまった。
神様相手にこんなことをさせる事に、申し訳なくなったのだろう。
「大丈夫だ。これでも方々を旅していたからな。
野宿することだって多かったし、屋根の下で寝られるだけでも上等だろ」
かかかと笑うと、かなはほっとしたように笑う。
明日にはここを出立し、住み慣れた村にもお別れを言うことになるだろう。
そうなれば、しばらくは戻っては来られない。
かなはすっきりとした家の中を見回して、
やり残したことがない事を確認すると、
囲炉裏の中に灯していた火を、火かき棒を使って灰をかぶせて消し、
床についていた。
「……なあ、かな」
「なんでしょうかミズチ様」
「そろそろさ、一緒の寝床にしてもいいんだぜ?」
「……っ!、え、ええと、その」
夜目の効く俺様からも、かながひどく動揺しているのが分かった。
その反応に、さすがにまだ手を出すのはあれか……。
(こんなんで、よく水神相手に色仕掛けをしようとしたな)
呪術師の使った幻術というのは末恐ろしい……。
「分かった。また今度な?」
「あ……はい……すみません……」
内心がっくりしつつも、余り急いて怖がらせても可哀そうだ。
すると手をつないでもいいかと、横で寝ているかなが言い出して、
少しは俺様のことを、夫として意識してくれているんじゃねえかと、
かなり嬉しくなった。雄というものはなんて単純なのだろうか。
暗がりの中、つないだその手は思っていたよりも温かく。
この娘が生きているのだと安堵できる。命ある者のぬくもりだ。
それで、ああ……やっと俺様達は夫婦になってきているのだなと、
またつなげる距離に居られるのだなと、また嬉しくなって、
口元がついつい緩んでしまう。
「おやすみ、かな」
「は、はい……おやすみなさいませ、ミズチ様」
かなが微笑んでいるのが分かった。
……もう少ししたら、様付けで呼ぶのも止めさせよう。
なんだか距離を感じてしまうので、寂しくなるじゃねえか。
すると、つないだ手がさらにぎゅっと強められ、
ふと横を向けば、かなが震えているように見えた。
「かな、どうした寒いのか? 囲炉裏の火をつけておこうか?」
俺様には平気な外気だが、かなには辛いのかもしれない。
着ていた着物の一枚を脱いでかなの体にかけて抱き寄せると、
かなは俺にしがみ付くようにして、すすり泣いた。
「ずっと……この家の中で一人、誰にも顧みられることなく、
朽ちていくものだとばかり思っていたんです」
「かな……?」
「両親も弟も亡くなってから、ずっとこの静かな家の中が嫌いでした。
思い出がたくさんあるから、余計に一人なのが辛くて、寂しくて……。
私だけが取り残されていく感じで、こうしてまた、
家族と一緒に眠るなんて出来ないと思っていたんです」
毎日、毎晩のように孤独に耐え切れずに泣いていたというかな。
だから余計に、今起きている出来事が信じられないのだと話す。
「もしかしたらミズチ様と居られることが、私が思い描いていた夢で、
目が覚めたら私はやっぱりここに一人でいて、ミズチ様もいなくて……。
現実に引き戻されてしまうんじゃないかって、怖くなってしまって」
残された痛みを俺様もよくわかっている。
分かっているから、かながそう思ってしまうのも理解できた。
それは俺様がかなを見つけられた時から似たような思いをしているからだ。
だけど大丈夫、きっと大丈夫だ。少しずつ手探りで歩み寄れたように、
感じていた痛みもいずれは癒えていくだろう。
「……大丈夫だ。これは夢じゃねえから。
安心して眠れ、かな……夢路は守ってやるからよ」
心配しなくても一緒に居るからと告げると、
かなはようやく安心したようにうなずく。
せめて、かなが寝付くまで、髪をなでていようと思った俺様に、
かなはうとうととしていた目を開け、
顔を上げて俺の居る方へと向き合った。
「……あ、あの……ミズチ様?」
「ん?」
「迎えに来てくださって……ありがとうございました。
ずっと、お礼を言えなくて、ごめんなさい」
「ああ、いいってことよ」
「……私、もう……一人じゃないんですね……」
「ああ、そうだ。ずっと一緒だ」
ゆっくりと、それでも確実に止まっていた時間が動き出している。
引き離されていた間のことを惜しむように、
俺様達はそのまま手をつないで眠りについた。
今夜はいい夢が見られそうだった。




