姫の桃狩り
やわらかい若葉が木々に増えたころ、
吹いてくる風もやさしくなって、私にも過ごしやすい季節になってきた。
龍青様が私や郷を守ってくれるおかげで、
獣や人間とかの外敵に襲われなくなったから、
郷の中なら私は気兼ねなく、どこでも安心してお昼寝が出来るようになっていて。
今日は天気も良くて、巣穴近くのやわらかい草の上でころんと寝転がり、
スピスピとお昼寝をしてみることにした。お日様が体に当たってあったかく、
風が吹くとさわさわと草の匂いと土の匂いがして、とても気持ちが良い。
「おや、ここに居たのかい、姫」
「スピー……キュ?」
すん……と鼻が動き、嗅ぎ慣れた良い匂いがして目が覚める。
「キュイ」
あれ龍青様? 龍青様だー……。
まぶたがとろんと閉じて、私はまたスピスピと寝息を立てた。
「姫? うーん姫はおねむさんのようだね。
今日は桃狩りに行こうかと誘いに来たんだが、難しそうだ。
残念だけど、桃の季節は短いから……行くのはまた今度にするかい?」
「キュ!?」
大好きな桃だと聞いて、眠い目をこすって意地でも起き上がる。
行く、行くよ! 行くに決まっている。
大好きな桃を採りに行くんだもの、ずっとずっと待っていたんだから。
抱っこ抱っこと両手を伸ばして、足元でぴょこぴょこ飛び跳ねていたら、
龍青様は笑いながら私の頭をなでてくれた。
「眠気より食い気の方が姫は強いようだね。
それとも姫は桃のことになると、飛びつきようが違うのかな?」
ようやく好物の桃が食べられるぐらいに実り、
龍青様とお屋敷のみんなと一緒に、あの場所に桃狩りに出かける事になって、
私は眠気も吹っ飛び、龍青様の腕の中で、「もーも、もーも」と言いながら、
小さなしっぽをめいっぱいぶんぶんと振って喜んでいた。
今日の神隠しは、待ちに待った桃狩り、
これは絶対に付いて行かなくては。
「ふふっ、姫はごきげんだね」
「キュイ」
だって大好きな桃を採りに行くんだもんね。
あのね? とと様と、かか様にも桃をお土産に採っていい?
初めて龍青様に桃をもらった時から、
両親にも食べてもらいたかった事を思いだした。
いつもおいしい物は家族で分け合って食べていたからね。
「もちろんいいよ。じゃあ、姫が選んでやるといい」
「キュイ」
「喜んでもらえるといいね」
「キュ」
喜ぶよ。だって龍青様の桃はとってもおいしいんだもの。
天気も良いから、ついでに昼餉もそこで食べようという事になり、
重箱という、黒いうるし塗りがされた箱の中に食べ物をたくさん入れて、
敷物や日よけの籠、行李を持った侍従のお兄さんや、
女房のお姉さん達が荷物を抱えて、わらわらと私達の後に続く。
その姿を見て、これも「こんぜんりょこー」なのかなって龍青様を見た。
「そうだね。日帰りの婚前旅行だ」
「キュ!」
こんぜんりょこーって、楽しい事ばっかりなんだね。
私はすっかりお気に入りのひとつになった。
さて、山の奥深くに私達の目指す桃の木があるんだけど、
そこまでたどり着くには、ちょっとした距離がある。
私の短い足で行くには大変なので、今日も龍青様に抱っこしてもらった。
あそこにある桃の木は遠い昔、龍青様のご先祖様が植えた大事な木らしい。
「それにしても、こんなに姫が桃を気に入るとは思わなかったな」
「キュ?」
「桃は仙果といってね。神の子が宿りやすく、
神気も宿るので、破邪退魔の力もあると言われている。
だから最初は魔よけのつもりで姫に食べさせていたんだよ」
「キュイ?」
「ああ、姫には少し難しかったか。
つまりね。悪いものを寄せ付けないようにとしていたんだ。
前にあげた匂い袋や、身に付けていた赤い着物も同じ意味でね。
姫のことを守ってくれるようにと、用意していたお守りなんだよ」
そう言って、龍青様の手が私の頭に触れる。
今までお兄さんが私にくれたものは、みんな私を守るために用意してくれた物。
あの時はまだ、私が生まれた意味も分からなかったし、
龍青様のとと様に狙われていたのも知らなかった。
(あの頃からずっと、龍青様は私を守ってくれているんだ)
ううん、それよりもずっと龍青様は守ってくれていたよね。
私が逃げ込める場所と、私が無事に生きて行けるようにって。
私は本当に大事にされているなっていうのが嬉しくて、
ゴロゴロと喉を鳴らして龍青様に抱き付いて甘える。
「今日はだからお祝いも兼ねているんだよ。
桃姫がこの一年、無事に成長してくれたことへの」
「キュイ」
風が吹いて、木漏れ日を浴びながら歩を進める。
水の属性を持つみんなは、ちょっと野歩きが苦手そうで少し遅れ気味だけれど、
みんなにとって陸の世界はとても興奮するのか、目をきらきらとさせていた。
苔の生えた大木を潜り抜け、すれ違う小さな獣たちを横目に見ながら、
進んでいった山間に私たちの目的の場所がある。
他の緑の木々によってぐるっと囲まれてはいるものの、
そこだけは開けた場所になっていて。今日も日の光をたくさん受けて輝いていた。
「ほら着いた。姫、おまえの好きな桃がよく実っているようだ」
「キュ……」
どこもかしこも、見渡す限り薄い紅色に色づいた桃がある。
ぐるっと見回して、私は初めて桃が木に直接実っている所を見た。
鼻をすんすんっと嗅ぐと、甘い桃の匂いがして私の気持ちを高鳴らせる。
(こんなに、おいしそうな桃がいっぱいある……)
じゅるっと、よだれが出た。
花の季節に来て、とてもきれいな場所だったのを覚えていたけれど、
今もまた、とてもすてきな場所に様変わりしているではないか。
そわそわし始めた私に、苦笑した龍青様が地面に降ろしてくれると、
待ってました! と私は両手を上に伸ばして、顔を木の上へと見上げながら、
桃の木の間をくるくるっと走り回った。しっぽがぶんぶんと揺れている。
「ははっ、姫、気を付けなさい、そんなに走ると転んでしまうよ?」
「キュイ! キュイ!」
桃がいっぱい、みんなおいしそう!!
どれにしようかな、どれからにしようかな!!
木にしがみ付いたり、両手を伸ばしてぴょこぴょこ飛び回る。
「まあまあ、姫様、そんなにはしゃがれて」
「姫様の好物ですものね」
「ふふふ、姫様が喜んでいると私どもも嬉しいですわ」
「おまえたち、この辺に敷物を用意しておいてくれるか。
みんなも疲れただろうから、少し休んでから作業に入ってくれ」
「はい、公方様」
私が龍青様の方まで戻ってくると、龍青様はおいでと言って、
私の両脇に手を添えて抱き上げてくれた。
「さあ、じゃあ姫はお待ちかねの桃狩りだ。どれにするか決まったかい?」
「キュ、キュ~」
どれにしよう、私と龍青様で半分こにする分と、とと様とかか様の分。
私はきょろきょろと見回して、ひときわ大きな桃の実を見つけた。
その木に実っている桃はたくさん日の光を浴びて、おいしそうに色づいていた。
「キュイ」
私はあれがいいと言って龍青様に指さして言うと、
龍青様が私の体を持ち上げたまま、桃の実に近づけてくれた。
「桃は傷みやすいからね。そっと包み込むようにして……そうだ。
あとはゆっくりと回すように動かしてごらん?」
「キュイ」
わくわくしながら、ふさふさの皮におおわれた桃を小さな両手で包み込むと、
ギシギシと音がして、やがてぽきっと音がした。
その途端……私の手にあった桃はずしりと重みを増して、
ぽろりと手からこぼれ落ちてしまう。
「キュ――!?」
私のもも――っ!?
すると龍青様の足元から、水で出来た蛇がたくさん出てきて、
地面にぶつかりそうだった桃をさっと受け取り、私の元へと持って来てくれる。
「ほらよ、受け取れ」と言わんばかりに、私の手に戻ってきた桃を受け取ると、
私は水で出来た蛇にキュイっとお礼を言った。
……お礼、言っても平気だよね? そもそもコレ、生きているのだろうか?
「よしよし、良かったね姫」
「キュイ」
次いで、とと様とかか様の分も採ると、今度は上手く採ることが出来た。
私はごきげんでキュイキュイ鳴きながら、敷物がある場所へ龍青様と一緒に行き、
蛇が運んでくれた桃を一個ずつ並べて、座り込む龍青様の膝の上に収まった。
龍青様に採ってもらった桃じゃないけど、
お膝の上で食べさせてもらえれば、みんな龍青様の桃だよね。
小さな手をぱちぱちと鳴らして、「桃、食べたい。はやくはやく」と、
キュイキュイ鳴いておねだりをする。もう私の頭の中は桃一色だ。
「姫、桃は昼餉の後にしようね」
「キュ……?」
すぐ食べられないの!?
で、でも私は知っているぞ。おねだりをする時は思いっきり甘えると、
龍青様が顔をちょっと赤くして、私のお願いを聞いてくれるんだって事を。
……なんで赤くなるのかはよく分からないけれどさ。
「キュイイ……」
「し、しかたないな。そんなに桃が先に食べたいのか。
ところで、いつからそんな甘え方を覚えたんだ? おまえは」
「キュイ、キューイーイイ」
食べる、たーべーたーい! 龍青様と一緒なの――っ!
龍青様のお膝の上でキュイキュイ鳴いて、手足をじたばたと動かす。
しっぽをぶんぶん振って、龍青様におねだり攻撃だ。
龍青様のお膝の上でゴロゴロ寝っころがって食べるのは、
今しかできない私の一番の幸せなのだから、一番に味わいたい。
うるうると涙を浮かべて、「ももぉ……」と龍青様の目をじいっと見つめる。
「わ……分かった……分かったから。
昼餉もちゃんと食べるんだぞ? お兄さんとお約束できるかな?」
「キュ!」
お約束する! 私は起き上がって、やっぱり龍青様大すき! と、
しっぽを振って龍青様に、ぎゅっと抱きついたのだった。
「そ……そうだね。姫の一番はまだ俺だよね?」
「キュイ!」
「公方様、簡単に落ちましたわ。さすが姫様」
「……姫様には本当に甘いですわね」
「ふふふ、本当に」
女房のお姉さん達がそんな私達を見て笑っている。
お姉さんだけじゃない、侍従のお兄さんも残りの桃をもぎながら、
笑いをこらえているようだった。
うすい皮をむいてもらって、わくわくしながら桃の欠片をくれるのを待つ。
実は桃が大好きな私でも、まだ一個は量が多すぎて食べられないんだよね。
もったいない気がするけど、残りは龍青様が食べてくれるので心配ない。
龍青様の顔を見ながら大好きな桃を分け合って食べる。
私にとって一番のぜいたくだ。
だって、龍青様がかまってくれる時しか、こんなことは出来ないからね。
だから私はめいっぱい甘えさせてもらうんだ。
私はまたころんと後ろに寝転がり、両手を伸ばして桃が来るのを待つ。
「あわてなくても姫の分の桃は逃げないからね。
喉につまらせないように、ゆっくり噛んで食べるんだよ?
……こら、聞いているのか姫」
「キュイ、キュイイ」
「うわっと」
皮をむいて、食べやすく切られた桃。
そのかけらを差し出され、桃に大興奮で飛びつく私は、
ぷらーんと桃にぶら下がるようにかじり付く。
そのまま桃を受け取り、柔らかい果肉をしゃくしゃくとかめば、
食べごろの桃の甘い汁がじゅわああ……って口の中に広がった。
甘い、なんて甘い桃なんだろう、私は思わずうっとりと目を細めた。
きっと今の私は、一番幸せな龍の子どもだと思うよ。
「キュイ」
おいしい、すごくおいしいよ、龍青様!
残りのかけらを両手で受け取り応えると、
龍青様がとっても嬉しそうに笑ってくれた。
「ふふ、そうかそうか、それは連れて来たかいがあったよ。
さて俺もいただくかな……うん、今年も甘く実っているね」
半分こした方の欠片をつまむと一口食べて、
龍青様はにっこりと笑ってくれた。
「キュイ」
おいしい物を分け合って食べられるって、すてきだよね。
とと様達とはぐれたときや、龍青様が寝込んだときに私はそれをすごく思った。
どんなに美味しいものがあっても、
一緒に居てくれないと美味しく感じないんだよね。
「キュイイ?」
他の桃はどうするの? たくさんあるのに食べきれそうにないや。
桃をほおばりながら、侍従のお兄さんと女房のお姉さんが次々に桃を採っては、
持ってきた籠の中に入れていくのを見つめた。
「桃の時期は短いからね。姫や俺達が食べきれる量だけ残して、
後は保存用に水分を俺が抜き取って干すんだ」
そう言いながら、龍青様は水の蛇をたくさん出して桃を採らせていた。
水菓子が食べられない季節、龍青様がくれた干した桃はおいしかったよね。
どっちの桃も私は大好きなので、出来上がるのがとっても楽しみだった。
その後、昼餉を食べ、また桃を採ったり、遊んだりしていると、
やがて女房のお姉さんや侍従のお兄さん達が、帰り支度を始めた。
「さて……名残惜しいがそろそろ帰ろうか、姫」
「キュ」
あれからまた桃のかけらの残りを食べていた私は、
手に着いた甘い汁をぺろぺろなめとって、夢のような時間は終わった。
振り返ると、もう熟れたての桃はすっかりなくなってしまって、
後はまだ緑色の桃だけが少し残っている感じになっている。
みんなが食べられる桃は全部取り終えてしまったからだ。
今はぎっしりと桃が籠やら行李の中に詰まっている。
ちょっと残念だけど私はキュイっと鳴いて、自分が獲った二つの桃を持った。
「キュ」
とと様とかか様の分……さて、桃二つだと私には持てそうもない。
どう持って帰ろうかな。頭にでも乗せてみようとしたら、龍青様に止められた。
「姫、土産用はこれで一つ包んでいこう」
「キュイ?」
龍青様は行李の中から、緑色の小さな布を広げて見せた。
緑色の布には白いツタのような模様が描かれている。
「唐草模様と言うんだよ。これは姫用に作っておいた風呂敷だ。
こうやって包み込んで、先を結ぶんだよ」
布で桃の一つを包み、両端の布を私の肩に掛けて前で結ぶ。
すると桃を背負い込むことが出来たのだ。すごい、これなら持っていきやすいね!
私はぶんぶんとしっぽを振って龍青様にお礼を言った。
私のために作ってくれたという事は、これはもらっていいんだよね?
という事は……私はせっせと龍青様にふろしきの先をこすり付けて、
大好きなお兄さんの匂いを付けた。
「両方背負い込むのは姫には大変だから、一つは俺が持って行く事にしよう。
こら何をしているんだ。それは拭く物じゃなくて包むものだよ」
「キュイ」
知っているもん。龍青様の匂いを付けているんだもん。
「……俺の匂いがそんなに好きか、姫」
「キュ」
大好きだよ。だって私が大好きなお兄さんの匂いだもんね。
私の物にはみんな龍青様の匂いを付けておくんだ。
「……っ!」
「キュイ、キュイイ」
だから、これでいつも龍青様と一緒なんだって言ったら、
龍青様は顔を真っ赤にして「し、しかたないな」って言っていた。
ふと見ると、着物の裾から龍青様のしっぽが揺れているので、
私は龍青様のしっぽをなでなでしてあげたら、龍青様が飛び上がって悲鳴を上げた。
「きゅ、急に触るなと言っているだろう姫」
「キュ」
じゃあ、これからさわるね。
「え、ちょ、ちょっとま……ひ、姫、ま、待ちなさい!」
龍青様が今日はここまでにしようねと、顔を真っ赤にされて止められたので、
キュイっと鳴いて、「じゃあまた明日さわる」といったら、
ますます困った顔をされた。
私は振り返って桃の木を見つめる。今日はとっても美味しくて楽しかった。
また来たいなってキュイキュイっと鳴いた。
「……姫の御両親には、この場所に立ち入る許可を出しておこう、
今度あの青い実が実る頃に教えてあげるから、家族で来るといい」
「キュイ」
私はこくりとうなずいて笑った。
じゃあ、そのときは龍青様も一緒だよね。
「え?」
「キュイ、キュイイ」
だってね。私と龍青様はいつか番になるんでしょ?
そうしたら龍青様は、私たちと家族になるんだもん。
龍青様のとと様が、私が龍青様の嫁になったら娘になるって言っていたから、
龍青様も私のとと様とかか様の子どもになるんでしょ?
私は知っている。龍青様は家族でお出かけとか出来なかったんだって、
だから私がとと様たちにお土産にしていいかって聞いたら、
ちょっと寂しそうな顔をしたんだよね。
「キュイ」
でも私はもう龍青様の家族のつもりなんだ。
だから龍青様も一緒じゃないと、寂しくて泣いちゃうのだ。
いいのか、私が泣くと本当にしつこいんだぞ、
来てくれるまで鈴を鳴らしまくって呼びつけちゃうぞって言ったら、
龍青様は笑って私の頭をなでた。
「キュ」
「ああ、そうだね……婚約者の願いとなれば叶えなければ。
じゃあ約束しよう、今度はまた桃が実るころに、みんなでここへ」
「キュイ!」
風が優しく頬をなでながら、私たちは歩き出す。
これからもたくさんの約束と、思い出をみんなで作っていこうねって、
そう話すと、龍青様は嬉しそうにうなずいてくれた。
新しい約束をすると、2つのしっぽが仲良くゆらゆらと揺れていた。




