桃姫のお見舞い③~お土産は手づかみで~
龍青様のお屋敷に行く前に”じよう”を求めて、
ミズチのおじちゃんと寄り道をすることになった。
一体どこに連れて行ってくれるんだろうなと思っていたら、
連れてこられたのは流れの緩やかな小さな川だった。
水の深さも浅いので、小さな私でも溺れて流される心配もなさそう、
岸辺にそっと降ろされた私はミズチのおじちゃんを振り返る。
で? ここで何を狩るの?
「嬢ちゃん、あれを見てみな」
「キュイ?」
ミズチのおじちゃんに指を指された先で、その物体はあった。
黒くて細長い何か……が、川の中でうようよとたくさん泳いでいる。
なんだあれ、蛇かな? 蛇って川の中でも泳げたりするの?
私と同じように陸地で暮らしているはずなのに、泳げるのか蛇。
私なんて、まだ泳ぐのも出来ていないのにな……なんて思いながら、
見た事もない生き物に怯えた私は、ミズチのおじちゃんの足にしがみ付いた。
「ほれ、ここなら水も浅いから嬢ちゃんでも獲れるだろ?
嬢ちゃんあれから好きなもんを獲ってきな、龍青が喜ぶぞ」
「キュ!?」
え、まって、あの黒い変なのをまさか龍青様に食べさせる気?
黒光りしていて、なんかぬるぬるしてそうだし、
動きもなんか、うにょうにょと動いているから怖くて嫌なんだけど。
あんなものを龍青様に食べさせたりしたら、龍青様が泣いちゃうよ。
ミズチのおじちゃん……まさか私が子どもだからって、
私をだまして、弱っている龍青様に嫌がらせしようとか思ってないよね?
そうだったら絶交するよ。龍青様はいじめちゃだめなの。
私はしっぽをぶんぶん振ってキュイキュイと怒った。
「いやいや、あれはうなぎって言ってだな? 川魚の一つだよ。
もしかして嬢ちゃんは、まだうなぎを食ったことがねえのか?
滋養強壮っていって、食えば美味くてとっても体にいい、
ありがたい食べ物なわけよ」
「キュイ?」
……ほんと?
「ああ、あれをさばいて、白蒸しして塩を付けて食うと美味いぞ」
ここはミズチのおじちゃんが管理している水源の一つらしい。
水神の供物になって、神の血や肉になるのを喜ぶ連中も多く、
余所の者とはいえ龍青様も水神さまの一人だから、
龍青様のために、みんな喜んで身を捧げてくれるって教えてくれたけれど。
「……キュ」
私が、あれを獲らなきゃいけないのか。あの、うにょうにょを。
私は震えながら、おそるおそる川の中に入ろうとする。
手に持っていたお花と手まり、それに着ていた赤い着物は、
ミズチのおじちゃんに持っていてとお願いしてみた。
そして両手を前に伸ばしたまま、そろそろと川の水に足としっぽを浸ける。
「キュ」
龍青様の加護のおかげで、触れてもひんやりとした感じはしなくて、
水は私のぽっこりしたお腹位の深さがあった。
「……」
そして私の目の前では、うようよ、ぬるぬるとした、
黒い蛇のような姿のうなぎとかいうお魚が泳いでいた。
……なんか、やっぱり動きが怖い。なんだこれ、本当に魚なの?
というか、本当に食べられるのこれ?
「ほらほら、早く獲らないと夕暮れになっちまうぞ」
「キュ……」
だってだって……なんか私の知る魚と違って怖い。
お魚は好きだけど、これは見た目とか動きがなんかやだ。
涙目で振り返る私に、ミズチのおじちゃんは苦笑していた。
「そいつはな、龍青の好物の一つなんだよ。
体を壊した時に食欲なくても、うなぎだけは食べられるんだ。
ガキの頃はよくあいつと捕まえたりもしていたな」
その言葉に、私のしっぽはぴんと反応した。
な、なんだと……? りゅ、龍青様の好物?
「キュイ」
そういえば私、龍青様の好きなものってあんまり知らない。
私の知らない龍青様の話を他から聞くと、胸がちくんとするけど、
それと同時に私は嬉しくなった。
また一つ龍青様のことが知ることが出来たんだもの。
「キュイ?」
……ほんとうに、龍青様喜んでくれる?
「ああ、で、どうする? どうしても嫌なら止めておくか?」
ぷるぷると顔を振って、私はうなぎに向き合う。
そうと聞いたら、止めるわけにはいかない、何が何でも仕留める。
これが龍青様の好きな物と知った私は、がぜんやる気になった。
しっぽをぶんぶんと振って、威嚇の姿勢に入る。
「キュ……キュ……」
じゃあこれをあげれば龍青様が元気になる?
前みたいに笑ってくれる? 遊んでもらえる?
なら私は、私は……。
「キュイイイ!!」
私は涙目で川の中を歩き、爪をじゃきっと伸ばすと、
叫びながらうなぎに思い切って飛び掛かった。そうとなれば話は別だ。
いつも好物の桃をくれる龍青様の恩返しもできるのだ。
私は得体のしれない物体、うなぎに戦いを挑んだ。
「キュイイ!」
うなぎたちよ、大人しく龍青様のお腹に収まるのだ!!
でも相手は私が思っていた以上に手ごわかった。
捕まえたと思ったら、手からつるつると滑って逃げられてしまう。
つかみどころのない変な生き物、うなぎ。
私の天敵その3になると思った。
な、なんだこれ? どうやって獲るの!?
「キュイ、キュイイイ!?」
だけど私は逃げないぞ! そこに龍青様の好物があるのなら!!
「キュー!!」
龍青様の晩ごはん――っ!! 逃げるなぁあああっ!
ばちゃばちゃ、ぼちゃぼちゃと水しぶきを上げ、
私はキュイキュイ鳴いて、半分溺れているんじゃないかと思うほど、
うなぎと取っ組み合いの戦いになった。
体は上に下に向きが変わり、手足をじたばたと動かしてうなぎを追う。
でも噛みついても、引っ掻いても、しっぽでぺしぺし攻撃も効かない。
な、なんて強いんだ。この私の攻撃が全然効かないなんて!?
うなぎは私に余裕の顔を見せて、素知らぬ顔で川を泳いでいるではないか。
あんまりにも捕まえられないので、「りゅ、龍青様にあげるの……」と、
最後にはすんすん鼻を鳴らして、もう一度両手を前に伸ばすと、
川を泳ぐウナギを追いかけて、くやしさと悲しさでキュイキュイと泣いた。
龍青様に元気になって欲しいのに、うなぎが捕まってくれないなんて。
「あー……もう少し手伝ってやるか」
私の苦戦ぶりに、見かねたミズチのおじちゃんが手まりを横に置くと、
花と着物を脇に抱えたまま、手を叩いてもっと近くに呼び寄せてくれた。
ミズチのおじちゃんも、やっぱり神様なんだね……なんて思ったけど、
今はそれどころじゃないので言わなかった。
せっかくミズチのおじちゃんが呼んでくれたうなぎだったけど、
うにょうにょと動きまくって、全然捕まえられそうになかった。
「キュイ! キュイ!!」
そうして何度目かの挑戦で振り下ろした私の爪に、
一匹のうなぎがぐさりと刺さり、驚いた私が慌てて手を振れば、
川岸へと、ぽーんと放り投げていた。
「よし! 上等だ。嬢ちゃん」
「……キュ?」
気づけば一匹仕留めていたらしい。
びちびちというより、うにょうにょと動くうなぎが岸辺に転がっていた。
や……やったぞ私! うなぎに勝ったんだ。
「よしよし、んじゃ待ってな」
ミズチのおじちゃんが、捕まえたうなぎの体をひとなですると、
私が付けた傷は消え、白くて光の玉のようなものがすう……っと、
うなぎの体から出てきて、近くの川の中に入って消えていった。
「キュ?」
「魂抜きだ。供物になってくれたもんが苦しまねえようにな。
これで今の奴は新しい命を得て、ここで生まれ変わるんだよ」
そうして私が獲ったうなぎは、まだびちびちと動きつつも、
ミズチのおじちゃんの取り出した布に包まれて持ち上げられた。
「よし、これであいつへの手土産はいいな」
「キュイイ……」
「はは、嬢ちゃん、お疲れさん。上がっていいぞ~」
ようやくうなぎから解放されて、私は川岸に戻り、
着物を着ると、待っていてくれた手まりと花を持ってぐったりとする。
そのままミズチのおじちゃんの腕に抱き上げられて、
再び水の中にとぷんと音を立てて潜り込んだ。
ふう、やれやれ……これでようやく龍青様に会える。
「キュ」
龍青様、喜んでくれるといいな。
「それにしても相変わらず嬢ちゃんは元気だなあ。
だからな、龍青の奴が心配していたぞ?
俺が居ない間に嬢ちゃんに何かあったらとな」
「キュ?」
「寝床の上であんまりに心配するもんだから、
俺様が嬢ちゃんの様子を見に行ってやるって言ってやったんだ。
いっそ連れて来たらどうかと思って今日は寄ったんだよ。
まさか、滝の前で泣いているとは思わなかったがなあ」
「キュイ」
そうなんだ。ありがとうミズチのおじちゃん。
「だから、おじちゃんはやめろって」
「キュ?」
私は首をかしげた。何かおかしいのだろうか?
呼び方について、教えてもらっている言葉は少ないんだけど……。
じゃあ、かれいしゅーのおじちゃんかな?
「なんでだよ!?」
「キュー」
いやなの? じゃあ、かいしょーなしでいい?
いつも仕事もしないでぶらぶら遊び歩いている雄も、
そう呼ぶって教えてもらったんだよね。
「いや、俺様だって水神の仕事はしているからな、
ぶらぶらと遊んでばっかりじゃねえぞ?
とりあえず俺様は、そのおじちゃんと呼ばれるには早いからな」
「キュ?」
幼い私から見ればおじちゃんだから、だいじょうぶ!
「うぐ!? そ、そりゃ嬢ちゃんと比べれば歳は離れているけどよ。
龍青だって……って、龍青か? 龍青の奴だな!?
そんなおかしな言葉を嬢ちゃんに教えたのは」
「キュ」
そうだよ。よく分かったね。
私はしっぽをぶんぶんと振って応えた。
龍青様はね。いろんなことを知っていて私に教えてくれるんだよ。
覚えたての言葉だから、忘れないようにしたいんだけど。
私はあんまり意味が分かっていないけど、
字の練習を少しずつだけどしているの。
いつか私が字を覚えてちゃんと書けるようになったら、
薄紅色の紙と、すずりと筆とか一式を用意してくれるから、
それで手紙のやりとりをしようねって言ってくれて、
龍青様と約束しているんだ。
最初に覚えたのが私の名前で、次に龍青様、とと様、かか様の字、
で、今気に入っている言葉があってね?
「のんだくれ」と「ろくでなし」と「ごくつぶし」なんだよ。
「……は?」
「キュイ」
だから、「のんだくれ」と「ろくでなし」と「ごくつぶし」なの。
龍青様がね?
『こういう雄は絶対に仲良くなっちゃだめだよ』って言っていたの。
信じたら私がとっても嫌な思いをするからって。
それで、とと様にも覚えたてのこの言葉を教えてあげたらね?
面白い反応をしてくれたんだ。
そう言ったら、ミズチのおじちゃんが頭をがっくりと項垂れた。
「嬢ちゃん……それ意味を分かって言っているのか?」
「キュイ?」
ううん。知らない。でも言いやすくていいよね。
「じょ、嬢ちゃん……あいつの教える事は変なのもあるからさ、
あんまり信じて、余所では言わないようにな? な?」
「キュ?」
なんで? せっかく龍青様が教えてくれた言葉なのに。
抗議のためにキュイキュイと声をあげる。
「なんでもだよ」
よく分からないけど、やっちゃだめらしい……なんでだろう。




