19・遭遇
シャンシャン……シャンシャン……。
聞きなれない音がした気がして、閉じていたまぶたを開く。
気づけばどこかにしゃがみこみ、うつむいていたようだ。
遊び疲れて眠ってしまったのだろうか。
「――……童ではないか、こんな所で何をしている。迷子か?」
急に声を掛けられて見上げると、
目の前には見知らぬ青銀色の龍のおじさんが居た。
「……キュ?」
周りをきょろきょろと見れば、私の住んでいる龍の郷でもないし、
いつも遊んでいる龍青様のお屋敷でもない。ここはどこだろう?
見えるのは私の背よりも高いたくさんの木々と、流れの緩やかな大きな川、
その近くに、私でも住めないようなとても小さな祠っていう、
人間の家みたいなものがあり、私の背位のこれまた小さな鳥居があった。
前に絵巻物で見せてもらった陸にある龍青様のお社に比べて、
古ぼけていて、とてもとても小さなもので、
私が上に飛び乗ったらすぐ壊れそうなつくりだ。
「これが気になるか? これは我が住んでいた川でよく子どもが流されてな、
だから我ら一族を祀って、神に神格化させる代わりに、
川を鎮めて人間を見守ってほしいと、請われた際に作られたものだ。
今はもう……通ってくれる者は居ないから、我がここまで運んできたがな」
目の前には知らない龍のおじさんと自分だけ。
どこかで見たような顔だなとは思ったが、思い出せない。
声は龍青様にとても似ていた。
(思い出せないなら、たいしたことないか)
でも前に、よそ者のおじさんに狙われて怖い思いをした私は、
じりじりと後ずさって、おじさんと離れた。
「ん? どうした?」
「キュ」
あっち行って。
しっしっと小さな手で追い払う素振りをする。
悪いなおじさん。私はもう学習済みなのだ。
子どもだからって、もうその手には乗らないぞ。
ねずみや野犬には利く方法だが、このおじさんの場合はどうだろうか。
「……ん?」
目の前のおじさんは首をかしげるだけだった。
一向にどいてくれないので、私は片足をだんっと地面に踏みつけて泣く。
「キュイ!」
なんで行ってくれないの!?
居なくなってくれない、なんでだ。私は怒るととっても怖いんだぞ!
「キュイ! キュイイイ!!」
あっち行ってって、さっきから言ってるのにいいいっ!
キュイキュイと抗議しながら泣いたら、目の前のおじさんが慌てだした。
「そ、そう怖がらずともよいではないか。童よ。
我は迷子かと思って声を掛けただけだぞ? そこの川で流された魂か、
それともただ母御とはぐれて迷い込んでしまったのかとな。
自分だけで帰り道は分かるか? ん?」
「キュイ?」
……。
もしかして本当に敵じゃないのかな……?
しばし考えて素直に答えることにした。
「キュ、キュイイ」
ちがうよ? お兄さんを待っているんだよ?
「ふむ、生き別れの兄を探しているのか?
ここで待っていて会えるかのう……」
「キュ」
違う。
話しているとなんとなく、いい匂いが鼻をかすめ、
ここが夢の中だと分かった。
少しぼんやりとしていたけど、私の感覚が冴えて来たのだ。
最近、龍青様におそろいの匂い袋をもらってから、
それを握って眠ると、夢の中でも龍青様に会えるようになったので、
今日も龍青様と待ち合わせをしていたんだと。
龍青様からもらった着物から、その匂い袋の匂いがする。
すんすんと鼻を動かしてその匂いを嗅ぎ、しっぽを振った。
『これは伽羅という香りだよ。俺の藍色の袋と対になる。
目印に、桃姫の体と魂に俺のものと同じ匂いを付けておこうね』
もらった朱色の袋には、可愛らしい桃色の花が刺繍されていた。
だからこれは私の一番好きな匂い、龍青様の匂いだった。
この匂いを嗅いでいると元気が出てくる。
龍青様がずっと傍に居て、守ってくれているような気がするから。
「キュイ」
そうだ。早く龍青様を探さなきゃ。
ねえ、おじさん。青銀色の髪のお兄さんを知らない?
青水龍なんだけど、おじさんのうろこみたいな色をしていてね?
人型をしていて、いつもずるずるした長い着物というのを着ているの。
私の顔を見て、目の前のおじさんは驚いた顔をした。
「龍青? それにその瞳の色……おぬし、そうか、おまえが盟約の娘か。
よく嗅いだらおまえから龍青の匂いもしているな。
なるほど……ではあいつと会ったんだな?」
「キュイ?」
このおじさん、龍青様のことを知っているらしい。
「そうかそうか、ついに生まれたのか。
ならば……どれ、この我が一緒に遊んでやろうか?
おまえの気が済むまで、遊びたいもので遊んでやるぞ?」
おじさんに言われて私は首を振る。
なぜ急に遊びに誘ってきたんだろうか?
知らないのと一緒に遊んだら、みんなに怒られるからできない。
それに遊んでもらうのは龍青様が居るからいい。
そう、私はキュイキュイ言って断る。
「むう……で、では、何か欲しい物はないか?
なんでも欲しい物を用意してやろう。我はなんでも用意できるからな」
「キュ……」
……なんでもいいの?
「ああ、なんでも用意が出来るぞ、我は格があり、力のある龍だからな」
「キュ」
じゃあ、桃がいい。
私が言うと、そうかそうかと目を輝かせて立ち上がるおじさん。
「桃か! 桃だな? では、直ぐに用意をしてや――」
「キュイ、キュイイ」
龍青様が、私の為に採って来てくれる桃がいい。
「……は?」
「キュイ、キュ、キュイイ」
思い出すと口の横から、つーっとよだれが出てくる。
龍青様が採って来てくれた桃で、私が食べやすいよう小さく切ってくれて、
お気に入りの紅色のお椀に入れて、花模様の柄が付いたさじを使って、
龍青様のお膝の上で寝っころがりながら、大事に大事に食べたい。
それ以外は認めない。絶対に絶対に認めない。
「キュイ」
龍青様しか出来ない、とっておきの食べ方だから龍青様に食べさせてもらう。
私がしっぽを振りながら、ふんっと興奮気味に「ちょうだい」と、
両手を伸ばしてキュイキュイっとねだると、慌てたおじさんが居る。
「ま、まて、それは我でもさすがに叶えるのは難しいぞ……っ!
そ、その辺にある桃では駄目なのか? その辺にあるのも甘くて美味いぞ?
おまえの気に入りそうな桃が一つくらいは……」
「キュイ」
いい、いらない。龍青様のじゃなきゃやだ。
ぷるぷると首を振って断る。
周りを見れば、熟れた桃がたくさん実る木々が植えてあった。
なるほど、確かに大きく実っていて食べごろだろう。
だけど私の欲しい桃じゃない。
何より、金色とか銀色とか私の知っている桃の色をしていないので、
食べたらお腹を壊しそうで、なんか嫌だなと思った。
「キュイ……」
なんでも、なんでもいいって言っていたのに……おじさんの嘘つき。
「ぐ……」
「キュイキュイ」
守れない約束なんてしちゃだめなんだぞ。
おじさん、自分のかか様に教えてもらわなかったの?
「し、しかしだな」
思い出したら切なくなった。龍青様も桃も恋しい。
龍青様のくれる桃が欲しい。私の為に用意してくれる特別な桃が。
私はころんと後ろにひっくり返って、
手足をじたばた動かしてキュイキュイと泣いた。泣いて龍青様を呼んだ。
思い出したら、龍青様がここに居ない事がとても寂しくなってしまった。
足に結ばれた鈴をちりんちりんと鳴らし、私は桃、もとい龍青様をねだった。
「キュイイ……キュイイイ!!」
龍青様のがいい、龍青様のくれる桃が欲しいっ!!
そこの桃じゃやだっ! 龍青様の桃がいいっ!!
「こ、こら、若い娘がそんなかっこうはしたないぞ!?」
「キューッ!」
かいしょうなしーっ!
私は覚えたての言葉を、声の限りでおじさんにそう言い放った。
使い方は間違いないはずだ。私の望む物をこのおじさんは用意できないのだから。
それに、龍青様にはこの言葉を、
とと様に言ってはだめだよと言われていたが、
知らないおじさんにまでは、言っちゃだめだとは言われてないもんね。
かか様も「雌を養えないような雄には、しっぽを振ってはだめだ」と言われているし。
「か、甲斐性な……わ、我が甲斐性なしと言うのか!?」
「キュイ!」
私がそうだよと言って手をぶんぶん振ると、
ぐほっ!? と吹き出して頭を抱えるおじさん。
「わ、我が……こんな幼子に、か……かかか甲斐性なしと、いわ、言われ」
それに私は龍青様に言われているのだ。
龍青様や私の親以外から、食べ物は簡単にもらったりしちゃだめだよって、
相手にどんな目的があるか分からないからって。
なら、私が龍青様の桃を望むのは当然のことだろう。
「キュイ」
寝ころんだまま私は要求する。
さあ、言ったからには責任を取ってもらおうか、寄越すのだ。
龍青様の桃を、一緒に龍青様を、さあさあさあ!
「い、いや……すまない。それは我でも難しくてな……」
「キュ……」
なんだ……こんなにねだっても、やっぱりだめなのかと理解した私は、
泣いて損したなと、すんと鼻を鳴らしながら龍青様を探すことにした。
いつもならここで「仕方のない姫だな」って龍青様が桃を用意してくれるのに。
このおじさんは子どものささやかな願いを叶える力もないらしい。
そうか、これが“かいしょうなし”ということなんだな。よく分かったぞ。
「キュイ……」
さて、じゃあ行くか……龍青様。どこだろうな?
今日は龍青様がすぐ来られないようだ。もしかしてお仕事で忙しいのかな。
なら私から会いに行こうか。どこに行けばいいか分からないけど、こっちかな?
私はおじさんをその場に残して、てくてくと歩き始めた。
着物の袖を鼻の所まで持っていくと、
龍青様からもらった匂い袋の匂いがするので、
鼻に当ててすんすんと嗅ぎ続けると、少し気持ちが和らいだ。
早く合流して抱っこしてもらおう。
「ま、まて童」
「キュイ」
やだ。龍青様を探す。
私はおじさんを振り切るように走り出した。
龍青様の桃をくれないヤツには用は無いのだ。
するとおじさんも、「ま、待ちなさい!」と追いかけてくるではないか。
しつこいな! 今は手まりもなく逃げるしかできそうになくて、
私はキュイキュイ泣きながら、龍青様の名前を呼び、
両手を前に伸ばして全力でたったかと逃げる。
龍青様の桃を食べるまでは、ここで捕まる訳にはいかない!
一度、首根っこを咥えこまれそうになって、
悲鳴をあげそうになったんだけど、逆に悲鳴を上げたのはおじさんの方だった。
「ぐ……っ!? な、なんだこの匂いは……!!」
「……キュ?」
逃げながら後ろをちらっと見れば、
おじさんは顔をしかめて両手で鼻を塞いでいる。
どうやら龍青様にもらった匂い袋の匂いが、あのおじさんには苦手らしい。
こんなにいい匂いなのに、なんでだめなんだろうな。変なの。
私は袖を鼻に近づけて、すんすんと匂いを嗅いだ。
うん、やっぱりいい匂い。
「破邪の香か! 生意気な……!!」
それでもおじさんは私をあわてて追いかけてきたので、
私は飛び上がって、さらに早く走り出した。
気づけばさっきの匂いを嗅いだせいか、おじさんの体から白い煙が出ていた。
「――ああ、ここに居たのか、探したよ姫」
「……キュ?」
横からのんきな龍青様の声が聞こえたので、
さっと横を見れば、そこには探していた龍青様の姿が!
「どうしたんだい? そんなに急いで……ほら、こっちにおいで? 姫」
「キュイイ!」
龍青様だ――っ!!
笑顔の龍青様が両手を広げて私を呼んでいる。
私は龍青様が居ると分かると、安心したせいでまたぶわっと涙があふれてきて、
くるっと行く方向を変え、龍青様の居る方へと走り出した。
抱っこをせがみながら、両手を龍青様に伸ばしてたかたかと、
そしてそのまま勢いよく彼に飛びついた。
「キュイ、キュイキュイ!!」
龍青様だ。龍青様が来てくれた。
嬉しさのあまりに、しっぽがぶんぶんと揺れる。
すると後ろを勢いよく追いかけてきたおじさんが、
私とは違って曲がりきれずに、勢いついてゴロゴロと転がっていき、
そのまま傍にあった木々に豪快に突進し、ぶつかっていた。
その間に私は龍青様の懐で、ぎゅっと抱き着いて顔を埋める。
怖くてぷるぷると体が震えてしまった。
「……なるほど、あれに追われていたんだね」
「キュ」
「そうか、よしよし、怖かったね。
この俺が居るから大丈夫だよ姫、怪我はなかったかい?」
相手を見て、龍青様は目を見開いて驚いているようだった。
でもすぐに私の方を見て、頭をなでてなぐさめてくれる。
「キュイ!」
龍青様が抱っこしてくれたから、ようやく落ち着くことが出来た。
私はこくりとうなずいて、怪我はしてないよって答えた。
「ああ、こんなに泣いて……」
涙を指先で拭ってもらうと、元気が出てくる。
頬ずりして龍青様に甘える私に、龍青様も頭をなでて応えてくれた。
よかった。今日もちゃんと会えたね。じゃあ何して遊ぼうかな。
私がしっぽをふりふりしていると、
背後でうめき声と共に立ち上がる存在に気が付く。
「ぐ……ま、まちなさ……」
「キュ?」
あ、龍青様に会えたんで忘れていた。
私、さっきまで追いかけられていたんだっけ。
「キュイ、キュイイ」
龍青様、あのね? あいつ子どもを狙う悪いヤツだよ、私とっても怖かった。
そう言うと、背後のおじさんがまたも項垂れていた。
「わ、我はまだ何もしていないのに怖いと!?」
私の言った言葉に、おじさんの勢いが止まる。
止まって固まってしまった。
「やれやれ……父上、俺の婚約者を追い回すのは止めていただけますか。
すっかり嫌われているじゃないですか、
それにこの娘はもう俺のものなんで、諦めてください」
「キュ?」
ちちうえ? ちちうえって何だ?
私が龍青様を見上げると「君のとと様と同じ意味だよ」と教えてくれる。
じゃあ、このおじさんは龍青様のとと様ということ? ……とと様?
振り返って見ても、似ているのかそうでないのか分からない。
そう言えば私は龍体の龍青様を、まだ一度も見た事がなかったな。
でも、とと様?




