18・運命の娘
龍青様が話してくれたのは、私の瞳の色の話だった。
私の瞳は、既に龍青様の嫁になるという約束の印の色が混ざり合い、
こんな若草色になっていたらしい。
私はこの色は生まれつきだと思っていた。
龍青様と出会う前から、この色をしていたのに。
私が嫁になるという約束は、いつ決めたのだろうか?
「キュ……」
「出会った頃から、俺の嫁として選ばれた娘だと気づいていた。
気づいていたからこそ、将来を勝手に決められた姫を哀れに思った。
まだ幼く、それゆえに親を恋しがる姿を見てきたからね。
こんなに幼い娘を、俺の一族のせいで縛り付けるのかと」
「キュ?」
勝手に決めた?
龍青様もそんな私を婚約者にするのに、いろいろ悩んだりしたらしく、
両親の元に帰す時に私を手放そうと思っていて、
そして、どうにかしてこの約束を無かったことに出来ないかと、
龍青様はずっと考えていたそうだ。
「でも姫は俺の嫁になることを望んでくれた。
俺を慕い、俺と一緒に居たいと泣いて願ってくれた。
だから俺も望み、この出会いに感謝して仕組まれた盟約に乗ったわけだ。
姫が俺とのことを嫌がらない限り、それを違える気は俺にはないよ」
でも私が幼くて、親離れも出来ていない子どもの龍で、
あまりにも両親を恋しがり、両親にもとても愛されていることも分かったから、
私から親を取り上げるのはさすがに可哀想だと思った龍青様は、
小さな私に合わせて、今はこうして私の元に通っているんだよってことも、
私にも分かるように教えてくれた。
龍青様が現れてから、かか様は私が会いに行くのを止めなかったのも、
いずれはこうなる事を分かっていたからかな。
ふと、そこで前に夢に見た事を思いだした。
龍青様に”ないない”してもらったはずの、あの時の夢。
今まで忘れていたけれど、今ならはっきりと思いだせる。
『我が与えた分、奪われたものはいずれ必ず取り戻す。
それまでおまえの罪は消えない。
その呪われた血で生き延び、代を重ねてあがなって見せよ。
これはおまえから始まる盟約だ。もしも叶えられぬその時は……』
夢に出てきた人間のお姉さんはそう青銀色の龍に言われていた。
あの人は人型になった時のかか様に似ている気がする。
となれば、あの人はかか様の一族の誰かだったのだろうか?
今は数が少ないと言われている白龍の。
私が首をかしげていると、
この話を聞いた女房のお姉さんたちの目が輝いた。
「ひ、姫様が公方様の盟約の花嫁?」
「そ、それは……まあまあまあ!」
「で、では公方様は」
「ああ、最初から分かっていた。
嫁となる娘とはいずれ出会うことになると。
そして俺の助けを必要としてくる時がやって来ると。
以前、俺の水鏡の占術で嫁探しをしたら、そう結果に出てな。
まあさすがに檻に入れられて、売りつけられてくるとまでは分からなかったが」
龍青様が私の頭をまたなでてくる。
私を見つめてくるその目は、とても優しいものだった。
「こんなに幼い事も分からなかった。どうりで番になかなか会えん訳だ。
それで俺は長い間、他に嫁を迎えずに待っていたという訳だ。
俺の嫁がいずれ会いに来てくれるというのに、
他の雌を嫁にする訳にもいかんだろう?
姫の居場所がなくなってしまうからな」
そうだったのか。
龍青様は、私が救いの手をいつか必要としてくる時を考えて、
私が逃げ込める居場所を、ずっと用意して待っていてくれたんだ。
「キュ」
じゃあ、私、これからも龍青様と一緒に居てもいいの?
そう龍青様に聞くと、龍青様は私の頭をなでて答えてくれた。
「ああ、俺の傍に居て欲しいと思っているよ、姫」
「キュイ」
私は嬉しくなって、こくんとうなずき、ゴロゴロと喉を鳴らす。
じゃあ私が嫁になることは、最初から決まっていたのか、そうか。
なら心配ないね……って、なんで私こんなに心配していたんだろう?
むむっと思って自分の体を見下ろしてみる。
さっきまで、きゅうっとなって苦しかった胸はなんともなくなっていた。
その代わりに、なんだか頬がちょっと熱くなって、
胸がとくとくとくっと早くなっている。でも嫌な感じはしないけど。
さっきからしっぽも揺れていた。
「キュ……?」
風邪でも引いたのかな……あとで龍青様に金柑もらおう。
今の私は不安も無くなって、とっても幸せだった。
ここに居てもいいんだって、龍青様が教えてくれたから。
「だから、俺の運命的な娘というのならば、
人間のおまえではなく、この姫の方だからな。
それを間違うつもりはないよ。例え俺が番となる伴侶がいないばかりに、
力が弱いままの水神だとしてもな」
「そ、そんな……っ!」
「それに運命的な出会いとやらにかこつけて、
末席とはいえ、神の俺に気に入られようと言い寄る者は多くてな。
今のおまえのように、瞳の色を変えてまでやって来るものも居る」
「え……」
なんでもないことのように話した言葉に、
その場に居た人達は固まっていた。
瞳の色って変えられるのか、それは知らなかった。
「あ……あの、な、何のことでしょうか?」
「……あくまで、しらを切る……か……」
上ずった声で話す娘に、冷ややかな目で龍青様は見つめる。
龍青様は帯に差していた紫苑色の扇を取り出して、口元をさっと隠した。
「娘、その瞳の色……呪術で変えた色だろう? 良くできたまがい物だな。
大方、どこかの水神の眷属を脅すか何かして血か鱗でも奪ったのだろう。
家臣は騙せても、俺にはおまえからする呪いの残滓が良く見えるぞ」
「……え?」
言われて心当たりがあるのか、顔色を悪くした人間の娘に、
龍青様はさも楽しげに笑う。私に笑いかける時の笑みとは全く違って見えた。
その様子に、周りに控えていた侍従のお兄さん達はがたがたと震え始め、
女房のお姉さん達は顔を着物の袖で覆いながら、逃げ出してしまった。
「キュ?」
そして私はと言えば、そんな龍青様を見つつも、
珍しくお兄さんが怒っているなと思っただけだった。
彼の膝の上で後ろにころんと寝っころがりながら、
両手と両足の上で手まりをころころ回し始めて遊びだす。
龍青様の嫁になれると分かって、すっかり安心しきった後は、
なんだか難しいお話ばかりで飽きてしまったのだ。
そろそろ私におやつくれないかな。お腹がすいてきたんだけど。
「まあ、そんなこと俺にはどうでもいいがな。
今気になるのは、おまえのせいで大事な姫を泣かせてしまったので、
俺はとても気分が悪いということだ」
「キュ?」
呼んだ?
遊ぶ手を止め、私は龍青様の方を見上げる。
「ひっ……」
「俺のことで泣いてくれる姫は愛らしいのだが、
なぜ、他の奴のせいで泣かせねばならんのだ。
俺の怒りを買って祟られぬ前に、早々に立ち去れよ、人間の娘」
その時だった。
勢いよく立ち上がった人間の娘の足元に、私の手まりが転がってしまう。
あ……と私が手まりを追いかけようと、龍青様の膝から飛び降りたら、
目の前で手まりに足を滑らせ、すってんと転ぶ人間の娘が居た。
わ、わざとじゃないよ!? ほんとだよ?
「キュ!」
怒られる前にごめんなさいと、キュイっと鳴き、
わたわたと慌てて駆け寄り手まりを回収した私は、
近くに何かが一緒に落ちている事に気づく。
……なんだこれ?
前にとと様が、巣穴に貼り付けていたお札っていうのに似ているな?
「キュイ?」
何か書かれた紙がべたべたと貼られた細長い何か、ああ、そうだあれだ。
よく女房のお姉さんが懐に差している、懐刀というのに似ているんだな。
あれ、触ったら危ないものだって言っていた。
……刀……つまり、誰かを傷つける為の道具?
気づいた時には触ろうと手を伸ばした後だった。
「姫! それに触るな!!」
「……キュ?」
その途端に、バチッ! と赤黒い光が私の手をはじく。
「キュイイイ!?」
私はびっくりして慌ててその場から離れ、
手まりを持ったまま、龍青様の膝の上に泣きながら飛び乗った。
うつぶせになったまま、手まりを両手で持ち、ぷるぷると震える私。
なんだかあれには怖い感じがした。
「キュ、キュ~……」
「大事ない……か、良かった」
龍青様は私の手を確認した後、
目の前に転がっている懐刀を見つめた。
対するかんなという娘は、自分が落とした物を見て、
がくがくと足を震わせている。どうやら着物の下に隠し持っていたらしい。
「ち、違う、あっ、あのこれは……!」
「呪入りの懐刀……最初、狙っていたのは姫の方かとも思っていたが、
やはり俺の方だったようだな、それで水神の力を求め、
頃合いを見て、この俺の寝首を掻くつもりだったか。
そういえば、かんな……おまえの名には“神無”という言霊もあるな。
なるほど、神を亡き者にするための忌み名を持つ娘かおまえは」
龍青様がそっと手を伸ばすと、先ほど娘を縛り付けていた縄を呼び寄せ、
現れた水の蛇がそれを咥えて、娘の体にするすると絡みつき、
あっという間に来た時と同じ結び目で縛られ、拘束された娘の姿があった。
「な、なにを……っ!?」
「ああ……そういえば先ほど気になることを話していたな。
この俺が”まだ番を得ていない水神”だと、
なぜ、ただ人であるはずのお前が、それを知っていたんだ?」
「……!」
「一族の内情は、限られた者しか知りえぬ情報のはずだ」
じっと見つめる龍青様は、何か分かったようで、
「なるほど、陸でおまえをそそのかした相手が居たと、
……蛙がお前たちにまで内情を流していたのか」
と呟いていた。
「ど、どうして……」
言葉を交わさないのに、
それが分かった龍青様を、信じられないもののように見つめたかんな。
すると龍青様は「それが神とおまえの差だ」と笑った。
「面白い……気が変わった。娘、おまえをここに置いてやろう。
ただし、ここの使用人としてではなく、囚人としてな。
ここより遠く離れた座敷牢で、心ゆくまで暮らすといい。
俺の怒りが静まるのが先か、おまえの命が尽きるのが先かは分からないがな」
「……っ、な、なんで私が!?」
「おまえをこのまま野放しにすると、また厄介なことになりそうだからな。
まあおまえは姫と違い、水神の加護を少しも得ていない娘だ。
そんな者が湖の底でいつまで持つか……命の保証はしないが」
「く……っ!」
娘の顔はその時に顔を歪めて龍青様をにらむ。
先ほどまで龍青様に向けていた笑顔が、憎しみを込めた顔に変わっていた。
「うああああああっ!!」
転がっていた懐刀にちらりと視線を送り、
足の指先で柄をとらえたかと思えば、
背後に転がるようにして、持っていた懐刀を宙へと放り投げ、
口で柄をさっと受け止めると、刃先が中から抜け出てきた。
それで囚われていた縄を手早く切り、
両手で懐刀の先をこちらへと向けてくる。
「きさま!」
「公方様!?」
「きゃあああっ!!」
慌てて駆け寄り、取り押さえようとした侍従のお兄さん達だったが、
その動きをすり抜け、龍青様と私の居る方へと駆け寄ってくる。
「……っ!」
「キュイ!?」
龍青様が私を庇うよりも早く。
私は怖さのあまり、こっちに来ないで! とキュイキュイ鳴きながら、
手まりを相手に放り投げた。すると偶然にもよろけた私の尾に当たり、
私はその勢いで、ぺしゃんと床に転がり落ちる。
「キュ!?」
「姫!?」
そしてそのまま手まりは威力を増し、
再び娘の足元を取る形で、相手の動きを止めた。
「なっ!? うああああっ!?」
どたっ! という娘が転げ落ちた音と共に、私も一緒になって転んでいた。
痛い……でも、泣いている余裕なんてない。
再びすたたーっと駆け寄って、手まりを回収。
よく分からないが、手まりに助けられたようだ。
ありがとう手まり。最高だ手まり。
すんすんと鼻を鳴らしながら手まりをなでた。
かんなという娘が持っていた懐刀は、転んだ拍子に床に突き刺さっていた。
ヤツが慌てて起き上がり、引き抜こうとしているが既に遅く、
駆け寄った侍従のお兄さん達が、抵抗する彼女を取り押さえる。
「このっ! 離して!! 離してよ!!」
暴れるその人間に、気を強く持った私が食って掛かった。
「キュ……キュイ!」
りゅ、龍青様をいじめたら、だめなんだぞ! めっ! なんだぞ!
小さなしっぽをぱしんと床に打ち付けて、人間を威嚇する。
「ひ、姫、おまえはいいから、危ないから早くこっちへおいで?」
「キュ!」
龍青様に呼ばれたので、私は駆け戻り、ぴょんっと龍青様の膝に飛び乗る。
ふう、これで一安心だ。やれやれ。私はしっぽをゆらゆらと揺らしたら、
龍青様の手が私の頭の上に乗っかる。
「姫は怖がりでもあるが、時々とてもお転婆になるな。
怪我をしたら大変だから、危険な事は俺に任せておまえは守られていなさい」
「キュイ?」
なんで? 私も龍青様を守りたいのに。
「そうしないと、俺の立つ瀬がないだろう?
番の雄は、嫁となった雌を守るものだからな」
よく分からないけれど、とりあえずうなずいておいた。
それからその人間の……かんなという名の人間の娘は、
懐刀を取り上げられ、引きずられるように連れて行かれた。
後から侍従のお兄さん達に聞いた話によると。
昔、とある水神の怒りを買ってしまったせいで、
自分達の暮らしていた村が、作物の育ちにくい土地になってしまい、
あげくに汚れた水で病気も相次ぎ、流行病が続いたらしく、
娘はそれで親を失ったことを恨み、自分達を苦しめる水神への復讐を決意。
同調した娘達もそれに続いたそうだ。
金で雇われた呪術師に水神への呪殺を頼んだものの、
神の怒りによる祟りを恐れた呪術師に断わられ、
必要最低限の協力しかしてもらえなかったそうだ。
……で、ああして一人で乗り込んできたと。
難しい言葉が多くて、ほとんど分からない事ばかりなので、
龍青様にかんたんに教えてもらった。
「おおよそ、あの女の一族が龍の暮らしていた住処の水源でも汚したのだろう。
水神は清らかな水のある所でないと、とても暮らせないからな。
水が汚れたというのなら、それは自業自得だ。神は汚れや穢れを忌み嫌う。
神に見捨てられた水源なら、その程度は容易に起こりうるだろう」
「キュ?」
つまりなんだ。悪い事をしたのは村人達の方なのに、
それを反省しないで、逆に恨んでいるせいだったのだと。
龍青様はただ同じ水神だったせいで間違われ、
そのとばっちりを受けただけらしい。迷惑な話だね。
今回は誰も怪我をしなかったということもあり、大事には至らなかった。
「姫の手が何もなくてよかった。あれは姫が触れても平気なようだな。
立場上、俺の番になる印があったから心配していたが」
「キュ?」
「姫の持つ、火属性のお陰かもしれないね。
刀身はともかく、覆っていた物は木属性の代物だったから」
でも、もしもあのとき婚約者の私を傷つけられていたら、
龍青様の怒りは、きっと計り知れないものになっていたのではないか……と、
別の部屋で侍従のお兄さんとおじさんが、ひそひそと話していた。
「……本来はこのまま、その領域を管理していた水神に任せ、
穏便に済ますところで俺には関係ない事だが、そうだな……。
桃姫を泣かせてしまった元凶の村人達には、少し罰を与えるべきだと思う。
下手をしたら姫にも、危害が行っていたかもしれないからな」
「キュ?」
「水のありがたさを嫌でも分かるように、
しばらくは水神の加護を、あの場所一帯から俺の方からも奪う。
ふふ、その水神と俺の2倍の効力だ。日照り続きでさぞ堪えるだろうよ。
あとはあの蛙をそろそろ仕留めろと、蛇に命令をするか……」
そう言いながら紫苑色の扇で口元を隠しながら、目の前を立ち去る龍青様に、
私は手まりを持ったまま、キュ? と鳴いて首をかしげた。
よく分からないけど、実はとっても龍青様が怒っているのが分かる。
目の色が水面の色から金色に光っているからね。
そうか、龍青様は笑いながら怒るのか。
「……公方様は普段は穏やかでお優しい方ですが、水神様のひと柱です。
姫様も公方様をあまり怒らせないようにしましょうね?」
「キュイ?」
こそっと耳打ちしてくれた女房のお姉さんを振り返る。
「公方様は番となる姫様のことを、本当に大切にされておりますので、
姫様を害する者に対して、怒りを収めるのが大変なのです」
……いつもおいたをすると怒られるけど、どう違うんだろうな。
さっき見たようなお顔はさせたことはないので、大丈夫そうだけど、と、
とりあえず私は女房のお姉さんには、キュイっとうなずいて、
龍青様の後ろを、手まりを持ってついて行くのだった。
その後、私の瞳が龍青様の嫁の証だということが、
このお屋敷の中で公? ……とやらになったことで、
幼くて野良育ちの、「きょーよーのない」私を嫁にするのはと、
いろいろ言っていた家臣の人達は静かになったらしいよ。
水神が交わした盟約は、その血と力によって縛られるので、
龍青様はもちろん、彼に連なる眷属の人達も守れなければ、
その反動は自分達にも返ってくるんだって。
でも――……。
私はまだ、この印をもらうことになった話をまだよく知らない。
いつか、私にもちゃんと教えてもらえる時が来るのだろうかと、
手まりを持って考えていた。




