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16・生贄の少女



 今日も龍青様は忙しい。

龍青様が書物の整理というお仕事を始めたので、

私はその傍で、手まりをころころして遊んでいる。



「要望書が多く来ているな」



 水神様としての彼のお仕事はいっぱいあって、

龍青様の持つ湖や川などの水の管理をしていたり、

たまに自分をまつっている人間に請われて、雨を降らせてあげたり、

嵐を静めて、漁で魚がたくさん取れるようにもしてあげたりしているそうだ。



「……キュ」


 うん、龍青様の言っている事をそのまま真似して言ってみたけど、

それがどんなものか、私にはさっぱり分からなかった。



「ふふ、それじゃあ姫がもう少し人間に慣れたら、

 陸地にある俺のやしろにも連れて行ってあげようか」



 龍青様のやしろというものが描かれた絵巻物を見せてもらった。


 管理している川や湖など、いろんな所に龍青様の為の建物があって、

一番大きいのは海の上から浮かぶように作られた。大きな建物があるんだって。

でもそこは人間が出入りしているから、もう少し私が慣れたらって話になった。


 そんな話をしながら、ときどき私は龍青様の傍に行っては、

人間の世界で使っている文字を教えてもらったり、

彼のお膝に抱き付いては、頭をなでてもらったりして甘え、

静かな時間が流れていく。



「キュイ」


 まだ遊んでもらえないのは寂しいけど、

こんな風にときどき頭をなでてくれるので嬉しい。


 それにここは外敵も居ないので、私は安心して過ごす事が出来るのだ。

私はうろこが薄くて体が柔らかい上に小さいから、

猪とか鷹とか、他の獣に獲物として狙われやすいんだよね。

 

 とと様とかか様に追いかけてきてもらって、

助けられたことが何度ある事か。


 まあそれも、龍青様の鈴で守られるようになったせいか、

最近はそういう獣に狙われる事が無くなったけどね。

私を見かけても、みんな頭を下げて静かに去って行くんだもの。


 だからてっきり、私が強くなったのかなって思っていたら、



「俺の庇護している者に、そう簡単に手は出せないだろう。

 水神の怒りを買えばどうなるか、あの者達は本能で分かるからな」


という事を教えてもらった。

だから頭を下げられたのか……なるほど。




※  ※  ※  ※




「キュ?」


 夢中になって手まりをころころと転がしていると、

気づけば部屋を飛び出して、それなりに遠くまで行ってしまった。


 廊下の隅で疲れて、ちょこんと座り込んで休んでいたら、

通りがかった女房のお姉さんが、柱に寄りかかって休む私の姿を見つけ、

目でじいっと訴えたら、いらっしゃいと私を抱っこしてくれて、

龍青様の所まで運んでくれることになった。


 小さな手足なので、みんなよりも移動するのが大変なんだよね。

私も大きくなったら、こういう移動も楽になるのだろうか。



「ふふ、失礼いたします公方様、姫様が迷子になっておりましたよ」


「ああ、そろそろ探しに行こうと思っていた。姫、こっちへおいで」


「キュ?」


 迷ってはいない。ただ休んでいただけだぞ。

でも運んでもらえるのはありがたいので、

キュイっと鳴いた私は、手まりを持ったまま両手を伸ばした。


 龍青様の傍で、みんなに見守られながら過ごす。

それまではいつもと変わりない日だった。



「しっ、失礼いたします!」


 ただ、その日は侍従のお兄さんが慌ただしくやって来て、

私達の目の前で、頭を深く下げた姿をしたかと思えば、

乱れた呼吸で龍青様に必死に何かを伝えようとしていた。


 いつもは髪をきっちり整えているお兄さんの髪が乱れに乱れ、

それを整える余裕もなくやって来たのを見れば、

これは何かがあったのだと幼心にも気づいてしまう。


 怯えた私はさっと龍青様の背中に隠れた。



「公方様の領域内の泉の一つに、若い人間の娘が沈められてきたそうです。

 おそらく人身御供ひとみごくうと呼ばれる、生贄の類かと思われます」


「娘の容体は?」


「はっ、まだ意識があるものの呼吸に乱れが、今は控えの間に」


「キュ?」


「分かった。直ぐに向かう」


「ははっ!」



 何があったんだろう? 聞きなれない言葉で首をかしげる。


 龍青様が立ち上がると、傍に控えていた従者のお兄さん達もそれに続く。

私も手まりを両手で持って、それに付いて行くことにした。

人間と聞いて本当はとっても怖かったが、私は龍青様を守らなきゃいけない。

もしも悪い人間だったら、翼をバサバサして追い出さなきゃいけないのだ。


 私は急いで廊下を歩く龍青様の後を、

こけないように必死になって追いかけた。


 てちてち、てちてち、てちてちてち……。


「キュ、キュ~!」


 手足の短い私では、本気で廊下を歩く龍青様には追いつけない。


 鳴いて呼んでも龍青様は振り返らなかった。


 いつもなら私に合わせてゆっくり歩いてくれるか、

立ち止まって抱っこしてくれるのに、

お兄さんはそそくさと前を歩いて行ってしまう。


 だから私はキュイキュイ言いながらも、

龍青様とはぐれないように、がんばって追う。

これはよっぽど大変なことなのかもしれない。

よく分からないけれどそれだけは分かった。



「く、公方様!!」


「……っ、人間の娘は!?」


「こちらに」



 運ばれた人間の娘は、母屋から離れの建物に居た。

龍青様が仕事とかで誰かと会う時に使う所だ。

娘は膝まである白い着物を身にまとい、

髪は黒くて腰まで長く、肌は白かった。


 体はというと、ぐるぐると縄で縛られて拘束されていて、

その周りに、奇妙な細長く折った白い紙を巻き付けられたまま、

全身が水にぬれていて、ぐったりと床の上に転がっていた。



「奇妙ないでたちでしたので、これ以上どうしていいか分からず……」


「……そうか」


 顔色は悪いが呼吸はまだわずかにしている様子だ。

お供の侍従の人が、龍青様の命令で恐る恐る縛られている縄をほどき、

気付けの薬湯の用意の為に、女房のお姉さん達の数人が部屋を出ていく。


 みんなは人間の姿を普段しているけれど、やはり人間が怖いのか、

誰もこの人を傍で見ようとは思っていないらしく、

離れた所から様子を見ている人や、隠れてのぞき込む人ばかりだった。



「では私も替えの着物と乾いた布をお持ちしますね。

 いったんお傍を離れますわ。姫様」


「キュ」


 私の傍に居た女房のお姉さんが、目線を下げて私にそう告げて出て行くと、

残っていたお姉さん達が着物の袖で口を覆って、ひそひそと話をしている。



「陸からまた生贄ですか……」


「聞けば重石まで付けられていたそうです……。

 きっと逃げられぬようにして沈められたようですわ」


「いやですわ。人間は野蛮なことをするのですね。

 このまま人間の匂いで、神聖な公方様の屋敷が穢れてしまったらと思うと」



 いけにえ? という言葉を女房のお姉さん達からの言葉に首をかしげる。

聞きなれない言葉、なのに私は前にもどこかで聞いた事があるように思えた。

意味はやっぱり分からない。けれどなんだかとっても嫌な感じがした。

すると、女房のお姉さんの一人が私と目が合った。


「キュ?」


「ひ、姫様!? いらしたんですか?」


 うん、居るよ? というか、最初からずっと居たんだけどな。

私の体が小さすぎて、たまに私が居る事をみんな気づかない時があるんだよね。

だから、たまにぶつかって、ころころと転がっちゃうんだ。



「こ、ここは姫様には障りになりますから、あちらに参りましょうね?」


「そうですそうです。人間の穢れが染みついたら大変ですもの」



 連れて行かれそうになったので、

キュイキュイ抗議して龍青様の横に回り込む、


 だめ、私は龍青様を守るという大事な……そう、お仕事があるのだ。

ぶんぶんと顔を振って手まりを持ちながら、

龍青様の周りをぐるぐると逃げ回る。



「姫、落ち着きなさい」


「キュ……?」


「よしよし、俺のことは大丈夫だから、な?」



 龍青様は私の頭をなでると、人間の娘に近づき、

しゃがみこんでその額に触れる。そして何かを唱えていた。

すると目の前の娘の口からごほっと大量の水が出てきて、咳き込み始めた。

白かった肌に赤く色味が増していき、震えていた娘の体が収まりを見せる。


 龍青様が指先から放つ光がその体を包み込み、ふわりと宙に浮いた。


 いつか見た。私が溺れた時に起きたのと同じものだったらしい。


 それを見て、お兄さんがこの人を助けてあげたのだと分かった。

私は手まりをぎゅっと持って、それを見上げる。


「キュイ……?」


 龍青様の見せてくれる力はとても綺麗なものなのに、

娘を見つめている龍青様の瞳は……なんというか、

水面を模したように穏やかに見えて、

気持ちというものが浮かんでいないようだ。


 その時の龍青様は、私の知らない龍青様のように見えた。



「……これでいい、身なりを整えたらこの娘をすぐに陸地へ運べ」


「はっ」


 侍従のお兄さん達に抱きかかえられ、人間の娘は部屋の外へ連れ出された。


 遠ざかっていくその姿をじっと見つめている龍青様に、

私は手まりを置いて彼の着物のすそをつかむ。

キュイキュイっと鳴いて、あれなんだったの? と聞いてみた。



「……あれか? どうやら水神の俺への供物のようでな。

 手ごろな年頃の娘を捕まえて生贄……生きたまま俺へ捧げて、

 俺の機嫌を取ろうとしているんだよ。

 湖や海などで沈める風習を勝手に作っているようだね」


「キュイ」


 それと引き換えに、何かの願いを叶えてもらうつもりらしい。

神様に生きたものを捧げるというのは、人間が勝手にやっていることで、

他の神様も同じようなことを経験しているのだそうだ。



「時にはその土地には関係のない巫女や、旅人、

 別の村に住んでいる若くて美しい娘を捕まえて、

 こうして水神の俺に無理やり捧げようとしてくるんだよ。

 了承して供物になる者もいれば、望まずに無理やり沈められる者もいる」


「キュ……」


「生贄になる者の中には、水神の嫁、番にさせるために沈められたりもする。

 俺はそういうのは好まないし、自分の嫁は自分で選びたい。

 だからこういうのは出来れば止めてほしいのだが」



 なるほど……つまりは嫌がらせか。

龍青様はいつも人間にも力を使ってあげているのに、なんて仕打ちなんだ。

人間なんて贈りつけられても、全然嬉しくなんてないのにね。

どうせくれるのなら、桃とか桃とか、桃がいいのに。

それだったら人間相手でも、ちょっとは気分を良くすると思うから。



「キュイ」


 私が人間の言葉を話せたら、文句を言ってやる所だ。

龍青様をいじめないでって、かみかみしているのにな。

いや、その前に私は人間の傍に行くのが怖いから、きっとできないけど。


 でもそんなに番というのは大事なものなのだろうか?

人間も私のように水の中では息が出来ないと、とと様達からも聞いているのに。

それでも水神の嫁にさせたかったということだよね?



「……確かに神の嫁取りでは、そういうので嫁を得る者達は居る。

 でも俺の嫁はもう見つかっているから、放っておいてほしいな」


「キュ」


 キュイキュイっと鳴いて、私は龍青様を見上げてうなずく。

でも、嫁って私だけしかなれないものなの? と聞いてみたら、

龍青様は困った顔をしていたよ。見ていてにらめっこかと思った私は、

真似っこをして同じ顔をしたら、龍青様がぶはっと吹き出して笑っていた。


 そのまま、その日も私は龍青様のお屋敷にお泊りすることにした。



※  ※  ※  ※



 次の日になって、龍青様とお屋敷のお庭で手まりを投げて遊んでいると、

またも湖に人間の娘が投げ込まれたと、

彼女を連れてきた侍従のお兄さんが居た。

見れば昨日助けたはずの、あの人間の娘ではないか。


 昨日と違い、赤い着物を着ていた。

ちょっと手の込んだ刺繍のされたものだ。

ちがう、着物を替えればいいってわけじゃないと私は思った。


 龍青様は溜息を吐き、また昨日と同じ事をして陸地へと返すように命令した。



――が。



「公方様!」


「……っ、またか」


「キュ?」


 さらに次の日、またも人間が泉へと投げ込まれていた。


 見れば相手はやはり同じ人間の娘、

今度は口に何か赤いものを塗りたくっていた。

いつも女房のお姉さんが塗っているやつだから知ってる。

べにとかいう、娘が身支度に使うものだ。


 龍青様は無言のまま処置をして、あとの事は侍従のお兄さんに丸投げした。

女房のお姉さんが、「公方様が死んだ魚の目のようになっている」というので、

私は下から龍青様をじいっと見つめてみたけど、よく分からなかった。


「キュ……」


 またまた次の日、今度は白粉おしろいというのを顔に塗りたくっていた。

聞けば、最近は陸に帰しても帰してもその人間は戻ってくるらしい。



「……姫には隠し通すことが出来なくなってきてな」



 一体なんなんだ。しつこい、しつこすぎる。嫌がらせにもほどがあるぞ。

命がけでなんてことをしているんだ。人間というのは……。



「まさか、死ぬまでこれを繰り返すつもりか」


「そのようです公方様、

 水神様に魂を捧げるのを美徳と考える者の仕業でしょう」


「やはり水神への日頃の感謝の意味ではなく、

 生贄を捧げる代わりに何か俺に請うつもりか。気に入らなければ次のにえ

 うっとうしいな……いっそのこと、その村ごともう沈めてやろうか。

 姫と過ごす逢瀬おうせを邪魔されるのは、俺も我慢ならん」



 無理にでも水神様のご機嫌を取ろうとしているのか、それとも逆か。

よく分からないが、それが最近の龍青様の悩みのようだ。

私は理解した。やっぱり龍青様が人間達にいじめられているんだと。



「キュイ」


「人間の死の匂いが、水神様の領域に穢れとして染みついてしまうのでは」


「これは公方様への宣戦布告ではないか」


「公方様……」


「……」


 神様にとって、人間の流す血や死の穢れは神格を穢すことになるので、

とても忌み嫌われる行為らしい。よく分からないけれど嫌なことのようだ。


 今回もみんながこの人間を生かすために働いているのに、

「恩をあだで返す」とはこういうことなんだなと、

とと様に教えてもらった言葉を思いだす。


「キュ!」


 よし、もう起こそう、いい加減にしないと本気で怒るよって言わないと。

私は持っていた手まりをその場に置いて、歩いて人間に近づいた。



「……も、桃姫?」


「キュ」


 気を失っているという人間の娘の頬を、

ぺちぺち、ぺちぺち、ぺちぺちぺっちと小気味よく叩く。

ちょっとお姉さん、起きて、いいから起きてよ。


「キュイキュイ」


「こ、こら桃姫、やめなさい」



 ……なかなか起きないな、そうか、龍青様みたいに水を出さないと。

しかたないから上によじ登ってみるか、せーの!

人間の娘の体によじ登ることに成功した私は、

彼女の体の上でぴょんぴょんと飛び跳ねてみる。



「ひ、姫――っ!?」


「キュイ、キュイ!」


 すると娘の口から、声が漏れた。


「ぐはっ!?」


 それと同時に水が漏れ、まぶたが震えだし、

薄らと隠れていた瞳が見えてきたのに気づくと、私と目が合った。



「……キュ?」



 う、動いたあああっ!?


 びくっと怯えて飛び降りると、両手を伸ばして龍青様の方へ逃亡した。

動いた。動いちゃった。噛まれるいじめられる。叩かれる――っ!?

自分で起こしておいてなんだけど、気づけばその先の事を考えてなかった。

私、そういえば人語も話せないんだって事に。



「あ……あれ……私」


「……」


「キュ……」


 龍青様の着物の裾にしがみ付く私。ふるふると体は小刻みに震えていた。


 起き上がり、辺りを見つめる人間の娘、

取り囲むように様子を眺めていた侍従のお兄さんや、

女房のお姉さん達が息をのんで、後方へと一気にざっと下がったのが見えた。


 無言でその様子を見つめていた龍青様に気づき、顔を向けるその娘。

開いたその瞳は、龍青様と同じ水面を模したような水色をしていた。



「……その、瞳は」


「……あ」



 人間の娘と龍青様が無言で見つめ合う。

龍青様はそんな彼女の瞳を見て、驚いていたようだった。



「あ……貴方が、主様ですか?」


 やがて、娘の頬はほんのりと赤く染まっていく。

そして赤く塗った口で龍青様に微笑みかける。



「初めまして、私は貴方様の……婚約者です」


「は?」


「キュ……?」


「古よりの約束を果たしに参りました」



 なんだろう……嫌な感じがする。


 龍青様の着物にしがみ付きながら、幼心に二人の間に何か起きていると、

私はつかんでいた着物を、更にぎゅっと握りしめていた。



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