14・本日の神隠し
龍青様のお誘いに乗った私は、彼に連れられて神隠し中だ。
龍青様は私を抱っこしたまま、雪の上を歩いている。
さくさく、ざくざくでもなく、するするだ。
たぶん雪の上を滑っているんだと思う。
たくさん雪が積もっているのに、
足が雪に沈むこともなく前に進んでいるから。
途中で木々に集まっていた雪が落ちてくることもあったので、
私がキュッと鳴いて両手で頭を覆っていると、
それも難なく避けて前へと進んでいく。早い早い。
「キュ~」
さっきから風が私の顔や体に当たるけれど、
あまり冷たいとは感じないから、龍青様の力のおかげだろう。
私のように雪に足を取られて動けなくなるなんてことはなく、
気づけば、あっという間に滝の前まで来ていた。
滝の水はやはり凍り付いていて、大きな氷の柱が出来ていた。
氷の柱は白ではなく、薄っすらとした綺麗な水色をしている。
龍青様の瞳の色と同じものだったので、ちょっと親近感がわいた。
「キュ?」
彼の腕の中から、氷に覆われた水の中をのぞいてみる。
お魚が泳いでいる姿も見えないけれど、まさか中で凍っていたりしないよね?
滝の傍にある岩場まで来ると、龍青様のお屋敷に居る侍従のお兄さんや、
女房のお姉さん達が白い息を吐きながら、わらわらと姿を現し始めた。
どうやら氷の一部を割って、出入り口を作っておいたらしい。
やはり寒さには慣れているのか、体を震わせている者は誰もいなかった。
「まあ、姫様もいらっしゃるんですか?」
「ああ、俺と一緒にいたいと可愛らしい事を言われてな。
せっかくだし、桃姫にも俺の統治している場所を見せておこうと思う」
「さようですか、では姫様のお支度の分もご用意致しますね」
「頼む」
出入り口となっている一面が光った。
そのまま私達は氷を避けた所から、とぷんと水の中に入る。
え、寒いんじゃ……と、龍青様の着物にがっしりつかまって身構える私だったが、
さっき龍青様に掛けてもらったお呪いのおかげで、
凍えるような寒さは感じられなかった。
すごい、この水も冷たくないなんて、すごいね!
「キュ」
いつもの水源とは違う所へつなげたらしく、
再び水面から顔を出すと、見慣れない山が辺り一帯にぐるっと広がっている。
でこぼこした岩間にある湖からそのまま陸地へと上がった。
そしてそのまま歩いてたどり着いたのは、
やたら白い煙がもくもくと水の上から上がる水源。
「キュ?」
ぼこぼこと中から泡が立っているし、
触れている岩肌は黄色かったり白かったりしている。
近付くにつれて変な匂いがする。
私は異様なこの匂いに顔をしかめると、両手で自分の鼻をさっと隠した。
なにこれ……龍青様の着物の匂いとは全然違うな。
何か、そう、まるで何かが腐ったような、そんな匂いだ。
「……って、こらこら、俺の着物に顔を埋めるんじゃない」
「キュ」
これ、やだ。すんすんと龍青様の着物についているあの香りを嗅いでみる。
こっちの方がいいのに、どうして龍青様はこんな匂いのする所に来たんだろう?
まさか、お鼻がおかしくなっちゃったのかな。
「桃姫は初めて見るのかい? この匂いは硫黄でね。
火と水の気がほどよく混ざった療養地なんだ。温泉というんだよ。
姫は父君の火属性を受け継いでいるし、気質にもよく馴染むと思ったからね。
ちょうどいいから連れてきたんだよ」
そうなんだ。で? ここで何をするの?
振り返ると一緒に来た侍従のお兄さんと、
女房のお姉さん達がわらわらと動いている。
それぞれ持ってきた道具を広げて、周りに囲いを作っていたり、
竹でできた行李の中に入っている、道具や着物を取り出して並べていた。
「さあ、桃姫も入ってくるといいよ」
「キュ?」
え? と思うと、傍に居た女房さんの一人が私を抱き上げる。
「さあさ、では姫様はあちらへ参りましょうね?」
「キュ?」
振り返ると龍青様と離れていく。
まって、なに? 何が起きるの? 手をぱたぱたして龍青様の方へ伸ばす。
せっかくついて来たのに、引き離されるとはどういうことだ。
すると、私が手を振っていると思われたのか、龍青様が笑顔で手を振って……。
「キュー!」
ちがーう!
そのまま連れ去られた私は、敷物を引かれたその上に降ろされ、
龍青様に着せてもらった着物を、ささっと脱がされてしまったではないか。
止めて! 取らないで! これ私の、私の!
龍青様からせっかくもらったのにと、振り返った私は号泣した。
キュイキュイと泣きながら、
奪い返そうと両手で必死になって着物にしがみ付くと、
女房さんが困った顔をしていた。
「キュイイ!」
「だ、大丈夫ですよ姫様、後できちんとお返しいたしますから」
「これを先に脱いでおきませんと、濡れてしまいますからね」
「……キュ?」
ちがうの?
大人しく両手を離すと、私の着物をたたんで行李の中に入れた後、
私の両脇に手を添えて抱き上げる女房のお姉さん。
「さて、それでは姫様の足が届く所が良いですわね」
「ふふ、ではこちらなんてどうです?」
「いいわね。小さなくぼみになっていて、では姫様参りましょう」
「キュ?」
私が降ろされようとするそこは……。
さっき見た、ぶくぶくしていた煙の上がる水たまりと同じものの中!?
女房のお姉さんが先に手を入れて、軽くうなずいた後に私は、私は……。
「大丈夫そうです。さあ、姫様」
「キュ……キュイイ!?」
え、うそ、まって!? 入れるの? 私をそのぶくぶくの中に!?
全然大丈夫そうじゃないよ? すごく煙が出ているんだけど?
短い足と手をばたばたしながら悲鳴を上げる。
やだ、やだやだやだ! 怖いよ助けて助けて! りゅうせー……。
「……キュ?」
ちょんっとしっぽに触れた感触は思ったのと全然違い、嫌じゃなかった。
なんだこれ、あったかい……み、水が温かいだと!?
伝わる温もりに、ぶるっと全身が一瞬震えたけれど、
それも気にならなくなっていく。
涙が引っ込み、私がすん……と鼻をすすった後に大人しくなった様子をみて、
今度こそと女房のお姉さんが私をそっと中に入れてくれる。
しっぽの先から入り、脇の下まで浸かる浅い水場、水は冷たいはずなのに温かい。
手で水面をぱちゃぱちゃと触ってみる。やっぱり温かった。
さっきまで、あんなにきついと思っていた匂いも気にならなくなっている。
ぷるぷると震えながら目を細めた。何これ気持ちいい……。
かか様やとと様に抱っこしてもらう時よりも、体が温まる。
「キュイ」
気持ち的に余裕が出来たので、周りのごつごつした岩につかまり、
あごをちょこんと乗せて身を任せてみると、体が水面に浮いた気がした。
耳を澄ませば、静かな中で先ほどのゴボゴボいう音が聞こえる。
あれは何かがここへ流れてくる音だったのか。
しっぽをぱたぱた動かして、温かい水の感触を楽しんでいる私を見て、
女房のお姉さん達もほっと息を吐き、嬉しそうに微笑んでいた。
「気に入っていただけたようですわね。この温かい水はお湯と言います。
地面より湧き出した湯水を温泉と言いまして、
体を温めるので健康にも良いそうです。
公方様はこちらに、水量や水質の確認と湯治にいらしたんですよ」
「キュ?」
とーじ?
「ふふ、日々の疲れを癒しに来たんですわ。
水神様のお仕事は忙しい上に、水のない所では活動がしにくいですからね。
それに最近は……いえ、なんでもありません」
そうなのか、私と遊ぶだけじゃなくて、
毎日きちんとお仕事しているもんね。龍青様は。
周りを見回すと、もう一つの囲いの向こうで龍青様の声が聞こえる。
「――湯加減はいかがですか、公方様」
「ああ、ちょうどいい。今年もここの水質に異常はないようだ」
板の向こうから龍青様の声が……。
「キュ……」
遠くにいる龍青様の声を聞いたとたん、ぶわっと涙が浮かんだ。
……なんで私がここに居るのに、龍青様があっちに居るの?
これに入るだけなら一緒に、そう一緒に入ってもいいじゃないか。
何で引き離されて入らなきゃいけないんだ。
「キュイ、キュイイ」
ざばっと音を立てて立ち上がって、両手を前に伸ばし、
龍青様の居る方へと、たかたか走り出す。
ここはやだ。私、あっち行く、龍青様と一緒の所に行く!
「え? い、いけません、そちらは公方様がお入りにっ!!
姫様!? 姫様あああああっ!!」
「キュ!」
行く手を塞ぐ囲いの板に、勢いよく突進して体当たり。
それにより一部を押し倒す事に成功した私は、
驚いて固まる侍従のお兄さんたちの足元をささっとすり抜け、
後ろで止めようとする女房のお姉さん達の止める声も聞かずに、
そのまま龍青様の入っている温泉という湯の中に、
勢いよく、どっぼーんと大きな音を立てて飛び込んだ。
そのせいで、龍青様の頭めがけて水しぶきが舞う。
「ぶわっ!? な、なんだ!? ひ、姫!?」
「キュイイイ!!」
「な、何をして……あっちで入っていたんじゃないのか!?」
ばしゃばしゃと手足を動かすと、何とか龍青様の所までたどり着いた。
ふう、よし、これでいい。
あ、もしかして私は今泳げていたんじゃないのかと思ったら、
起き上がろうとした所で、私は口からぶくぶくと泡を吐いて沈み始めた。
まずいぞ、このままじゃ溺れてしまうぞ!?
龍青様、早く抱っこしてと手足をじたばたしていると、
慌てたように龍青様は私の体を引き上げて、支えてくれた。
「あ、あああ、桃姫、こっちへ来てはだめだろう。
おまえは嫁入り前の娘なんだぞ、分かっているのか!?」
ぷはっと口に入れてしまったお湯を吐きだし、
キュイイイ……となさけない声を出して龍青様にしがみ付く。
た、助かった。ありがとう龍青様、と、
すりすりと龍青様に頬をすり付かせて喜ぶ。
一方、その横で頭を地面に擦り付けている、
女房のお姉さんと侍従のお兄さん達が居た。
両手を岩場に付けて、深く頭を下げて震えている。
「も、申し訳ありません公方様!! 私どもの制止が間に合わず!!」
「いかようにも罰を受ける覚悟は出来ております!!」
「あ、ああ、よいよい、そうだったな。姫はこういうお転婆だった。
こうなる事は分かり切っていた事だったのに、俺も油断したな」
「キュイ! キュイキュイ!」
龍青様! 私、龍青様と一緒に入る!
しっぽを水面に浸けて、ぱちゃぱちゃと音を立てながら訴えてみる。
ついて来たんだから、一緒に居てくれなくちゃ困るのだ。
「はいはい、あーよしよし……わかった。わかったから。
本当におまえは、目を離すといつもとんでもないことをしでかすな。
まさか年頃の雄が沐浴している所に、
若い娘が単身で乗り込んでくるとは思わなかったぞ」
ちょっと溺れたりして驚いたが、
龍青様と一緒に入れることになったので私はご機嫌になった。
抱きかかえられたので、龍青様の顔も傍で見られるし、温かいし。
「ひ、姫様……公方様になんてことを」
「殿方の沐浴に飛び込むなんて、なんという大胆な……」
「すごい行動力ですわ」
「く、公方様、本当によろしいのですか?
姫様は普段から裸の状態ですが、公方様は……」
「言うな、俺ももう何も言えん」
でも、なんだか龍青様は顔を真っ赤にしているな?
女房のお姉さんや、龍青様の後ろにいた侍従のお兄さんは、
さっきから叫びながら慌てた様子でこっちを見ている。
なんだろう……何かまた、いけない事でもしてしまったのだろうか。
んーと少し考えて、やっぱり分からなかったので気にしないことにした。
龍青様は沐浴というのに使う、
白い着物を一枚着たまま湯につかっていて、
湯の水分を吸い込み、肌の色が透けて見えている状態だった。
私は龍青様の着ている物を不思議がって、引っ張ったりして遊び始めた。
私の時は脱がされたのに、なんでこのお兄さんはこんなもの着ているんだろう。
邪魔じゃないのかな、まあ、私の分は急には用意できなかったんだろうけど。
私は着物を引っ張って、龍青様も脱げば? と言ってみた。
「こ、こら、引っ張るな、止めなさい」
「キュ?」
なんで?
「あ、あのな姫? 人間の世界では婚姻前の男女が身内以外の者とその……。
肌をさらすようなこととか、こういう事をするのはな?
あまり褒められたものじゃなくて」
「キュ?」
こういうことって……どういうこと?
顔を見上げて聞いてみると、龍青様はふいっと横を見てぽつりと呟いた。
「ほ、本当に……責任はとれよ? おまえが大きくなったら」
「キュ」
よく分かんないけど、いいよ?
私はこっくりとうなずいた。
(それにしても、水浴び以外にもこんな良いものがあったんだな)
いいことを教えてもらった。もっと早く教えて欲しかったくらいだ。
私は心行くまで龍青様と温泉というのを楽しみ、
温まった体で巣穴まで送ってもらった。
すっかり温泉とか、お湯というのが気に入った私は、
その数日後、龍青様のお屋敷の湯殿でもお湯が使われている事を知るや、
沐浴をしに部屋を出て行く龍青様の後を追いかけ、
私も! と突撃して中に飛び込むようになった。
「うわああああっ!? ひひ、姫えええっ!? 何度言ったら……!」
「キュイ! キュイキュイ!」
すると龍青様が、毎回何かしら私に叫んでいるけれど、
だいじょうぶ、私は気にしない。一緒に入ると楽しいからね。
その度に何度も「大きくなったら、嫁」という話を約束してあげる私だったよ。
そんなこんなで、龍青様とのお出かけはとっても楽しかった。
だから、こんぜんりょこー……だっけ? またやろうねって言ったら、
龍青様は嬉しそうに笑ってくれたよ。




