13・桃姫の冬
私達の暮らす龍の郷に、ついに本格的な冬がやって来た。
見渡す限りの木々も土の上も岩肌も、
みんな真っ白な雪というものに覆われて変わっていく景色。
かか様の肌の色のような、とても綺麗な白だ。
龍青様のおかげで毎日の食べ物には困らなくなったけれど、
私にはまだ問題が残されている。この寒さにまだ慣れていない私は、
冬という季節を完全になめてかかっていたのだ。
「キュ~……」
巣穴の中でかたかたと体が小刻みに震えてしまい、
とと様が用意してくれた毛皮に包まって、ころころと寝転がっていた。
「キュイ……」
寒い、寒すぎる。吐く息もほわっと白くなって面白いけれど、寒い。
歯がかちかちと震えてしまった。
初めて見る雪が楽しくて遊びまわったせいだろう。
雪で団子を作ったり、食べたりしていたらこんなことになるなんて。
今の季節、私達の巣は、岩穴に落ち葉とか毛皮を使って中を敷き詰めている。
雪が降る前にかか様が渇いた枯れ木を集めておいてくれて、
とと様が隅で火を焚いて巣を暖めてくれているけれど、
とてもとても耐えられそうな寒さではなかった。
「幼いあなたは、うろこも薄いから辛いでしょうね」
「キュイイ……」
かか様が外の冷たさから守るようにぎゅっと抱きしめて、
顔をぺろぺろと舐めてくれた。
(大きくなったら、こういうのも平気になるのかな……)
この時期、龍の子どもはこの厳しい寒さに耐えられず、
命を落としてしまう事も多いという。
きっと私のように、初めての雪で遊びまくって、
大変な目に遭うせいだろうな。だってあんなに綺麗でふわふわなんだもの、
触りたくなるのは仕方ないよね。
私が大きくなったら、うろこも丈夫になって、
この寒さにも強くなるらしいんだけど、
それまでは怪我とか体が冷えたりしないように、
もっと気を付けないといけないんだって。
……それ、早く言ってほしかった。今更私に言っても遅いよ。
龍青様の懐の中が恋しいな。
あの場所は一番落ち着くし、暖かいから一番のお気に入りの場所だったのに。
そう私が呟くと、傍に居たとと様が吹き出していた。
「お、おまえはまた俺が目を離している隙に、
主様になんてことをしているんだ……っ!」
「キュ?」
「い、いやそれは今は置いておいて、ほら桃、
風邪を引かないように、この草を食べておきなさい」
「キュ~?」
とと様にギザギザの形をした緑色の香草を差し出される。
言われるままに口を開けてちょっと食べてみたものの、
あまりに酷い味に顔をしかめ、ぺっと吐き出した。
なんだこれ苦い、苦すぎる。とと様が持って来てくれた貴重な薬草らしいけれど、
苦すぎて子どもの私には食べられそうもなかった。
「キュイキュイ」
とと様、これいや。
ぶんぶんと顔を振って食べたくないと、とと様に伝える。
「だめだ食べなさい。病気になったらどうするんだ」
「キュイ……」
とと様がだめだって。
空気がからからと乾燥して、病気になりやすいこの季節、
この郷で一番幼くて弱い私は、特にみんなに心配されている。
嫌でも食べなさいってとと様に言われて、私は目が涙でうるっとなった。
なんでこんな思いまでしなければいけないんだ。冬なんて嫌いだ。
ああ、こんなに寒くて雪が多くなったら、
龍青様の所には遊びに行けないなあ……湖の底はとても冷たいだろう。
滝まで続く獣道は今頃、雪が高く積もっていると思うし。
私が今行ったら、きっと行く途中で雪に埋まってしまって、
前にも後ろにも進めなくなっちゃうよね。
「キュ……」
私は手まりを持って、湖の底で暮らしている龍青様の事を想う。
龍青様は水属性の龍だから、こういうのは強いのかもしれないけど。
いつも会っていたのに会えなくなるのは寂しい。
「キュイ……」
どうしているのかな、龍青様。会いたいよ……。
雪が降る前は、ミズチのおじさんも一緒に遊びに来てくれたこともあって、
いろいろと賑やかだったな……。
かちかちの氷という冷たくて固いものが、寒さで水面の所に張っていたのに、
まあ、龍青様は水神のお兄さんだからだいじょうぶだろうと、
そのまま鈴を鳴らして呼び出してしまったせいで、
水面から上がる時に、ごんごんっと氷に頭を打ち付けていたんだよね。
だから氷をちゃんとどかしておいてから、
彼を呼ばないといけないんだと分かったんだけど、
次の日に呼び出したときは、鈴を鳴らした後にそれを思い出した。
慌てて落ちていた小石を氷に投げつけて割ろうとしたら、
お顔を出した龍青様とミズチのおじさんの顔に、偶然にも当たっちゃったんだ。
『キュ……!?』
『ぐはっ!』
『ごわっ!?』
……私の方から呼び出しておいて、
仲良く水の中に沈めてしまったのは、悪かったなと思っている。
たんこぶ治っているといいけど。ところであの氷どうすればいいんだろう?
割っても割っても氷は直ぐに元に戻ってしまうし、
私が上に飛び乗るのは、危ないから絶対にやっちゃだめって、
とと様とかか様に言われているし、私の体では割るのは難しそうだ。
このままじゃ、暖かくなるまで龍青様と遊べなくなっちゃうよ。
「――桃姫、様子を見に来たよ」
「キュ?」
「「主様!?」」
顔を上げると巣穴の入り口に、布の包みを片手に抱えた龍青様が立っていた。
見た所、たんこぶらしきものは治っているようだ。良かった。
ぱっと飛び出して龍青様に両手を伸ばして駆け寄り、足元にしがみ付く。
「キュ~」
いらっしゃい! 龍青様。
しっぽを振って出迎えた私だったけれど、
その途端に私の体が一気に冷えて、寒くなってしまった。
「キュー!?」
寒いいいいっ! ぶるぶるっと全身に寒気が走る。
その寒さに思わず龍青様の着物の裾をめくって潜り込んだ。
「こ、こら俺の着物の中に潜り込むんじゃない、桃姫、姫っ!?」
「桃! 主様になんてことを離れなさい、こら!」
「ああ、私の子ったら……も、申し訳ありません主様!!」
「キュイ! キュイイ……」
寒い、寒いんだよ龍青様。
「はいはい、分かったから、出ておいで桃姫」
首の後ろをつかまれて、ぷらーんと持ち上げられた。
ちがう、私がして欲しいのはこれじゃないんだ。抱っこして龍青様。
このままじゃ寒いんだよ。
「キュイイイ!」
短い手足をせかせか動かして、必死になって抱っこをねだると、
龍青様は苦笑した顔をして、片腕で私を抱きかかえてくれた。
そのまま、とと様達のいる巣穴の奥へと、私を連れてすたすた歩いて行く。
とと様とかか様は両手を地面に付けて、深々と頭を下げていた。
「姫のご両親、失礼するよ」
「「は、はい!!」」
「キュイキュイ」
さっきまでいた毛皮の中に私はぽすんと降ろされると、
龍青様はその隣に包みを置いてから座りこんだ。
「ああ、薬草を口にしている所だったんだね?
ほら、桃姫、俺が食べさせてやろう。口を開けてごらん」
龍青様がさっと差し出してくれたのは、さっきの苦い草。
「ぬ、主様それが娘は……」
「キュ」
すごく苦くて嫌だけど……龍青様が食べさせてくれるなら……と、
彼のお膝の上によじ登り、そこに座り込んで口を開ける。
もうすっかり龍青様のお膝の上で食べるのに慣れてしまったな。
差し出されたものをぱくりと咥え、もしゃもしゃと噛む。
うう、でもやっぱり苦い。
目を閉じて、両手で口を押さえて何度も噛んで飲み込むと、
涙がじわっと浮かんできた。それ位にこの草は苦かった。
でもがんばったから、龍青様が嬉しそうになでてくれたよ。
「よしよし、ちゃんと食べられて桃姫は良い子だね」
「キュ~」
そうだよ。だからもっとほめてと頭を差し出したら、
龍青様が笑いながら頭をなでてくれた。
その様子を見て、とと様が傍で悲鳴を上げた。
「お、俺があんなに言っても食べなかったのに……っ!
だから、だからあれ程、他の雄の給餌には気を付けなさいと言ったのに!
すっかり懐柔されているじゃないか!!」
とと様が頭を抱えて壁にがんがんと打ち付けている。
だって龍青様にほめられると頭をなでてくれるんだよ。
そうすると胸がほかほかして、嬉しくなるんだもん。
「ふふ、姫には保護した時からいつも給餌してあげているからね。
さあ、桃姫、良い子にはごほうびだよ」
「キュ!」
今日は何かなとしっぽを振りながら、両手を龍青様に伸ばす。
そう、私が何かをがんばると、龍青様はいつも私にごほうびをくれるんだ。
龍青様が持っていた包みをほどくと、陶器で出来た白い小さなふた付きの器と、
小さな赤い着物らしき物が中から出てきた。
その一つ、白い器を龍青様は手に取ると、ふたを開けて中身を私に見せる。
「これは金柑といってね。食べやすいように木の蜜で甘く煮てあるんだ」
さじに乗せられて差し出されたのは、橙色の小さな丸い粒。
食べてみると、程よいさわやかな酸っぱさと甘さが口の中にじゅわっと広がる。
なんだろう、初めて食べるけれど食べやすくておいしいな。
さっきの苦い草の味が消えていったよ。
「これは風邪の予防にもいいんだよ。美味しいかい?
この気温なら日持ちするから後でまたお食べ」
「キュイ!」
龍青様はいつも甘い物をくれるから好き。
だから安心して口を開けることが出来るんだよね。
でも、寒さは変わらないので、私はそのまま龍青様にしがみ付いて震えた。
だめだ。龍青様にしがみ付いているだけじゃ暖かくならないぞ。
「キュイ……」
やっぱり龍青様の着物の中に入ってあったまりたい……とお願いすると、
龍青様は頬をほんのりと赤くして、慌てたように包みを再びほどく。
「ああ、そ、そそそうだ! も、桃姫? もう一つお土産だよ」
そう言って包みに残っていた小さな赤い着物を差し出す龍青様。
ふっくらとした厚みのある着物で、布は小さな桃色の花の刺繍がされている。
触ってみると、ふかふかとした柔らかさがあった。
何だろうと頬をくっ付けてみたら、さっきよりも暖かく感じた。
「キュ?」
「姫が寒がっていると思ってね。急いで桃姫用に作ってもらったんだ」
龍青様がそれを私に着せてきた。
「キュ」
なんだろう、これ? 女房のお姉さんが着ているものと形が似ているな。
すっぽりと私の体を包み込み、前には紐が付いていて、龍青様が結んでくれた。
「着物の布の間に真綿と鳥の羽毛を詰めたものだよ。
いつもの姫の姿より動きにくくなってしまうが、暖かいだろう?」
「キュ」
体を見おろし、背中の方も振り返って見てみる。翼も手も赤い着物で隠れた。
確かに動きにくくなってしまったが、その分、これは厚みもあって暖かい。
よちよちと龍青様の周りを歩いてみると、さっきよりも寒さが和らいできた。
翼は動かせないけれど、しっぽは出せるから邪魔じゃないな。
両手を上下にぱたぱたさせて、ゴロゴロと喉を鳴らす。
「キュイ、キュイ」
「あとは姫の周りに、冷たい空気が余りいかないようにしておこうか」
龍青様が私の足に結ばれた鈴に触れると、
私の周りがふわっと柔らかい空気になった気がした。
「キュ!」
ありがとう、龍青様。これで過ごしやすくなったよ。
しっぽを振りながら龍青様のお膝にもう一度よじ登ると、
龍青様が頭をなでて、にこにこと笑っていた。
その姿にとと様は悲鳴を上げていたけどね。
「あ、ああ……うちの娘がすっかり懐柔されている……っ!」
龍青様は私の頭をなでてくれたあと、私を毛皮の上におろした。
「さて、姫の元気な顔も見られたことだし、
俺はこれから用事があるからね、そろそろ行くよ、桃姫」
「キュ?」
そんな、せっかく会えたのに今日は遊べないの? もう行っちゃうの?
龍青様の着物の裾をぎゅっと握った私は……。
「キュイキュイ、キュイ」
行かないで、行っちゃやだ。
そう言って龍青様を必死で引き留めた。
用があるという事は大事な仕事があるんだろう、神様としての。
いつもは(できるだけ)龍青様の邪魔はしないようにしている私でも、
この閉ざされた場所で過ごすのに飽きていた。
手まりをころころしているのも飽きたし、他の事をしたいよ。
こういう時は、人間の世界の知識をいろいろ教えてもらうんだけど、
もう頭の中はいっぱいいっぱいだし、勉強は嫌いだし……。
何より、外はまだ空から雪が降っていて、駆けまわることも出来ないし。
今別れたら、きっとしばらくはまた会えなくなると思った私は、
帰ろうとする龍青様に抱っこをせがんで、
まだ一緒にいたいとキュイキュイ泣く。
「桃姫……そ、そんなに俺と離れるのが寂しいのか?」
「キュイ、キュイイ」
さびしいよ、龍青様……。
「そ、そうか、し、仕方のない娘だな、姫は」
そう言いつつ、龍青様はとっても嬉しそうな顔をする。
「こ、こら桃! 我がままを言ってはだめだよ?
主様の邪魔をするんじゃ……」
とと様とかか様は一緒に居てくれるけど、龍青様が居ない。
いつも遊んでもらえているのに、
この雪だと会える日が少なくなるのは悲しかった。
キュイキュイと鳴いて、どうしても一緒に居られないの?
「キュイイ?」
どうしてもだめ? と聞いてみる。
「ふふ、この俺が行くのがそんなに寂しいのか?
そうかそうか……でも、そんなに泣かなくても大丈夫だよ桃姫、
いずれ桃姫は俺とずっと一緒にいる事にな――」
「わあああっ!? 主様! それはまだ娘には!!」
「キュ?」
とと様がなんか騒いでいるな。とと様、私は龍青様とお話ししたいんだ。
邪魔しないでと言うと、とと様は無言で奥に引きこもってしまった。
ごめんねとと様。
「桃姫、俺はこれから管理している水源を見に行く予定なんだ。
でもそうだな……婚前旅行というのをするのも楽しそうだから、
桃姫は連れて行こうかな、一緒に行くかい?」
「キュイ?」
こんぜんりょこう?
「姫のご両親、そういう訳で姫は借りていくよ。悪いね」
よく分からないけれど、どこかに連れて行ってくれるようだ。
私はしっぽをふりふりして、じゃあ行くと告げた。
「婚前って!? お、お待ち下さ――」
後ろでとと様が叫んでいたけど、うん、いつものことだし放っておこう。
私はかか様に行ってきますと、キュイキュイ鳴きながら小さな手を振った。
さあ、今日も楽しく神隠しだ。




