11・冬支度
私の生まれ育った郷は、人間に襲われてもうない。
今、暮らしているのは、人の手から逃れた龍達が集い暮らす新しい集落だ。
ここは水神の龍青様の加護が得られている唯一の龍の郷で、
人間から逃げてきた他の群れの龍達も、どこからか風の噂を聞きつけて、
安住の暮らしを求めて、集まるようになってきた。
その加護というのは、私がいつか龍青様の嫁になる約束をしてから、
私の暮らしている郷は「水神の嫁を育む大切な場所」として、
龍青様によって人間から守られているからだった。
たとえば霧の結界を作って、故郷の周辺を覆い隠し、
人間が郷の近くに立ち入らないようにしてくれていたり、
土地を栄養のある水で潤し、木の実やきのこも多く採れるようになった。
それにつられて、鹿や猪などの獣も多く見かけるようになっていた。
それでも最近は寒さが厳しくなってきたから、
狩りも上手くいかなくなってきて、木の実も見つかりにくくなって、
わずかに手に入れた食べ物は、子どもの私やかか様に先にくれるから、
とと様やみんなのことが心配だな。
「キュイ……」
「ああ、桃姫ここに居たのか、探したよ。
昼餉がまだだったらおいで? 俺の屋敷に行こう」
その日はお腹が空きすぎて、早くから目が覚めていた。
くうくうお腹を鳴らして、巣穴近くで食べられそうな木の実を探していると、
龍青様が迎えに来て、お昼をごちそうしてもらえることになり、
私はしっぽを振りながら、喜んでお屋敷まで付いて行くことになった。
龍青様のお屋敷は、いつもおいしいものが待っているのだ。
※ ※ ※ ※
お屋敷に着くと、女房のお姉さんや侍従のお兄さんが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ姫様、外は寒かったでしょう?
すぐに姫様用の火鉢と麦湯をご用意いたしますね」
「キュイ」
部屋について、定位置となった龍青様のお膝の上によじ登ると、
龍青様が「はし」とかいう細長く削った木を使って、
口元まで運んでくれて食べさせてもらう。
私は龍青様にこうしてもらえるときが一番幸せだ。
「……ふふ、幸せそうに食べるね。美味しいかい? 桃姫」
「キュイ、キュイ」
おいしい、おいしいよ龍青様。
「よかった。桃姫は育ち盛りだからね。たくさんお食べ」
差し出されるものは、野生育ちの私からはとても珍しいものばかり。
きれいに並べられて、手が加えられた食べ物は私の心をはずませる。
柔らかくて味付けがされたこれは、人間の食べものをまねたらしいけれど、
どれも他では食べられなくて、とても美味しかったから、
私はいつもしっぽを振りながら、夢中になって食べていた。
「よしよし……煮豆もちゃんと食べられたな。
なあ桃姫、最近は陸で不自由している事はないか?」
「キュ?」
「そろそろ寒さが厳しくなってきたからね。
姫は冬を越すのはまだ慣れていないだろう?」
「キュイ……」
「幼い龍の子どもが、慣れない土地で冬を越すのは大変だよ。
何か困っている事があるなら、遠慮なく俺に言うといい」
私は少し考えて、陸で食べ物が見つかりにくくなった事を話した。
今の郷で暮らし始めたばかりだから、食べ物を見つけるのは大変らしいんだ。
私はただお口を開けて待っているだけだから、そうなんだとしか言えない。
雌だし、子どもだからって狩りにも参加させてもらえないんだよね。
「キュイ……」
だから郷に居る私のとと様やかか様、みんなの事を考える。
私はいつも龍青様やみんなに食べ物をもらえるけれど、
陸のみんなは充分な獲物を狩って来られない時は、そのままおしまいなので、
空腹のままで眠る事もあった。
このままいけば、暖かくなるまで巣穴に潜って、
みんなで冬眠かなと言っていたよ。そうしたら私も冬眠するんだって。
「キュイキュイ」
私はまだやったことがないけど、
食べ物が見つかりやすい季節まで、ずっと眠り続けるらしい。
その時は、龍青様とはしばらく会えなくなるんだって言われた。
「キュイイ……」
だから私は龍青様に、冬眠しても私のこと忘れないでねって伝えておいた。
せっかく遊び相手が出来たのに、しばらく会えないのは嫌だけど。
これからもっと寒さが厳しくなるから、今のうちにという話を聞いている。
「なるほど……土地の開墾には時間がかかるからね。
近くの山々の土壌は俺の水で潤してやっていたが……。
分かった。つまり桃姫はみんなのことも助けたいんだね?」
「キュ~」
うなずいて私は話す。
みんなは子どもだからって、私に真っ先に食べ物を分けてくれるんだよ。
私よりもお腹が空いているはずだよね。
だから私も何かみんなにしてあげたいけれど、何も出来ないんだ。
「それじゃあ俺がなんとかしてあげるから、
いつも俺を呼ぶ滝の前に、あとで姫の父君達と一緒においで」
「キュイ?」
「龍体では食べ物の確保は余計に苦労すると思うから、
俺のように人型で暮らすことにも慣れた方がいいね。
小さな体なら食料も少なくて済むから。あとは人間のように田畑を作り、
冬を越せるだけの食べ物を自分達で賄えるようにすればいい、
すぐに生活を変えるのは難しいことだが、俺が郷のみんなに教えてやろう」
龍青様は水神様、だから田畑の神様でもあるんだって。
「キュ?」
「田畑とは、土を掘り柔らかくして、
種をまいて自分で食べ物を育てる事だよ」
水神様がその田畑の神様なのは、
水で田畑を肥やして、作物を育てる事が出来るからなんだって。
生きとし生けるものは、水が無いと生きていく事とかが出来ないから。
煮物を食べながら聞いていた私は、
また口を開けて続きをおねだりすると、
また龍青様に口の中へと野菜の欠片を運んでもらう。
おいしい、思わず口元がゆるんで、ぱたぱたと背中の翼が揺れた。
「作物が育つまでの間、飢える事が無いように供物を分けてあげよう。
あとは人型でも暖を取れるように着物かな」
「キュイ」
いつもありがとう。龍青様。
しっぽをぶんぶん振って、私は龍青様にお礼を言うと、
龍青様は私の頭をなでて笑ってくれる。
「いいんだよ。お礼は桃姫が大きくなったらしてもらうから。
それに、俺の嫁になる娘と家族を飢えさせるわけにはいかないからね」
「キュ?」
「これからは鈴を2回ずつ鳴らすときは俺を呼ぶ合図、
3回ずつなら、食べ物が欲しい時の合図にしようか」
「キュイ」
それから龍青様に送ってもらい、あとでとと様達を連れて滝に行くと、
滝つぼの近くで、海の幸がたんまりと乗った荷車が数台置いてあったのを見つけた。
とと様が言うには、こんな所に海の魚が居る訳もないので、
龍青様が水神の力で持って来てくれたのだろうって。
積み上げられた魚は、私が見た事もないような大きさや姿をしていたので、
これ……食べられるのかなって指先でつんつんしてみたら、
いきなり魚の口がぱかっと動いて、大きな歯が見えたので、
驚いた私は飛び上がって、とと様の背中にさっと隠れた。
震えながら再び見ると、まだしっぽとか口とかがゆっくりと動いている。
こ、怖い……私みたいな小さな子どもなんて逆に食べられてしまいそうだ。
胸が、どっどっどっと早くなって、私は震える。
「く、食い物がこんなにあるなんて」
「これはたまげたな……水神様が供物を分けてくだすったのか」
「ありがたや、ありがたや」
「嬢ちゃんが頼んでくれたんだってな? 本当にありがとよ。
お陰で俺の家族にも、美味いまんまを食わせてやれるわ」
「キュ」
龍青様は水神様なので、その身を供物に捧げたがる者たちも多いらしい。
その時は彼らが苦しまないよう、魂を抜いてから供物として利用するそうだ。
神さまの供物となった魂は、その後に龍青様によって新しい命を得て、
水の中でまた生まれ変わるんだって教えてもらったよ。
よく分からないけど、龍青様は本当にすごいんだってことが分かった。
こんな事を言うと、「おまえ、俺の事をどういう風に思っていたんだ」とか、
龍青様に言われそうだけど。
「こんな所で海の魚を食べられるとは思わなかったな……」
「キュイ」
海はここよりもずっと遠い地にあるらしい。
私まだ見たことが無いけれど。どんな感じなのだろう。
みんなでもらった食べ物を分け合って、喜んで巣に持ち帰ることになった。
私は前に、龍青様に食べさせてもらったことがあるエビを見つけたので、
大事に草の葉で包み、頭の上に乗せた。
「……」
とと様は仲間が嬉しそうに持ち帰る姿に複雑そうな顔をしていたけど、
私がかか様の分もと言うと、大きな魚を数匹持ち帰った。
「お、俺は食わんぞ。大事な娘を水神様に売るような真似は出来ない」
そう言って、とと様は沢山のお魚の山を前にして、
ぐうぐうとお腹を盛大に鳴らし、龍青様の供物を食べるのだけは拒否したので、
私はとと様のお口の中に、無理やり焼いたエビを食べさせてあげた。
いつも龍青様の用意してくれるエビは、とっても美味しいんだよ。
だからいつか、とと様達にも食べさせてあげたかったんだよね。
「ふぐっ!?」
「キュイキュイ」
せっかく龍青様がくれたんだもの、大事に食べないと。
そう言うと、とと様を見上げて私はゴロゴロと喉を鳴らした。
かか様も「水神様のご厚意を無下にしたら……」と言いだしたので、
とと様は諦めて魚を食べた……。
泣きながら食べていたから、きっととっても美味しかったんだろう。
「キュイ」
良かったね。とと様。
新鮮な海の幸は、飢えた郷のみんなを幸せにしてくれたようだ。
その日は温かな食べ物を、お腹いっぱい食べることができて、
とと様達もみんなも、久しぶりに幸せな気持ちで眠れそうだった。
「キュ……」
私はあとで龍青様にお礼を言わなきゃと思いながら、
とと様の背中の上によじ登り、眠りについた。
※ ※ ※ ※
次の日、とと様達は狩りに出かけ、私はかか様と一緒に見送ると、
お気に入りの手まりを持って、滝へとつながっている獣道をとてとて歩く。
龍青様に昨日のお礼を早く言いたかったから、少しだけ急ぎ足だ。
すると、あともう少しで滝に着くという所で、
新入りの紅炎龍のおじさんが一匹待っていた。
「よお、嬢ちゃん」
「キュ?」
このおじさんは、最近、番が見つからないまま、
他の龍の郷の群れから新しくここの仲間になった一匹で、
いわゆる「よそ者」という存在らしい。
そういえば私も話すのは今日が初めてだな……。
見慣れないそのおじさんは、私からすると少し感じが悪かった。
だって、なんだか暗くてにやにやしながら私のことを見ているんだもの。
とと様はなりゆきから、この郷のみんなをまとめる役をしているから、
娘の私に何か用なのかなと思って、私はキュイっと返事をして返す。
もしかしたら昨日の事の礼なのかもしれない。
「キュ」
でも、私は今急いでいる。あいさつだけして行こうとしたら、
私が右へ避けて行こうとすれば横にずれ、
左から行こうとすればまた横にずれてきて、目の前を塞がれた。
「キュ!」
おじさん、邪魔だ!
私は持っていた手まりを、おじさんにめがけてバシッとぶつけた。
いじわるをして通せんぼをするなんて、まさか龍青様と遊ぶのを邪魔する気か?
「へへ……効かねえなあ……」
「キュ!」
やはり邪魔をするか! こいつ嫌なヤツだ!
くるっと一回転し、勢いをつけたしっぽを手まりに当て、
今度は相手の顔に目がけてぶつけた。
前にミズチのおじさんで効果がなかったから、
ナイショで練習していた私のとっておきだ。
「ぐほあっ!?」
よし、今度はうまくいったと、私は転がっている手まりを回収して歩き出す。
私と龍青様の「おうせ」を邪魔する奴は敵だって、前に龍青様が言っていたもん。
ところで、おうせってなんだろうな……まだこの意味も教えてもらってないや。
「キュ?」
……あれ? でもなんでこのおじさん、こんな所に居るんだろう?
とと様は今日、確か郷に居る雄を引き連れて、
龍青様へのお礼になるものを探しに行ったはずなのに。
「キュ~……?」
私はその時ある事を思い出した。
嫁がいない龍の雄は、番になっていない若い雌にとってすごく危ない存在だって、
私は龍青様の番になることが決まっているけど、まだ本当の番にはなっていない。
雄の中には嫁欲しさに、力ずくで雌を従わせて嫁取りするのも居るって。
だから龍青様や、とと様やかか様、
群れのみんなからも、そういうヤツには気を付けなさいって――……。
「キュッ!?」
慌てて、くるっと背を向けて走り出す。
もしもそういうのに出会ったら、一目散に逃げなさいって言ってた!
「こ……こらっ! 待て!!」
「キュ!」
やだ!
おじさんは獲物を狩るような目で私を追いかけてきた。
どうして気づかなかったのか、今、雄のみんなは狩りの為に郷から出ている。
つまり、こんな所に同じ雄のおじさんだけが居る事自体がおかしいんだ。
こいつ、とと様達が居ないのをいいことに、この私をさらうつもりだな!
その時、私の足に結んでいた鈴が光った。
――“桃姫、急いで母君の所までお逃げ!”
龍青様の声だった。
「キュ!」
龍青様!
返事をしたら鈴がさらに光り、私の体を包み込む。
すると体がなんだかさっきより軽くなった気がした。
「せっかく若い雌が居ると思ったら、
おまえ、水神様の嫁になるんだってなっ!?」
「キュイ、キュイイ!」
木々の間をすり抜けて、たかたかと小さな足で道を駆け降りる。
坂を上って滝に向かうより、来た道を引き返す方が走りやすい。
急げ急げ、こんなヤツに捕まったら大変だ!
背後から、どしんどしんと大きな足音が追ってきていた。
まずい、このままじゃ捕まる!!
短い私の足では、必死に逃げてもすぐに追いつかれてしまった。
慌てるあまりに手まりを落としてしまったけど、拾っている余裕なんてない。
怖くて泣きじゃくりながら何度も転びそうになると、
そのたびに鈴が鳴って私の足元を守ってくれた。
それどころか、私の足がいつもよりも早くなっている気がする。
まるで誰かに、私の手を引いてもらっているような感じだった。
「だがまだ嫁にはなっていない、嫁取りは早い者勝ちだからな。
おまえを先にワシの嫁にすれば、お前を気に入っているあの水神も、
大人しくこのワシに従ってくるだろうよ。
おまえを盾にして利用すればいいんだからな!!」
”姫、がんばるんだ。俺もすぐにそちらへ向かう!”
怖くて足が震えてくじけそうになると、再び龍青様の声が聞こえた。
「キュ!」
龍青様!
”鈴を大きく鳴らすんだ”
キュイキュイと泣きながら、
言われるままに一度大きく鈴を鳴らしてみると、
私の通った所の地面が割れ、ぷしっと水があふれておじさんの顔を直撃した。
「ぶわあああっ!?」
そのまま背後で次々に近くの木々が倒れて、相手の動きを足止めし、
もう一度鳴らすと空から氷の粒が、更にもう一度鳴らすと雷鳴が落ちた。
そうして捕まりそうになるたびに、
私は鈴を何度も鳴らして逃げ回ることができた。
「キュイ!」
龍青様が守ってくれているんだ。きっと大丈夫だ。
それは私の絶対的な安心感。鈴が光って安全な道を示してくれる。
子どもの私の体を覆い隠せる、大きな木々の根の間、
匂いの消せるかれ草の山をもぐったりして、巣穴を目指した。
「キュ!」
前を振り向いて、一生懸命に走っていると、
巣穴の入り口に立っている母の姿を見かけた。
かか様だ!
私は鈴の音色に励まされるように、一気に駆け降りていく。
母の待つ巣穴はすぐそこまで来ていた。




