第八話 紅剣ベリシュヌ
「──ま、魔剣……!」
ロドリグから告げられた物騒な言葉に千秋達は驚愕した表情を浮かべるが、千秋は魔剣の意味がよくわからなかったようで首を傾げていた。
冬海は魔剣という言葉にまた瞳を輝かせはじめ、龍牙は何かを考え込みだすが、俺は内心の動揺を外に漏らさないようにする事で必死だった。
──ま、魔剣なんて……凄く痛い名前じゃないか!? 俺は嫌だぞ! また痛い名前を付けられるのは!?
前の異世界での忌々しい記憶が蘇り、傍から見たら今の俺は苦虫を百匹ほど噛み潰したような表情を浮かべているだろう。
前の世界で痛々しい名前で呼ばれて身悶える俺と、そんな様子に疑問を感じていたかつての仲間達。
世界の感性の差とでもいえば良いか、あの世界では渾名で呼ばれるのは凄く名誉な事なようで、一々渾名に反応している俺を不思議に思っていたのだ。
確かに一時期はかっこいいな、なんて喜んだ時期もあったのだが、目を輝かせながら老若男女出会う人達に渾名で声を掛けられると流石に参ってしまった。
しかも、皆は善意で呼び掛けてくるからなおたちが悪い。
当時は、人々に見つからないように変装して街に行っていたな……旅をしていた時も気をつけていたし。あ、いかん余計な事まで思い出してしまった……おのれ、忌々しい!
俺に渾名を付けやがった宮廷魔導師だったあいつの顔が頭を過ぎり、悪態の声が漏れそうになるのを俺は一生懸命抑えるのだった。
閑話休題
暫しの間あいつの満面の笑みに内心殺意を抱いていると、不意に魔剣の勇者春斗なんて呼び名が思い浮かんでしまい、その不名誉な渾名を頭を振りながら必死に追い出す。
そんな如何にも不本意だと態度で表す俺の様子に、俺の手の中にある長剣がどこか抗議してくるように震えたような気がしたが恐らく気のせいだろう。
俺が一人百面相を浮かべながらある意味魔剣のポテンシャルに戦慄していると、ふと視線を感じ無意識に魔剣を睨みつけていた顔を上げる。
すると、俺の事を同情的に見ている龍牙の姿が目に入った。
まさか、龍牙も俺の気持ちがわかってくれたのか! と、期待を込めて見つめると龍牙は頷いてくる。
わかってくれた事に喜ぶも龍牙だけ痛い渾名がない事を不満に思い、俺が渾名を考えてやるという思いを視線に乗せて送る。
俺の込められた視線の意味に気が付いたようで、龍牙は戦慄した表情を浮かべて必死に身振り手振りで思いとどまるように説得してくるが、それに満面の笑みを返してあげると顔を絶望に染める。ふふふ、そのまま絶望しているんだな!
そんな俺達の静かな攻防に気が付いた様子がないロドリグは、複雑な表情を浮かべて口を開く。
「そう、魔剣だ。この剣は《紅剣ベリシュヌ》と言ってな。この剣には色々な言い伝えがあるんだ──」
──曰く、この剣に触れると血を吸い尽くされる。
──曰く、この剣は選ばれし者しか扱う事ができない。
──曰く、この剣には意思が宿っている。
──曰く……曰く……曰く……
「──等と様々な逸話が言い伝えられているんだ……まあ、本当かどうかはわからないんだがな」
そう一息で告げるとロドリグは口を閉じる。
ロドリグから告げられた予想以上の危険な言い伝えに、千秋達は愕然とした表情を浮かべている。
確かにまるで俺の世界にある妖刀みたいな話だな、と魔剣──ベリシュヌに目を向けるとどこか誇らしそうに震えた気がする。
ていうかこれ本当に意思が宿っているんじゃないか? と疑いの眼差しで睨めつけていると、千秋達から視線を向けられている事に気が付きそちらへ目を向ける。
千秋はどこか心配が篭った眼差しで俺を見つめており、そのまま心配している雰囲気を滲ませた口調で声を掛けてくる。
「は、春斗はその……大丈夫? その魔剣? ちゃんから血を吸われていない?」
「あ、ああ……大丈夫だが、魔剣ちゃんって……」
「……?」
千秋の言葉に安心させるように微笑み頷くが、どこかズレている呼び名につい突っ込んでしまった。
しかし、やはり千秋なので俺の突っ込みの意味を理解できずに首を傾げている。
千秋の呼び名に手の中のベリシュヌが不満そうに震えた気がして、先ほどから考えていた剣に意思が宿っている可能性が段々と疑問から確信へ変わっていく。
そんな俺の様子を目を輝かせて見つめている冬海の姿が視界の端に入り、筋金入りのファンタジー好きさにげんなりとする。
千秋の図太さも凄いが、冬海の逞しさも大概だ。
ちなみに、龍牙は先ほどから顔を絶望に染めたまま反応をしないでいる。ふはは! お前はそのまま痛い渾名に絶望していろ!
俺の特に目立った変化がない様子に千秋はホッと安堵の表情を浮かべ、ロドリグも安心したように息を吐いた。
「なら良かったが……話を続けるぞ。と言っても特に語る事はないんだが……」
「どういう事ですか?」
そう呟くと決まりの悪そうな顔でロドリグは視線を泳がせる。
突然口篭るその様子に俺達は揃って疑問の視線をロドリグへ向ける。特に千秋は俺の命が掛かっているからか眼力が強い。
俺達に真っ直ぐ見つめられているロドリグは、しどろもどろになりながらどこか言い訳するように口を開く。
「あ、あのな。今までベリシュヌを抜けた人がほとんど現れなくてな、だからなのかベリシュヌの能力は伝えられていないんだ。最後にベリシュヌを抜けた人間も随分昔らしいし……」
「つまり、ベリシュヌの能力は未知数って事ですか」
「そうなるな……だから、できれば春斗自身で探してくれ」
ロドリグの言葉に頷きベリシュヌへ目を向けて能力について考察してみる。
──うーん、能力か。言い伝えの中に能力のヒントはありそうだが……。
言い伝えの内容を思い返していきながら、どうしても疑惑が晴れない事柄を思うと無意識にジト目を向けてしまう。
とりあえず、こいつに意思は間違いなくありそうだ、と考えた所で今までのベリシュヌの意思表示を思い出し、その自己主張の強さにため息を漏らさざるを得ない。
ベリシュヌにジト目を送っていたかと思えば、急に疲れたようにため息を零した俺の不可解な様子に千秋はやはり何か異常が! と慌てて俺の身体をペタペタ触りはじめ、冬海は隠された力という言葉に惹かれたのか「流石ファンタジー……素晴らしいですぅ!」等と呟いてワクワクとした雰囲気を隠しきれていない。
心配しろとは言わないが、その逞しさは止めてくれ……。
龍牙は少し前にすでに我に返っていたが、どうやって俺の渾名呼びを止めさせるか考えるのに忙しいのか俺達の様子には眼中にないようだ。
龍牙の無駄な足掻きをしている姿に、渾名呼びを止めるつもりのない俺は内心でほくそ笑んでいると、やがて満足したのか千秋は俺の身体から手を離すと胸に手を当てて安堵の息を漏らした。
俺達が落ち着いたと思ったのか気を取り直すと、ロドリグは不思議そうな表情を浮かべると千秋へ声を掛ける。
「それで、ベリシュヌの説明はこれで一段落なんだが……千秋、お前の武器は?」
そう。実は最初から気になっていたのだが、俺達が武器を持ってきたのに対して千秋は手ぶらだったのだ。
ロドリグの言葉に興味を惹かれたのか、冬海達も各々が好奇心を宿した瞳で千秋に目を向けている。
俺も何故千秋が武器を選ばなかったのか気になり、冬海達へ釣られて目を向ける。
そんな俺達の視線の注目を集めた千秋はどこかばつが悪そうに視線を泳がすと、頭を掻きながら乾いた笑いを漏らしてとんでもない事を告げてきた。
「い、いやーあはは……その……ごめんない! しっくりくる武器が見つからなかったんです!」
頭を下げて告げた千秋の内容に、冬海達は暫し目を瞬かすとなんともいえない表情を浮かべ、ロドリグは顎に手を当てながら唸りだした。
そんな皆の様子とは違い、俺は思わず納得してしまった。
──ああ……千秋って運動あんまり得意じゃないもんな。
運動神経が特別悪いという訳ではないのだが、なんていうか千秋はどこかドジに似ている所があるのだ。
普段は割と素早く動けるのに突然何もない所で転んだり、走り高跳びは得意なのに短距離ハードル走が苦手で何故かハードルを飛び越えられなかったり……。
そういえば、運動会での騎馬戦でも敵の帽子を取って活躍していたのにいつの間にか勝手に下馬していたな、と遠い目をしていると冬海達も千秋のどこかズレてる運動神経を思い出したのか、何度も頷き千秋へ納得した表情を向けている。
「あー、千秋には今日は基礎的な体術から教えていくか……そろそろ訓練を始めるか」
俺達の様子から察して苦笑い混じりに告げるロドリグの言葉に、千秋はお願いしますと再び頭を下げ、冬海達も意識を切り替えたのか真面目な表情を作ると立ち上がる。
俺もベリシュヌの鞘を一撫ですると立ち上がり、訓練所の中央へ向かう皆の元へ足を向けるのだった。