第九話 不器用な千秋
「──お疲れ様です、皆様。浴場の準備ができておりますので、昼食の前に身体の汚れを落としに行きましょう」
訓練所へ戻ってきたネリアにそう告げられ、荒い息を吐いて息も絶え絶えの千秋達の代わりに俺が代表して声を掛ける事にした。
そもそも、何故千秋達が訓練所に死んだように倒れているかというと、なんて事はない。ただ、ロドリグの訓練に着いていくのがやっとだったというだけだ。
その事を話すには少し時間を遡る必要がある。
あれから、ロドリグに連れられ訓練を始める事になった俺達が気合を入れ直していると、ロドリグがなんでもない事のように千秋達を絶望に染めるには充分な言葉を告げたのだ。
『よし、じゃあ先ずは準備運動にこのグラウンドを五周しようか』
『グ、グラウンドを……』
『五周……!?』
『そんなぁ! 無理ですよぉ!』
思わず千秋達が抗議の声を上げるがロドリグは取り合わず、強引に千秋達はグラウンドを走らされる事になった。
もちろん俺も走っていたが千秋達とは違いむしろ楽な方だと思っていたのだが、その考えが間違いだと気が付いたのはグラウンドを走り終わった後の事だった……。
『ぜぇ……ぜぇ……ぼ、僕は走りきったんだ……!』
『はぁ……はぁ……ふ、ふふ。さ、流石ファンタジー……甘くないという事ですか……っう!』
『…………』
運動部に入っていた龍牙はともかくとして、インドア派の冬海と千秋は完全に参ったようで、冬海は口許を抑えて吐き気を堪えている。
千秋に至っては半分白目を剥いていて、死体のようにピクリとも動かず地面へ身体を投げだしていた。
『だらしないな、お前達。見ろ、春斗は息一つ乱していないじゃないか』
すでに限界ギリギリの様子に呆れているロドリグの言葉に、千秋達は走り終わった後のストレッチをしている俺にゆっくりと視線を移すと、俺の余裕な姿に信じられないような眼差しを送ってくる。
千秋は俺の余裕の意味を知っているからか若干複雑そうだが、終わった事なんだから気にする必要はないのだがな。
『は、春斗って……こんな体力あったっけ……?』
『っく! これが魔剣に選ばれし者との差だと言うのですか……うっ!』
『おい馬鹿止めろ!』
『………………ぅ』
冬海がくだらない事を言い始めたので慌てて止めに入るが、冬海は先ほどからブツブツと『こ、この走りに慣れれば私にも魔剣が……』とか、『ふ、ふふ……魔法の時には私が勝つのです!』等と呟いており、俺の言葉は全く耳に入っていないようだ。
なお、俺は魔術もそれなりに得意なので、冬海が魔法で勝つのは割と難しいんじゃないかと思う。
とりあえず、軽口を叩く余裕ができたと思ったのか、ロドリグは手を叩いて俺達の注目を集めた後に口を開く。
『ほら、無駄口を叩く余裕ができたのなら訓練を始めるぞ!』
『わかりました』
『は、はい……!』
『こ、これからです……この後に私の華麗な弓捌きを!』
『………………はぃ』
各々が返事を返してロドリグとの訓練が始まったのだが……それはもう酷かった。
まずは武器の基本的な握りや足捌きを教えてくれていたのだが、千秋が本当に酷かった……。
ある程度体術の基礎を学んだ後、ロドリグの提案で武器を触ってみる事になったのだが、それが間違いだと直ぐに俺達はわかってしまったのだ。
試しに剣を持たせてみると──
『え、えーい!』
『危ない冬海!』
『へ? わ、わわ! 剣が飛んできましたー!?』
──千秋の手からすっぽ抜けて冬海の方へ飛んでいったり、
盾を持たせてみると──
『よーし、いくぞー!』
『り、龍牙さん! 後ろ後ろ!』
『ん? どうしたん──ぐはぁ!』
『あぁっ! 龍牙さんが吹っ飛んでしまいました!』
──何故か千秋が走りはじめて龍牙を吹き飛ばし、
槍を持たせてみると──
『ほっ! やっ! ちょいや!』
『お、おい! 千秋! 槍を! 振り回すな! 危ない! だろ!』
『あはははは! 私は槍の達人なのだー!』
『は、春斗って凄いね……千秋の攻撃を避けながら叫ぶ余裕があるなんて』
『そうですね…………私の所にこなくて良かった』
『うぅむ……あの身体捌き……やるな!』
『感心! しないで! 千秋を! 止めてくれ!』
『うりゃー! 私の槍が唸るぞー!』
──何故か俺に突撃をしてくると意外と様になった槍捌きで俺を攻撃してきたり……。
本当に……本当に! 散々な結果になったのだ。
あの後も弓を持たせると放った矢が何故か全て千秋の背後にいたロドリグへ向かうし、ハンマーを持たせると急にグルグルと回りはじめて冬海の目の前にハンマーを投げ落とすし……。
あの時の冬海は涙目で腰を抜かしていたな……少し地面が濡れていたが、あれは皆の汗だろう。
少しアンモニア臭が漂ってきた気がするが、きっと気のせいの筈だ! ……冬海には優しくしてやろう。
とまぁ、その他にも千秋は様々な事をやらかした結果、比較的ましだった杖をメイン武器にする事が決まったのだ。
『ふわぁー! これが私の相棒になるんだね! 皆、私大事にするね!』
『そ、そうだな……ほどほどにな』
『そ、そうだね……良かったね』
『ハンマー怖いハンマー怖いハンマー怖いハンマー怖いハンマー怖い──』
『う、うむ。ぶ、無事に武器が決まった事だし訓練を再開するか!』
自分の武器が決まり喜ぶ千秋を死んだ魚のような目で見ていた俺達は、ロドリグの強引な言葉に意識を取り戻して訓練を再開した。
その後は、流石戦闘のスペシャリストというべきか、ロドリグの扱きに案の定千秋達は付いていけず、息も絶え絶えになったという訳だ。
かくいう俺も、久しぶりの中々きつい訓練にかなり疲労を蓄積していくのだった。
「──という出来事があったんだ。いやー、本当に何回肝が冷えた事か……」
ロドリグと別れた俺達は、浴場へ向かう道中でネリアに雑談混じりに訓練であった出来事を教えていたのだ。
俺の話を聞いたネリアは後方で話す余裕もない千秋達を一瞥すると、心底同情してるという表情を浮かべた。
「そ、そんな事が……大変だったのですね……ええ、本当に」
「全くだ……千秋のドジってここまで酷かったんだな」
当然だが今まで武器を持たせた事等なかったので、まさか千秋があそこまで酷いとは思わなかった。……そういえば、千秋って妙に刃物の扱い方が雑だったな。
学校の家庭科の料理実習で千秋の包丁捌きが下手くそだったのだが、まさかあの時の伏線がここにきて回収されるとは……千秋、恐るべし!
千秋の可能性に内心で戦慄しながらネリアと談笑をしていると、どうやら浴場へ着いたようだ。
「ここがこの城の大浴場です。では、私は先に食堂で待機していますね。案内にはクリスティアを遣わせますので……それでは」
そう告げると俺達へ一礼するとネリアは食堂の方へ向かっていった。
いよいよお風呂に入れる事になった千秋達は、訓練の疲れも忘れたのか我先にと浴場へ突撃していく。
「お、お風呂だー! 者共、私へ続けー!」
「おー! 行きましょう千秋将軍!」
手を振り上げながら千秋と冬海は女子側の浴場の扉を開けるとさっさと中へ入ってしまった。
その様子に龍牙と顔を見合わせ苦笑いを浮かべると、俺達も浴場へ足を向けるのだった。
大浴場を心ゆくまで堪能した俺達は、いつの間にか脱衣場にあったこの世界の衣装に身を包み浴場の前へ集合した。
──まさか、この目で黄金のマーライオンを見る事になるとはな……。
大浴場にあった金の獅子を思い返しながら扉を開けると、千秋達はすでにお風呂を上がっていて扉の前で談笑をしていた。
お風呂に大変満足したのか、千秋は鼻歌を歌いながら満面の笑みを浮かべている。
この世界の服装はどこか俺達の世界の洋服に似ており、白のシルクで縫われているロングワンピースを千秋は着ている。
その見た目と相まって千秋の姿はどこか深窓の令嬢を思わせ、やはり黙ってれば綺麗な姿だと俺は感心してしまう。
まあ、話すとそれはそれで可愛い系なのでギャップが好きな人には堪らないだろうが。
冬海も薄水色のブラウスに藍色のジーンズを着ていて、その活発そうな見た目に良く似合っている。冬海も見た目とは裏腹に凄く丁寧なんだよなあ……。
千秋達って結構な見た目詐欺だよな、なんて今更な事を思い浮かべながら二人へ近づき声を掛ける。
「おう、お前達も風呂を堪能したか? それにしても、いやー本当によく似合ってるな」
「あ、春斗! お風呂は凄く気持ちよかったよ! そ、その……春斗も似合ってるよ」
「ありがとうございます。春斗さんもよくお似合いですよ」
俺の声に千秋達は振り向きそれぞれ返事を返してきた。
ちなみに、俺の服装は赤いシャツのような薄い長袖に黒いチノパンみたいなズボンだ。
そんなに似合ってるとかないと思うんだけどな、と千秋達のお世辞に苦笑いを浮かべていると、俺の背後から龍牙がやってきて口を開く。
「いやいや、春斗は凄く似合ってるよ。僕は自信を持って良いと思うけどな」
「龍牙に言われてもなあ……」
龍牙はそう笑いながら告げるが、どうしても素直に喜べない。
龍牙の服装は白いシャツに青のズボンというシンプルな服装なのだが龍牙はそれを見事に着こなしており、龍牙の長身と相まって街へ出掛ければ十人中九人は振り向くようないで立ちになっていた。
千秋達も龍牙の姿には感心したように頷いている。
すると、今まで黙って俺達の様子を無表情で眺めていたクリスティアが口を開く。
「皆様の準備を整ったようですので、これから食堂へ御案内します」
「おう、ありがとうなクリスティア」
代表して俺がお礼を告げるも、クリスティアは表情を崩す事なく一礼すると俺達を食堂へ案内していく。
クリスティアの無表情さに千秋達も戸惑っているようで、中々声を掛ける事ができないようだ。
千秋にしては珍しい消極的な対応に内心首を傾げながら、俺は先ほどのクリスティアの反応を思い返す。
──あの時、僅かに口が動いた気がするが……気のせいか?
しっかり観察していなかったのでクリスティアの反応にいまいち自信が持てないが、できれば俺の言葉に反応したのだと思いたい。
いつの間にか段々とクリスティアと仲良くなりたいと思いはじめている自分に驚きながらも、俺達はクリスティアに連れられ食堂へ向かうのだった。




