第二十二話 紅髪の令嬢
無事に俺達は城へ帰る事ができて、食事と風呂を済ませた後は各自で自由に過ごす事になった。
現在、俺は自分の部屋へ戻りながらこれからの事について考えている所だ。
──そろそろ潮時だな。
ネリア達の講義や暇な時に調べた本の内容により、ある程度この世界を知る事ができたので近い内にこの国を出ようと考えたのだ。
千秋達やネリアには悪いが元々俺はスローライフを送りたいと思っていたので、そのためなら千秋達に黙っていなくなる事も視野に入れている。
後は、千秋達に違和感を持たれる事なく国から去る方法を思いつくだけなのだが……。
「問題はどうやるかだが……ん?」
いっその事死んだように偽装して逃げようかと考えた所で、俺の前方で足早に歩いているクリスティアの姿が目に入った。
そんなに急いでどうしたのだろうかと首を傾げて見ていると、クリスティアが曲がった廊下の先で突然魔力が膨れ上がる気配を感じた。
「なっ! クリスティア、大丈夫──っ!」
「──あら、そちらの方は勇者様ではありませんか。クリスティアに何か御用がありまして?」
「何……?」
慌ててクリスティアを追いかけて飛び込んだ俺の視界に入ったのは、見知らぬ女性とその女性に足蹴りにされて倒れ込んでいるクリスティアの姿だった。
赤髪を優雅に払いながらクリスティアを見下していた女性は、俺に気が付くと手に持つ紅い扇子で口許を隠した後、髪と同じ紅い瞳を細めてこちらを見つめる。
その何故か憤怒の眼差しを送る女性を無視して、俺は慌ててクリスティアへ駆け寄る。
「大丈夫か、クリスティア!? ……火傷の痕もあるじゃないか! クリスティアに何をしたのですか!?」
「あら、勇者様はこんな売春婦にもお優しいのですね、麗しいですわ」
「…………ぅ」
「クリスティア!?」
クリスティアを抱き寄せると身体のあちこちに火傷の痕が見つかり、辺りには焦げ臭い匂いが漂っていた。
クリスティアを助けおこしている俺を女性は目を細めたまま賞賛の言葉を送ってくるが、その瞳からは侮蔑の色を隠しきれていない。
女性の態度に内心で怒りを抱いている内に、クリスティアは意識を取り戻したようで薄く瞼を開けた。
「大丈夫か、クリスティア?」
「……も、申し訳ありません……直ちに」
「お、おい! 怪我をしているのに無理するな!」
「私の事はお構いなく……貴女様の御手を煩わせてしまい申し訳ありません」
自分が意識を失っていた事に気が付くと弱弱しく俺の腕を振り払い、クリスティアは震える身体で無理矢理立ち上がり女性へ深く頭を下げて謝罪していた。
その様子に女性は暫しクリスティアを見ていたかと思えば、不愉快そうに視線を逸らして踵を返す。
「…………まあ、良いですわ。これからは売春らしく浅ましい振る舞いを心掛ける事ですわ」
「……はい」
最後にクリスティアに背を向けたままそう呟くと、女性は不機嫌そうに立ち去ってしまった。
燃えるような紅髪を揺らしながら遠ざかっていく背中をクリスティアは黙って見つめており、やがて視界からいなくなると緊張が解けたのか崩れ落ちそうになる。
それに驚き俺は咄嗟に受け止め顔を覗き込むと、クリスティアは顔を辛そうに歪めながらも俺から離れようとしていた。
「ゆ、勇者様の御手を煩わせる訳には……」
「いいから! このまま医務室へ連れて──」
「そ、それだけは止めてください!」
「──いく、何故だ!? 放っておくと怪我が悪化するぞ!」
医務室へ連れていこうと歩きだした俺の襟を掴み、クリスティアは必死な形相で懇願してくる。
それに思わず反論するもクリスティアは何度も首を横に振り、俺の意見を聞き入れてくれない。
「…………はぁ、わかった。でも、お前の部屋には俺が連れていくからな」
「………………わかりました」
どうしても意見を曲げないクリスティアの真っ直ぐな瞳に渋々と俺は妥協案を出し、それにクリスティアは暫し逡巡した後に頷く。
クリスティアの案内に従いながら、俺は彼女の部屋へ向かっていくのだった。
クリスティアの部屋へ無事にたどり着き、ゆっくりと彼女をベッドに寝かせる。
幸いな事に誰にも会わなかったので、事情を説明する手間が省けた事も良かった。
「治療はあんまり得意じゃないが……『精霊よ、水と成りて彼の者を癒したまえ──水の治癒』」
「申し訳ありません……」
「いいってこれぐらい。気にするな」
『水の治癒』を使った事にクリスティアは謝罪してくるが、俺はそれに手を振って応える。
俺の魔法だと完治できないので、机の上に置いてあった治療道具を使って手当てしていく。
クリスティアも今度は黙ったまま従い、やがて無事に応急処置できた事に俺は安堵の息を漏らす。
「それでなんであんな事になったんだ?」
「それは……」
改めて俺が疑問に思った事を尋ねるが、クリスティアは俺と目を合わせず口篭ってしまう。
暫くジッとクリスティアを見つめていると、やがて戸惑いがちに俺と視線を合わせる。
「──申し訳ありません。勇者様にお話する事は何もありません……どうかお引き取りを」
「……はぁ、わかったよ。しっかり休めよ」
決然とした想いを瞳に宿して伝えるクリスティアに、今は何をいっても折れないだろうと思った俺は部屋から出る事にした。
クリスティアから背を向けて扉に向かいドアノブに手をかけた所で、クリスティアに声を掛けられ顔を後ろへ向ける。
そこには、ベッドから起き上がったクリスティアが俺に深く頭を下げていた姿が目に入った。
「治療、ありがとうございました。勇者……いえ、峯岸様」
「──っ、ああ……お礼は受け取るよ」
一礼の後に顔を上げたクリスティアの目を見ていられず、俺はおざなりな対応をしてあの場から逃げるように立ち去った。
──あの目は卑怯だろ……。
最後にチラっと見えたクリスティアの瞳の中には、誰かに助けてほしいという懇願の色が浮かんでいた。
普段は何事にも興味がないような冷淡な顔付きに見えるが、恐らく心の中ではいつも泣いていたのだろう。
いや、もしかしたらもう泣き疲れて絶望しているのかもしれない。
懇願の中に僅かに潜む諦観の色……あの瞳を俺は前の世界で何度も目にしてきた。
戦争で家族を失い助かるのに生きる希望がない子供や、貴族に婚約者を無理矢理連れていかれ全てを諦めきった男性。
他にも徴兵で働き手がいなくなった村にいる人々もあんな瞳を浮かべていたな。
あの時の俺には、戦災孤児を助けたり村に支援を送る等の気休め程度の事しかできなかった。
「……ああっ! くそっ!」
クリスティアの瞳が先ほどから頭を離れず、イライラして頭を掻き毟ってしまう。
俺の様子を周りにいたメイド達がギョッとして見てくるが、今は周囲に気を遣う余裕すらない。
──なんであの目をしてる奴がいるんだよ!? この世界では積極的に動かないって決めたのに!
目立ちたくないという思いとあの目をして欲しくないという思いがせめぎ合い、どんどん頭の中がこんがらがっていく。
このままだと思考の渦に呑まれる一方なので一眠りして気分変えようと思った直後、俺は背後から声を掛けられたのだった。
聞き覚えのある声に振り向くと、案の定そこには千秋がいた。
「あ、春斗だ。おーい……あれ?」
「ああ、千秋か」
千秋は俺に笑顔で声を掛けていたが、俺の顔を見ると途端に顔色を心配に染める。
「もしかして機嫌悪い?」
「あー……すまん、ちょっとな」
どこか心配そうな千秋の指摘に、俺は無意識に固まっていた顔を無理矢理ほぐしてから言葉を濁す。
俺の様子に千秋は暫し首を傾げていたが、やがて手を合わせるとそのまま腕を組み大袈裟に頷きはじめた。
「儂が春斗のお悩みを聞いてやろうぞ」
「それどんなキャラだよ。口調がめちゃくちゃだぞ」
「ありゃ? ……まあ、とにかく! 何か悩みがあるなら相談に乗るよ!」
俺の呆れた眼差しに千秋はキョトンとすると、やがて頬を若干赤く染めつつ俺へ指を突きつけてくる。
千秋なりの心配だとはわかっているので少し迷った後に、クリスティアの事は隠しながら触りだけ相談する事にした。
「あー、そうだな……気に入らない事があってな。それをどうにかしたいんだけど、それをどうにかすると今度は別の嫌な事が起きそうなんだ」
「ふむふむ……つまり、何かをしたいけどそれをすると別の事が起きる、と」
「まあ、そんな所だな」
俺の告げた内容に千秋は難しい表情を浮かべて唸りだす。
千秋は暫くの間うんうん悩んでいたようだが、何かを閃いたのか顔を明るくすると俺へ目を向けてきた。
「ねぇ、春斗。その気に入らない事はどれぐらい気に入らないの?」
「そうだな……夢に出てくるぐらいは気に入らないな」
「そっか……うん、そうだね」
「何がそうなんだ?」
千秋の言葉に俺が首を傾げている間に、千秋の中では結論が出たようだ。
千秋は俺に自信に溢れた顔を見せ、人差し指を立てて口を開く。
「なら簡単だよ、春斗のやりたい事をすればいいんだよ!」
「はぁ? いや、だから言っただろ? それをすると──」
「春斗は先を気にし過ぎ! 今を生きているんだから、先の事なんてその時考えればいいの!」
「──嫌な、先の事?」
俺の問い掛けに千秋は何度も頷きそのまま腕を広げる。
「そう! 確かに未来を考えるのは良い事だよ? でも、そのせいでやりたい事をできないのは凄く損していると思うの! もっと自由に生きなきゃ!」
「自由に……か」
そう高らかに告げると、千秋は俺に自信満々の笑顔を向けて返答を待っている。
確かに、元々この世界では身体に負荷を掛けて実力を偽ったり、魔法等でもいつでも使えるように常に意識していた。
今思えば、目立ちたくないと考えすぎていつも無意識に身構えていたかもしれない。
千秋のいう通りもう少し自由に生きるのもあり、か。
それに、どうせもう直ぐでこの国を出るのだし、最後ぐらいは好き勝手にしても良いと思う。
笑顔のまま俺の返事を待っている千秋に、俺も笑みを浮かべて声を掛ける。
「そうだな……俺は自分のやりたいようにやる事にするよ、アドバイスありがとうな」
「春斗の悩みが晴れたなら良かったよ! じゃあ私は部屋に戻るね、またね!」
「ああ、千秋も迷子になるなよー!」
「もうっ! 私は大丈夫だから!」
最後に恒例のやり取りを交わした後に、千秋はそのまま走り去ってしまった。
千秋のお陰で随分心が軽くなった事に気が付き、俺は内心で感謝しつつ部屋に向けていた足を別の方向へ変える。
「さて、と。そうと決まれば早速行動しますか」
そう小さく呟くと、俺はある場所へ足を運ぶのだった。




