予想外の事態がおきました
踏み込みと同時に繰り出した私の拳は、向かってきていたリジフ・ディーの顔面をとらえた。
飛び込んできていたリジフは顔面こそ私の拳で停止したが、下半身は勢いとまらずに前に飛び出してきた。結果、仰向けになるように回転、後頭部を試合場に強打する。
痛烈な打撃だった。彼は目を見開いて呻く。
普通ならこれで勝負が決まっていてもおかしくなかった。だが彼は意識を残している。追撃をかけるべきだろうか。
会場はどよめきに包まれる。開始早々の一瞬で片方がダウンしたのだから当然だといえる。私は倒れた彼にそれ以上の手出しをしないで、立ち上がってくるのを待った。
リジフ・ディーは信じられないものを見る目で私を見ながら、生まれたての子鹿のような足取りで立ち上がる。
「なにしやがった、デブ……」
鼻血を噴きながら剣を握り上げ、リジフは私をねめつけてきた。私に答える義務はなかったが、一応教えることにする。
「君が向かってきたので、殴り返したのだ」
つい、拳で。
拳で人を殴るのは、随分久しぶりのことだといえる。手で人を叩くなら平手か掌底でするべきだと教えられてきたのだが、リジフに対して抱いた怒りが、私の拳を握らせたのだろう。
「偶然当たっただけかよ。お前の重い脂肪のせいでこっちが吹っ飛んだってわけか」
相手は何やら勝手に納得したらしい。先ほどよりは真剣な顔になり、こちらの隙をうかがっている。
私も再び右足を少し引いて、構える。
「クソデブのクセに俺の顔に攻撃を当てるなんてことしやがって。うぜェ」
「喋っている余裕があるのか?」
「うるせえ、黙ってろ。もうお前は次の一撃で死なす!」
ごしごしと鼻血を擦って拭き取った後、彼は剣先をほぼ床に触れる寸前まで下げてしまった。異様な構えだ。
両手剣ならまだしも、片手剣をこのように下げてしまう剣術はお目にかからない。私は少し警戒を強める。
「しゃあっ!」
リジフはそのまま剣先で試合場の床を切り、腕を一回転させるように振り出した。全身を、その回転で得られる遠心力を生かすように伸ばし、私へと一気に迫ってくる!
どうやら彼は肩を中心に振り回した剣を、私の脳天に叩き込むつもりでいるようだ。
これが彼の必殺剣なのだろうか。
先ほどよりもずっと素早く、遠心力を利用しただけ強そうな剣でもある。
もしこれを頭に受ければ、私とて再起不能の大怪我をするだろう。それだけの気合を相手がこめている。
残念だ、と私はその一瞬に思う。
リジフ・ディーともあろう者の切り札がこの程度であるとは。
私は少しだけ前に踏み出し、左手を開くように振り払った。これがリジフの右手に当たり、剣の軌道を大きくずらす。それだけで彼の攻撃は私に当たらない。
丸出しになっている彼の顔面には、後方から鋭く突き出した右の掌底を打ち当てる。
衝撃の一瞬でリジフの鼻は大きくめり込み、曲がった。
彼は声を出す暇もなく、私から見て左側の床に転がり落ちていった。
私はその様子を見下ろし、一歩足を引いた。剣術大会である以上、倒れた相手の咽喉に剣を突きつければ勝ちとなるのだが、私は無手であるのでその方法で勝ちを拾えない。
リジフから剣を奪ってしまってもいいが、それはあまりよい結果になるとは思えない。今度は剣を取り落としたりはしていないし、しっかり剣をこちらに向けているのだ。
「う、ふぅ、ぐぅぉ……」
痛みにもだえながら、彼は顔面を押さえている。鼻が折れたのか、血を流している。
呻きながらも両手で引っ張って無理やりに戻し、再び立ち上がった。
彼は血走った目で私を睨み、そして低く構えた。真一文字に結んだ口元などは僅かも油断のないことを示している。
どうやら無闇な突撃はしないようだ。
なるほど、こちらの出方を見るつもりだろう。なら、要望どおりにこちらから仕掛けてみるべきか。
私は彼に仕掛けようと軽く腰を落とした。
「しっ……」
リジフの目線がそれて、私の後方にある何かを見た。誘っているのではない、彼はそこにある何かを確かめた。
私は振り返って、それが何かを確かめる。信じがたいものが私の目にはいった。
「なんだ、あれは」
「やっとか」
背後でリジフが何かささやいたようだが、気にしている場合ではない。私は見たものを強く指差し、その場にいる全員に聞こえるように強く叫んだ。
「魔物だ、魔物が来た!」
この声が聞こえた者は私の指が示す先を見たに違いない。だが、それを見ても信じられなかったかもしれない。
私とて、これが現実なのかと一瞬考えたくらいだ。
会場のはるか遠く、空から異形の怪物がこちらに向かってきていたのである。私はここで、初めて魔物というものを見た。おお、これが国を脅かし、ガーデスの人々を不安に陥れている元凶か。
人間の背丈の二倍はあろうという巨大な翼を供えた獣が群れを成して空を舞い、そこに人間大の何かが乗っかっているように見えた。合わせて30体はいる。
だがここは国家の中枢、首都ガーデス。それも、護衛の兵士が集った剣術大会の会場だ。
どうしてこんなところに襲撃をかけるのか? 魔物たちはガーデス周辺を制圧しているわけでもなければ攻勢をかけているわけでもない。遠い地からわざわざ空を飛んでこのようなところに襲い掛かる意味が全くない。
威力偵察のつもりなのか。
私がぐるぐると無駄な思考をしている間に、客席の人々は現実を認識しつつあった。そうでない人々にも会場の運営係は避難を呼びかけ、人々を退避させていく。
ジャクとイリスンはどうなる、と考えかけたが思考を打ち切る。イリスンなら大丈夫だろう。彼女は強いし、冷静な判断もできるはずだ。それよりメリタを心配するべきではないだろうか。大怪我をしているのだ。
試合などを続行している場合ではないので、私はさっさと試合場を降りようとした。だが、私の前に獣が降り立つ。
魔物だ。
筋骨隆々の肉体を晒し、牛のような平たい頭部をした異形の獣。その背丈は私などよりもずっと大きい。まさに怪物だった。
遠目から見た限りでは威力偵察かと思われたが、そんなことはない。この巨体にかかっては、恐らく人間など虫けらのように踏み潰されてしまうに違いなかった。彼らは真剣にこの首都ガーデスを壊滅させるべくやってきたのだ。そうとしか思えない。
「おいデブ、ビビったんならそこをどけ! こいつらは俺が倒すからよ」
リジフ・ディーが私にそんな声をかける。なるほど、行いは非道であっても彼とて王に気に入られた臣民。この危機に剣を掲げようというのだろう。
私は少しだけ彼のことを見直し、獣に向き直った。
スリム・キャシャの時代にはこのような怪物がそこらを跋扈していたというのか。私はこの獣を倒すべく、身構えた。
私だけではない。次々と魔物たちは空から降りて会場のあちこちを地獄へ変えている。彼らは剣士と観客、衛兵の区別もなく襲い掛かってはその命を奪っていく。
眼前の獣も私を殺そうと両腕を振り回してくる!
私はその両手をかいくぐり、踏み込んで右腕を相手の胸元に叩き込む。だが、敵はまったく揺らがなかった。
敵はこの私よりも大きく、たくましく、重いのだ。体格差を考えなければ、活路は見出せない。
「デブめ、その程度かよ。さっさと帰れ!」
どこにそんな余裕があるのか、リジフはさらに私を煽る。彼を相手にしている暇はないので私は聞こえなかったということにする。
私を捕まえようとする獣の腕を咄嗟に回避、今度はより気合を込めて飛びかかり、敵の顎を強く叩く。
この一撃は効力があった。獣はその衝撃で上を見るように頭を振り上げ、それでも勢いとまらずに背後を見て、ぐぎりと嫌な音をたてて倒れこんだ。首の骨が折れたか捻れたかしたようだ。
敵もこちらに体重をかけてくれていたのでうまくいったのだろう。相手の力も利用しなければ、格上の相手とは戦えない。
「んなっ……くそ!」
「よすのじゃ、リジフ。今は奴にかまっていてもお前の価値が下がるだけ。それよりも一般人を襲っている魔物らを撤退させるべきじゃ、でなければ弱き臣民のために正義を行うという体裁が保てぬ」
いつの間にかリジフ・ディーの隣にはキコナがいた。彼女は私への敵対心で動こうとするリジフをなだめ、正しい方向へ導こうと必死だ。
それ幸いと、私は駆け出す。大会に出場していた剣士たちも、魔物たちへ抵抗をしてくれているがいずれも劣勢だ。
彼らを救わなければならない。
個人的なところを考えるのならば、メリタ、イリスン、ジャクが気にかかる。ヒャブカ将軍もどこかにいるはずだが、将軍には護衛兵がついているので問題ないはずだった。
ジャクとイリスンはどうか。今の魔物の力と体格を見る限りイリスンとて不覚をとるかもしれず危ないが、メリタほどではない。今のメリタはどうなっているのか、非常に心配だ。
そう思っていると、キコナがこちらにやってきた。
「メリタ・ボックのことは心配いらぬ、他の負傷者とともに近衛兵でかため、扉も頑丈なバリケードで封印した。私とリジフは北側の観客席に行くので、そちらには南側を任せたい」
「わかった」
リジフ・ディーといがみ合っている場合ではないので、私はキコナの言葉に頷く。
悲鳴があちこちから聞こえてきている。魔物たちは既に、数多くの人々を殺傷していた。




