私はあんたとは違う(3)
「おはよー」
翌朝、柚子が陰陽団基地の玄関を出ると、そこにはいやに爽やかな笑顔を浮かべた勝元が立っていた。
「……おはよう?」
なぜここに勝元が? 柚子は首を傾げながら挨拶を返した。戸惑っている柚子を見て、勝元は小さく笑った。
「俺も寮に住んでるんだ」
まだ何も質問していないのに勝元はそう言い、平然として続ける。
「実家は栃木で、そっちでも陰陽師にはなれるんだけどね」
「そーなんだー」
柚子は何の感情もこもっていない声でそう返す他なかった。
「田舎者の発想だと思うけど、やっぱ東京って憧れるじゃん? だから陰陽師になる代わりに上京させてくれって親に頼んだんだよねー」
「……へー」
柚子は棒読みで相槌を打つと、そのまま黙って歩き始めた。どうしよう。なんて躱したらいいかな。必死に考える柚子の隣を、勝元は当然のようについてくる。
「柚ちゃん冷たいなー。そんなキャラじゃなくない?」
「別にそんなこと……」
何の色もない声でそう返そうとした柚子は、途中でハッとした。勢いよく振り返って勝元を見つめる。
「ゆ、ゆずちゃん?」
柚子は勝手につけられた渾名に愕然としていたが、勝元は構わず返した。
「柚子って可愛い名前だよねー。パートナーになるんだから呼びやすい渾名があった方がいいかなーと思って。柚ちゃんって呼んでいい?」
「チャラ……」
柚子は気付けばそう口にしていた。
「別にいいけど……私パートナーになる気ないからね」
そう言って前に向き直る。だが、勝元はめげずに笑顔のままで続けた。
「どうなるか分かんないよー? あ、柚ちゃんも俺のこと名前で呼んでいいよ」
勝元はこの妙な態度を変えるつもりはないらしい。っていうか、なんで私も名前で呼ばなきゃいけないの? こうなったら私も引かない。そう考えた柚子は無表情で言い放った。
「光宗くんってしつこいんだね」
柚子の言葉を聞くと、勝元はポカンとした表情で柚子を見つめてから、乾いた笑いを漏らした。
「頑なー」
柚子は勝元を無視してひたすら歩いた。勝元は柚子に名前で呼んでもらうことは諦めたのかそれ以上は言及せず、ふと思い出したように話題を変えた。
「そういえばさ、なんで俺たちペア組まされたんだろうね? 俺はまあ家系のせいかなって思うんだけど、柚ちゃんも何かあるんでしょ?」
「え? あ……」
勝元の質問に柚子は一瞬固まったが、
「秘密」
それだけ言ってまた歩き続けた。
「えー、秘密って……」
勝元が不満げに唇を尖らせる。
結局、そのまま教室まで二人で向かう羽目になった。
柚子はモヤモヤした気分のまま一日を過ごした。あまり気にしたくないのに、ふとした瞬間に無意識に勝元を観察していることに気付いてなんだか癪に障る。
勝元は頻繁に複数の女子生徒に話しかけていた。別に男子生徒と仲が悪いわけではないのか、昼休みには教室で男子生徒数名と市販のパンを食べているところを見かけたが、その時にも近くにいる女子生徒に声をかけていた。勝元のノリの良さは女の子たちにそれなりに受けているようで、ルサルカのメンバーで特に好きなのはKAORIとALISAのどちらか、という話題でひとしきり盛り上がった後、放課後に四方通りに寄って最近流行りの餅入りどら焼きを食べに行こうかなどと会話しているのが聞こえてきた。
放課後、ホームルームが終わると、さっさと沙也香と帰ろうと鞄を持ったところで勝元に声をかけられた。
「柚ちゃん。一緒に帰ろ」
「え、どら焼きは?」
思わず咄嗟に聞き返してしまった。
「どら焼き?」
勝元がとぼけた声を上げる。それから、合点が行ったらしく「ああー」と声を上げた。
「聞いてたんだ。もしかして俺のこと気になっちゃってたー?」
勝元がニヤニヤと笑う。
「ううん。うるさいなあと思って」
柚子は静かに返した。
「冷たいな……」
柚子の答えに、勝元が呟く。
「冗談だよ。まずは柚ちゃんと仲良くなりたいなーって思ってね」
「そういうのいいから……」
「まあそう言わずにー。パートナーとか抜きにしてね? あと俺甘いもの好きじゃないんだよね」
確かに友達として接する分には問題ないか、と柚子は思ったが、彼が自分の容姿を見てモチベーションが上がると言っていたことを思い出すとすぐにその考えは消えた。
「聞いてないんだけど」
「……柚ちゃんに塩対応されてる俺、逆にレアなんじゃないの?」
さすがに堪えたのか、勝元は少し悲しげな声を上げた。
「柚子、帰ろー」
勝元とテンションの差の激しい会話を繰り広げていたところで、沙也香が柚子の元までやってきた。立ち止まった沙也香は柚子と勝元を交互に見つめると、訝しげに目を細めた。
「なんか、二人とも急に仲良くなってない? そういえば今日朝一緒に教室に来てたよね」
柚子はギクッとして沙也香を見たが、柚子が口を開くよりも早く勝元がわざとらしく声を上げた。
「俺たちお似合いだって、柚ちゃん」
「そんなこと一言も言ってないんですけど。これ以上柚子と仲良くなりたかったら私を通してください」
沙也香はクールに言い放つと、勝元をブロックするように柚子の前に立ち塞がった。
「可愛い子って護衛みたいな友達がいること多いよね」
勝元はといえば、沙也香の様子を眺めながら呑気にそんなことを言っている。
「光宗くんって絶対ろくでもないタイプでしょ。可愛いからって柚子に近づくのやめてもらえます?」
「めっちゃ言うじゃん……」
「ありがと沙也香」
柚子はそう言って沙也香に後ろから抱きついた。沙也香は首を動かして柚子の方に振り向くと微笑んだ。
「早く帰ろ」
柚子はそう言うと、勝元を無視して沙也香の手を引いて教室を出た。沙也香は少し心配そうに柚子を見つめてから、疑問を口にした。
「それにしてもほんと急にどうしたの? 柚ちゃんとか呼ばれてたじゃん。あ、LINEでそういう流れになったってこと?」
沙也香は真剣な表情で質問攻めにしてくる。柚子は何も言わずに考えていたが、やがて意を決して廊下の途中で立ち止まった。沙也香に嘘をつくのは嫌だし、正直に言ってしまった方が今後のためにもいいだろう。柚子が「あのね」と切り出すと、沙也香はハッとして声を上げた。
「分かった」
「え、何が?」
沙也香は真顔で柚子にぐいっと顔を近づける。
「告られたんだ」
「そういうのはマジでない」
柚子は食い気味に返した。
「てか、さすがに早すぎじゃない? 入学してからまだ一ヶ月も経ってないよ?」
「まあね。でもあるでしょ。柚子なら」
「うーん、あんまり嬉しくない……」
沙也香の言葉に、柚子は唸り声を上げた。はあ、と一息ついてから説明を始める。
「あ……あのね、光宗くんも陰陽師になるんだって」
「え? そうなの?」
沙也香が意外そうな声を上げる。
「あ、あー、これ私が言ったってこと一応秘密ね? 後で分かることだとは思うけど……」
柚子が声を落としてそう言うと、沙也香は力強く頷いた。再び歩き始めると、柚子は小さい声のまま続けた。
「なんかそのー、由緒正しいお寺の息子らしくて、そういう家系なんだって。それで、あ、陰陽師って大体ペアを組むらしいんだけど、私事前に光宗くんとパートナーになるように、って言われちゃって……」
「うそ! なんでー?」
沙也香が愕然とした表情で大声を上げた。
「んーと……それはよく分かんなくて」
柚子はどうにか誤魔化そうと曖昧に笑った。
「でも私、嫌だって言ったの。光宗くんはあんまりやる気ないみたいだし。朝一緒だったのは、光宗くんも寮に住んでるからだよ」
「マジかー……」
沙也香はこの世の終わりかと思うほど絶望した声を上げて天を仰いだ。それから、チラッと柚子の方を見る。
「言われちゃったのなら仕方ないか……そんなのあるんだね。柚子とペアになりたかったな」
「私も沙也香とがよかった。嫌ですって言ったからもしかしたら変えてくれるかもしれないけど……」
柚子はそう言いつつも、なんとなく変えてもらえないような気がしていた。どうしようもない思いで溜息をつく。沙也香は困ったように微笑んだ。
「まあだめだったらしょうがないね……。でも理由分かってよかった。教えてくれてありがとね」
「ううん、ちょっと光宗くんに悪いけど」
「気にしなくていいよあんなの」
沙也香は断言した。
「柚子とペアを組めることになって、絶対調子に乗ってるから」
沙也香の強い口調に、柚子は思わず苦笑した。
「沙也香って光宗くんのこと嫌いでしょ」
「うん」
沙也香が実にあっさりと認めたので、柚子は声を上げて笑ってしまった。
「それを言うなら柚子もでしょ?」
「えー? 嫌いまではまだ行ってないよ。しつこいなとは思うけど」
「ほらぁ。やめときなよあんな男。パートナーになりたくないですってもう一回言ってきたら?」
「ふふ……沙也香おもろ……」
自分よりよっぽどむきになっている沙也香がおかしくて、柚子はまた笑った。沙也香は何が面白いのかとでも言うようにキョトンとした顔を浮かべていたが、何かを思い出して「あっ」と声を上げた。
「そうだ。兄ちゃんと話して、まあ譲歩してもらって陰陽師になってもいいって言われたんだけどさ」
「沙也香のお兄ちゃんって聖人か何か?」
柚子は思わずそう口走っていた。
「兄ちゃん、自分が好きにしてきたから私にも好きにしろって感じだから」
「……元ヤンには見えないんだけどなぁ……」
柚子は何度か会ったことのある沙也香の兄を思い出しながら呟いた。ちょっぴりあまのじゃくな性格をしているが、頼りになる青年だ。
「あー、でもね」
歯切れの悪い沙也香に、柚子は首を傾げる。
「寮生活はだめだって。金もないし、親にちゃんと頼まれて一緒に住んでるのに無責任なことはできないーって」
「そっ……か」
柚子は残念に思ったが、自分の口出しできることではないと考えてそれだけ言った。
「まあでもさ、いつか説得して寮に住むつもりでいるから、ちょっと待ってて!」
沙也香が元気よく言う。柚子は微笑んで頷いた。
「うん!」
柚子は、とりあえず誤解を生むことなく真実を話すことができたとホッと胸を撫で下ろした。
真実?
いや、真実は話せていない。親友なのに、一番大切なことは話していない。話せるわけがない。話したとしても、一体その後どうするつもりだというのだ。
柚子はギュッと唇を噛みしめた。沙也香が心配そうに柚子の顔を覗きこむ。柚子はそれに気がつくと、慌てて笑顔を作った。
「楽しみにしてる」
沙也香はしばらく柚子を見つめていたが、やがて前に向き直った。
それからというもの、気付けば柚子は毎日勝元と一緒に登校するようになっていた。勝元は初めは相変わらず放課後にも声をかけてきたが、適当に流したり、スルーして沙也香と帰ったりしているうちにやがて誘ってこなくなった。どうやら毎日違う女の子と帰っているようで、それはそれでまたなんとなく腹が立つのだが、しつこくなくなったのだからまあよしということにする。
あの後、太郎にパートナーを変えてほしいと改めてもう一度伝えてみたが、あらかじめパートナーを決めること自体初めてなのでまだ分からない、もう少し様子を見てほしい、というようなことを言われてしまった。そのことを思い出しながら、隣を歩く勝元をぼんやりと見つめる。勝元がパートナーだと言われてから、一週間が経とうとしていた。
「そんで柚ちゃんの事情って何?」
「……そんな気になる?」
急に質問を投げてきた勝元に、柚子は溜息混じりに返した。
「そりゃ気になるでしょ。陰陽師といえば俺の家みたいなとこあるから、そんな俺を指名する柚ちゃんは一体何者なのか知りたいね」
勝元はそう言ってニヤニヤと笑った。陰陽師といえば俺の家、か。柚子は心の中で呟いた。どうやら勝元の実家は本当に由緒正しい家系のようだ。尚更簡単に話すわけにはいかないだろう。
「……だから秘密だって」
「そっかー」
勝元は悔しそうに言った。
「……ま、話したくないこともあるよね。それこそ分かち合えるんじゃない? とは思いますけども」
勝元の妙な言い回しに柚子は眉をひそめた。
「どゆこと?」
柚子が勝元の顔を見上げる。勝元は目を細めて投げやりな表情をしていた。
「俺、実家あんま好きじゃないから」
「……そうなんだ」
予想していなかった勝元の答えに、柚子は面食らった顔をして返した。
「あれ、似たような事情じゃない感じ? なんだろ、やっぱ気になるな」
勝元は先程とは打って変わって軽い声でそう言った。
柚子は不安になっていた。きっと伝統を重んじるような厳格な家なのだろう。その息子の近くに自分のような存在がいていいのだろうか? 柚子はそんなことを考えながら、遠慮がちに口を開いた。
「……やる気がなかったっていうのも、そういうこと?」
勝元は「ん?」と声を上げた。それから、少しだけ考える素振りをする。
「……まあ、生まれた時から陰陽師だの和尚だのって進路が決まってるのはダルいよね。何かやりたいことが他にあるわけでもないけど、生まれで決めつけられるのは嫌じゃない?」
勝元の気怠げな言葉に、柚子は何も言えなくなってしまった。
勝元の言いたいことは分かる。家柄のせいで小さな頃から将来を決められているということが嫌だという人は、きっとこの世の中にたくさんいるだろう。柚子が悩んでいるのと同じように、彼にも思うところがあるのだ。柚子は、勝元に抱く印象が以前とは少し変わっていくのを感じていた。




