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めざめ(5)

 バイクを押すあきらと群治郎に連れられて、柚子はしばらく歩いた。四方通りと新陽駅を通り過ぎて人通りの少ない道までやってくると、裏通りに入って更に歩く。十五分ほど歩いたところで二人は立ち止まったので、柚子は二人の顔を交互に見た。ただの住宅街の一角だ。


「あの……?」

「ここだよ」


 群治郎が言う。もう一度二人が立っているところを見ると、なぜか景色はまったく変わっていた。目の前に高級和食店のような雰囲気のこじんまりとした屋敷が現れていたのだ。


「え……どういうこと……?」


 柚子が唖然としていると、群治郎がまるで自分のことのように得意げに口を開く。


「『見ようとする者にしか見えない』という呪術がかけられてるんだ」

「すごい……こんなところあったんだ……」

「ここが陰陽団基地東京支部、だよ。ようこそ」


 柚子が呟くと、群治郎がニコッと笑って教えてくれた。広めのアプローチに足を踏み入れ、石畳の道を通って玄関まで向かう。あきらは敷地内にバイクを停めていた。玄関で靴を脱いで、二人の後について基地の奥へと歩く。


 基地の中は旅館のような風情があった。どうやら複数の建物が繋がっているような構造になっているようだ。もしそんなことが可能なら、屋内も呪術的処理が施されていて拡張されているのかもしれない。縁側のような場所を通る時には小さな庭園のようなものが見えて、柚子は思わず口を開けたまま外を眺めていた。ちょっとした豪邸である。


 いくつもの部屋の前を通り過ぎて、ようやく奥の部屋まで辿りついた。柚子は少し緊張しながら二人の後ろに立っていた。あきらが「失礼します」と大きな声を上げる。


「虎城あきらです」

「高畠群治郎です」


 順番に名乗り終えると、あきらが続けた。


「白面金毛の娘と思しき少女を連れて参りました」

「はい、はい」


 襖の向こうから軽い声が聞こえる。それから、勢いよく襖が開いた。


「どうも、こんにちは。いやー、ご足労おかけして申し訳ない。陰陽団団長の山川太郎です」


 柚子は声の主を見上げた。あきらと群治郎がサッと動いて、柚子の姿が見えるように避けた。


 柚子のことを舐めるように見つめているこの太郎という男性は、かなり背が高く、ひょろりとしていた。浴衣を着ており、銀色のさらさらの髪が顔の周りで揺れている。中性的な顔つきや出で立ちはどこか儚げに見えたが、ふてぶてしい笑みがその印象を見事に打ち消していた。あきらや群治郎より若そうなその姿を見て、柚子は驚いた。団長はもっと年上だろうと思っていたのだ。


「お名前は?」


 太郎が尋ねる。


「あえっと、藤原柚子です」


 ぼうっとしていた柚子は慌てて名乗った。


「柚子くんね。それじゃ、柚子くんだけ中に入って」

「は……はい」


 太郎に言われ、柚子は小さく頷いた。あきらと群治郎の間を通って部屋の中に入る。


「それじゃ、後でね」


 太郎は二人にそう言ってにやりと笑うと、襖を閉めた。


 太郎の部屋は広い和室だった。必要最低限のものしか置かれていない、随分と殺風景な部屋だ。


「適当に座って」


 そう言われた柚子はその場に正座した。太郎は柚子の近くまでやってきて胡坐をかいた。


「さて」


 太郎が柚子を凝視する。すべてを見透かすような瞳だと柚子は思った。少し居心地が悪かったが、柚子は勇気を振り絞って太郎を見つめ返した。


「……嘘はついていなさそうだ。少なくとも僕の分かる限りでは。ということは、本当に記憶がないのか」

「あの……記憶って」


 柚子は口を開いた。ずっと不可解に思っていた。物心がついてからの記憶はある。一体何の話をしているのか、先程からさっぱり分からなかった。


「ああ……ごめんねえ。何から話そう。まず、君が何者なのかって話だけど」

「私、妖怪なんかじゃありません」


 柚子は強い口調で言った。緊急事態だなんだと言われて黙っていたが、本当は早くそう言いたくてたまらなかった。私は人間。お父さんのことは覚えてないけど、お母さんがいる。本当の母親ではないかもしれないだなんて、そんなことは考えたくなかった。頼りになる人は全員死んでしまっていると母親から聞いている。柚子にとって、家族は母親だけなのだ。


「んん……」


 太郎は何と言うべきか迷っているようだった。


「……最近、何かおかしなことはなかったかい? まるで自分は人間じゃないんじゃないかって思っちゃうような」


 柚子は思わず目を見開いた。


 そうだ、今日はおかしなことがたくさんあった。「妖怪だ」などと言われた瞬間、それなら納得が行くかもしれないと心のどこかで思ってしまった。だからここまでついてきてしまったのだ。


「……走るのが速くなったり、全然疲れなくなったり……怪我が早く治ったりはしました」


 柚子が言うと、太郎は特に驚いた素振りも見せず、小さく頷いた。


「妖怪は基本的に人間より身体能力が高いしね。それに、君はかなり強い妖怪なんだ。並大抵の妖怪より力は強いと思うよ」

「……」

「他に、もっとおかしなことはなかったかな? 鎌鼬に襲われたこと以外で」


 太郎は更に聞いてきた。柚子はしばらく迷っていた。鎌鼬に襲われた時、一瞬記憶を失くしたことは言いたくなかった。


 数秒の間考えてから、口を開いた。本当はもう思い出したくもない。関係ないと信じたい。だが、今日はこの悪夢からすべてが始まったのだ。


「今朝、森の中で自殺する夢を見ました。でも、それくらいです」


 柚子は早口で言い切った。太郎の目が大きく見開かれ、口元は満足げに歪んだ。まるで、一番求めていた情報はそれだとでも言うように。


「……やっぱり、君はそうだ。君は白面金毛九尾の狐の娘。妖怪だよ」

「なんでですか?」


 柚子は思わず叫んでいた。意味が分からない。確かに、奇妙なことはたくさんあった。だが、自分が銃で殺されそうになるほど危険な妖怪だなんて、そんなことは簡単に受け入れられない。


「なんで……? どうして……私が人間じゃないって言うんですか? どういうこと? 意味分かんない! 母もいます! 人間のお母さんが!」

「それとこれは両立するんだよ」


 涙を堪えながら大声で喚く柚子に対して、太郎は至って冷静だった。


「君が自分で言っていた。白面金毛の娘だと」

「そんなこと、言ったことないです」

「前世で言ったんだよ」


 太郎の言葉に、柚子はピシリと固まった。そういえば、鼬の妖怪にも前世の記憶がどうと言われたような気がする。


「君は白面金毛九尾の狐の娘で、母親を蘇らせる役目を与えられていると言っていた。白面金毛が殺生石に姿を変える前に最後の力を振り絞って生んだ娘だから実体がなく、魂だけの存在だった。だから人間の体を器にしている、と。人間の体を使って人間を殺して力を蓄えていると。あの時君は、これで八回目だと言っていた」


 太郎の言っていることの意味が分からず、柚子は絶句していた。


「あともう少しできっとすべてが終わる。使命を果たす時が来ると言っていた」

「……それ、本当なんですか?」


 柚子の振り絞るような声に、太郎は肩をすくめるような動きをした。


「さあねえ。君に言われた通り言ってるだけだよ」

「……」


 柚子は再び黙りこくった。もう、何が何だか分からない。


「……君の母親である白面金毛九尾の狐は今は殺生石という石に姿を変えていて、その石ももう砕かれてるんだけど、かつてはこの世で最も恐れられた妖怪だった。こんなこと言うのは癪だけどね」


 太郎は本当に嫌そうな顔をしている。


「奴は凄まじい知能と妖力を持っているだけではなく……明確かつ悪意のある目的を持っていた。この世を妖の世にしようとしていたんだ。そして、それを実現させられるだけの力を持っていた」


 柚子は、黙って太郎の言葉を聞いていた。


「実際、大昔に中国やインドで国の権力者を魅了し、取り入って、国を滅ぼすことに成功したこともある。平安時代には日本も支配しようとしたんだ。どうにかなって石に姿を変えて、もう二度と戻らないと言われてたけど、十九年前に前世の君が現れたことでその脅威は蘇った。蘇ったというか、今現在最も恐れられている妖怪は、君なんだ」


 太郎に真っ直ぐに見つめられ、柚子は息を呑んだ。


「……んだけど君は何らかの理由ですべて忘れてしまってるみたいだし、今まで力も抑えられていたようだ。それで保《も》ってたことの方がすごいと僕は思うけどねえ」


 太郎が柚子の顔をチラッと見る。


「……柚子くん」


 太郎は先程よりも真面目な声音になった。


「君はこれからたくさんの妖怪に狙われるだろう。陰陽団に入ってくれれば身近なところで君を守れるし、もっと詳しい情報を与えることもできるよ。それに、君は強くなりそうだから、僕個人としても陰陽師になってほしいと思うんだけど」


 柚子は何も言えずにいた。頭がこんがらがっている。


「……まあ、よく分かんないだろうし、すぐには決められないよねえ」


 太郎はそう言うと小さく笑った。彼は何もかも当然のことだとと言うように軽い雰囲気で説明をしているが、すべて事実なのだとは到底思えない。だが、もし真実ならば、今日起きたおかしなことが何もかも繋がるような気もした。


「近いうちに答えを聞かせてよ。待ってるからさ」


 太郎はそう言うと、立ち上がって部屋の襖を開けた。

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