我が子羽ぐくめ天の鶴群(2)
顔を上げて愕然とした表情を浮かべていた涼介は、いきなり立ち上がって部屋を出た。
「ちょっと、ごめん」
涼介は廊下の外を見ていた柚子と勝元を軽く押しのけて勢いよく駆けていくと、玄関にいる父親の前に立ちはだかった。
「どうしたんだよ?」
「涼介……」
切羽詰まった声で問う涼介に、かつて陰陽師だった男は苦い顔をした。
「凛が……今日はお前が家を出てからもずっと目を覚まさなくてな……」
「……なんで……」
涼介は掠れた声を上げた。
「分からない……」
父の答えに、涼介は顔を歪ませる。柚子の脳裏にも、最悪の答えが浮かんだ。
「団長や誰かに診てもらえたらと思うんだが……」
「ですが、あなたは……」
あきらが苦しそうな声で口を挟む。そこで涼介がガバッと振り向いた。
「俺からのお願いだったら聞いてくれるってことですか?」
「え?」
涼介の勢いにあきらは面食らった。そして、困った表情を浮かべる。
「ええと……まあ……そうね」
要は、タブーを犯した元陰陽師の半妖の娘を陰陽団基地の中に入れてよいものか悩んでいたのだろう。涼介は真剣な顔をしている。あきらがもう一度口を開きかけたその時。
「なんだか騒がしいねえ。どうしたのかな?」
奥から太郎が現れて、いつもと同じの間延びした声でそう言って首を傾げた。
「だ、団長……!」
涼介の父が縋るような声を上げる。太郎は目を丸くした。
「わあ、龍一くん久しぶりだね。すごい度胸だ」
太郎の嫌味な言葉にも動じず、男、都龍一は太郎に頭を下げる。
「団長……どうか娘を診てくれませんか。どうも嫌な予感がするのです……」
「いいよ」
太郎は実にあっさりと答えた。あきらは驚きと安堵の入り混じった顔で太郎を見つめている。龍一は目を見開いてから、泣き笑いのような顔を浮かべた。
「ありがとうございます!」
「経緯はどうあれ、妖怪が原因で困ったことになっている人がいるわけだ。力にならないとね」
太郎はそう言って目を細めて笑うと、龍一についてくるように合図した。
「月隊の人たちに診てもらおう。娘さん連れてきて」
「はい!」
龍一は駐車場に停めていた車から目を覚まさない娘を抱きかかえて基地の医務室へと向かった。それに付き添う涼介の様子を心配して見ているうちに、柚子たちは彼らについていく形となってしまった。
和泉を含めた月隊隊員たちが涼介の姉、凛の容体を診ている間、六人の新人陰陽師たちと一人の元陰陽師は廊下で待つことになった。
「……私たち、帰った方がいいよね」
沙也香が小声で呟く。
「そうね」
椿も囁き声で返した。軽く挨拶をして迅速にこの場を去るべきだろう。しかし、一同が動こうとしたその瞬間、龍一が口を開いた。
「君たちは……涼介の仲間だね」
思わぬタイミングで龍一から話しかけられ、柚子たちはギョッとしながらも頷いた。
「はい……」
柚子が言う。
「見苦しいところをお見せして申し訳ない……。涼介の父です。息子がお世話になっています」
「いえ、こちらこそお世話になっております」
椿が礼儀正しく答えた。
「お世話になってます……」
残りの四人もそう言って、バラバラに頭を下げる。涼介は何とも言えない表情をしていた。龍一は疲れ切った顔で微笑んだ。
「息子は普段どんな感じでしょうか。迷惑かけてませんかね」
「えっと……」
龍一の質問を聞いて、柚子は思わず言葉に詰まってしまった。
正直に言うと、どんな感じかどうか分かるほど親密な関係を築けているとは思えない。どう答えるべきか迷っている五人と都家の二人の間に、気まずい空気が漂い始めた。
「……そうか」
龍一は、何かを察したような声音でそう言っただけだった。それから、言いにくそうに続ける。
「実は私は陰陽師の免許を剥奪されている身でしてね……娘の凛は——」
「さっきちょうど話してたところだった」
少し離れたところに仏頂面で突っ立っていた涼介がぶっきらぼうに言った。龍一は驚いた顔をして涼介を見つめてから、力ない声で再び「そうか……」とだけ返した。
その時、医務室の襖が開いた。そして、部屋の中から和泉が出てくる。和泉は苦しそうな顔をしていた。
「都さん……あの……言いにくいのですが……」
和泉の言葉に、涼介と龍一だけではなく全員が悲しげに眉を下げた。
「凛さんには通常の解毒剤は効果がないようです。妖怪の毒を喰らってしまった時もすぐに対処できれば多くの場合は解毒できるんですけど、鴆の毒はかなり強力な上、凛さんは既に体内全体に毒が回ってしまっている状態で……」
和泉の説明に、涼介は唇を噛みしめた。龍一も今にも泣き出しそうな顔で眉を寄せる。開いた襖の隙間から、青白い顔をして横たわる黒髪の女性が見えた。
「……やはり、鴆の体から薬を作るしか……」
その言葉を聞いて、涼介の顔が更に歪む。
「そうですか……」
深く息を吐き出すようにしてそう言う父親を見て、涼介は思い詰めたように拳を強く握った。そして、俯いて唇を震わせる。
「……なんで産んだんだ」
絞り出すような声だった。その場にいる者全員が涼介を見つめた。涼介は勢いよく顔を上げて父親に向き直ると、突如声を荒げた。
「死ぬと分かっていてなぜ産んだ!」
涼介の叫びに、誰も答えられずにいた。
人は皆死ぬ。だが、涼介にとって今はそんなことはどうでもいいのだ。
「妖怪との子供が、普通の体で生まれてこないことくらい想像つくだろ!」
龍一が愕然として息子を見つめている。涼介の言葉は、柚子の心にも突き刺さっていた。
「苦しい目に遭うかもしれないと分かっていてなぜ産んだ!」
龍一は黙っている。涼介は更に凄まじい剣幕で迫った。
「答えろよ!」
龍一は口を固く閉じて鼻から大きく息を吸い、そして吐いた。彼の目尻には、涙が光っている。
「……会いたかったんだ」
龍一はようやく口を開いた。独り言を言うように語る彼の姿は、ひたすらに痛ましいものだった。
「彼女との間にできた子供に、会いたかっただけだ……」
絞り出すような龍一の声に、涼介は呆然としていた。眉に皺を寄せ、口を開けたまま父親を見つめる。
「凛のことは心から愛している。凛には——当然お前にもだが——惜しみない愛を注いだ。できることは何でもした……だが、産んだことに大きな意味なんてない。会いたかっただけ、子供ができたことが嬉しかっただけだ。これからどれだけ大変な思いをすることになるかと考えるよりも、その気持ちが強かった……それをエゴだと言われても否定はできない」
父親の告白に、涼介は二の句を継げずにいた。もっと言い訳じみたことを言われると思っていたのだろうか。何も言えなくなってしまった涼介は、ただ力なく立ち尽くしていた。
「ただな、涼介……凛の幸せは凛が決める……。姉さんに、そんな言い方はしないでくれ……」
龍一は、懇願するようにそう続けた。涼介は唇を噛みしめた。
刺すような静寂が周囲を覆い尽くしていたその時、ふと畳が擦れるような音が聞こえてきた。和泉が振り向いて、「あっ」と大声を上げる。なんと、目を覚ました凛が布団から起き上がってこちらへとやってきていたのだ。
「姉貴!」
「凛!」
涼介と龍一が同時に声を上げる。
「大丈夫ですか?」
和泉はそう言ってよろめく凛の体を支えた。凛はすまなそうに和泉に小さく頭を下げてから、顔を上げて弟と父の顔を見つめた。
「あね……」
「そんなこと言わないで……」
涼介が何かを言い終わる前に、凛は掠れた声でそう言った。涼介が目を瞠る。凛は、微笑んでいた。
「私は、お父さんと涼介に会うために生まれてきたんだよ」
凛の声はとても優しい。
「私、生まれてきたことを後悔したことなんて一度もない。私は、生きるために生まれてきたの」




