我が子羽ぐくめ天の鶴群(1)
感じたこともないはずなのになぜか知っている痛みに突き上げられて、彼女はふと我に返った。
どこか知らない場所に横たわっている。だが、一切馴染みのないはずなのに、ここをよく知っているような気がした。
狭い檻の中のような場所だ。床はなく、仰向けになった彼女の体は土の上にある。着古した安値の着物は大きくはだけており、乳房が露わになっていた。
再び下腹部に強い痛みが走った。男の荒々しい息のようなものが聞こえる。彼女は視線を自分の下半身の方に向けた。下卑た顔をした半裸の小太りの男が自分の上に馬乗りになっているのが見える。この男の顔もまた、見たこともないはずなのによく知っているような気がしてくる。その瞬間、彼女は強い嫌悪感に頭の中を支配された。そうだ、私はこの男が大嫌いだった。
痛みは消えない。一定のリズムで体が打ちつけられる。秘密の領域を無理矢理踏み荒らされるたびに、彼女は感情を失っていった。
痛みも苦しみも散々味わってきた。幾度も繰り返してきた人生の中で、何度も、何度も。けれど、彼女はまだ生き続けなければならない。必要な力を蓄えるために。
「あの髪の色に……今はしまいこんでるその……耳と……尻尾」
男が、喘ぎながら切れ切れに声を上げる。彼女は一言も返さなかった。
「見た目は……不気味なもんだが……」
男はそう言うと、意地の悪い笑みを浮かべた。そして、腰を動かす速度を上げる。
「ここは……人間の女と同じ形を……してんだな?」
その瞬間、彼女の中で何かが壊れた。
彼女の臀部から、金色に輝く九本の尾が溢れ出る波のように現われ出でた。男は行為に夢中になっており気にしていない。余計に強く押さえつけてくる。
九本の尾が男の背後に伸びていく。ゆらゆらと陽炎のように揺れながら男の首元までやってくると、そのうちの一本が一瞬にして刃のように硬くなった。そして、今にも絶頂に達しようとしていた男の首を斬り落とした音で、柚子は目を覚ました。
「……」
ベッドの上で仰向けになったまま動けずにいた。数分が経過してから、ようやく目尻の涙を拭いて起き上がる。
「最悪……」
涙が止まらない。最悪だ。自殺する夢の方がよっぽどまし。
柚子はしばらくの間両手で顔を覆って啜り泣いていたが、急激に吐き気に襲われ、急いでトイレへと走り出した。
気がつけば、正式に陰陽師となった日から一ヶ月が過ぎていた。
今日は土曜日で、最後の座学の日だった。満点を取れなかった場合補習を受けなければならないというテストを終えて、部屋の中は安堵の声に包まれている。どうやら、全員補習は免れたようだった。
「柚子、もしかして具合悪い? 今日朝からちょっと顔色悪かったけど……」
返却された答案用紙を虚ろな表情で見つめる柚子を見て、沙也香が心配そうに声を上げた。
「ううん、だいじょぶ」
柚子は無理矢理笑顔を作って答えた。
あの夢で見たもの感じたものが、頭にこびりついて離れない。だが、その内容は絶対に誰にも教えられないとも思った。あの夢も、実際に過去に起こったことなのだろうか?
「ほんとは一人だけ補習になったとか?」
翼がからかうような声で言った。勝元が柚子の顔を観察しようとする。
「ちゃんと満点です」
柚子はそう言うと、顔を隠すようにしてテストを見せつけた。
「……まー、難しくはなかったけど満点以外不合格って言われたらビビるよね」
勝元が視線をみんなに向けて言う。
「どの妖怪に出会っても即座に対応できるように、ってことなんだろうけど」
沙也香もそう言って溜息をついた。
「でも、妖怪の種類はまだあんだろ? 習ってねー妖怪が出てきたらあんま意味ねえよな」
翼はそう言って、答案用紙をひらひらと振った。
「まあそこは臨機応変に、って感じでしょ」
「そもそも俺たち新人だし、記録に残ってないような妖怪と戦う機会ないと思うけどねー」
沙也香と勝元は適当にそう言うと、答案用紙や筆記用具を片付け始めた。一足先に帰り支度を済ませた涼介が立ち上がる。すると、先程からずっと黙っていた椿が口を開いた。
「都くん」
名を呼ばれた涼介が、動きを止める。椿は涼介の顔を見ず、真っ直ぐに前を向いたまま言いにくそうに続けた。
「……誰だってプライベートなことに首を突っこまれるのは嫌だと思うけど……でも、多少はそういうことが必要な時もあると思うの……」
椿の言葉に、翼が目を見開いた。勝元も仰天したような顔をして、チラッと柚子の方を見る。
「……都くんは、どうしてそんなに忙しそうにしているの?」
聞いたー!
柚子は心の中で絶叫していた。他の三人もきっと同じような思いだろう。
「私たちと話すのが嫌なら強要はしないわ。だけど、一緒にやっていかなくちゃいけない……パートナーだっていうのに、都くんがそんな態度だと、最低限の信頼関係も築ける気がしないの」
椿はそう言うと、ようやく涼介の顔に視線を向けた。涼介は、呆然と椿を見つめている。
「教えてくれて、その理由に納得ができれば、それで済む話だと思うの。都くんの行動そのものを悪いことだと言うつもりはないから……」
「……ごめん」
涼介は意外にも、素直に謝ってその場に座り直した。
「無愛想だとか言葉が足りないとか、よく言われる。ごめん」
涼介の返事に驚いたのは、椿だけではなかった。涼介は五人の視線が自分に向けられていることに気付くと、微かに姿勢を正してから話し始めた。
「姉貴が体が弱くて……最近ずっと寝てるから、看病してる。だからいつもできるだけ家にいた……」
「……そうだったのね」
椿は切なげに囁いた。
「お姉さんって、前言ってた?」
柚子が問うと、涼介は頷いた。
「家で看病してるって……大変だな。通院とかしてるのか?」
翼が言うと、涼介はなぜか黙りこんだ。何も言わずに床の畳の網目をじっと見つめてから、意を決したように口を開く。
「普通の病院じゃ姉貴は治せない。姉貴は……姉貴は、人間と妖怪のハーフだから」
部屋の中の空気が固まった。
静寂に包まれた部屋の中で、一番に声を発したのは勝元だった。
「あのさー、都くん?」
涼介が顔を上げる。
「俺、前に都、って人が妖怪との子供を作ったから陰陽師の免許を剥奪するって親父が話してるところを盗み聞きしちゃったことあるんだけど……それって都くんのお父さんで合ってる……よね?」
勝元は場の雰囲気を変えようとしているのか、滑稽なくらい軽い口調で尋ねた。涼介は深く頷く。
「合ってる。……俺の姉貴は、鴆っていう妖怪と人間のハーフなんだ」
そうだったんだ。そういうことだったんだ……。柚子は目を閉じて、心の中でそう呟いた。様々なことに納得が行って、彼に対して抱いていた懐疑心のようなものが消えていくのを感じる。
「鴆って、どういう妖怪なの?」
沙也香が言う。涼介の表情が、明らかに曇った。
「……毒を持つ鳥の妖怪」
涼介の声には、憎しみがこもっていた。
「姉貴にも鴆の毒が遺伝した。だけど、その抗体は遺伝しなかった……。だから、姉貴の体の中にはずっと鴆の毒が回ってる」
「え」
「それって……」
一同は驚愕の声を漏らした。涼介はなおも頷く。
「十八年……十九年も妖怪の毒にやられ続けて、姉貴の体はだいぶ弱ってる。もう長くないかもって親父は言ってる……でもどうしようもできない」
涼介はそう言うと、歯を食いしばった。
「だから俺は、早く鴆を見つけてその体から姉貴の毒を消す薬を作らなくちゃいけない……」
涼介は唸るような声で続ける。
「だけど、どこにいるのかも分からないし、どう探せばいいのかも分からない……団長に何度も聞いたけど、はぐらかされた」
涼介ははあっと大きく息を吐いた。それから、気まずそうに仲間たちの顔を見回す。
「……焦ってて、周りが見えてなかったんだと思う……ごめん」
涼介はそう言って、頭を下げた。椿が小さく頭を横に振る。
「……いいの。話してくれてありがとう」
椿はそう呟いた。
「……大変だったんだな」
翼も気の毒そうに言った。
それから、六人はしばらくの間何も言えずにいた。部屋の中は、重々しい空気で押し潰されそうだ。
「……なんか、外騒がしくない?」
ふと沙也香が沈黙を破った。確かに、部屋の外からドタバタと駆け回るような足音と、誰かが叫ぶ声が聞こえてくる。勝元が立ち上がって襖を開けた。
「どうしたんですか? ……都さん? 一体……」
あきらの声が聞こえてきた。一同が廊下に顔を突き出して様子を見てみると、玄関付近であきらと髭を生やした背の高い男性が向き合っているのが見えた。男性は苦味走る魅力の持ち主だったが、必死の形相をしており、その渋さは半分以上損なわれている。
「今じゃなきゃだめなんです!」
男性が吠えた。
「お願いだ、頼む……! 団長に会わせてください。娘が……娘が、朝からずっと目を覚まさないんです!」
男性の声を聞いた涼介が、ハッとして顔を上げた。




