12.リリエッタの変化
少し時間は巻き戻り、今日はデート前日の日の朝。
「最近旦那様が……おかしいわ……?」
窓から陽光がキラキラと差し込み、花瓶に生けた花を照らす。
庭師から貰ってきたその花をぼーっと見ながらリリエッタは1人つぶやいた。
ことは先日の花束の件。
誕生日はおろか今まで1度もアルフレドから贈り物をされたことのないリリエッタは、アルフレドが思っているよりずっと花束に驚いていた。
さらにこの前のお茶会では、ドレス姿を貶されなかった。
当たり前の事のように思えるが、これはリリエッタにとって大きな変化なのである。
「まあ、何がおかしいのです?」
リリエッタのプラチナブロンドの長い髪をブラシで丁寧にときながら、エマは不思議そうに顎に手を当て思案に耽る彼女にたずねる。
うぅんと唸り声を上げたあと、おずおずとリリエッタは口を開いた。
「少し…お優しくなられたような…?」
「よろしいことではありませんの。」
いや、本当に何よりである。
アルフレドにとって茶会の騒動や花束を渡せなかったことは"失敗"として処理されているが、思ったより効果は得られているようである。
そうして花瓶をさらに見つめ、何かに気づいたようにハッと声を上げた。
「あの花束、かすみ草が綺麗だったわ…。」
「ええ、奥様がお好きなかすみ草とピンク色の花で纏められた花束でしたわね。」
あれはどう見てもリリエッタのために作られた花束だ、リリエッタ以外屋敷のものは誰がみてもそう思ったであろう。
結局受け取るほかなかった事情の知らないミリアムでさえ気づいている。
しかしアルフレドから施しを受けたことのないリリエッタは、その場で気づくことができなかったのであった。
「私に…私のために、作って頂いたのでしょうか…?厚かましい考えでしょうか…。」
「ええ、あの花束はきっと奥様のためにご用意されたのだと思いますわ。
旦那様は素直な方でありませんから、とても言い出せなかったんでしょうね。」
これは進展、チャンスとばかりにエマは畳み掛ける。
アルフレドは10年ほとんど変わらないが、リリエッタの意識が変わればもっと関係が改善される可能性がある。
普段何の不満も漏らさないリリエッタに逆に密かに不安を抱いていたエマはここぞとばかりにアルフレドを持ち上げた。
「とても人気があられる旦那様が夜会やお酒の席にあまり出席なされないのも、きっと家庭の時間を大切にしたい一心なのですわ。」
「ミリアム様を大切にされてるんですね。」
しまった。
愛人がいるのを忘れていた。
「で、ですが奥様、ミリアム様と旦那様が仲良く談笑しているところを見たこと、おありですか?」
「…そういえば、ないですね…?」
当たり前だがミリアムとは契約上の愛人関係であるのでお互いに愛情はない。
アルフレドがミリアムを冷ややかな目で見ることはあるが、決して熱のこもった視線を送ったことはないのである。
寝室を一緒にしている様子もないし、リリエッタはさらに首を傾げた。
「とても慎ましやかな関係でいらっしゃるのかしら?」
「そ、それは…どう申し上げたら良いか…?」
綺麗な髪を1つに結い上げ、シンプルな髪留めで留める。
そのままいつものドレスに着替えると、リリエッタはいつものようにキッチンへ向かった。
前日のディナーの進み具合、残業の度合い、睡眠時間を分析し今日は暖かい野菜スープが一番いいだろう。
アルフレドの好物であるフレンチトーストにはシナモンをかけることを指示すると、リリエッタは日課である散歩をしに庭へ足を向けた。
「あ、おはよございますオクサマ。」
そこには珍しく庭師以外の先客、ミリアムがいた。
赤毛のふわふわした髪を無造作に下ろしたまま、どうやら日光浴をしているようだ。
リリエッタとは正反対のシャープな瞳に高い鼻、すらりと高い背は色気を放っているようにも感じる。
嗚呼自分とは正反対だ、こんな美しい人に勝てるはずもない。
「……?勝てるはずもない…?」
「ん?なんです?何か言いました?」
「私は勝つつもりだったのでしょうか…?」
「へ?ギャンブルでもしたんです?」
ふと湧き上がった疑問をそのまま口にするリリエッタ。
ミリアムはよくわからない顔をしながらもうん、と背伸びをした。
基本的にマイペースで他人のことを気にしない主義のミリアムに、それ以上問い詰められることもなくぺこりとお辞儀をされ庭を去っていった。
「どうかされました奥様?」
「はい、いいえ……平気です。」
いつ捨てられてもおかしくないと思っていた。
決して裕福な家庭ではなかったし、小さな弟と妹のためにもこの結婚はなんとしてでも成功させなければならなかった。
もともと両親同士の仲が良く、この結婚は政略結婚でないことはわかっていた。
しかしアルフレド自身の意思を優先した結婚とは到底思えない。
だって自分は嫌われているから。
だからこれ以上嫌われないよう決して口答えはしなかった。
少し悲しくなることもあったけど、それでもアルフレドを嫌いにはならなかった。
それは不器用ながらもアルフレドが、優しい人だと知っていたからである。
「私、小さい頃に熱を出して数日寝込んだことがあったんです。
その時に何度も様子を伺いにいらしてくれた旦那様の心配そうな顔が、未だに忘れられないの…。」
看病をしてくれたわけでも、見舞いの品を貰ったわけでもない。
それでもリリエッタには、忘れられない思い出なのであった。
「私、本当にここにいていいのでしょうか…。」
ずっとこんな立場にいてはならないと思っていた。
リリエッタは少し不思議そうに空へ問いかけたのだった。