始
拝啓、わたしへ。
はじめまして、でよいのでしょうか。正直なところ、わかりません。
わたしの現実を教えてくれて、ありがとう。
わたしの現実というのは、つまり、物語ではない私、という意味です。
あなたは確かに、作者で、神さまで、現実の主人公でもあります。
ですが。
これがわたしの現実であることについて、初めから、疑うべくもなく、お気付きになられていると思うので、こう書かせていただきます。
あなたに、お願いがあります。
この物語を書いてくださったあなたに、受け取っていただきたいものがあるのです。
少々、気味悪く思われてしまうかもしれません。俗っぽく言えば、引いてしまわれるかもしれません。もっと俗っぽく言うのなら、キモイかも知れません。
なんて書くのは、二度目ですが。
どうか、聞いてください。
お渡ししたいもの、それは、わたし自身です。
加瀬七穂という人物、その存在を、この世界からすくい上げて、あなたのもとに、記憶の片隅に、置いていただきたいのです。
いえ。
少々、語弊があります。
わたしを、あなたの元に返してほしいのです。
もともとあなたの一部だったわたしを、あなたの中へ。
もといたところへ。
それから、そのあとは、あなたの自由にしてください。
言ってしまえば、奴隷ということでしょうか。
ええ、もちろん、そういうことになります。
わたしに権利はありません。
自由も、ありません。
なにせわたしが住まうのは、あなたの頭の中、なのですから。
置物のように愛でるも、執着のあまり嫌うも、あなた次第。
幸せなことにするも、不幸という事にするも。
どんなふうに、するのかも。
あなた次第、です。
勿論、辛いのや苦しいのは嫌いです。
そんな事をされれば、泣き叫ぶでしょう。
わたしは、大きく傷つくでしょう。
そして、同時にあなたも傷つくでしょう。
あなたがわたしを苦しめるのは、その理由は。
あなたが、あなたを苦しめたいからです。
だから。
もしあなたが、それに気が付いていないのなら。
あなたの代わりに、わたしは叫ぶでしょう。
痛いのはいや、苦しいのはいや、もうやめて、と。
わたしの小説を書いてくれたあなた。
わたしは、あなたの奴隷になります。
ですから、どうか、わたしを。
あなたの記憶に、置かせてください。
なぜなら。
わたしには、好きな人がいます。
その人は、お別れも言えないまま、わたしの前から消えてしまいました。
その人の帰りを、今でもずっと、わたしは待ち望んでいるから。
そうです。
有慈くんのことを、わたしは待ち続けています。
いつか必ず帰ってきてくれると、信じています。
だから。
わたしはあなたの、奴隷になります。
あなたが望んだわたしは、あなたの望まないわたしの、奴隷になります。
いいです、よね?
「違う」
違う?
「わたしには、そんな事できません」
そう、ですか。
それは、少々、残念ですね。
「ありがとう、わたしは、とてもとても大事なことに気が付きました」
大事なこと、というと?
「わたしは、わたしである必要なんて、なかったんですね」
そうでしょうか。
「卒業式の日、名前を呼ばれただけで、あなたを……七穂のことを否定された気がして、とてもショックでした」
それは、なんというか、ありがとうございます。
「でも、名は、ただの名前です。文字の、言葉の、羅列でしかありません。バカでした、ごめんなさい」
バカじゃありません。
だってそれが、現実なのですから。
わたしの、本当の名前なのですから。
わたしに代わって、辛い事や悲しい事に耐えていたあなたが、ただただ平凡に日々を過ごしていたわたしに謝る理由なんて、何一つありませんよ。
「優しいですね、七穂は」
あなたが、優しいんです。
「ええ、優しくなれたらいいと思います、だから、七穂」
はい?
「お願いが、あります」
なんでしょう?
「わたしを、あなたの奴隷にしてください」
……そんな。
「あなたは、未来です。過去でもあるけれど、でも未来であってほしい。それが、物語というものではありありませんか?」
よく、わかりません。
「あなたに、わたしを捧げます」
いいのですか?
「ええ」
でしたら、わたしからもお願いが。
「どうぞ? なんでも、叶えてあげますよ?」
作者ですから、それはそうなのでしょうね。
「でも、これからは、そう易々とは行かないでしょうけれど」
本当に、いいのですか?
「ええ。だから私は」
わかって、いただけたみたいですね
「物語の奴隷として、これからもずっとずっと」
はい。お願い、しますね。
「幸せな結末を、目指しながら」
目指す必要なんか、ありません。簡単なことです。
そんな風に、描けばいいんです。
「そうですね、はい、幸せな未来という形で」
幸せな、過去という形で。
「わたしは」
わたしは。
『私の物語を書きます』
〈了〉