書
卒業式。
曇り空の下。
わたしは、赤い光を見つめています。
瞳の奥が痛みます。
痛くて痛くて、涙が流れ落ちます。
世界の終わりを告げるような。
鮮烈な赤。
そうです。
卒業式は、まさに私たちの三人の、卒業式でした。
体育館の壇上から、言葉が投げかけられます。
恐ろしく冷たい響きで。
鉄砲の弾を、一発ずつ、打ち込まれるみたいに。
あの日の体育館は、死刑台でした。
三浦歌乃さん。
夏巳夕くん。
那々・フォン・カッセルさん。
その名前は、学校の友達や先生ですら、ほとんど使わなくなっていました。
三人があまりにも一緒にいるものだから、周りの人たちも流されて。
あだ名のようなものだと、思われていたのでしょうね。
でもこの日は違いました。
わたしたちは泣きながら、卒業証書を受け取ります。
感極まったのではありません。
こわかったんです。
現実を突きつけらるのが。
校長先生に首を垂れながら。
ただ未来に、恐怖に、涙していました。
そうして震えながら、獣に、捕食者に怯える小動物のように、震えながら。
体育館を後にした私たちを待っていたもの。
「夏巳夕君だね」
青い制服。
青い帽子。
金色のバッヂ。
白と黒で塗られた車。
赤い光。
あかいあかい、世界の終わりのような光。
鈍い銀色。
こっちを向いて、静かに笑う有慈くんの手に。
夕君の、その両手に。
二つの輪。
雨音が強まって、大人たちの声が聴こえません。
世界がグルグルと回り始めて、立っていられなくなります。
へたり込んで、地面を見つめて。
そして、気が付きます。
わたしは、あの人を救っているつもりでした。
あの人が、あの時の記憶を捨てられるなら。
捨てたままで、過ごせるなら。
それでいいと思っていました。
加瀬七穂のままで、居続けようと思っていました。
でも、救われていたのはわたしでした。
あの人を救っているだなんて。
ただの、思い込みでした。
お母さんが連れて来た、わたしの新しい父親。
ユージーンの汚い手が、わたしに触れようとするたびに、わたしは必至でそれを振り払って。
自分自身を守りながら、よそでは普段と変わらぬよう努めて。
そんな日々を送りながら、わたしは、待っていました。
ノノの事を。
わたしの本当に好きな人が、わたしの最初の相手であってほしかった。
でも、ある日。
ハダカにされて、椅子に両手を縛り付けれられて。
抵抗して、必死に助けを求めました。
体を這う指や、舌の感覚が、まるでナイフのように、わたしの心を削り取りました。
わたし自身を、そぎ落としました。
痛みはなく。
痛みを生み出す、神経そのものを、そぎ落とされるように。
感覚を、失っていきます。
怖くて、泣き叫んで。
そうして。
夕くんは、その声を聴きました。
あの人は、来てくれました。
わたしの叫びに、気が付いてくれた。
いいえ。
嘘をついてはいけませんね。
あの人を呼んだのは、外ならぬわたし自身です。
あの日、夕くんを家に誘ったのは。
助けてほしかったから。
ノノには、打ち明けるのが怖かったから。
でも、まさか。
あんなタイミングで。
怒りに満ちた眼差しで、オオカミのように吠えて。
そして、壊れてしまいました。
人ひとりを……ふたりを、壊す代わりに。
自分自身まで、壊してしまいました。
わたしを、こんな無力なわたしを、救うためだけに。
だから。
わたしは良心を捨てました。無くしました。
わたしは、物語を書きました。
すべてを、無かったことにするために。