告
「お母さん!」
式が終わって、わたしの姿を見つけるなり、あの子は駆け寄ってきます。いつまで経っても、両目をきらきらと輝かせて、まるで子犬のようです。
「ねえ、どうしよう!」
あれ、でも。
今日は特別、眩しいおめめですね。
「なにか……あったんですね、特別なことが」
「わかる!?」
両手でわたしの手を取って、それから、不意にあの子の笑みが消えて。今度は目尻に皺を寄せて、口元を吊り下げて、あの子は鼻声でこう言いました。
「告白されちゃった」
あら、あら。
卒業式、ですものね。
「どうしよう、ねえ、どうしよう、うっ」
両目をこすりながら、肩を震わせています。
こうして見ると、5歳の時とまるで変っていません。
「おかしいよね、うぅ……あたし、喜んでいいはずなのに」
「そんなこと、ありませんよ」
どうやら、やっぱり、この子はわたしに似てしまったようです。
「つらいものですからね、恋は」
そんな野乃歌ちゃんが、いつにも増して、可愛らしく思えました。
そして。
ある少女の姿が、脳裏をよぎります。
「あたしが恋してるわけじゃないよ……でも……どうしよう」
ノノカちゃん。
わたしの、大切な娘。
そして。
「親友だと思ってたのに」
「親友?」
「そう、親友」
そうです。
この子の名は。
あの子のもの。
わたしの背筋を、冷たいものが走ります。
なにか、とても大切な事を、ものを、ひとを。
置き去りにしてしまった。
そんな気が、突然しました。
「お母さん?」
この子の顔を見ると、しかし不安は吹き飛びます。
「大丈夫です」
「なんか、すごく不安そう、どうしたの?」
「あら、不安になって泣き出しちゃったのは、ノノの方じゃあ、ありませんか?」
「あ……そうだよ、そうだった! どうしよう! ねぇ」
そう言ってまた、わたしの手を両手で握りしめます。
わたしは野乃歌ちゃんの頭を撫でて、それからぽん、と軽く叩きます。
「そんなに怯えていては、相手のかたに失礼ですよ。
その子はきっと、野乃歌ちゃんよりずっとずっと大きな不安と戦っているはずです」
その言葉は、まるで、己自身に言い聞かせるようです。
冷や汗が出そう。悟られないよう無理をして笑顔を繕っていると、不意に、わたしのすぐ横を三人の生徒が走り抜けていきます。
女の子二人と、男の子です。
その後ろ姿を見て、また。
遠い日の記憶が。
タイムカプセルのように、土をかぶせてうずめていたはずの思い出が。
ひょっこりと、長い年月を超えて。
太陽の下に、少しずつ、顔を出します。
「野乃歌」
見知らぬ女の子の声がします。
「あっ」
野乃歌ちゃんの少し陰った表情を見て、すぐに気が付きました。
どうやら、お相手のようです。ああ。
やっぱり、女の子。
「あの、は、はは、話が、こないだの、あの、私が言ってたこと、あれね、半分は冗談ていうか、なんていうんだろう、野乃歌がここまで本気に」
大人しそうな外見のその女の子は、たどたどしく、おどおど。
半分泣きそうになりながら、けれども笑って、早口で言います。
「うん、あたしも話がある」
そう言ったあの子は、真剣だけれど、でも少しだけ柔らかく、どこか幸せそうにも見える、そんな顔をしていました。
「あたし行ってくるね」
先に校門で待っててね、と付け加えて、相手の女子生徒を連れて、あの子は去っていきました。
二人の後姿が遠のく様を見つめながら、その景色を、わたしは知っている気がしていました。
ええ。
「ノノ」
独り言のように呟き、次いで、はっ、と。
わたしは自分自身が告げたその名前に驚きます。
そして、決意します。
いかなくては。
訪れなくては。
たとえ、あの頃の面影が何一つ残っていなかったとしても。
あの頃の家族よりも、何よりも、大切な人たちと過ごした、あの場所へ。
文芸部へ。
歩を進めながら、わたしは一つ一つ、丁寧に、こわれものを扱うように、あの頃の出来事を、記憶の水面からすくい上げてゆきます。
わたしの青春を、とても色濃く、決してきれいな色ではないけれど……どこまでも鮮やかに、拭い去れないほど濃い色に染めてしまった、あの二人。
わたしと、ノノと、ユウジくん。
そして。
わたしはまた、呟きます。
あの人の、その名を。
「夕くん」