狂喜を覚えた
わたしには、わかりません。
どうして、ただ一人の相手を、選ばなければならないのか。
どうして、みんなが、お互いの一番になりたがるのか。
わかりません。
ナナちゃんが最後に告げたその言葉を、頭の中で反芻させながら、あたしは朝日を眺めていた。
どんなふうに考えて、どんな道筋を経て、その答えに至ったのかは分からない。
でも、その時出した答えは、はっきり覚えている。
あたしは身を引こう。
あの子の事は、夕に任せてみよう。
あの子が見せてくれた笑顔が、その決断の、最後のひと押しになった。
そして、すこしだけ笑いながら、あたしは家路に着いた。
愚かにも。
ひと月も経たないうちに、再び大きな後悔に苛まれるとも知らず。
あたしは家路に着いた。
◆ ◇ ◆
あれは、ゴールデンウィークの真っただ中。
スマホに映し出された文字は、まるで世界の終わりを告げているようだった。
『那々を殺そうと思う』
体が震え、血の気が引いた。
しばらく……多分、何十分も。茫然と、金縛りにあったように身動き一つとれないまま、固まっていた。
それでも、最後には自分を取り戻し、体の自由を取り戻し、立ち上がった。
あたしは何処かに仕舞ったナイフを探して、部屋を滅茶苦茶にして、ようやく見つけて、それからアイツの指定したファミレスに向かう。
二人掛けの窓際の席に、あいつが居た。
テーブルに上体を伏せて、なんということだろう。
寝入っていた。
静かに肩を上下させる夕の寝顔を眺めながら、あたしは考えた。
あの首筋に、ナイフを突き立てるの?
あたしが?
なんだか、現実味が無かった。
アイツの寝顔は、あまりにも大人しい。どこにでもいそうな、ごく普通の男子高校生。
でも。
疑問を振り払い、あわよくば確信へと塗り替えてしまうために。
あたしはアイツの頬をつねり、起こした。
「いててて」
呆けた感じで体を起こして、でも、あたしの姿を捉えた途端、あいつの瞳に、影が落ちた。
「遅かったじゃないか」
「ごめんね」
あたしは冷たく言い放ち、あいつの正面に座った。
そして、テーブルの上に、刃渡り7センチほどのバタフライナイフを置いた。
「あんたを殺しにきたんだ」
それを聴いても、夕は表情を変えない。
そのままポケットに手を突っ込み、まさぐって、スマホを取り出し、弄っていた。
警戒したまま、あたしはわざとらしく笑って、言った。
「本気だよ? 弁解するなら、これが最後のチャンス」
反応が無かった。
「教えてくれない? あんたと、ナナちゃんの、関係」
まるで浮気現場を押さえているみたい、なんて、場違いな事を考えながら、あたしは少しづつ、ナイフを握る手に力を込めていった。同時に、夕から目を逸らそうとする自分を、必死で押さえつけた。
「これ」
テーブルの上、あたしの方に向いて投げ出された夕のスマホの画面に、警察のサイトが表示されている。
見出しにはこうあった。
『行方不明者に関する情報提供のお願い』
名前には、見覚えがあった。
『美穂 カッセルさん』
『ユージーン カッセルさん』
ナナちゃんの両親だった。
「どういうこと?」
夕はあたしの言葉を遮って、自分のスマホを手に取り、何度か指を動かして、またあたしに画面を見せる。
さっきとは別の、どこかのニュースサイト。小さな記事で、見出しにはこうあった。
『豪邸でボヤ事件 不明夫妻と関係か』
写真に載っていたのは、かつてナナちゃんが住んでいた、あのお屋敷だった。
「俺は、真相を知ってるんだ、気づいちまった」
不意に、ぞっとするような低い声で、夕がそう言った。
口元を吊り上げて、不気味に笑った。
「だから、あいつを奴隷に出来たんだぜ」
嬉しそうに、笑っていた。