表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
104/126

理そのままに

ナナちゃんは、両膝を抱えてかがむ。

静かに、はにかんで、優しい眼差しであたしを見降ろしていた。

その表情はあまりにも懐かしくて、遠い日の思い出がよみがえってくるようで。あの子と離れてから、もう十年も二十年も時間が経ってしまったように思えてきて。

あたしは飛び掛かるように、抱き着いて、抱きしめた。

あの子は少し驚いて、それからまた優しい眼差しで、あたしの背中に手を回してくれた。


「逃げよう、ふたりで」


それを聴いたあの子は、何のことだかわからない、とでも言いたげに、キョトンと、あたしを見た。


「あいつに、夕に……ひどい事されたんでしょ……知ってる」


それを聴いて、あの子は静かに首を振った。


「いいえ、されていません。酷い事なんて、なにも」


「嘘つかないで」


「本当です、ユウジくんは……ええ、とても、とてもいい人です」


耳慣れないその名を聴いて、あたしは少し面食らい、考えた。

誰だろう? 夕じゃなくて、ユウジ?


「だれなの?」


「ユウジくんは、ユウジくんです」


あの子の両手を取りながら、丸い瞳をのぞき込む。

どこか虚ろで、なんとなく焦点が定まっていない気がした。

そして、あたしは思った。


ああ。

ナナちゃんはここにはいない。

この子の心はどこか遠い、別の場所に。

囚われているんだ。


あたしは再びあの子を抱きしめて、こう言った。


「大丈夫、ナナちゃんは、あたしが守る」


踵を返して、あいつを追いかけようとするあたしを、ナナちゃんは引き留めた。


「本当です、ノノ、信じてください」


あたしは振りかえって、あの子の顔を見る。


「わたしは、あの人が好きです」


笑っていた。

少しだけ虚ろな目をしていたけれど。あたしの知っているナナちゃんが、あたしの思い出の中のナナちゃんが、そこには立っていた。静かに、微笑んで。

そして、あたしは気が付いた。この子は救われたんだ。少なくとも、ほんの少しだけ、笑顔を取り戻せたんだ。あたしじゃない、他の誰かによって。


あたしには、出来なかった。

ナナちゃんを救ってあげられなかった。


でも、悔しくなかった。

悲しくも、無かった。


「そっか、それじゃあ」


昨日までのあたしは、後悔と未練でいっぱいだった。

ナナちゃんと別れてしまった事実を認められなくて、あの子が変わってしまった事が苦しくて。

でも、そんなよどんだ感情も、あの子の笑顔を見ていると、次第に消えていった。


人の別れというのは、きっと、こうして訪れるのだろう。

あたしは、笑った。


今のあたしにできる、精いっぱいの笑顔を繕った。


「お別れだね」


その言葉を告げた途端、あの子の笑顔が歪んだ。

綺麗な折り紙に、少しずつ皺が付くように。

あの子の綺麗な顔に、線が引かれた。


「ありがとう、ナナちゃん」


気付けば、あたし達は再び抱き合っていた。

嗚咽の音は、もはやあの子の声なのか、自分の声なのか、区別がつかない。

二つの早鐘が聴こえた。


「ごめんなさい、ごめんね、ノノ」


あたしの服の裾を掴む指先に、さらに力が込められた。あたしはその手に、そっと自分の手を重ねる。


「嫌です、離れたくありません」


「ダメだよ」


身を引いて、あの子の肩に手を乗せて、言う。

小さな子供に、母親が言い聞かせるように。

ごく当たり前のことを、諭す。


「あたしは、ナナちゃんを守れなかった」


「そんなことありません!」


その声の強さに、芯の通った響きに、驚いたんだけど。

それでも、その芯の強さを真似るように、言い返す。


「あたしは、あなたの傍には、いられない」


自分の言葉に、自分で腹が立った。


「そんな資格、ないから」


「誰が決めたんですか」


あの子は、睨んでいた。

あたしを?

……いいえ。


あの子は、何かを睨んでいた。

誰でもなく、なんでもなく。

例えていうなら、世界を?


「誰が、決めたんですか、そんな事」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ