第九章
次の日、クリニックに登院した僕は、認知症デイケアでのんびりと午前中を過ごしていた。この後のクリニックのあり方をあれこれと考えていたのである。
そこへ、認知症DC48の永遠のセンターがやってきた。
「先生、ご苦労様です。先生もバウム書いてみます?」
と聞いてくるので、ここは、返す刀でこのザコ妖怪を退治してやろうと思った。そこで言った。
「いやー、僕は後で書くし、先に君が書いて見本を見せてくれないか?」
僕には秘めた作戦があったのである。
「いいですよ」と言うと、彼女は紙を取り出し、早速テストに取り掛かった。ーーペンを右手に持つと紙とにらめっこを始める。しかしなかなかペンが動かない。
「どうしたの?何でもいいんだよ、心に浮かんだ好きな木を一本書いてくれればいいんだよ」
と、僕は彼女をせかした。ーーするとどうだろう、彼女は顔を真っ赤にして、ペンを持つ手ががくがくと震えだした。目から涙もぼろぼろ落ちている。そしてついにはーー「ひ―!!」と大声をあげて、身もだえを始めた。そしてついに…。
彼女は正体を現した。強大なストレスがかかり人間の姿を維持できなくなったのである。みるみる姿が変貌し、ついには元の姿となった。
何とそれは妖怪地下アイドルもどきであった。ーーアイドルになりたくて努力していたがなり切れず、地下アイドルで終わった者たちの怨念が集まったものだった。
「ひ、ひえー」と叫びつつ、妖怪は森の中へ姿を消した。
なぜ、強いストレスとなったのか?ーー簡単である。彼女の心は空っぽだったのである。自らの木を書くことなど無理だったのだ。
続いて午後からは、精神科デイケアに赴いた。ついでだから、エコヒイキスキもその日のうちに退治してしまおうかと思ったのである。
デイケアでくつろいでいると、彼女が近寄ってきた。
「先生、今から、バイオリン鑑賞の後の、サイゼリア食事会に行きますけど、ご一緒されますか?」と言うので、「いや、いいです」と断った。
彼女は下手くそなバイオリン演奏にやむなく拍手を送った一団を率いて外出した。
そこで、僕は残った人たちに呼びかけた。
「さあ、皆さん。僕と一緒にロイヤルホストへ行きましょう」
そう言って、僕は残った皆を連れ出した。皆が食事にご満悦であったことは言うまでもない。
サイゼリヤに行った一団が帰還すると、すぐにこの情報が伝わった。僕は、明日からも残された人たちをロイホに招待すると約束していたのである。
すると、デイケア終了時にいつものごとくバイオリンを演奏した彼女に拍手をする者はいなくなった。みな、正直になったのである。
すると、彼女の顔は紅潮し、体は震え、「ひー」と大声をあげるや、どろんと、その正体を現した。
なんとそれは、妖怪”古びた”バイオリンであった。
教育ママたちに、幼少時無理強いにバイオリン教育をさせられた子供たちが、「やーめた」と言ってはポイ捨てにされてきたバイオリンたちの恨みが積もって、妖怪となっていたのだ。
妖怪は「ひひー」と叫ぶと、森へと逃げた。
自分が拍手されず見向きもされなかったことに、耐えきれずとても正気ではいられなかったのだ。
結局、その日のうちに二匹のザコ妖怪を退治してしまった。
「まあ、良かったとするか」そう思い、その日は早く部屋へ帰って寝た。ミミちゃんがすり寄ってきて、うにゃらうにゃらとごろごろ声を出して甘えてくる。ーーこんな動物でも、僕を癒してくれる、有難いことだと思うと、なんだか退治はしたものの、妖怪たちともひょっとして仲良くなれなかったものかと、そんな物思いにも耽って、その夜はなかなか眠れない夜を過ごしたのであった。