最終章
次の日である。
リスパアリマス女史が、ドアをどんどんと叩く音で僕は目が覚めた。
「先生、なんてことをしたんですか!ドドンパ大王がお怒りですよ。可愛い部下を、あなたが海へ追いやったって。どうしてこんなことが...」
僕は、イカムーチョ退治の経緯を説明したところで、この老女もドドンパの息がかかっている限りは何も分かってはもらえまい、と思い、適当に彼女の話しを聞き流していた。すると彼女は声を荒げて言った。
「ドドンパ大王が自らここへ来るそうです。あなたを退治するって、それはすごくお怒りです。早く逃げてください!」
そうか、と僕はそれを聞いても、心は全く平穏だった。
「僕は間違ったことは何もしていない」
その思いが圧倒的に強かったからである。精神障害者たちを食い物にしている、自分の保身のために利用している、権力欲、名誉欲のために利用している、そんな輩はーーすなわち妖怪たちはーー駆逐されるべきだ、との思いが胸にあふれていたからである。
それはドドンパとて同じだ。自らの領土からこれら障碍者たちを隣の島へと追い出し、封じ込め、障碍者福祉の名のもとに、サコウジュウやらグループホームやら、また障碍者医療充実の名のもとに、クリニックやらデイケアやら、作りまくる。なんだかひどく格好良く聞こえるが、そんなことに騙される僕ではなかった。ーー結局はドドンパ大王自身の人気取り、またお金儲けの道具に過ぎないと、僕はすでに見抜いていたのだ。
真に障碍者の幸福を考えるなら、障害のない人と何のわけ隔てもなく、同じ島の中で、助け合い生きていけるはずだ。そもそも障害ってなんだ?障害のない人だって、障害のある人から学ぶべきだ。障害のある、ないをわけ隔てする社会こそがおかしいのだ。ーーこの島で、クリニックで、いろなことを体験するうちに、僕はそういう信念を持つに至っていた。
「よし、彼とも対決だ!」
僕は波打ち際まで出向いて、ドドンパの来るのを待った。
美しい水平線ーーああ、この美しい海の底深く、僕の家は沈没してしまったのだ、と思うと、また、家族は今どうしているのだろうと考えると、胸が痛くなった。
そんな感傷に浸っていると、遠くに船影を認めた。大きい!それはみるみる近づいてくる。ーードドンパ大王の乗る船であることは明白であった。
ついに来たか、と思う僕の心は、事ここに至っても、やはり依然としていたって平静である。
「正義は必ずかつ」ーー僕の信念が動じることは無かった。
船は錨を下した。ついにドドンパが姿を現した。両脇に二人の例の女性を引き連れている。ーードドンパアラサッサーズか、と僕は呆れた。ここまでドドンパの機嫌を取って、常にぴたりと寄り添う必要があるのか?まったく情けない思いだった。
ドドンパと僕は砂浜で対峙するに至った。
「やい、ドドンパ、お前の役に立ってやろうと頑張ってきたんだ。間違ったことは何一つしていない!この島のことは僕に任せて、お前は帰れ!」
僕は彼の目を見据えて、そう言い放った。
ドドンパは僕からの先制パンチを食らって、明らかに当惑したようだ。ーー僕など一ひねりでやっつけてしまおうと思っていただろうから無理もない。
僕はドドンパにスキを与えなかった。すぐさま、挑戦状を叩きつけた。
「ドドンパ、僕の挑戦を受けろ!」
ようやくドドンパは我に返った。彼は答えた。
「望むところだ!かかってこい」
僕は内心、やったと思った。こちらのペースである。僕は一歩前に出ると、ゆっくりと、しかし、はっきりと、彼に決闘方法を告げた。
「よし、これに答えろ!ーーマルクスの資本論に著されている”利潤”について、その定義を述べよ!」
これを聞いて、ドドンパの顔はひきつった。ーー革命を目指したとは言っても、マルクスの資本論など実は読んだことなどないのである。この時代の自称”革命家”なる者には、この手の者が多かったのだ。
「うぐぐぐぐ」
ドドンパが身もだえを始めた。これに答えなければ、この勝負は僕の者である。無論、僕は答えを知っている。自慢ではないが、マルクスの資本論は僕の愛読書だったのだ。
ドドンパはついにその場に蹲った。ーー静寂がその場を支配した。僕は勝利を声高らかに宣言しようとした。
と、その時である。ドドンパが静かに立ち上がった。しかも不敵な笑みを浮かべている。
「ふふふ」
顔をあげるとドドンパは僕をにらみ返した。そして言った。
「こしゃくな。ーーわしは大王だ。この島の決闘の習わしなど、わしには屁でもない。大王の勅令をたった今発令する。古くからある決闘の習慣は廃止とする!」
そして、高らかに笑うのである。
「何という卑劣な!」
ドドンパはさらに僕を挑発した。
「さあ、かかってこい、相撲勝負だ! 」
僕は一気に劣勢に立たされた。彼は力士のような体格をしている。一気に倒されること必定であった。
見ると向こうではドドンパアラサッサーズが、「ドドンパファイト!」と叫んで、ポンポンを振りながら踊っている。
「うーん」
彼の挑発を避けながら、何とか間合いを取っていたが、限界がある。僕は海へとじりじりと追い詰められた。
--もはやこれまでか!ついに僕も荒海の藻屑となるのか?それもやむなしか?
様々な思いが脳裏を駆け巡った。ドドンパが最後の突き押しを僕に食らわせた。ーー僕の体は宙に舞った。あとは荒波に飲まれるのみだ…。
「ああ、もうだめだ」
僕は観念した。
さようなら、僕を大切にしてくれた全ての人たち、と、心で感謝の言葉を唱え、運命に身を任せようと、目を瞑ったその時であった。ーー体がふわっと持ち上がるのを感じた。
これはどうしたことか?と、目を開けると、何と僕の体は空高く宙に浮いているではないか!
そして頭上には、一羽のカラスが、僕の両肩をその足でしっかりと掴んで、羽をバタバタとさせて持ち上げているのである。
「カラスのヤータン!」ーーそう、あのカラスのヤータンが僕を救ってくれたのだ。僕はすぐに彼に感謝の言葉を述べた。
「カラスのヤータン、ありがとう!僕を助けに来てくれたんだね」
すると、カラスのヤータンは「かあ」と一鳴きすると、僕を砂浜へとそのまま運び、地上に僕をおろした。そして僕の肩に乗ったままの姿で言った。
「ニンニン!危機一髪だったね。助けに来たよ、僕は君の式神なんだから、当然のことだよ!さあ、一緒にドドンパを倒そう!」
僕は涙が溢れるのを抑えられなかった。そうだ、僕は一人じゃないんだ、と思うと、急に勇気が心にみなぎって来るのを感じた。そして言った。
「よし、やろう!協力してドドンパを倒そう!」
すると、カラスのヤータンは「かあ」と一鳴きすると、僕の肩から飛び立った。そして一直線にドドンパに向かうや、体当たり攻撃を加えた。
すると、どうだろう。僕が「あっ」と思う間もなく、ドドンパはその場に倒れた。ーーカラスのヤータンの捨て身の攻撃が功を奏したようだ。
しかし…。
「ヤータン!」
何ということだろう、カラスのヤータンは地面に落ちたまま動かないでいたが、やっとのことで立ち上げると、よろよろと僕のところまで歩いてきた。そしてそのまま倒れてしまった。
「ヤータン!」
僕は必死でヤータンを介抱した。ーーようやく彼は意識を取り戻すと、残った力を振り絞って、僕にこういうのだった。
「さあ、ニンニン、後は君がとどめを刺すんだ」
僕はヤータンの献身的体当たり攻撃に感謝した。そして、よし、ヤータンの恩に報いよう、と決意すると、残った力と、気力とを総動員してドドンパに最後の一撃を加えんと、彼に近づいた。
ドドンパの傍らに立った。彼は息も絶え絶えである。そんな彼を見て、一撃を加えるのに躊躇した僕の目の前に、何ということだろう、またしても一羽のカラスが舞い降りたのであった。
こ、これは、と思って、良く眺めると、それはカラスのバーヤンであった。彼女は口に紙をくわえていて、僕に近づくとそれを渡した。
それにはこう書いてあった。
「ニンニンさん!この子を助けてやってください。この子は可哀そうな子なんです。革命とか訳の分からないものに手を染めてから、おかしくなっちゃったんです。後は私がよく言って聞かせます。だから、ここは見逃してください」
うーん、と僕は唸ってしまった。孫を思うばあちゃん心である。心を打たれずにはいられなかった。
僕は言った。
「わかった。彼を連れて帰って介抱してあげて」
そう言って、背中を向けたその時だった。ーー後ろから強烈な衝撃を覚えて、僕はその場に前のめりに倒れた。
「しまった」と思ったときにはもう遅かった。ーーカラスのバーヤンから不意打ちをくらったのだ。
孫を思うばあちゃん心は、不義な形で現れたのだ。
バーヤンの攻撃はすさまじかった。ーーああ、もうダメか、と思ったその時であった。
「ニンニン、しっかりするんだよ!」
別の声がした。それは何ともなつかしい、そう、それは、それは…。
「バータン!」
そう、それは僕の母の声であった。孫たちからいつも「バータン」と呼ばれていたので、いうしか僕もそう呼ぶようになっていたのである。
「そうだよ、ニンニン、しっかりしなきゃ駄目だよ。まったく、あんたはいつもそうなんだから、お人好しで、すぐに人に騙されるんだよ。さあ、しっかり食べて、元気をつけな!」
カラスのバータンはそう言うと、僕の目の前に食卓を広げた。そして、生前そうだったように、たくさんのとても食べきれない御馳走の数々を並べた。ーーすき焼き、お寿司、ケーキなどなどである。
「バータン、ありがとう」
僕は、御馳走にかぶりついた。涙が出て止まらなかった。バータンは僕が幼いころに腹をいつもすかせていたことに、いつも心を痛めていたのである。
食べるだけ食べると、エネルギーが満ちてきた。ーーこれなら戦えると思った。
「ニンニン、さあ、カラスのバーヤンは私がやっつけるから、あんたはドドンパをやっておしまい!」
バータンの励ましに僕は奮い立った。
「良し分かった!」
こうして、カラスのバータンはカラスのバーヤンを、僕はドドンパを攻撃した。
戦いは随分と長く感じられた。ーーしかし最後には、カラスのバーヤンはカラスのバータンの一撃で地面に落とされた。
そしてドドンパは…。
僕の満腹パンチを浴びて、ついにかれもノックダウンしたのである。
「やったねニンニン」
カラスのバータンが喜んでいる。ーーするとカラスのヤータンも元気を取り戻したようだ、そばに来て、「おめでとう、ニンニン」と言って、喜んでいる。
「カラスのバータンには僕がお願いしたんだ。ニンニンを助けに行ってくださいって。最初は、わたしゃ忙しいんだからね、迷惑な話だね、でもあの子のためなら仕方がないね、と言って、駆けつけてくれたのさ!」
それを聞いて、僕はバータンに尋ねた。
「カラスのバータンも式神なの?」
するとバータンは答えた。
「そうだよ、わたしゃね、死んでからもあんたのことが心配で仕方がなかったんだよ。なんせ、頼りなっ方からね、お前は」
僕は返す言葉が無く、頭をかくしかなかった。
「さあ、行こう」
そう言うと、カラスのヤータンは僕の右肩に、カラスのバータンは僕の左肩に飛び乗った。
ところで、どこへ?
答えは明確だ。
ドドンパに苦しめられた人たち、特に隔離された障碍者たちが苦しんでいるところへ、まさにそんな彼らに解放を与えるために…。
カラスのヤータン、バータンと共に、力を併せて…。




