第四十三話・テオドール視点
「……たぶん虫の居所が悪かったからだとは思うけれど。だからといって、彼女たちにあたっても仕方ないだろう?」
ベッドの縁に腰掛けるマリウスに向かって、先ほどから言い聞かせるように語りかけるが、マリウスはまともに聞いていない。
「聞いているのか?」
「聞いてるよ……」
気のない返事をするマリウスの左目は閉じられ。右目も、目の前に立つ私を写してはいても、見てはいなかった。
「はぁー」
シャロにメリス嬢を追いかけさせたときから、だいたいマリウスの目的には察しがついていたけど……。
すでにマリウスはシャロと感覚を共有している最中のようだ。
これでは今いくら説教をしても、上の空だから無駄だね。
「まったく。妖精をそういうことに使うのは感心しないね」
「これくらい別にいいだろ。あいつ、気に食わないんだよ」
「だから様子を盗み見ると?」
「ああ。澄ました仮面の下の本性を暴いてやる」
「そんなことをして何になる。おまえの気持ちはわからなくもないが、よく知らない相手の本性を暴いても仕方ないだろう?」
親しい人間の本心を知りたいという気持ちなら私にもわかる。しかし今日会ったばかりの相手の本性を暴いてどうなるというのだ。
そんなことをしても誰も得はしないし、むしろマリウスが傷つくだけの結果に終わることは目に見えている。
会って間もない相手にあんな態度を取ったのだ。あれではメリス嬢が不快に思っても致し方なく、良い結果など望めない。
「……少なくとも気が晴れる」
「まったく……」
本性を暴いて気が晴れるね。メリス嬢が陰で悪口を言うような人間だとわかれば、それで溜飲が下がるというのか……。
「はぁー」
なんと不毛な……。やれやれ、まさかマリウスがこれほどまでに人間不信を拗らせているとは思わなかった。
どうやら、何を言っても無駄みたいだね。
(リル。君もシャロの所に行ってくれるかい?)
マリウスを説得することを諦めた私は、念話使ってポケットの中にいる妖精のリルに、そうお願いした。
するとポケットから顔を覗かせるリル。
(連れ戻す?)
(いや。連れ戻す必要はないよ。合流するだけでいい)
ここでマリウスの邪魔をすると、へそを曲げてしまいそうだからね。ここはマリウスの好きなようにさせよう。
(りょーかーい!)
ポケットから飛び出していくリル。そんなリルを見送りながら、私は自身の認識が甘かったことを自覚する。
なるほど。通りで父上が泣きついてくるはずだ。
妖精と感覚を共有する魔法や、顔を変える魔法を最近覚えたマリウスが、周りの人間の汚い本音を知って傷ついたとは聞いていた。
マリウス本人も、詳しくは語らなかったが、親しい令嬢が陰でマリウスの外見を貶しているのを知って、傷ついたとは言っていた。
しかしまさか、その程度のことをこんなに引き摺ってしまうとは。そんなにショックだったのだろうか?
マリウスとて、貴族の間には本音と建前があると知っていただろうし、ある程度耐性があったはずなのだが。
あるいは、それほどに親しい間柄だったということか。親友? いや、相手が令嬢だったことを考えると……。
まあとにかく。こうなるとマリウスを立ち直らせるためには、ただダイエットをさせるだけでは不十分かもしれない。
外見、特に太った体型について陰口を叩かれたみたいだったから「ダイエットをして見返してやれ」と奮起させて。
そうして、効率的なダイエットのために、ここへと連れてきたのだけど、早くもマリウスはやる気をなくしているし……。
いやまあ。マリウスはちょっと太り過ぎなので、何が何でもダイエットはしてもらうつもりなのだが。
しかしマリウスの心の傷がここまで深いとなると、単にダイエットしただけでは立ち直れないだろう。
まったく。困ったものだ……。
(見つけたよー)
頭を悩ませる私のもとにリルから念話が届く。
(ありがとう、リル)
ふむ。考えるのは後にしよう。
(じゃあ。リンクの魔法を使うよ?)
(はいはーい)
リルに一言断りを入れた私は右目を閉じ、リルの魔力の波長に、自身の魔力の波長を合わせにかかった。
「ようこそお越しくださいました」
聞こえる音、同時に閉じた右目に景色が映り込む。ゆらゆらと揺れる視点、そこに映るメリス嬢たち五人の姿。
彼女たちは丁度、レストランの中へと入ったところだった。
「フレール侯爵令嬢と、そのご一行ですね。どうぞこちらへ」
「あの。申し訳ありませんが。一人分、席を増やしていただきたいのですが。可能でしょうか?」
「もちろん。問題などございません」
席の追加を要求するメイド。快く要求に応じた店員は、そのまま五人をレストランの一角にあるテーブルへと案内した。
四人掛けの四角いテーブル。メリス嬢たちは二人ずつ左右に分かれて席に着き、メイドはメリス嬢の背後に控えるように立つ。
「それにしても……。あの不届き者の態度は、本当にひどいものでしたわね」
「ふっ……」
メリス嬢の隣に座ったプラム嬢がこぼした言葉を受けて、小さく笑みを浮かべるマリウスが、左目に映った。
「あの生意気な態度! あれは絶対、甘やかされて育ったに違いありませんわ」
「ええっと……」
「あの、ぶくぶくと醜く肥え太った体型を見ました? ほんと、見るに耐えない体型でしたわよね?」
楽しそうにマリウスの体型を悪く言うプラム嬢。しかし、メリス嬢は困ったように眉をひそめている。
意外なことにも、どうやらメリス嬢はこの話題がお気に召さないらしい。随分とまあ心が広い令嬢だ。
「まったく。あんな体型で人前に出て。恥ずかしくないのかしら」
「まあまあプラム様。あまり悪く言うものではないわ」
「ですがメリス様、あの不届き者がデブなのは、公然とした事実ですわよ?」
「まあ、確かに太ってはいるけれど。あげつらって騒ぐものではないわ」
メリス嬢は、あれだけ無礼な振る舞いをしたマリウスに対して、微塵も怒りを抱いていないらしく。
それどころか、マリウスのことを庇い、プラム嬢がマリウスの悪口を言ったのを嗜めようとしている。
正直、予想外の展開だ。てっきりメリス嬢も、プラム嬢と一緒になって陰口を叩くかと思っていたが……。
ふむ。しかし考えようによっては良い展開かもしれない。今のマリウスに、良い影響を与えてくれそうだ。
「誰にだって、何かしら、一つぐらい欠点はあるものよ。だから、そこだけを見て、悪し様に言ってはいけないわ」
「……」
黙り込むプラム嬢に、諭すように語り続けるメリス嬢。
「特に陰で悪口を言うのは、感心しない。それは卑怯だし。なにより、陰で言われても直しようがないでしょう?」
「そ、そうですわよね。申し訳ありません」
非難の感情がこもった言葉に、慌てた様子で頭を下げるプラム嬢。
そこでマリウスの様子を窺うと、難しい顔をしていた。
「……マリウス。もういいんじゃないかな?」
「……」
(……リル。シャロと一緒に戻ってきてくれるかい?)
(りょーかーい)
マリウスは答えを返さなかったが、メリス嬢たちの会話もマリウスの話題から離れていたので、妖精たちを呼び戻した。




