第四十話
「急に部屋から飛び出してくるなんて。何考えてるの!」
太った少年に向かって、勢いよく食ってかかるプラム様。こ、これはちょっと不味いかもしれない。
もしこの太った少年の正体が私の予想通りだったとしたら……。
「そんなに急だったか?」
「急だったわよ!」
嫌な予感を覚えつつ、自身の推測に間違いがないかを検証するために、今一度少年の背後へと視線を動かす。
そこには、蝶のような二対の羽をひらひらと羽ばたかせて舞う、二十センチにも満たない小さな体躯の生物……。
ブルーのショートヘアに緑の瞳。水色の長袖ワンピースを身に纏う、中性的な顔立ちをした、かわいらしい妖精。
やっぱり見覚えがあるわね……。
この妖精の姿は、ゲームの中で攻略対象者の一人であるマリウス様とともに登場していた妖精、シャロにそっくりだわ。
そしてだとすると、やはりこの太った少年の正体は、四大公爵家の一つであるエリル公爵家の子息、マリウス様ということに……。
「まったく。何を急いでいたのか知らないけど。あなたのせいでメリス様が驚いて、転んでしまわれたじゃない!」
「だとしても。そんなにがなり立てるなよ」
プラム様の物言いに、呆れたと言わんばかりに肩を竦めるマリウス様。
うん。これはかなり不味い!
攻略対象者とこんなタイミングで。しかも、こんな出会い方をしてしまうとは。まったく想定していなかった。
攻略対象者とは、できるだけ関わるべきではないと思っていたのに。よりにもよって揉め事を起こしてしまうなんて……。
「ちょっと。そのふてぶてしい態度はなに? あなた、いったいこの方が誰だか、わかっていますの!」
ちょっ! プラム様! 私はあなたにこそ言いたい「プラム様こそ、その方が誰だかわかって言っているの!」と。
……でも。それができない。
だって、マリウス様だとわかっているのは私だけみたいだし。おそらくマリウス様は得意の変装をしているはず。
ゲームでのマリウス様は、度々魔法で顔を変えてヒロインの前に現れていたから、おそらく間違いはないでしょう。
しかし、それが事態をややこしくする。なにせ、マリウス様の変装は妖精の力を借りて行なうもので。
そして厄介なことに、妖精とは一般的には空想上の生き物であり、実在するとは知られていないからだ。
しかも、ただ一般に知られていないというだけでなく。王家が機密として、厳重に管理している情報だから……。
だからマリウス様の実家であるエリル公爵家が、妖精と盟約を結び、妖精の力を借りていることは極一部の者しか知らない。
「そっちこそ、俺が誰だかわかっているのか?」
「はあ? 知らないわよ。名乗ってみなさいよ」
というか、そもそも妖精の姿は盟約を結んでいるエリル公爵家の者にしか見えないはずで、なぜ私に見えているのだろうか?
あれかな? 魔素の色と同じで、また私の目が特別だからってことかな? いや! 今は原因を考えている場合ではなかった。
「はっ。俺の顔も知らないとは程度が知れる」
「だから、誰なのよ!」
ともかく重要なのは、マリウス様の正体を暴けないということだ。もし暴いてしまったら確実に面倒事に発展する。
ここは黙って気付かなかったフリをして、そのうえでなんとかこの場を穏便に済ませ、やり過ごさなければならない。
うん? マリウス様、名乗ろうとしていない? えっ、良いの?
「俺はエ――」
「お坊ちゃまは。ジニット子爵家のご令息でございます!」
変装していたことを忘れていたのか、威勢よく名乗ろうとするマリウス様だったが、そこにお付の執事が割って入った。
「……」
言葉をなくすマリウス様。どうやら、本当の名前を名乗っては不味いことを思い出した様子。
にしても今、エって。エリル公爵家と言おうとしたわよね?
それにジニット子爵家といえば、ゲームでマリウス様が変装しているときに名乗っていた名前だ。
確か、ベイ・ジニットと名乗っていたはず。……これでマリウス様だということは確定したわね。
「そ、そうだ。俺はジニット子爵家の者なんだぞ!」
マリウス様は勢いを失いながらも、名乗ろうとした手前引っ込みがつかなかったのか、名乗りを上げる。
もっとも、さすがに子爵家では格好がつかないみたいで。
「ジニット子爵家? そんなどこの馬の骨かもわからない子爵家の分際で、その態度? こちらはフレール侯爵家のご息女なのよ?」
得意げに私のことを紹介するプラム様。や、やめて欲しい。そりゃあ、ジニット子爵家なんて聞いたこともないでしょうけど……。
本当はエリル公爵家のマリウス様なのよ!
『ね、ねえ。早く止めたほうがいいんじゃない?』
(そ、そうね。止めないと不味い……)
このままでは私たちは、難癖をつけた者たちと認識されてしまい、マリウス様に悪い印象を与えてしまう。
「プラム様。もうその辺で」
「ですがメリス様。この田舎者、まだ一言も謝っていませんわよ? それにこの態度、きちんと反省させないといけませんわ」
「でも、ぶつかったわけでもないですし……」
「それでも、責任はこの田舎者にありますわよ。しっかり謝罪させてみせます。私に任せてください!」
やんわりと止めようとするも、プラム様は止まらない。どうやらマリウス様の態度が気に食わなかった様子。
これ。プラム様、私のこと抜きに怒っているわね……。
「さあ。あなた、誰を転ばせてしまったかわかったでしょう? さっさと態度を改めて、謝罪しなさい!」
「やれやれ……。フレール侯爵令嬢、驚かしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。……これで良いでしょうか?」
プラム様の言葉を受けて、マリウス様は襟を正すと私のほうを向き、慇懃無礼な態度で謝罪する。
マリウス様の所作はかなり挑発的で、謝罪の気持ちは欠片ほどもこもっていないことが見て取れた。
あれ? もしかしてマリウス様も、かなり腹に据えかねている?
ま、まあ、声を荒げて突っかかっていったプラム様の態度も、かなりアレなところがあったし、イラっと来てもおかしくはない。
うわー! なんてことなの! 最悪だ! プラム様、なんてことを……。きっと私に良いところを見せたかったのでしょうけど。
「ちょっと! その態度はなに!」
「謝れとおっしゃられたので、謝ったまでですが、何か至らないところがありましたでしょうか?」
「あなた……。ふざけてるの?」
日に油を注ぐかのような態度のマリウス様と、益々怒りのボルテージを上げるプラム様。
ど、どうしてこんなことに……。悪化の一途を辿る状況に、たまらず私は内心で頭を抱えた。




