第5話 『本音』
約三百人全員を殺した結人はそのまま出してもらえるまで待つ事なく人間を超えた身体能力でジャンプして天井の穴から脱出した。出た先はどこかの森の中。森の中にポツンとこれまた巨大な壺型の洞窟を置いて実験をしていたのだ。
「あっちか……」
出た瞬間にここは地球ではない異世界だと分かったのだが、今はどうでもいい事だ。結人をこんな目に合わせた人間を殺したくて仕方がない。
第六感だけで場所を特定すると風よりも速く走って数百メートル先にあった観測所を破壊した。そこにいた研究員も全員殺した。相手は魔法を使ってきた。しかし、結人が手にした狂血の前には成すすべなく命が散った。
少しずつ、少しずつ痛めつけて自分が味わった恐怖、苦しみを全員に体験させてやる。総勢五十名。これだけ大規模な事をしておいてたったそれだけの人員で動いていたとは考えにくいが、今はこれだけでいい。
残りは後でゆっくりと相手をしてやる。
「やめ……申し訳ない……」
「そう思ってんなら最初からやんなよ」
文字通り首の皮一枚だけ残して体を投げ捨てた。これで一応結人の復讐劇は終わった事になる。高ぶっていた気持ちが沈んでいくのが分かった。とんでもない事をしたのだが、気分はなぜか清々しい。
全身血まみれで自分の血も含め返り血も浴びて、そんな姿には見えないがようやく落ち着けた。
「に、兄さん!」
「!」
気を抜いていたので、接近に気付かなかった。慌てて振り返ってみれば結人が暴れて崩壊した研究所に大所帯が出現した。慌てて警戒したのだが、その声には聞き馴染みがあった。
「結奈……か……」
そこにいたのは、制服はところどころ敗れているが、大きな怪我のない結奈だった。どこか影はあるのだが屈託のない笑顔。私闘の末に強敵を倒した部活動の後の様な青春感と言うか華が見えた。
「兄さん、大丈夫ですか! 血だらけですけど」
「ああ、これはいいんだ……。それよりもその後ろは」
「私達は誰一人として欠ける事なく脱出できたんですよ」
「――ッ!」
胸が締め付けられた。一瞬だけ呼吸の仕方も忘れてしまう。鋭い矢が胸を射抜いてどこかに飛んで行ってしまった。
「全員? 欠ける事なくだと……」
「はい、兄さんはって、これ一人でやったんですか。さすが兄さんです。私も怒ったので懲らしめようとしていたんですけど」
「俺は……俺は……」
掬い上げた水が掌から零れていく。心が再び闇に染まっていく。さっきとは違う。今度は何というかしっくりくる。抜けていたネジが見つかったみたいだ。
「それで兄さん、他の人は」
「………………………………いないよ」
「え……」
「…………いないって言っただろ。全員俺が殺したよ」
「そ、そんなどうしてですか」
焦った様に手ぶりを使って抗議してくる。後ろの連中もざわざわと騒ぎ出す。そんなにおかしな事か、生き残るのに必死だったんだぞ。
「兄さんがいながらどうしてそんな結末になったんですか」
「最後の一人しか出られないんだよ」
「でも、私達は全員で脱出できましたよ」
「くっ!」
俯いている顔は大きく歪み、拳は強く握りすぎて掌に食い込んでいる。
「兄さんならもって上手にできたんじゃないんですか!」
「ははは……俺なら、ね」
塞がりかけていた傷口からまた血が溢れ出してくる。今度は赤ではなく真っ黒な血となって彼を包んでいく。
「なあ、なんでなんだよ、結奈。なんで、お前はいつも俺に出来ない事を簡単そうにやってしまうんだ? なんでいつも俺の前に行くんだ? なんで俺はいつもお前に追いつけないんだ? 今だって俺は必死に考えたさ。誰もが暴れている中考えて、考えて、考えて、これしかなかったんだ。俺間違ったのか? だって、自分が生き残る事を最優先に考えるのは当然だろ。俺の選択は間違っていなかったはずだ。なのにどうしてお前は俺の先を行くんだ。どうして、あの状況で誰かに手を差し出す事が出来るんだ!」
「兄さんも特殊能力を」
怨嗟の声に反応して血がどんどん周りに充満していく。
「あ~、やっと分かったよ。俺はずっとお前が羨ましかった。妬ましかった。誇らしかった。そして、何よりも邪魔だったんだ」
「! に、兄さん」
正面を向いた顔は裂傷が入って痛々しそうに、加えて目が全部真っ黒な血で染まっていた。その頬を黒い血が流れる。
数瞬だけ狼狽していたが、すぐに立て直すと憐憫な目を向ける。
「――兄さん、あなたはもう人を捨ててしまったのですか!?」
「やめろ! お前までその目で俺を見るな! 俺は間違っていない。俺は正しい! 他にやりようはなかった!」
妹から向けられた憐みの視線はずっと痛かった。なんやかんや言って不出来な兄をずっと支えてくれていたのも妹だったのだ。
「私……兄さんの事すごいって思っていたんですよ。どんな時でも前向きでへこたれなくて私よりも兄さんの方がすごいのに――」
「その薄汚い口を今すぐに閉じろ」
濃い血霧が辺りを包み体が重くなった。
「それもすべて上からだ。表面上取り繕っているが結局は能力に劣る俺を見下してんだろ! 兄の癖に自分に釣り合っていないと、このままだと自分の評価にも影響が与えられるんじゃないのかって思っていたんだろ!」
「そ、そんな事――」
「無いと言い切れるのかぁあああ! これまで一度も思わなかったのか」
「――ッ!」
言い淀むだけで十分な結果と言える。所詮はそうなのだ。結奈が向けて来る優しさはただの憐みだった。自分よりも遥か下にいる者に対しての慈悲。それは人間が家畜に向ける愛情と何も変わらない。
大切だと思っている。家族だと思っている。それに間違いはない。だが、それは人と家畜としての越えられない壁が存在して成し得る。
例えば動物園の猿が人間と同じ事――簡単な紙折りをしたとして、それだけ切り取れば微笑ましく可愛げもあるが、これで人間と同列になったと思われでもすれば気に食わないだろう。
同じ人間だが、結奈が向けているのはそれだ。
兄さんならどうにかなったはず。この言葉に嘘はない。ただ、期待をしていないくせに買いかぶっているだけ。
「あははは……やっと気づいたよ。俺は……ずっと……お前を……………………殺したかったんだ」
頬を伝う流血は悲しみからなのか、憎しみからなのか本人にも分からない。
「らぁあああああああああああああああああ―――――――――――――――――ッ!!」
血の鎧を纏って結人が結奈に強襲していく。そこから放たれている殺気は本物で彼女も一瞬だけ身震いをしてしまうが、すぐに頭の中をクリアにして冷静に対処する。その手に現れたのは光だけで作られた剣。
「どうやら、私の知っている兄さんではないのですね。罪なき学友の命を奪い、徒にここの人の命を奪った罪。身内である私が裁きます。それが妹の役目です」