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「いやあ。君が脱走したと知った時は、目と言うか耳と言うか、とにかく色々と疑ったよ」
白い天井。白い壁。白いタイル。白い机。白衣。
俺がかつて暮らしていた真っ白な部屋を拡張したような会議室に、必要な人間だけが集められていた。
俺と斎藤のカウンセリングを担当していた赤井、俺の担当である太田。それからこちらは初めて見たが、斎藤の担当だと言う神経質そうな女。名前は菱木だっただろうか。そしてその横に、彼女の疾病を研究しているという学者が二人。そして、最高責任者の堺。
堺と俺は向かい合う形で座り、俺から見て左手に赤井と太田が、右手に菱木と学者が座っている。
堺は愉快だと言わんばかりの表情で続けた。
「アンドロイドの君が脱走? いやあ、考えた事もなかった。違うな、考えてはいた。念のためにね。だから、君の身体にGPSを取り付けていた。脱走先が海で、それにも驚いたよ。……どうしたんだい、気分の悪そうな顔をしているね。そりゃあ君のデータには入れていなかったから、自分にGPSが取り付けられているなんて知りもしなかったろう」
俺は拳を握りしめた。表情は出来る限り作らない。
「とりあえず、君と関わっている赤井君と太田君を集めて、緊急会議をした。何故海なのか、そこが疑問だった。君は海から動く気配を見せず、港に近寄ろうともしなかった。その時点で、単なる脱走とは違うと思ったんだ。そうしたら赤井君が、斎藤卯月の存在を教えてくれた」
赤井に目をやる。彼女は居心地の悪そうな顔をしていた。しかし、それが彼女の仕事なのだ。責める道理はない。
ちなみに、と堺は付け加えた。
「君が港に向かったら、すぐに確保するつもりだった。そのために、港に何人か配置させていたんだけど。結局君は、浜辺から動かなかったね。斎藤卯月と眺める海は綺麗だったかい? 海に行きたいと言ったのは君ではなく、彼女なのだろう。かわいい彼女だね。違うかな?」
「――どうして俺達の行動を黙認したんですか」
「質問の答えになっていないな。まあいい」
堺はくつくつと笑った。
「山田君。君は、ペットショップで売れ残ったり病気になった鳥はどうなっていると思う?」
質問の意図が分からない。俺が押し黙ると、堺は何故か楽しそうに続けた。
「最後にね、空に飛ばすんだそうだ」
堺は両手を広げて、おどけてみせる。まるで、素晴らしい劇でも見ているように。
「鳥かごから出して、大きな空を見せるらしい。感動的な話だと思わないかい? これを初めて聞いた時、僕は感動したよ。……まあ、これはあくまで僕が子供の頃に聞いた噂話であり、事実とは異なるのだが」
「――何が言いたいんですか」
「斎藤卯月はその鳥と一緒だと言っているんだ」
堺は、一瞬にしてその表情を失くした。
「君は、斎藤卯月の状態を知っているのだろう? だからここに来た訳だ」
ワンマンショーを繰り広げていた堺は、広げていた両腕を組み、椅子を揺らした。
「そう、斎藤卯月はじきに死ぬ。そんな彼女に、最後に海を見せてやる。なんとも感動的じゃないか。それに、君達が海に出たところでこちらに害悪はないし、損失もない。だから黙認した。それだけだ。――ああ、それにしても君は残酷だよね、山田君」
「どういう事ですか」
俺の質問に、堺は右頬を引きつらせるようにして笑った。
「鳥かごで飼われ続けていたセキセイインコや文鳥が、最後に空を飛ぶ。……うつくしい話だが、この話には裏がある。何故なら、鳥かご育ちの鳥達は、自力で生きていく術を知らないからだ。餌を見つける方法も、寝床を作る方法も知らないだろう。つまり、青空を見るのと引き換えに、鳥達は命を落とすんだよ。それを承知したうえで、人間は鳥を空に飛ばす。売れ残った鳥も病気になった鳥も、死んでいいと思っているからだ。――うつくしい物語は、いつだって残酷なんだよ」
斎藤卯月は……。堺は資料を確認しながら、堺は更に頬をゆがめた。
「彼女は十二年、地下研究所にいた。中学一年生になって実験会場が移され、学生として生活するようになった。まあそこまではいいんじゃないかな。しかしどうだろう。死期の迫った彼女は今日、生まれて初めて海を見た。そこで何を思っただろうか。……もっと色々な物を見たいと思ったんじゃないかな? 死にたくないと思ったかもしれないし、死ぬのが怖いと思ったかもしれない」
――死にたくない。彼女の声が、耳の裏で響いた。
「……海なんて見ずに、一生この施設で暮らしていれば、そんな感情を抱かずに済んだかもしれないのにね。――なあ、山田君。そう考えると、君のした事はとても残酷だとは思わないか?」
海を見せたところで、彼女の病気が治る訳でもなし。何の気休めにもなりやしない。
堺は他人事のようにそう言った。
怒りという感情を、俺は初めて他人に感じていた。自分は馬鹿だと散々思ったが、俺が馬鹿ならば堺はクズだ。ミサイルを落とすのなら、絶対に俺と堺の上にしてやる。
「――いいね。もっと色々な感情を見せてくれないか」
堺の言葉で、我に返った。これは誘導だ。俺を怒らせるための発言。
ただし、堺は嘘を言ったのではない。本心を言ったのには間違いなかった。その証拠に、堺は全くと言っていいほど悪びれていない。
他の人間もそうだ。菱木は鬱陶しそうに肩を揺らしているし、学者は興味なさそうな表情をしている。小心者の太田は俺が仕出かした事が恐ろしいのか終始俯いているだけ。赤井は、堺と俺を交互に見ながら、時折「山田君」と囁いている。けれどその顔にはどこか「仕方がない」という言葉が貼り付けられていた。
仕方がない。だって彼女は病気で、死ぬのだから。
治らなくても構わない。だって彼女はクローンだから。
――斎藤は十五年も、こんな目で見られていたのか?
「……今度は何だ? 後悔かな? それとも憐憫か?」
堺はふふんと鼻で笑って、菱木と学者の方を見た。
「人格を形成するのに最も影響を及ぼすのは、遺伝か環境か。斎藤卯月の本来の実験テーマはそれだった。そのための隔離だった」
「……サイトウツタコのクローンは、彼女以外にもいるんですか」
「いない。凶悪殺人犯のクローンを、そうホイホイと何体も作れるはずがないだろう。勿論、作る事自体は簡単だし何体でも作れるが」
堺は肩をすくめた。
「しかし、斎藤卯月が病気になってしまった。これは、こちらも予想外だったよ。けれど彼女が発症したのは、世間でもいまだに治療法がない病気だ。研究してみる価値はあると思った。だから、斎藤卯月の研究テーマを切り替えた。……生きた実験体も手に入った事だしね」
次の瞬間、大きな音が会議室に鳴り響き、堺以外の全員が肩を震わせた。
拳で机を叩きつけた俺は、堺を睨んだ。無表情でいるのが、これ程難しいと思った事はない。
「山田君!」
赤井がついに声をあげた。
「落ち着いて」
俺は赤井も睨みつけた。堺に落としたいと思っていたミサイルの対象は、もはやこの会議室全体にまで及んでいた。そもそも、この研究所が全ての始まりなのだ。俺も斎藤も、ここで作られた。
俺はいい。けれど斎藤のこれはなんだ。実験のためだけに作られた命。冗談でも笑えない。
一般人には知られていない、倫理も道徳も人間性もない研究施設。
こんな場所、いっそ消えてしまえばいい。
「――君の用件を聞いていなかったね」
堺は頬杖を突いた。興味深そうに俺を見ている。
「まさかとは思うが、この流れで彼女を『外』に出せと主張するか? 余命少しの彼女に外の空気を吸わせてやりたいと? いいねえ、うつくしい話だよ。――しかし、それは土台無理な話だ。人格形成に関する実験の結論が出ていない。つまり、凶悪殺人犯のクローンの安全性が確立されていないんだ。治療困難な病気のせいで、斎藤卯月が自暴自棄になっている可能性もある。そんな、外で何をしでかすかも分からないような危険因子を、たとえ短期間でも外に出す訳にはいかないだろう?」
「――あんたは馬鹿だ」
「どうした。ついに感情的な言葉しか言えなくなったか?」
「客観的な事実を言っただけです」
俺はそこまで言うと、学者二人に目をやった。
「斎藤卯月の疾病に関する資料はありますか」
俺の言葉を聞いた学者は二人、小声で何か相談し始める。それを見ていた堺が、犬でも追い払うかのように左手を振った。
「構わない、見せてやれ。ここにある資料全部だ」
堺にそう言われた学者は、足元にあった紙袋からファイリングされた資料を取り出し、俺の前に何冊も積み上げた。一番上にあった赤色のファイルを手に取る。そこに載っているのは斎藤卯月という名前ではなく、αという記号だった。堺には聞こえないよう小さく溜息をつき、俺は表紙をめくった。
「――……山田君でも知らない病気なんじゃないかい? 一般人ならまず知らない病気だ。発症している人間がまず少ない。近年増えつつあるがね」
堺が説明する。俺は答えない。病名なら知っていたが、それ以上の事は知らなかった。
一冊の資料をざっと斜め読みして、俺は深く息を吐いた。
海で斎藤とキスをした時、俺はそれを決意していた。資料を読んでもそれは変わらない。
彼女はまだ、ここにいる。
「太田さん」
「へっ?!」
俺に声をかけられた太田は、酷く間の抜けた声を出した。自分の名前が呼ばれるとは、思ってもみなかったのだろう。
「提案と相談があります。皆さんも聞いてください」
五分後。会議室は静まり返っていた。その中で、俺は言う。
「どちらの方が有益か、よく考えてください。答えは明白です。それとも、それすら計算できない馬鹿ですか?」
堺は腕を組んでいた。菱木と学者は何も言わない。太田はあんぐりと口を開けている。
「……山田君」
赤井が、振り絞ったような声を出す。
「それで、……あなたはそれでいいの?」
「構いません」
俺は即答した。迷っている暇はないし、迷っているところを見せたくもなかった。
「俺はアンドロイドです。――――――特別な感情はありません」
ほら。俺は奇跡のアンドロイドだ。こんなに簡単に、嘘をつく。
……なあ、斎藤。斎藤は物語を作る時、どこから組み立てるのだろう。
プロローグ? それとも佳境? あるいは、結末からだろうか。
いずれにせよ、結末は考えて書くのだろう。そうでなければ、物語は作れない。少なくとも斎藤の作品には、『適当な位置に着地させたような物語』は一つもなかった。あらかじめ結末を作って、そうなるように進行させていったのだろう? でなければ、伏線をはる事も、キャラクターをブレさせずに動かすことも難しいだろうから。
斎藤は、絶対に曲げない結末を先に作っているんだ。もしかしたら途中にアドリブを挟んだり、遊び心をいれているのかもしれない。けれど斎藤は絶対に、結末を変えない。最初から結末を決めて、そこまで一直線に書くんだ。
もしもそうやって物語を作っているのなら、君は今、自分の中で『自分の物語』の結末まで描いてしまっているのだろう。
けれど知っているだろうか。キャラクターの行動一つで、結末なんていくらでも変わってしまうんだ。勿論それが小説なら、そして書き手ならば、キャラクターにそんな行動はとらせない。作者は、結末を知っているから。あくまでもそれにあわせた行動を、キャラクターに取らせる。
キャラクターは自由に動いているようで、実際は行動範囲も思考回路も全て作者に決められているだけだ。物語のキャラクターには、作者から与えられた台本があるんだ。
けれど俺は、君の書いた物語のキャラクターではない。君が思っているようには動かない。俺は自分で、自分のための台本を書く。そして絶対に譲らない。自分の書いた台本通りに、全てを進めてみせる。
何故? ――これが、君の物語ではなく、俺の物語だからだ。
だから俺は、自由に動く。君が望んでいなくとも、俺の好きなようにやる。
俺は以前、おとぎ話にはハッピーエンドがないと言ったな。未来がないとも言った。
それならば、この物語の結末はどうなのだろうか。
ハッピーエンドだろうか。それともバッドエンドなのだろうか。
書いてみなければ、動かしてみなければ。この物語の結末は分からない。
――なあ、斎藤。知っているか。
俺は、君の描いた結末を、書き換える事が出来るんだ。
海で、斎藤は言ったな。自分は贅沢だと。俺もそう思う。
君と出会えた。話せた。笑いあえた。恋を知った。あたたかさを、知った。
二人で、海を見に行った。
あれは俺の物語の中で、最高の贅沢だった。本当だ。贅沢だった。とても。……とても。
君はとてもうつくしく、そしてあたたかかった。
――……斎藤。斎藤?
ああ、そうか……。もう、聞こえないのだろう。届かないのだろう。
それでももう一度、言わせて欲しい。
俺は、君の事を、――――――――。




