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それはとても下手くそで、けれどとても優しい嘘だと思った。
前に「実は俺は五歳だ」と語ってくれた時と同じ。私を励ますための芝居。山田君が作った話にしてはリアリティがなさ過ぎて、嘘として成り立ってすらいないけれど。嘘をつくのなら、もう少し信憑性のあるものにしないと駄目だよ。これじゃ、UFOを見たと言っている小学生となんら変わりない。
でも、嬉しい。その嘘は、彼なりの気遣いなのだと思うから。
「……山田君の手、柔らかかったよ」
「コラーゲンやエラスチンでできた、人工皮膚と真皮で覆われている。その下は、金属の骨格だ」
エラスチン。ここで訳の分からないカタカナを使ってくるあたりが山田君らしい。私は笑った。
「あったかかったし」
「パソコンも、ずっと使っていたら熱を持つだろう。体温ではない」
「……優しいね、山田君は」
「嘘ではない。俺は、五年前に作られたアンドロイドだ」
「ああ、だから五歳?」
「そうだ」
「――……そう」
いつ考えたんだろう、こんなお話。山田君ってそういうSF映画を見たりするのかなあ。
そう思っていたら、山田君が自分の右手の親指を左手でつかんだ。
「そんなに疑うのなら、証拠を見せよう」
山田君が左手を少し捻り、引っ張る。すると親指が、ぽん、と音を立てていとも簡単に取れた。私は目を見張ったし、疑った。たとえば義足みたいに、人工の親指をつけているのかと思った。けれど、違う。
「これならば、信じてくれるだろうか」
彼が見せてくれた親指の断面は、欠損している人間のそれではなかった。ほとんどが金属でできていて、何かを差し込むような穴が開いている。――見たことのある形だ。
「……USB?」
「察しがいいな、斎藤は。その通りだ。これは、USBケーブルを繋ぐためのものだ。俺のデータを整理したり、充電したりする時に使う」
彼はそう言って、私に自分の親指を差し出してきた。受け取る両手が震える。さきほどまで熱を持っていたはずのそれは、既に冷たくなっていた。断面を見ると、やっぱり金属でできていて、ところどころに小さな穴が開いていた。
「その小さな穴は、人間で言う神経のようなものだ。それがあるから、俺は親指を動かせる」
もう、「嘘でしょ?」とは言えなかった。私は確かにそれを目の当たりにして、自分の手でその指を持った。普通の手指義手でも、普通の断面でもなかった。
私は山田君を見る。彼は微笑んでいた。けれどそれは多分、世界が終わる日に人間が見せるような笑顔だった。
何かを失う時の、笑顔。きっと私もさっき、そんな顔をしたのだろう。
「斎藤」
私の好きな人が笑う。何かが終わるような顔で。
私――斎藤卯月というクローンが好きになったのは、
「俺は、アンドロイドだ」
人間によって作られた、人間にそっくりな『何か』だった。
山田実というアンドロイドは、今から約五年前、開発途中に地震と停電が起こったことによって奇跡的に生み出された一体だった。研究員の努力が実ったという意味で、実という名前が付けられた。
薄いながらも感情を持つアンドロイド。人間とほぼ遜色なく活動できるように見える彼は、けれどいくつかのものを失っていた。
味覚。触覚。記憶も人の手によって消去されなければ、永遠に保持され続けてしまい、やがてメモリ不足で壊れる。そんな欠点を抱えていた。
そこまで聞いて、私ははっとした。以前、図書室で肩を叩いたり背中をつついても、彼が一切気付くそぶりを見せなかったこと。――クリスマスイブに、手を繋いだ時もそうだ。私は彼の目を盗んで、手を繋いだ。彼はいやがらなかったけれど、握り返してくることもなかった。それが受容なのか拒絶なのか分からなくて、悲しくて、私は彼と距離を置くようにした。
けれどあれは、彼が本当に気づいてなかっただけだ。肩を叩かれた事も、手を繋がれたことも。
もしも彼に触覚があったのなら、彼はあの時、手を握り返してくれただろうか。今日のように。
親指を返すと、彼は難なくそれを取り付けた。くいくいと指を曲げてみせる。そうして、うっすらと笑った。
「感情があると言っても、本当に希薄なんだ。たとえば鍵谷のように、豪快に笑ったりすることはできない。轟のように、爆弾を落としたいと思うほど憎む相手も、いなかった」
――最後だけ過去形だった。今はいるのだろうか。思ったけれど、聞けなかった。
「何が楽しくて、何が悲しいのか。頭でいちいち計算しないと分からないような気分だった。哲学や脳科学に没頭しすぎて、そういう観念を持っている人間もいるだろう。ドーパミンやセロトニンといった神経伝達物質によって生み出されるそれを、感情と呼べるのか。などと議論したりしているかもしれない」
けれど、と彼は続けた。
「俺は人間ではない。機械なんだ。本当に、考えていたのかもしれない。何が楽しくて、何が悲しいのか。それを瞬時に計算し、表情にする方法を知っていただけで、本当は他のアンドロイドと変わりないのではないか。感情などないのではないか。そう思っていた」
「……今はそう思ってないの?」
「斎藤と、出会ってしまった」
私は息をのんだ。彼はこちらを一瞥し、海の方を向いた。日はさらに高くなり、海も来た当初とはその色を変えていた。少しずつ、青に近くなりつつある。
「俺は、斎藤の文章をうつくしいと思った。……生まれて最初にうつくしいと思ったのは、いつか見せた野鳥の本だった。それから今までずっと、なんとも思ってこなかったんだ。どんな本を読んでも、映画を観ても、特に何も感じなかった。――けれど、斎藤の文章はうつくしいと思った」
山田君は水平線の向こうを見るようにして、微笑んだ。
私は喉に違和感を感じて、少しだけ咳込む。二回、三回。それは、ここにある繊細な砂のせいだと思いたかった。
「斎藤の文章をもっと見たいと思った。最初に勉強を教えると言ったのはそのためだ。あの時の俺は恐らく、斎藤に対して特別な感情はなかった。もしもあの文章を書いたのが森口でも鍵谷でも、俺は何かしらの提案をして、作品の続きを読もうとしただろう。いやな言い方をするが、あの時の俺は文章に恋をしていたんだ。――恋をする、という言葉の意味を理解していなかったが、多分そういうことなのだろう。俺は、斎藤の文章に恋をした。それが始まりだった」
懐かしそうに目を細める山田君の横顔を、私はちらりと覗き見した。
うつくしいのは私の文章ではなくて、山田君の心の方だ。私の文章はしょせん、アマチュア中学生の書いた代物で、何年も経てば黒歴史になりかねない作品ばかりだった。――そんな作品をうつくしいと言ってくれた、山田君には言えないけれど。
「最初はただ勉強を教えただけだ。誰かと二人きりで何かをする、というのはそれまでなかった。生まれてから二年ほど研究所で過ごし、その後『人間と共同生活を送れるか』テストするためにあの学校に通い始めたが、俺は人と親密になることはなかったんだ。最低限の話し相手を作っておけば浮かないし、誰かと親密になりたいとも思わなかった。――しかし」
山田君は少し照れくさそうに笑って。彼のそんな顔を私は初めて見た。
「斎藤とはもっと仲良くなりたいと思った。いつからだったかは分からない。図書室で勉強する時間が待ち遠しかった。斎藤がパフェを食べる時の笑顔を見るのが好きだった。――好き、だったんだな。ちょうどいい言葉が思い浮かばなくて、いつも表現に困っていたが、俺はあの笑顔が好きだった。……喫茶に行ったら、正面に向かい合って座るだろう。だから、その笑顔はよく見えた。チョコレートパフェは三百円だが、斎藤の笑顔はそれに見合う価値があると思った。最初は」
今は、それ以上だと思っている。山田君はまっすぐそう言った。彼は素直だ。同い年の男の子とは思えないくらいに、とても。
私はもう一度、咳をした。喉につっかえている何かは、取れそうにない。
「――同じものを共有したいと思って、野鳥の本を見せた。メモリに残っているはずの斎藤の文章を、何度も何度も読み返した。あれは、ノートを返したくないがための口実だったのかもしれない。そうしてやがて、斎藤には嫌われたくないと思うようになった。もしも他の人間を敵に回すようになったとしても、斎藤にだけは嫌われたくないと。――クリスマスパーティーの時、斎藤は具合が悪いと言って外に出た。俺は後を追った。心配だったのはもちろんだが、二人きりになれるという下心もあったんだ」
「……そこまで言わなくていいのに」
「すまない。言いだしたら止まらないようだ」
彼は情けない顔で笑って、それから私の顔を覗き込んだ。
「顔色が悪いように思うが大丈夫か。先ほどから、咳もしている」
「……大丈夫。ここ寒いね。冬の海をなめてた」
私がそう言うと彼は無言で自分のダウンを脱いで、私の肩にかけてくれた。それはとても暖かくて、山田君の体温が残っていた。けれど彼が下に着ていたのは、それだけだと寒そうな薄手のシャツだけだ。私はダウンを返そうと、手をかけた。
「……これ、嬉しいんだけど私は大丈夫だよ。山田君、その格好だと寒いでしょ」
「アンドロイドには触覚がない。つまり温度覚もない。寒さは感じないんだ」
そこまで言って、彼は「ああ」と溜息をついた。
「おとぎ話全集を借りただろう。十巻を」
「うん」
「あの中で斎藤が好きなのは、さむがり猫と雪だるまという作品だった。けれど俺は、あの作品を理解できなかったんだ。寒さが分からないからだ。寂しい、という感情もあの時は分かっていなかった。だから最初、俺は理屈をこねるような感想を言った。雪だるまが喋られる確率がどうだ、あの結末はハッピーエンドとは呼べない、などと。――的の外れた感想だ。あれは、そうやって読む物語ではないのだろう?」
私は返事に困って、曖昧に笑う。けれどそれは、「そうだよ」と言ったのと同じだと思った。彼は自分の両手をしげしげと見た。
「触覚がない事について、俺は今までなんとも思ってこなかった。温度が分からないことも、痛みを感じないことも、触れたものの感触が分からないことも、どうでもいいと思っていたんだ。――しかし、どうでもよくはなかった」
彼は自分の手から目を離すと、私の手を見た。そして、口惜しいといった表情を見せた。
「斎藤の手のあたたかさを、知りたかった」
私たちは手を繋いだ。二回。一度目は不意打ちのようなもので、きっと彼は気づいていない。
けれど二度目はついさっきだ。彼は確かに、私の手と自分の手が繋がっているのを見ていた。だから、握り返してくれた。私は彼の手の温度に安心したし、女子のそれとは違う皮膚の感触に驚いたり戸惑ったりしていた。
だけどあの時、彼は何も感じていなかったのだ。心の意味ではなく、感覚的な意味で。私の体温も、手の柔らかさも、何も感じていなかった。
「斎藤の体温が知りたかった。あたたかさを知りたかったし、もしも指先が冷えているようなら、あたためてやりたいと思った。けれど分からなかった。手の柔らかさも、肌のなめらかさも、何もかも。俺はあの時初めて、自分に触覚がないことを恨んだ。俺を作った研究員に、ミサイルでも落としてやりたいと思うくらいに」
――ああ、だからさっきは過去形だったんだ。私は一人で納得した。
山田君は息を吐く。出来る限り長く。声のないそれは、けれど少し震えていた。
「俺はアンドロイドだ」
そうして彼は断言する。自分の正体を。宿命を。残酷な、真実を。
「どうあがいたって人間にはなれない。どれほど人間に近づけるよう努力しても、感情のようなものを持っても、共同生活することができても、会話できても。俺はアンドロイドで、それは壊れるまで変わらない。この先アップグレードされたとしても、新たな機能が搭載されたとしても。高性能であろうがなんだろうが、しょせんロボットだ。コンピューターだ。少しだけ複雑に動けるパソコンだ。……人間の、偽物だ」
山田君は私を見る。茶色に近い双眸が、私をとらえる。
「斎藤は自分のことを偽物だと言った。けれどそうだろうか? 斎藤は、人間だ。たとえ誰かのクローンであったとしても、人間だということは間違いない。斎藤は生きている。――対する俺は、ただ動いているだけだ。生きているのではない。偽物というのは、俺に使うべき言葉だ。斎藤ではない」
「それは……」
私は絶句した。何を言えばいいのかではない。自分が何を言いたいのかが分からなかった。
そんな私の様子を見て、山田君は寂し気に笑い、小首を傾げた。
「――嫌われてしまっただろうか」
「そんなことっ……」
「しかし、アンドロイドと人間が恋をするのは、無理だ」
山田君はしっかりとした口調で、言い切った。私のように声を震わせたりはしなかった。
「……好きに、なってくれたんじゃないの?」
「少なくとも俺は。先ほど言ってくれた斎藤の言葉が本当ならば、お互いが好意を持っていたということになる。そして、ここから発展するのかもしれない。もっと頻繁に手を繋いだり、ふたりでひとつのことを共有したりするのだろう。――そうだな、俺たちは恋をした。しかし俺が言っているのは、この先の話だ」
私から目をそらした山田君は、やっぱり海を見た。その先に何があるのかは、分からなかった。
「たとえば俺は、何年経っても容姿はこのままだ。斎藤が大人になっても、俺は十五歳のまま。――俺のここでの実験は、あと二年ほどで打ち切られる予定だった。そうでなければ、いつまでも同じ容姿のまま斎藤たちと過ごすのは不自然だからだ。斎藤は一生ここから出られないと言ったが、俺はずっと同じ人間の前に立つことはできない」
ずっと一緒にいることはできない。彼はそう言いなおした。
「子供を持つことも叶わない。社会に出られるかどうかも。そもそも俺はただの機械だ。パソコンに恋をして、デートをするような人間がいるか? いないだろう」
山田君はそこまで言って、少し間をあけてから
「無理なんだ。人間が、――俺と恋をするのは」
少しだけ弱々しく、言った。
私は何も言えなかった。言いたいことはたくさんあって、けれどどう伝えればいいのか分からなかった。
山田君はアンドロイド。それは分かった。けれど彼はただの機械じゃない。考えることが出来る。感情がある。誰かを、好きになれる。
なのに、それをただの機械と言うの? パソコンと同じだと?
「好きという単語は、どうも言い慣れないな」
山田君はおかしそうに笑った。
「俺がアンドロイドだと言う事実に、失望されたかもしれない。俺の言葉は、もはや届かないかもしれない。しかし、斎藤に伝えたいことがある。俺の言葉で、言いたいことがある」
彼は、猫背でもない背筋をさらに伸ばして、私の顔をしっかりと見た。その顔は真剣で、だけど無表情ではない。期待も絶望も憧憬も喪失も、何もかもが混ざったような顔だった。
「斎藤、俺は」
止まる。悩む。口を開いて、閉じる。けれど今度こそ、決心したように口を開いた。
「俺は君のことを。――うつくしいと、思う」
中学三年生が使わないような単語で、それでも彼は確かに、私に気持ちを伝えてくれた。




