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サイトウツタコ(事件当時三十八歳)は××××年のクリスマス、世間を騒がせた殺人犯である。その殺害方法および殺害後の行動は残虐極まりなく、犯罪史上に残る殺人事件とされている。
被害者はサイトウの隣に住む一家。父親(三十二歳)、母親(三十歳)、長男(七歳)、長女(五歳)の四人である。
サイトウが事件を起こしたのは、クリスマスイブ(十二月二十四日)の夜九時。隣家の主人(以下、父親と記述)が帰ってきたのを確認し、自宅を後にした。この際、彼女が持っていたものは斧や鋸、包丁といった刃物。自宅で飼育していたハムスター四匹、そしてインスタントカメラであった。
サイトウは、隣家が就寝直前にしか鍵をかけないことを知っていた。難なく玄関から忍び込んだサイトウは、声のするリビングへと向かった。この時一家は団らん中であり、家族全員が食卓についていたという。クリスマスイブの夜ということもあり、食事はチキンやケーキが用意されていた。
サイトウはリビングにたどり着くと、ダイニングテーブルについていた父親に向かい突進し、目に包丁を突き刺した。包丁は刺身包丁で細身だったため、深々と刺した刃は目から脳まで到達し、父親は席についたまま絶命した。
ここでサイトウは、初めて声を出す。それは「芸術品を破損してしまった」であった。
次にサイトウは、目から大量出血している父親の死体を指さし、「大声をあげればこのようになります」と母親を脅した。そして、金を出すように要求する。
サイトウの狙いは金ではなく、金を用意するために動く母親であった。母親が席を立ち背中を向けた瞬間、サイトウは母親の背中をめった刺しにし、殺害した。この殺害順についてサイトウは、「最初に力の強い男、次に理性のある女(大人)を殺そうと思った。子供は多少叫んでも、クリスマスではしゃいでいるように聞こえるだろうと思った」と口述している。
実際、子供たちは動かなかった。目の前で起こっていることに頭がついていかず、どうすればいいかも分かっていない様子だったという。「青白い顔は生きた彫刻のようで、できればこのまま保存しておきたいとも思った」とサイトウは述べているが、母親を殺害した直後、長男の腹部を刺している。しかし死ななかったため、その後五回、腹部を刺した。これについてサイトウは、「腸が出てしまったため、失敗した」とだけ語っている。
残ったのは五歳の長女であった。サイトウは泣きじゃくり始めた子供を慰めるため、このような発言をしたという。
「お父さんはおめめ、お母さんはせなか、お兄ちゃんはおなかを刺したでしょう。だからあなたは、心臓にしてあげるね。そしたらすぐに、楽に死ねるから。ね?」
サイトウは、子供が泣いていた理由は『母親と長男が即死ではなかったから怖かったのだろう』『何回も刺されるのは苦しそうで嫌だと思っているように感じた』と述べている。
そうして一家四人を殺害したサイトウは、ここから奇妙な行動を始める。
まず、被害者四人の頭部を鋸や斧を使って切断した。次に、首のなくなった四人の死体を、リビングに忍び込んだときに見た配列で席に座らせた。十二時方向に父親、そこから時計回りに母親、長女、長男である。死体は想像以上に重く、この作業が一番大変であったため、「一番重い父親をその席で刺殺しておいてよかった」とサイトウは語っている。
首なし死体をすべて着席させると、それぞれの前にある取り皿に、ひとつずつ頭部を置いていった。父親の死体の前には父親の首、母親の死体の前には母親の首。首は、それぞれの身体の方に向けた。頭が、首のない身体を見るような形。そして全員が食卓中央ではなくその外を見る形にすることに、サイトウはこだわった。これに関するサイトウの言い分はこうである。
「仲良く家族団らんをしているようで、それぞれ自分の内面や秘密を隠し、引きこもっている様を表現したかった」
この作業が終わると、サイトウは自宅から持ってきていたハムスターを取り出し、その首をすべて切り落とした。この作業は被害者宅のキッチンで、更には被害者宅にあった包丁とまな板で行われている。
サイトウは切り落としたハムスターの頭を、被害者たちの口にひとつずつ入れた。そして、首のないハムスターの死骸四つを、ホールケーキの上に十字型に並べた。この際ハムスターの死骸は、それぞれの首の断面を見せ合うよう、中央を向いた形にした。
ハムスターについてサイトウからは具体的な表現がなく、ただ「アクセントが欲しかった」とだけ述べている。
サイトウはこうして、自身の最高傑作を生みだしたのだと主張した。
全作業終了後、サイトウは持ってきていたインスタントカメラで、自身の作り上げた『芸術作品』を撮影した。あらゆるアングルで撮影し、一枚一枚その場で確認した。警察から逃げるつもりはまったくなかったという。
「むしろ、死刑になってでも作品を仕上げたという事実が重要なのだ。命がけという言葉はこういう時にしか使ってはならない」とサイトウは述べた。
サイトウは撮影が終わると、ボツになった写真は全てその場に撒き散らし、自分が良いと思った五枚を持って外に出た。この時点で時刻は深夜三時であり、外に人はいなかったという。
そしてサイトウは『どこか』へ行き、気に入った五枚の写真を『隠した』。
自分の最高傑作を収めた写真は警察に押収されたくない、というのがサイトウの意見であった。
どこへ行ったのか、どこに隠したのか。それについてサイトウは一切話さなかった。それ以外の事については饒舌に語り、殺害や切断のために使った刃物等は全てその場に置いてあったが、五枚の写真をどこに隠したのかだけはいまだに明らかになっていない。
死体を発見したのは、事件翌日(二十五日)の朝、被害者宅を訪れた祖父母であった。その際、サイトウは事件現場で『作品』を見つめていたという。
祖父母による通報で、サイトウは逮捕された。その際、抵抗する様子は一切見せなかった。
駆けつけてきた警察に対する、サイトウの一言目はこうである。
「私を死刑にするときは、芸術的側面を持った方法でお願いします」
サイトウが隣家をターゲットにした理由は「近かったから」「家族四人で絵になると思ったから」であり、特に恨みはなかった。被害者(母親)と話している様子を見たことのある近隣住民も多く、トラブルはなかったと思われる。
サイトウは自称芸術家であり、あらゆる作品を賞に応募していたという。水彩画や油絵、彫刻、版画と様々なジャンルに手を出していたが、どれも落選している。
隠した五枚の写真について「何かに応募する気だったのか」と詰問すると、サイトウは「あれは応募するようなものではなく、永久に自分の中に保存するための作品です」と答えた。
サイトウツタコにはそれまで、これといって目立った反社会的行動は見受けられなかった。家庭環境も悪くなく、虐待等はなかった。しかし、母親からの過干渉により、共依存の関係に陥っていたことが後に判明している。
――私がその資料を見たのは、中学一年生の夏だった。菱木さんの部屋に行き、彼女がいなくなった間に、何の気なしにパソコンをいじったのだ。ありとあらゆるファイルの中に、それは混ざっていた。そしてその資料の最後に、菱木さんが書いたのであろうレポートがあった。タイトルはこうだ。
『サイトウツタコのクローン、αの記録』
おままごとセットを買い与えたら、包丁に反応を示すかどうか。その包丁をぬいぐるみに突き刺そうとするような残虐性を見せるか。絵を描くときは何色のクレヨンを使用しているか。何色が多いか。レゴを使わせるとどのようなものを作るか。そこに何かしらの規則性や、事件に関わるような発想は見受けられるか。コミュニケーション能力はどのようになっているか。知能指数。心理検査。
精神的に不安定になっている時は、向精神薬を投与すること。
危険物のある場所に絶対に出さないこと。施設の外に出すことは、何があっても許されない。どのような行動に及ぶか、予測不可能である。
――私は菱木さんに、すべて問いただした。本当は、私は自分のオリジナルについて知ってはいけなかった。それだと、実験にならないからだ。それまで私は、「閉鎖空間で育った人間に関する実験」としか教えられておらず、オリジナルの事情までは知らなかった。
結局、担当カウンセラーの赤井先生と、施設の責任者である堺さんも交えて、話をした。
「――人格形成に、より大きな影響を及ぼすのは、遺伝か環境か」
私は自分の実験内容を、山田君に伝えた。
「人権の問題もあって、できていない実験はたくさんある。だけど、戸籍も何もないクローン人間を使えばあらゆる実験が可能だと、どこかの偉い人が考えた。そうして誰も知らない孤島に、誰も知らない研究所をつくり、様々な実験をした。そのひとつが、これだった」
犯罪者やサイコパスになる原因は、環境によるものか。それとも、遺伝子にもなんらかの問題があるのか。
「私の実験はとても簡単。凶悪殺人犯のクローンを作って、それを閉じ込めるだけ。外的刺激をなるべく与えないようにすることで、サイトウツタコとはまったく違う環境を作る。与えるものは実験者が選りすぐったおもちゃ。できる限り他者との接触もさせない。そういった環境で育ったサイトウツタコのクローンが、どのような人格になるのか。そこに、サイトウツタコに通ずる人格の歪みが見られるか」
堺さんが教えてくれたのは、そういうことだった。凶悪殺人犯のクローンが、オリジナルとはまったく異なる環境で育っても、殺人犯になり得るような人格を形成するかどうか。一言で言うならそれだけの実験。
もしも私の行動や人格に、何かしらの異変があったら? という質問に対する返事はなかった。返事がない時点で、返事をされたのと一緒だった。
遺伝子を研究されて、処分。それでおしまいだ。私が死んだところで、それを認知する人間は『外』にはいない。
「国のお偉いさんの、ほんの一握りしか知らない極秘実験なんだって。そりゃそうだよね。凶悪殺人犯のクローンを作ったなんて知ったら、世間は大パニックになっちゃうから」
何が起こるか分からない危険因子。だから私は絶対に、白い部屋の外に出てはいけなかった。
けれど、私の人格にこれといった問題がなかったため、実験はフェーズ1からフェーズ2へと移行した。舞台は『学校』。地下研究所の外にある、天才育成学校が実験会場だった。
「――この孤島での生活、不便だと思わない? 学生は、刃物やライターを持っちゃいけない。ハサミですら、職員の目が届く範囲内でしか使うことができない。刃物なんて、危なくて持たせられないからだよ。……私には」
危険物を一切取り除いた空間で、同年代の人間と、一般的な生活を送れるかどうか。そしてそこで触れたもので、人格になにかしらの影響はあるか。それがフェーズ2の実験内容だった。
その日、私は初めて白い部屋から外に出た。廊下を歩く時に靴底がきゅっきゅと音を立てるのも、地下研究室からカウンセリング室に出た時に見た風景も、そのすべてが新鮮だった。
けれどあの日、私にとって一番大きかったのは空だった。広いという意味でもそうだし、その青さも雲も、すべてが大きかった。綺麗だとか、そういう言葉は浮かばなかった。
――そういえばあの日も、私は空を見て泣いた。十二年も見たことがなかったそれは、広くて、広すぎて、吸い込まれてしまいそうで怖かった。いくら探しても、空には隅っこがない。終わりがない。そんな『天井』は初めてだった。
色鉛筆の空色は知っていても、本当の空の色なんて知らなかったんだ。
怖いと思うくせにその青色が目に焼き付いて離れなくて、広さが信じられなくて、私は声をあげてわんわん泣いた。
そばにいた菱木さんは、何も言わなかった。赤井先生も。
誰も何も言わなくて、背中をさすってくれる人も手を繋いでくれる人もいなくて。私はただただ一人で泣き続けた。
空を見上げ、空のために泣いているのに、涙は何故か地面に落ちた。
「――……言えるわけがない」
私は両膝に顔をうずめた。
「クローン人間だということは受け入れてくれるかもしれない。でも、殺人犯のクローンだということは、受け入れられる? それも、猟奇的殺人事件としていまだに噂されるような人間のクローンだなんて。怖いに決まってる、そんなの」
私自身、何かを殺したことはない。知らない間に踏みつぶした蟻の数なんかは分からないけれど、殺意を持って何かを殺したことはない。殺したいとも思わない。
けれど私は確かにサイトウツタコのクローンで、サイトウツタコは殺人犯だ。残虐非道な。ハムスターも人間も、自分の芸術のためなら平気で殺せる人間だ。
そんな人間のクローンが自分のそばにいるなんて分かったら、きっとみんな私から逃げていくだろう。
今まで通り、仲良くできる? 笑いあえる? ――幻想だ、そんなの。
いつか、菱木さんとした会話を思い出した。
『もうひとりの私は、何をしているの?』
『……あなたと同じように、小さな部屋の中にいるわ』
あれは、私と同じように実験のために隔離されているという意味ではない。刑務所にいるという意味だ。幼い私に、そんな想像ができるはずもなかった。
「……だから私は、この島から一生出られない」
何度目か分からない言葉を、私は口にした。
「殺人犯のクローンを世に出す? できっこない。仮にできるようになったとしてもそれは、私が死んでからだと思う。私が『普通に』生きたかどうか確認して、もう一体同じ遺伝子のクローンを作る。そしてそのクローンにはフェーズ3、外の世界での実験をする。外の世界に出ても、きっと色々制限はあるだろうけれど」
遺伝子が遺伝子だから。私はかじかんだ両手を見た。この手で殺したわけではないのに、まるで自分が殺したような錯覚。人間四人を殺して、首を切り落としたサイトウツタコのクローン。その事実は一生消えない。
――……ついに言ってしまった。よりにもよって、相手は山田君だ。私は笑った。こうやって二人きりで会うのも、もう最後になるのだろう。手を繋ぐことも二度とない。二度と、
「斎藤」
名前を呼んでくれることも、ないと思っていた。
彼は少し悩んで、「斎藤と呼ばれるのは嫌だろうか」と訊いてきた。私は首を振る。山田君から卯月と呼ばれるのはピンとこないし、アルファと呼ばれるよりはいい。
「……俺はそれでも、斎藤のことを恐れたり、嫌いだと思うことはない。斎藤は、斎藤卯月であって、サイトウタツコではないからだ。たとえ、遺伝子が同じであっても。斎藤に対する気持ちは変わらない」
「私と同じ遺伝子の人間が、この世に何人もいるかもしれないのに?」
「同じ遺伝子を持った人間がいくらいたとしても、俺の知っている斎藤卯月はひとりしかいない。ここに、ひとりだけだ」
山田君は私の腕に、そっと手を伸ばした。分厚いコート越しに、彼の手が触れたのが伝わってくる。山田君は振り絞るようにして、言った。
「――……もしも斎藤以外にサイトウツタコのクローンがいたとして、そいつが斎藤卯月と名乗っていたとしても。同じ年齢でも。同じ髪型でも。同じ遺伝子でも。それは」
一拍の間を置いて、山田君は言う。
「それは、俺の好きな斎藤卯月とは違う」
――言葉が、出なかった。
ありがとうなのかごめんなさいなのか、何を言えばいいのか分からなかった。嬉しいのか悲しいのかも分からなかった。嬉しいはずなのに、自分だけが知っている結末のせいで、素直に嬉しいと言えなかった。
彼は優しい。だから、私なんかと一緒にいるべきではなかった。だってもう、この物語の結末は決められていて、変えることができない。お互いのことをどれだけ好きになっていても、これからどれだけの言葉を交わしても、結末だけは変えられない。
彼は、それを知らない。そして出来るのならば、教えたくなかった。
沈黙が続く。波の音は絶対に止まらなくて、けれど騒々しいとは思わなかった。水たまりは静かにしているのに、海はどうして波があるのかが不思議だった。
「俺の秘密を、教えようか」
やがて山田君が、そんなことを言った。いつか、どこかで聞いた言葉。
「……実は五歳だっていうあれのこと?」
「それに通じている話だ」
山田君は私から手を離した。まっすぐに海を見て、大きく息を吐く。珍しく、緊張しているようだった。
「斎藤が自分のことを教えてくれたから、俺も教えようと思う。しかしその事実を聞けば、斎藤は俺を嫌いになるかもしれない。好きだと言ってくれたその感情は、なくなるかもしれない」
「……殺人犯のクローンってわけじゃないんでしょ? 大丈夫だよ、何を言ってくれても」
「クローンではない。そもそも俺は、人間ではないんだ。――斎藤が偽物であるというのならば、俺の方がもっと偽物だ。生きてすらいない贋作だ」
私は眉をしかめた。彼の言わんとしていることが分からない。
山田君は、ゆっくりとこちらを向いた。そして、
「俺は。――山田実は、アンドロイドなんだ」
何かを捨てるように、諦めるように、悲しく笑った。




