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クリスマスイブの、午後二時。机の上に広げられたお菓子を目の前に、それぞれがそれぞれの反応をした。
司君は「馬鹿じゃねえのか」と呆れかえったように言った。
牧乃ちゃんは「はりきったんだね」と苦笑した。
ヒカル君はさも自分のもののように、コアラのマーチをさっと手に取った。
私は口を半開きにした。
山田君はしげしげとお菓子を観察した。
澪は、ドヤ顔で胸を張った。
お菓子、というのは正確ではない気がする。もっと正しく言うのであれば、それはもう山だった。お菓子の山だ。ヘンゼルとグレーテルに出てくる、魔女の家でも作らんばかりの勢いで、お菓子が机の上に山を作っている。
私は山を作っているそれを、ひとつひとつ確認した。ヒカル君の取ったコアラのマーチから始まり、メルティーキッス、きのこの山、たけのこの里、ガルボ、ガルボミニ、ポッキー、バッカス。チョコ類でこれだけある。もう少し観察しよう。カントリーマアム、雪の宿、黒糖みるく、ビスコ、果汁グミ、オレオ、かりんとう。私の席から見えるだけでも、甘味がこれだけある。
更に観察してみよう。ポテトチップス(うすしお・のり塩)、かっぱえびせん、柿の種、カレーせん、ハッピーターン、ポテロング、カール、醤油せんべい。さきいか、するめいか、チータラ、カットよっちゃん、カリカリ梅……ウズラの卵燻製などというものまである。
お菓子およびおつまみの山の観察に、私は何十秒かけただろうか。
「馬鹿じゃねえのか」
司君がもう一度言った。ヒカル君は既に、コアラのマーチの封を開いている。
「別にぜんぶ食べろとは言ってないわよ」
「食えるわけねえだろ馬鹿か」
「うっさい司! あんたもう、カリカリ梅の種だけ食べてなさいよ!」
「何を訳分かんねえこと言ってんだ、馬鹿か? 大体なんだこれ」
司君が私の見えない位置から引っ張り出したのは、缶入りのカンパンだった。
「なんで避難食まで取り揃えてんだよ馬鹿じゃねえのか」
「それ地味においしいじゃん! 胡麻が入ってて風味豊かだし! 氷砂糖が何気に美味しいし!」
二人の喧嘩を尻目に、ヒカル君はコアラのマーチをひとつひとつ取り出して、机に並べている。見かねた牧乃ちゃんが仲介に入った。
「もう。鍵谷さんが用意してくれたんだもん、みんなで美味しく食べようよ。喧嘩するために集まったんじゃないんだし、仲良くしたいよ……」
「牧乃あんた本当に優しい! 最初に好きなの選んで!」
そう言われなくても、ヒカル君が最初に好きなのを選んでいる。とは、言わないでおいた。
結局、ポテトチップスなどのスナック菓子はパーティ開けをして、メルティーキッスなどの個包装されているものは均等に配った。あとはそれぞれが自由に、思い思いの商品に手を伸ばした。
「……あてつけみたいにカンパン食べてるんじゃないわよ」
ボリボリと音を立てながらカンパンを貪っている司君に、澪が口を尖らせた。
「嫌いだとは言ってないだろ。おめーも食う?」
「馬鹿じゃないの。……氷砂糖ちょうだい」
なんだかんだで、カンパンのおかげで仲直りできたようだった。
そこからは普通に話をして盛り上がった。最初はやっぱり、好きなお菓子の話をした。私は実は、ここにあるお菓子の大半を名前しか知らなくて、だから好きなお菓子はチョコレートだと、漠然とした回答をした。
「あっ。じゃあ、私のおすすめあげる。これ!」
澪がバッカスをくれて、私は一粒食べた。そして、激しくむせた。
「これ何……」
「お酒入ってるの。大人っぽくない?」
澪は平気な顔をしてバッカスを食べている。食べ慣れれば、おいしいらしい。お酒の入ってるお菓子なんて食べたことのなかった私は、その奇妙な味に感動しつつも畏怖した。
「牧乃はいらない?」
「あ、食べる。ありがとう」
「ヒカル君は嫌いそうだから……。実はどう? 食べる?」
振られた山田君は一粒受け取って無言で食べて、けれどもそのまま無言だった。
――もしかして、山田君も初めて食べたんじゃないだろうか。これは、普通のチョコだと思ったら大間違いだ。きっと、私と同じくらいのショックを受けているに違いない。
「ね、おいしいでしょ」
「そうだな」
けれど山田君がそんなことをさらっと言って、私はがっくりした。そういえば山田君は、ブラックコーヒーなんかも飲んでいる。大人の味に慣れているのかもしれない。
私たちがお菓子の話を終えるころになって、ヒカル君はようやく、並べていたコアラのマーチを食べ始めた。左から順に、一粒ずつ。絵柄をじっくり観察してから。
「……雪、降りそうなのに降らないね」
雪の宿を食べていて思い出したのか、牧乃ちゃんがそう言って外を見た。食堂の壁の一部はガラス張りで、グラウンドが少し見えるようになっている。空は白かったけれど、白いものが降っているわけではなさそうだった。
「どうせ寒いなら降ればいいのにねー」
さきいかを噛みながら、澪が言う。司君はカンパンをほぼ一缶食べきっていた。……もしかすると、カンパンが好きだったのではなく、澪に謝りたかったのかもしれない。澪はそれに気づいているのかいないのか、今度はかりんとうに手を付けながら言った。
「ねー。なんかクリスマスっぽい話しようよ」
「なんだよ、クリスマスっぽい話って」
「んっとねー。じゃあ初恋! あっ、嘘! 今のなし!」
澪が慌てて取り消して、それを見ていた司君が何を慌ててんだ? と突っ込んだ。
恐らく澪は、私が前に「初恋の経験がない」と言ったのを思いだしたのだろう。誰かが参加できない会話は面白くない。――澪らしいなあ、と思った。
でも、と思う。今ならその会話に、私も参加できるはずだ。うそ。できない。だって、初恋の相手が目の前にいる。
私はちらりと山田君を見た。彼は先ほどから、あれこれとお菓子をつまんでいる。好き嫌いがないというのは本当らしい。チョコレートでもかりんとうでもカールでも醤油せんべいでも、特に顔色を変えることなく食べている。今は、ウズラの卵燻製を食べているところだ。
「……山田君。それ、おいしい?」
食べたことがないので訊いてみると、山田君は「まあな」と言ってから、
「訊くよりも、実際に食べてみたらどうだ?」
私にウズラの卵燻製の袋を差し出してきた。そっと中を覗いてみる。……ラーメンの煮卵スモールバージョンみたいなのが入っているようだ。お菓子……ではないよねこれ。
恐る恐る、ひとつ食べてみる。――……あ、煮卵とはまた違う味がする。なんか、香ばしい? ような。
「おいしいね」
「ああ」
山田君は微笑むこともなく、小さく頷いただけだった。
結局、話題は『クリスマスの思い出話』になった。サンタさん(ヒカル君の手前、親とは言えない)にもらったおもちゃの話だとか、友達と遊んだことだとか。一番印象に残ったのは司君の話で、クリスマスの朝、起きたら枕元に五千円札が置かれていたというものだった。
「小学二年の時だったんだけど。サンタが、ついに現金をよこしたんだよ。五千円札。ご丁寧なことに、明らかに正月用のポチ袋に入れてな。しかも趣味の悪いことに、そのポチ袋にはシールが貼られてた」
「シールなのに、趣味が悪いの?」
牧乃ちゃんが不思議そうに言うと、司君は肩をすくめた。
「ファンシーなキャラクターでも想像したか? 貼られてたのは、妙に立体感があってリアリティ溢れるゴキブリのシールだ」
みんなで爆笑した。山田君ですら若干笑っている。そんなシール、どこで売っているのだろう。ドッキリ用の商品か何かだろうか。虫嫌いの私がそれを受け取ったなら、悲鳴をあげていたに違いない。
ひとしきり笑ったところで、澪がそういえば、と切り出した。
「趣味が悪いで思い出した。……昔さ、クリスマスにすんごい事件があったの知ってる?」
どくん。
私の心臓が、大きな音を立てた。
できればそこで終わってほしかったけれど、そんなところで終わるはずもない。司君が「ああ、あれな」と澪の話に乗った。
「一家惨殺ってやつだろ。犯人は芸術家。彫刻かなんか作ってたんだっけ? そこまでは覚えてねーけど」
「そうそう芸術家。クリスマスの日に近所の家に忍びこんで、家族全員皆殺しにしたの。その方法がまたえげつなくてさ。ほんと、都市伝説レベルなんだけど……」
牧乃ちゃんは顔をしかめていたけれど、山田君は興味深そうにその話を聞いている。気持ち悪いよねとか怖いよねという単語が飛び交う。
床がぐんにゃりと歪む。耐えられないような耳鳴り、が、した。
「……卯月? なんか顔色悪いけど大丈夫?」
私の変化にいち早く気付いたのは澪だった。ヒカル君以外の視線が私に集まる。
今、こっちを見ないで。お願いだから。
「鍵谷。おめーが変な話するからだろ」
「いや、ごめん。映像とかないし、大丈夫かなあと思ってさ。何も考えないで話しちゃった。卯月ってこういう話、駄目だったっけ。気分悪かった? ごめん」
「ううん、大丈夫。……ちょっと暖房でのぼせちゃったみたい。外の空気吸ってくるね」
立ち上がった途端によろめいた私を見て、牧乃ちゃんが不安そうな顔をする。
「斎藤さん。わたしも一緒に行こうか?」
「一人で大丈夫、ありがとう」
根拠のない大丈夫を繰り返して、私は外に出た。
食堂からは見えない位置――桜の木の下まで行くと、ピルケースからワイパックスを取り出し飲み込んだ。抗不安薬の中では、これが一番相性がいい。桜の木にもたれかかると、そのままずるずると地面に吸い込まれるように座り込んだ。
土も空気も冷たくて、私は自分の身体を抱える様にした。けれど、あたたかいとは思えなかった。
澪が話題にしたのは、もう二十年も前の話だった。十五歳の私達は、当時のニュースなんてリアルタイムで見ていない。見ていたとしても精々、YOUTUBEか何かにアップされているものだろう。
それでも。当時生まれていなかった人間ですら知っているくらいに、問題のある事件だったんだ。改めてそう思うと、怖かった。
膝に顔をうずめて、はあっと息を吐く。それと同時に、足元で砂を踏む音がした。
「――大丈夫だとはとても思えないが」
上から降ってきた声に、顔を上げる。いつもならもっと聞きたいと願っていた声も、今は聞きたくなかった。もっと見たいと思っていたその顔も、今は見たくなかった。のに。
「……山田君」
「具合はどうだ?」
彼は私の隣にすとんと座った。私はなんとなく居心地の悪さを感じて、彼と半歩距離を置く。
「外の空気吸ってたら、大分よくなってきたよ」
「そうか? 顔色が優れないが」
「……寒いからだよ」
「そうか」
しばらく沈黙が続いた。空は白と灰色で構成されていて、まるで空に雪が積もっているようだと思った。
山田君も私と同じように空を見上げている。そしてそのままの体勢で、
「俺の秘密を教えようか」
そんなことを言った。私は思わず、彼の顔を見る。
「え?」
「この前、カウンセリング室で会ったな。あれはきっと、斎藤の秘密だったのだろう? 対する俺はあそこに通っていることを秘密にしているわけではないから、平等ではないと思った」
「いいよ、そんな難しいこと考えなくても。あの日のことを、誰にも言わないでいてくれれば」
「まあそう言うな。教えると言っても、些細な秘密だ」
山田君は目だけを私に向けて、微笑んだ。とても綺麗な笑顔だった。
「……じゃあ聞くけど。秘密ってなに?」
「実はな」
山田君は少し勿体ぶってから、先ほどよりも口の端をあげた。
「俺は、こう見えて五歳だ」
――本気で嘘をついているのか、本気でそう思っているのか分からなかった。ただ、とにかく本気だろうとは思った。顔は笑っているけれど、茶化しているようには見えない。
私はどう反応すればいいのか分からず、けれども本気で返事をした。
「……それほんと?」
「他のやつらには内緒にしてくれ。これは重大な問題だ」
山田君は顔をこちらに向けて、声を出さずに笑った。私もつられて、笑う。
「それから、もうひとつある」
「……なに?」
「実を言うと、ケンタッキーフライドチキンなるものを、俺は一度たりとも食べたことがない」
私は、こっちの方がある意味驚いた。ケンタッキーフライドチキン『なるもの』だなんて、まるで見たこともないような言い方だと思ったからだ。
「それはほんと?」
「こう見えて、俺は五歳だ。知らないことなど山のようにある」
「あんなに物知りなのに?」
「知識と体験は、違うだろう」
山田君はそう言うと、ダウンのポケットに手を突っ込んだ。それから何やらごそごそやって、中から取り出したものを私に差し出した。
「斎藤にやる」
出てきたのは、メルティーキッスやキットカット、キャンディ類など、個包装されたお菓子だった。最初に全員で均等に分けたものだ。山田君は首を振った。
「鍵谷には悪いが、量が多すぎる。食べきれない」
「あとで食べればいいんじゃ……」
「俺よりも、斎藤の方が菓子は好きそうだ。おいしく食べてくれる人間に渡した方が、菓子も喜ぶだろう。もちろん、鍵谷たちには秘密だ」
また秘密が増えたな。山田君はどこか無邪気にそう言った。私は、山田君のくれたお菓子に目を落とす。
――どうして、司君でも牧乃ちゃんでもヒカル君でもなく、私なの?
聞きたかったけれど、それはあまりにも自意識過剰だと思った。
山田君は私の顔を覗き込むようにして、言った。
「顔色、よくなってきたな」
「……うん、ありがとう」
「俺は、特別何もしていない。食堂に戻るか? 鍵谷たちも心配している」
「うん」
二人でゆっくりと立ち上がる。ズボンや服についていた砂を払っていると、白いものがひらひらと眼前を落下していった。
「雪だ」
どちらともなくそう言って、空を見上げた。白と灰色の混ざった空から、ふわりとした白いものが次々と降ってくる。確かに降ってはいるけれど、積もることはないだろう。
ふと、隣の山田君を見る。彼は宙を見上げたまま動かない。雪が降ってくる様子を、じっと観察しているようだった。
彼の顔から、少しずつ視線を下に落とす。首、肩、腕、――右手。寒くないのか、両手はポケットに入れていなかった。
ちらり、ともう一度山田君の顔を見る。彼は相変わらず上を見たままで、私の様子に気付いていない。
私はそっと左手を伸ばした。いつかの図書室のように、心臓は早鐘を打っていた。指先が震える。寒さのせいではない。
彼がこちらを向いたらすぐさまやめようと思っていたけれど、空から落ちてくる白い結晶に夢中なのか、山田君は私の行動にまったく気づいていなかった。
ゆっくりと――薄いガラスでできたものに触れるように、指先で彼の手に触れた。
山田君の顔も手も、直視できるはずがない。私は宙を見たまま手探りで、その右手をそっと握った。
彼の体温が、わかった。
あたたかさがとても心地よくて、何故か安心して、けれど不安になって。
色んな感情を左手に込めて、彼の右手をきゅうっと握りしめた。
彼は、その手を振りほどこうとはしなかった。
けれど、握り返してくれることもなかった。
空を見上げている彼が、私のことを受け入れてくれているのか。それとも内心で拒絶しているのか。
私は分からないままで、それでも彼のあたたかさだけを静かに感じていた。




